コーダ あいのうたのレビュー・感想・評価
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旅立ちのとき
「コーダ(coda)」とは聴こえない親を持つ、聴こえる子供をさす言葉だと言う。
ルビーはまさしく「コーダ」である。
だから日常生活の多くを耳の聴こえない両親・兄の通訳者として、
お金のこと、役所のこと、医院の付き添いと、17歳のルビーには荷の重い
過酷な日々。
オマケに早朝から漁の手伝いまで・・・。
この映画は2022年のアカデミー賞作品賞を受賞した映画で、
父親役のトロイ・コッツアーは助演男優賞を受賞した。
トロイ・コッツアーは自身も聾唖の俳優です。
彼無くしてこの映画の成功無し・・・そう思うほど、強烈な印象を
残しました。
本当に今時珍しいほどアクが強く個性的!
一番に胸を打たれたのは、
合唱の発表会でルビーが歌うので聴きに行きます。
合唱が終わりマイルズとのデュエットの途中で、
映画が突然、無音になります。
聾唖の両親には、こんな風に「無音のステージ」なのですね!
まわりが喝采をしてはじめて、娘の歌が素晴らしいことを知るのです。
「聴こえない」ことの切なさを、私も追体験しました。
映画は合唱指導のヴェルナルド先生の強烈に個性も有り、
音楽に溢れた楽しい映画です。
音楽シーン。
オーディションの「青春の光と影」
随分の古い曲をルビーは歌います。
カーペンターズの好きな私はとても懐かしく嬉しかったです。
2番からは会場の両親たちに手話を付けて歌うルビー。
グッと込み上げるシーンでした。
人生のステージに代打の必要な時は必ず来ます。
代打がレギュラーを取って変わることも普通に有りますね。
ルビーが音楽の勉強にボストンへ旅立つことになり・・・
住み慣れた我が家を離れて行きます。
(SEXが大好きなお父さんとお母さん)
その元気があればまだまだ頑張れます。
湿っぽくならずに前向きな素敵な映画でした。
確かに畜産より漁業
所々に納得できるところはあった。
家族の職業が変わった事や。
初潮が両親に話になってたり。
村長選が漁業組合になってたり。
ただ、若干エールの最後の歌の方が感動したかと。
説得力があった。
それでもいい
耳が聞こえない家族の中で1人だけ耳が聞こえる女の子がいる家族があった。
その子には、耳が聞こえない家族の為に自分を犠牲にして働く事があったりしていた。
そんな事を兄は、あまりよく思っていなかった。
年頃の女の子ならではの悩みがある中で自分の家族の苦しみを背負って頑張ろうとする少女の姿描かれていた。
耳が聞こえないとハンデは、健常者で到底分かり得ない事かもしれない。
自分が聞こえているから何となく相手に合わせてしまうかもしれない。
それでも自分は、相手の深い所まで近づく事が出来たら嬉しいなと思う。
現実は、なかなか難しいかもしれない。
でも、少しでも相手のことをを思うだけでも違ってくるのかなと感じました。
歌が胸打つ
耳が聴こえない家族の中でただ1人聴くことの出来るルビー。通訳として家族と他の人を繋ぐ役割を小さい頃から自然とやってきた。音楽に出会い、家族が共有出来ないものを目指す。ルビーの発表会を見に行ったあと、歌を手で感じようとする父とのやり取りで号泣した。
手話付きで歌うところも号泣。
どんな家族でも、かけがえのないものにはかわりない。
あーだこーだ
ろう者の子ども、ろう者、などマイノリティの可視化は普通にいいこと、というか然るべきことだと思う。見ていて勉強になったこともある。
自分も成人後わりとすぐに親の介護を手伝ったり、そのために自分の仕事や外出をかなり制限したりしていたので、ヤングケアラーの主人公の辛さに共感できるところがあった。またルビーはただでさえ高校生で、自分のことを親に理解してもらえてなかったので、本当に大変だなと思った。このあたり、ルビーが鼻水出るくらい泣いて悔しくて辛い気持ちを表現してくれたらよかったのに、と思う。
あと下品な内容を手話で言うときに字幕が無くなったのが気になった。手話を知らなくても大人なら見たらわかる手の動きだ、ということなんだろうけど、話してる本人は普通に話してるだけで、手話じゃなくて口話だったらそんなに面白いことを言ってないのではないかと想像した。それも口話に訳してくれなかったせいでよくわからない。確かにあの状況自体はユーモアがあって笑えるけど、その手の動きを見て確実に笑える聴者ってどういうこと?と思った。あと、どこかで手話付きで歌うだろうなと思ってたら案の定やってたので、日本のチャリティ番組と同じかよ、とツッコミたくなった。比べられるものではないけども。
コーダとかろう者とかを抜きにしたら割とふつうの家族物語かもしれない。抜きにはできないけど。
こんなすごい作品があるんだ
家族の中で主人公一人だけ健聴者で、でも音楽の才能が認められて……って設定を聞いたら、だいたいどんな話か分かるよね。そして、ストーリーはほぼ想像通りなの。
なのに、すごい。自分がなんで感動してるのか分からないんだけど、心が動いて、なんかその感動をどう表して良いのか分かんないから、やたら体を映画館のシートに押し付けながら観てた。
最初に主人公が「好きな男の子がいるから」って合唱クラブを選ぶところはベタなんだよね。
その最初のレッスンで一人ずつ歌ってくんだけど『ここで、主人公の才能でみんなを驚かせるのか!』と思って観てると、なんと主人公、教室から逃げ出すの。ここが、すごい。なんだこの展開。
そしてなんか分かんないけど、歌うようになる。この展開も分かんないけど違和感ないんだよね。
それで憧れの男の子とデュエットするようになって、いざこざ発生するのもベタ展開。
でもこの辺で、この男の子と、主人公のお兄さんを好きな女の子が「主人公の家族は一つにまとまっていて羨ましい」ってことを言うんだよね。
耳が聴こえないっていう障害があるけど、それだけ逆に結束強くて良い家族じゃないかっていう。
まあそれからイザコザあって、主人公が家族との約束をすっぽかすと、それで問題が起きて、解決するためには「もう、私が音楽学校を諦めて、ここに残るしかないんでしょ」ってなる。
ここでお母さんのキャラ設定がすごいんだよね。お父さんとお兄さんは「家族のために主人公を犠牲にできない」って感じなんだけど、お母さんは「残ってくれて嬉しい」って言えちゃうの。すごいよ。
そしてお母さんとのやり取りでは、主人公が「私だけが家族で除け者だった」と言い、お母さんは素直に「そうね」と答える。さらに「あなたが生まれて聴力検査をしたとき、ろう者なら良いと思った。そうでないと分かり合えないと思った」って、すごいね。健聴であることが問題なんだよ。
ここ、障害があることは必ずしも悪いことじゃなくて見ようによっては良いことでしょって主張だと思うんだよね。そして問題を発生させるのは障害の有無じゃなくて、マイノリティであることだって言ってるんだと思うの。主人公は家族の中でマイノリティだから、難しいことが起きてんだよね。この問題提起もすごい。
そして主人公の晴れ舞台の発表会。みんなは合唱に聞き惚れてるんだけど、お母さんとお父さんは退屈なのね。合唱が聴こえないから。そりゃそうだ。それで手話で「夕飯どうする?」とかやってるんだけど、そのことが主人公にだけ分かる。主人公は歌を聴いて欲しいんだけど、その声が届かない。
どうする?ってなって、主人公と気になる男の子のデュエット。『ここで圧倒的な歌声で感動させるんだ』と思って観てると、なんと、音を消す演出なんだよ。お父さんとお母さんには、このコンサートはこう見えてるんだっていう。それで、その中で、歌は聴こえないけど、みんなの反応から、娘のすごさは理解するっていう。
とにかく何から何まですごかったな。
こんなすごい作品を創れる人たちがいるんなら、その人たちに創ってもらって、他の人はそれを観るだけでいいじゃないかとすら思ったもん。
でも名作も駄作もあるほうが面白いから、色んな人が色んな作品創って欲しいね。
無音の世界へ誘う演出が秀逸
あの無音の演出がなければ、この映画がそこまで高い評価を得なかったのでないだろうか。
私たちが外側から見ていた彼らの世界へ、観客を一気に連れて行った。
ルビーの人生のハイライトであり、観客が一番観たいと思う映画のハイライト。
その大切な大切な瞬間を、共有できない家族。
少しでも観客がその立場を理解できたら。そういう創り手の思いが感じられた。
自分の娘が耳が不自由であってほしかったという、閉鎖的な性根の母親・ジャッキー。
自分の意気地なさを家族がいるからと言い訳にする娘・ルビー。
家族に頼られたいもどかしさを妹にぶつける兄・レオ。
快活な性格な割に、現状打破に重い腰の父・フランク。
しかし健常者も不自由な人も関係なく、自分の殻を破る勇気があれば、少し違う新しい日々を送れるかもしれない。
そんな風に背中を押してくれる映画だった。
現実には、こんなにお綺麗なことばかりではないかもしれない。
身体障害者を取り巻く環境は、もっと厳しいかもしれない。
でも、結局自分を幸せにするのは自分自身なんですよね。
最後のステージで手話を交えながら歌い上げる場面は、ルビーが本当に気持ちを伝えたい相手は誰だったのかよく伝わり、涙無くしてはみられませんでした。
興味深かったのは、前述したジャッキーのセリフで、自分の娘が健常者だとわかったときに落胆したというところ。「わかりあえないかもしれない」と不安になったの弁の裏に、自分が娘を妬むのではないか?という杞憂を垣間見た。
そこで気が付いたのは、私たちは彼らのことを勝手に「社会的弱者だから人の弱さに寛大で、優しい人々」と勝手にカテゴライズしていないだろうかということ。特に映画の中では。
それらが現実社会において、彼らを息苦しくさせているのかもしれない。
必要、依存、
アカデミー賞を取ったということで鑑賞。
とりあえず無音の演奏会シーンはグッとくるものがあるよね。
頼るという行為と依存の境界線。
誰のための人生か、何のための人生か、とか色々考えながら見ていた。
平等という言葉が謳われるようになった時代に、マイノリティの家族を描いた作品だった
お父さんが娘の歌を感じるために触れながら歌うシーンも良かった
なんか、いい映画見たって感覚。
自分は誰かに依存していないか、関係性に甘んじていないのか、枷になっていないのかってふと考えてしまった。
もう一度じっくり見たいなと感じました。
96/100
サイレント・マイノリティー
リメイクの元になった「エール!」は未見。“コーダ”というのは、てっきり交響曲なんかの最後でダダダーンとやるあれのことかと思っていたのだが、こういう意味もあったんですね。
「glee」や「ピッチ・パーフェクト」みたいな青春合唱部ネタと聴覚障害の話は、そのままではすんなりと結びつかないので、いささか無理をしている感はある。もちろんそういう境遇の人がいてもおかしくはない。ただ、最大の葛藤であった手話通訳がいないと漁の操業ができないという問題が解決しないまま、主人公を音楽大学に送り出すラストシーンは手放しで喜べないものがある。
合唱部の発表会の途中で突如、無音になるシーンは秀逸。ここで初めて聴覚障害者側からとらえた世界が鮮やかに立ち上がる。映画のそれ以外の部分はすべて耳の聴こえる人の感じる世界として描かれていたことに気づく。聴覚障害者にとっては初めから終わりまでずっと無音なのだ。
日本の映画館では英語の会話に字幕が付くが、手話にも字幕が付く。英語圏ではおそらく手話部分だけに字幕が付いているのだろう。その場合、聴覚障害者の観客はどうやって物語を把握するのだろう(テーマがテーマだけに本国でも字幕上映したかもしれないが)。
Both Sides Now
「エール!」 鑑賞済みです。
クソ兄貴かっこいい!
無音のシーン 息するの我慢しそうなった(ToT)
家帰って「青春と光の影」検索しちゃうね😁
良い映画。 『コーダ』 てタイトル良いよね。
泣いた。
これは好きな映画♪
漁に出る少女。作業の最中音楽をかけ、大きな声で歌う。それでも何の反応もないままの父と兄。家族の中で耳が聞こえるのは彼女だけだった。
物心ついたときから家族と世間の橋渡しをして、自分だけが家族と違う事、それだけに家族と一つになる事を望んだが故に、自分を優先することが出来ない。
誰しもが通る思春期に起こる家族と、自分と、周りと、理不尽さとを心の中で葛藤しながら進んでいく物語。
自分に体験できない感覚や、経験できない気持ちを分かったように語るのは違うと思うのだが、
彼女の学校のコンサートを見に来た家族が周りに合わせて手を叩きながらも戸惑う。彼女のソロが流れた瞬間...。音が消え少女が口を動かす姿だけが映し出されたとき、涙がつたった。これは子を持つ親としてグッサリ刺さった。
テーマはハンデではなく『家族愛』。
凄く面白かったです♪
物語の進行とリンクする挿入歌 「ヤングケアラー」の歌姫は‶Both Sides Now"に魂を込める。愛する家族にも伝わるように
本作は耳の聴こえない家族のもとに生まれた唯一の健聴者の女子高校生が
唯一の生きがいである「歌」を通して人生を切り開いていくストーリー。
物語の進行とリンクするように挿入される劇中歌、エミリア・ジョーンズたちの歌声、
「ろう者」家族の無邪気なやり取りなどなど趣深い点は多々ある。
特に私が一番印象に残っているのは合唱クラブが在学生の家族にお披露目する「秋のコンサート」の一幕だ。合唱部のその一年の成果を出す晴れの舞台。心躍る歌声のセッションが響く中、突如場面は主人公ルビーの父親の「視点」に転換す・・・
一方で、この作品も例外なく数々の問題を提起している。
障がいをもつ人の社会生活上の困難、ヤングケアラーや貧困家庭の進学や進路、学校側の無理解、
母と子の関係の難しさなどなど・・・
物語は‶現実からおとぎ話のように″ハッピーエンドで着地した。
人生というものはいろいろなものの見方ができるし、正直のところわからない。
今が「底値」なのか、「高値」なのか、そもそも「上場」すらしていないのか。
本作の主人公ルビーはその誰もが抱える「葛藤」や「抑圧」から解放するように
歌声と手話で表現する。
・・・・だから、26億円での落札はちと安すぎじゃないかなんて思った。
ロッシ家のとった魚じゃあるまいし・・・
普通に感動します
1.主演が可愛い
ヒロインのエミリア・ジョーンズが良いです。だいたい、しかめっ面か忙しそうにしているのですが、ためらいの演技とか目をはらして泣いているシーンとか、めっちゃ可愛いです。
エマ・ワトソンみたいな感じですね、こういう系には本当に弱いです。
2.普通のストーリーなのに、、、
突飛な物語ではなく、普通に楽しめるストーリー。平凡な少女が才能を見出されて、家族との関係を取るか、自分の将来に賭けるか。最後は家族も将来もハッピー、でも恋人とは離ればなれで、初恋はちょっとビターに。
ろうあ、労働者階級、合唱や歌、家族って要素は、まあ映画賞を取るためのスパイスで、本筋は少女漫画的な分かりやすいもの。でも、なんだか、感動するんだわ〜、うるっときました。
3.楽曲がエモい
冒頭、ヒロインが漁船で歌うのがエタ・ジェイムスの“Something got a hold on me”で、主人公と初恋の男の子が歌うデュエットがマービン・ゲイ&タミー・テレルの“You're All I Need To Get By”ですよ!60年代のオンパレードです。
極め付けはラストの音楽学校のオーディションで熱唱するのが「青春の光と影」(原題: Both Sides, Now)。ジュディ・コリンズがオリジナルで、アン・マレー版もあったかな。この曲、アリーマイライブで使われていますよね〜。すごく覚えていたので、結構使われていたと思ったら、シーズン2の22話で使われていただけ、らしい。それでも、アリー好きとしては、うぁ〜となります。
ヒロインが通うことになる音楽学校はボストン。アリーの舞台と同じですね。このシーンから、「ヒロインはボストンで音楽から法律に転向して、弁護士のアリーになるのか〜。ってことは、別れたボーイフレンドはビリーで、この映画はアリーマイラブの前日譚だったのか〜」一人で妄想していました。
すごく良い映画です。唯一の欠点は、あいのうた、というダッサイ日本語のサブタイトル。
生き生きして眩しい
自分が一番共感したのは兄貴ですが、主人公や両親、先生や友達、出てくる人がほぼ
精一杯自分の人生を楽しんでるのが眩しいですね。
両親のファンキーさが何ともね、愛すべきなんだけども、自分の親だと思うとキツいかな。
でもそのファンキーさが家族の核というかパワーになって、障がいなんかぶっ飛ばせ!
となってるから娘が歌えるのかなと思った。最後の方でリアルな世界をこちらに追体験させる所が素晴らしいですね。こちらが楽しんでる程ショックを受ける仕組みになっております。良く出来てます。
愛のうたというタイトル
あまり納得する日本語タイトルの少ない今日この頃。愛のうたという表現は肌にあった。
どうしてこの作品に感情移入できたのか、それは私がヤングケアラーだった過去があるからだと思う。主人公は聾唖者の家族を支えるために自分を時間を使う。姿は異にするが、祖母の背中の垢を風呂の中ヘチマで落とす自分に重なる瞬間があった。彼女は(いや、我々は)世間が思うより幸せで、自分の置かれた状況を十分に理解している。ただ、私も、彼女も、家族から解放されるタイミングがあり、それは同様に幸せなのだ。
作品を見た方ならわかると思うが、家族に寄り添うことはは決して間違ったことではない、という表現をされている。家族に寄り添い、支える人生もまた、美しい。彼女がひたむきに自分の好きなこと(歌であったり、家族であったり、パートナーであったり)に向き合っているから。ただ、時間は有限で身の回りの全てに取捨選択が必要となる時は必ず来る。選べる立場にあった彼女は幸せだった。才能に気づいてくれた人、愛してくれる人、そして背中を押してくれる家族がいることは何よりの幸福なのだと感じた。
最近勉強を始めた手話をじっくり見ることができたのも面白かった。「綺麗」「嬉しい・楽しい」と言った単語は日本のものと酷似していた。また、口に出すことが憚れる単語たちも見ているだけで理解できるし、そこにユーモアを持って行った脚本にも拍手を送りたい。これをきっかけに(ドライブマイカーの時も思ったが)違う言語として手話を身近に感じてくれる人が増えることを切に願う。
合唱祭の演出も映画を見ている我々を違う世界に誘うタームになっていた。父親が「俺のためにもう一度…」と歌をねだるセリフに愛を感じた。
久々に出会えた洋画の名作
率直な感想としては、久々にストーリーをじっくり堪能できた洋画作品でした。
何年経ってもストーリーが頭に浮かび『あの作品、面白かったな』と思えるような心に残る作品だと思います。
※以下、ネタバレ
両親と兄はまったく音を聞き取れない聴覚障害者。家族で唯一の健聴者である娘のルビーは家族の耳(手話通訳)となり、家族の仕事や生活を支えながら仲睦まじく暮らしていた。
そんななか、ルビーには類稀なる歌の才能があることを合唱部の顧問に見い出される。しかし、それによりルビーや家族のなかには様々な葛藤が生まれ、軋轢が生じていく。
合唱部顧問はルビーの才能を開花させるべく、親元を離れ名門音楽校に通うことを勧める。しかし、家族はルビーの手話通訳なしには仕事が成り立たない。家族にとってルビーを失うことは死活問題だった。
家族を見捨て自分の夢を追い求めるのか、夢を諦め家族の耳となり続けるのか。一生を左右する人生の分岐点に立たされ、ルビーは苦悩する。
仕事のために娘を手放したくない両親、『家族の犠牲になるんじゃねえ!』と進学を勧める兄、『私にだって人生がある!』と夢を追い求めるルビー…その進路を巡り、仲睦まじかった家族にも軋轢が生じるようになる。
しかし、当初は進学に反対していた両親も娘の強い気持ちと才能に気付き、次第に理解を示し背中を押すようになる。そして家族が苦しむ姿を見て一度は夢を諦めかけたルビーも両親に背中を押され、夢を追う決意をする。こうして家族は再び娘の夢のために団結する。
ざっくり書くとこんな展開です。
身体的ハンデを抱えながらも明るく前向きに生きる家族、そんな家族の中で唯一の健常者である主人公の苦悩や葛藤、そして互いに支え合って生きる家族の絆、そんな家族に突如として訪れた子供の巣立ち、それを見送る両親の複雑な親心…派手さはないけど、非常に良質で見応えのある人に勧めたくなる作品です。
けっこう重苦しいストーリーに感じるかもしれませんが、家族の会話が非常にユーモラスで、聴覚のハンデを感じさせない、良い意味で弾けた明るい家族なので、全体としては重苦しさは感じず、いいバランスに仕上がっています。
あと余談ですがルビー役のエミリア・ジョーンズがめっちゃかわいい(普段のバッチリメイクの彼女より、映画のナチュラルな彼女のほうが断然かわいい。笑)
聾唖の苦悩と希望を描く傑作
特質すべき点は多々あるが、多くは語らない。
子を持つ父親である自分が、一番胸に響き、泣いてしまったシーンについて。
終盤。
歌の発表会で、主人公のルビーが、大勢の観客と聾唖の家族が見守る中、その歌声を披露するシーン。
歌い始め、その美声にうっとりした瞬間、突然、映画の全ての音がシャットダウンする。
耳が痛くなる程の静寂。
ルビーの美声に酔いしれる観客の映像とは裏腹に、不気味なほど不釣り合いな「沈黙」だ。
ここで映画を観ている我々は、ハッと思い知らされる。
そうだ、聾唖の家族の世界では、常にこの「沈黙の世界」なのだ。
結局我々映画の観客も、「分かったつもり」でこの作品を観ていなに過ぎない。
声も歌も音楽も聴こえていた前半は、聾唖者の気持ちなど分かりえなかったのである。
父親は娘の歌声に感動する人々の表情をじっと見る。
皆、娘の歌声に涙している。間接的にしか分からないその歌声に、父親の表情は暗い。
誰より娘を愛している筈の自分は、その声が聴こえないのだ。
その日の夜、父親はルビーに「自分の為に歌ってくれ」と言う。
そして歌うルビーの頬を、喉を指で触り、聴こえない娘の声を感じようとする。
最も愛する子供の声を聴けない絶望と悲しみを、まるで今初めて思い知ったかの様に。
聞こえる筈のない声を必死に聴こうとするその父親の気持ちに、自分は涙を禁じ得なかった。
誰も悪くないストーリー
外野からみれば、マサチューセッツの漁村に生きる彼らの世界は美しいと思ってしまう。
それは外野だからで、実際の彼らは、魚の臭いをまとっていたり、生活もぎりぎりで、余裕なんてとてもない。リアルは生々しいはずだ。
この家族だって、外からみれば、ただ温かいだけのストーリー。でもリアルはもっと生々しく、愛だけでは割り切れない現実がある。家族を愛していても、家族が困るとわかっていても、自分の才能をのばして違う環境で羽ばたきたいって望みは抱いたっていいはず。そして家族はそれを手放しで応援してやりたいけれど、現実は手放しとは言えない。
演奏会で歌がきこえないからと手話で会話する両親。その後で、彼らの世界を体感させられることで、彼らの感覚にちょっとだけ近寄れる、あくまでちょっとだけ。
よくある優しいストーリー。ちょっと切なく、ちょっと温かい。
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