やがて海へと届くのレビュー・感想・評価
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レールは敷かれているものの、このテーマを嫌いにはなれず
エンドロールでふと、何かが吹っ切れたかのように、涙が止まらなくなった。もう、会うことはないかもしれない、自分にとって大切だった人に、自分は何か残せただろうか。
中川龍太郎監督の長編作品は『私は光をにぎっている』以来。割とウトウト夢心地を味わった記憶。
本作も少しウトウトしたものの、一層心に触れてくるというか、優しさが次第に核になって現れる。東日本大震災を1つの分岐として、余白が心を溶かしていき、心の拠り所と変化を悟っていく。喪失と再生の物語くらいに捉えていたが、実際そう簡単に割り切れるものでもない。存在の証明と記憶が薄れ、変わることが世の変わらないことを受け入れる。だからこそ、その一瞬が形に残り、言葉以上の世界が輝き出す。
「私たちには、世界の片面しか見えていないんだと思うんだよね。」全てを知っている様な彼女の言葉。言葉ほど綺麗には生きれず、人は皆脆い。世界の一面でしか見られないのだから、想像で補うしかない。確かに他のレビューで見た、「静かな『佐々木、イン、マイマイン』」との比喩がしっくりくる。上辺を撫で回した様な導入と、必然を装った旅路が入りにくかったが、その心の弱さを突いてくる映画を嫌いになれない。きっとそこに自身の弱さがあるからだろう。
主演は岸井ゆきのさん。すっかり等身大の女性像が似合う、実力派としての起用が増えたように思う。そして、意外な人選だったのが浜辺美波さん。ヒロインのカラーではなく、ミューズとして生きる役に置かれ、それだけで観る価値があると感じた。主演作で培われた繊細さと光、そこに宿る移ろいに、大人びた髪が揺れる。また、若手の注目株、新谷ゆづみさんも凄く色味が繊細。今後も伸びていくのだとしみじみ。駆け込んだ甲斐があった。
自分も誰かの中で生きていたら、それはあまりにも幸せなことだ。多くの人にお世話になったし、たくさん学んだ。しかしながら、こうして書いていて思う。私は大切な人を大切にする生き方なんだと。憧れが憧れではなくなった時、自分が変わったのだと思うのかもしれない。
一部と二部のつもりで観るべきだったか?
「私たちには、世界の片面しか見えていない」で始まった作品は、浜辺美波さん演じるすみれと岸井ゆきのさん演じる真奈の絡み合いが、もどかしくて優しかった。「もう片面」は性を越えた「愛の形」だろうと感じていました。
けれども作品は、自分と自分が愛する人や、身近な人間との理解・亀裂を追いながらも、急に大いなる鎮魂の話へと向かう。その唐突さが後に安堵に繋がったかと言えば、そうではなかった。
私的にあくまで私的に掘り下げるのだなと言う気持ちでいたもので、突き放され感が強烈でした。
小説の文脈がルポの文脈に変わり、また小説に戻るかに見せたものの、すぐにルポの姿になって終幕に至った訳です。
オープニングのアニメーションが、ストーリーを少し変えてエンディングにも現れる。哀しみはいくら幻想的に描いても哀しみのままだと呟いて、アニメーションは終わる。ここは素直に心に沁みました。
プロットのギクシャクはあったと思うけれど、自らを静かに閉じて生きる真奈の心身を開いた浜辺さんの清冽な妖しさに、私も心地がほぐれました。判らないけれども、何か不安だけども着いて行きたい。行く先は全てを受け入れてくれる広い場所……と言うことだったのでしょうか。
想いは潮風に乗って。
旅に出たまま帰って来ない親友すみれへの想いを抱きながら年を重ねる真奈。すみれを死んだ事とする周囲に抗うように思い出の詰まったビデオカメラの中からその痕跡を見つけようともがく。
岸井ゆきのと浜辺美波の年齢差がどうかなと思ったけど、片方は時間が止まってしまったという点において効果的でした。終始岸井ゆきのの表情がめちゃめちゃ繊細です。
ストーリーは良いはずなのに流れが悪くてプツプツ途切れてしまった印象。ドキュメンタリーみたいな演出は急に何?!ってなるし。アニメーションに童歌にと忙しい。辛い事が起こった海だけど、そこを舞台に選んだ限りはもっと風景で魅せて欲しかったな。
逆にレストランのパートはどのシーンも凄く良かった。「この仕事嫌だったんですかね」ってとこなんかジーンとした。光石研から池田良って最高のキャスティングでしたね。シェフもぶっきらぼうやけど、根は優しくて素敵でした。さぞお料理も美味しいでしょう。
ドラマと現実が入り混じる
そもそも
素敵な時間だがいくつかの消化不良が……
岸井ゆきのさんを見たくて見てきました。
その点では大満足。素敵な時間を過ごさせていただきました。
浜辺さん含めて、主演二人の距離感がよく、時間の経過と二人の関係性の変化もうまく描かれていたと思います。
ただし、物語のキーとなるカメラについて、なぜすみれが一人旅にもっていっていないのか……。後半のアニメーションパート後の回想シーンがやや冗長すぎるところなど、消化不良な要素もあります。
真奈とすみれのすれ違いももう少し補足が欲しかった。
非常に満足はしましたが、ちょっと気になる点があったのが残念です。
似た題材の「永遠の一分」の方が全体としての満足感は上ですね。
大切な人を亡くした気持ちは誰にも共有できないのだろうか‼️❓
浜辺美波と岸井ゆきの
気持ちの整理のつけ方
真奈の大切な友人のすみれが旅先で行方不明になってしまい、数年たって、すみれの母親は娘の死を受け入れ、すみれの彼氏の遠野は新しい生活に踏み出している。その日から時間が止まったように感じている真奈はそのことが受け入れられない。
突然の別れに、残された者は気持ちをどう整理すればいいのか。結局はそれぞれが自分の納得のいく方法を見つけるしかないのです。
岸井ゆきのさんと浜辺美波さんの演技は良かったですが、演出はだらだらしてくどい所と、描写が足りない所がありました。
冒頭のアニメーションの意味は途中で分かりますが、どこまでが真実なのかがはっきりしません。
(ちょっと「この世界の片隅に」を連想するアニメです)
真奈がすみれの心の秘密をどこまで理解したのかもわかりづらいです。
遠野は薄々気付いていたかもしれません。すみれのビデオを観ていないと言うのは噓じゃないでしょうか。行方不明になったら手掛かりを探すでしょうから。
タイトルが何を意味しているのか分かりにくいのですが、後半のアニメーションと結びつけると怖いです。アニメは要らなかったかなあ。
海の底の様に落ち着く部屋。で身体を寄せ合う2人。
震災遺族のインタビュー。燃えるように朝日が昇り、海岸では「帰らない人を待つもの」と「世界へ飛び出す夢を抱く者」が立っている。と言うピークからの。
女子2人の絆と隠されていたすみれの視点の暴露。忘れていた伏線(ポーチ)は中途半端に未回収。「海の底の様に落ち着く」とすみれがつぶやいた真奈の部屋(ベランダ)への帰還。顔。顔。顔。即ち、人。人。人。への賛歌、って言うか讃美。的な。
A面アイドルの美波ちゃんとB面アイドルのゆきのちゃんです。浜辺美波は久しぶりにスクリーンで見た気がしますが、二皮むけてた。イヤ、こんな芝居出来る女優さんだった?B面アイドルのゆきのちゃん。A面アイドルに、こんな芝居されたら負ける訳にはいかんだろうと。この2人は良かったです。
いずれにしても、「撮り散らかした物語りの手仕舞いの仕方を間違えました!」な印象で、最後はシラけた。
ラスト、欲張り過ぎずに、も少し早く終わるか、スッキリと整理は出来なんだろか。って思いました。顔顔顔の時間は蛇足感しか有りませんでした。
生と死を考えた
『愛がなんだ』に続き視点人物となる主人公に共感性抜群な岸井ゆきのをキャスティングした時点で勝ってる
完璧にホの字、恋してる目で憧れ思い慕う。今回も見事なラウンドキャラクターっぷりで、誰かに恋い焦がれるキャラクターしたら一番じゃないかと思うほど等身大な魅力が、本作を真直ぐな恋愛映画にしていた。
作品前半・周囲の大学生ノリの軽薄な気持ち悪さが分かりやすく伝わってきた分、そこからの主人公2人のパートと会話が時に文学的な堅苦しい気がして、少し鼻についてしまっていた。だけど、車の中ですみれの彼氏・遠野が主人公・真奈に「小谷の中で止まってるんじゃないか」という旨のセリフを言って、真奈が車を降りて歩いているときの逆向き・対向車線から車が二台走り去る象徴的なシーンから、自分の中で一気に惹き込まれた感じがあった。そこからの(流れ的には自然だけど)衝撃展開含む一連のシーンの流れで主人公の気持ちが痛いほど伝わってくるようだった。
まるで海の底みたいな安らぎで僕たちを包んでくれる作品だった --- 行方不明になった友人と探す(?)というような導入部から、本作もいい意味でのミスリード。周囲が亡くなったことにして忘れようとしても自分はいつ(ま)でも彼女がある日突然ふらっと帰ってきたときに揺るがず迎えられる存在でありたいという気持ち。手の届きそうで届かない距離とこみ上げてくる切なさやふとしたときにやってくる哀しみ。一貫した監督の題材。
一方で謎めいた親友役は浜辺美波。主戦場がインディー(あるいはメジャーのサブ)とメジャーの二人が同じ世界で生きて、時を過ごす。私達は人間の片面しか知らない。普通の子じゃなかった…?そして、ネタバラシパート(?)を見たときもう片方の面が見えてくる。例えば『ノマドランド』などのクロエ・ジャオ監督のようにフィクションの中にリアリティというよりリアル現実そのものなドキュメンタリー性を持ち込む語り口。10年以上が経つ中、震災という題材を扱う上での真摯さ。なるほどタイトルの意味にも自分なりに向き合い咀嚼する。深い深い、海よりもまだ深く。
作中、大学キャンパス内での回りトラックや互いの服を着るなど様々な部分で差異を伴う反復が見られるが、特に印象に残ったが作中前半と後半で同じ構図のショットを繰り返すことで終わりが近いことを示唆するようなときの真上からのドローン空撮からの水平線ショット。朝日・朝焼けというのが分かりやすくもいい例えだなと沁み入った。冒頭につながる、帰結していく。生命(せいめい)は廻り巡る。…夢を見てた。
あの日のカメラや窓枠、あなたとの思い出 --- 忘れるんじゃないよ。思いを馳せてはいつか笑顔で見送れるように。"大切な人を失った哀しみからそれでも私/僕たち = 残された人々は前を向いて生きていく"みたいな、傷ついた人達がまた一歩踏み出すまでの再生を描いたドラマは多く、例えば『ドライブ・マイ・カー』なんかもそうだと思う。だけど本作はそうした普遍的題材に時代性も含め新鮮な視点を持ち込んでくれたのではと思った。
劇中、アニメの部分があるけど、実写においても写真・静止画のような画作りな気がした。人物を中心に据えたり、二人をバランスよく配置したり。
P.S. 生きてるとたまに思うのだけど、よくよく考えると"哀しむ(悼む)"って難しいよな。ずっと生きてると髪切りに行ったり、服買いに行ったり、はたまた自分の好きなことしたり、笑ったりしたりすることもあるわけで、それって正しく哀しんでないことになるのかな?四六時中考えてることだけが正解じゃないよな、きっと。むしろ去りし者からしても、大切な人がずっとそうやってるのを見るのは本意じゃないだろうし。…って生きてる人のエゴなんだろうか?なんて色々な考えが水玉・泡みたいに浮かんでは消え、また浮かぶように本作を見ていた。ちょっとしまうだけ、いつかまた取り出すために。あと、杉野遥亮はスーツのイメージ。
☆☆☆★★★ 《震災に散った多くの人々を悼む鎮魂歌》 原作読了済み...
☆☆☆★★★
《震災に散った多くの人々を悼む鎮魂歌》
原作読了済み。
原作は如何にも【純文学】と言っていいくらいに、1つ1つの描写力が細かく。その細かさ、(悪く言ってしまうと)その回りくどさから。読みながら、時として「ちょっと…何を言いたいのか?が分からない、、、」と、困惑する内容でした。
おそらくですが、原作通りと言えるのは、、、
・仲良しになったすみれとの出会いと関係性。
・一緒に暮らしていたすみれが、彼氏と共に暮らし始め、やがて、、、
・真奈が勤める飲食店の店長の話(光石研の楢原さんは原作にピッタリあてはまっていた。)
この辺り(細かく言うともう少しありますが)が、原作とほぼ同じくらい。
それ以外の描写は映画オリジナルと言って良いのでは?と感じました。
それだけに。原作で描かれていた、数多くの枝葉と言える。〝 あっちへ行ったり・こっちへ行ったり 〟と言った【回りくどさ】は。仲が良く好きだった《親友》の真の姿を追いかける事で、信じたくなかった。でもその悲劇を認める事で、新たな一歩を踏み出さなければいけない。自分自身を変えなければいけない…との決断に至るシンプルな話に置き換えていたのは、作品として良かったのではないかと思いました。
そんなオリジナル要素の中では、最近公開された『余命10年』の中にも取り入れられていた《ある記憶メディア》
原作には無いこの記憶メディアの存在によって。原作だと、真奈の視点のみから語られて行く内容だけに。すみれの存在は、どこかヒッチコックの『レベッカ』の如く、【亡霊】に近い雰囲気を読みながら感じてはいたのですが。後半に至り、この記憶メディアを通す事で。真奈の視点から、一気にすみれ視点へと逆転するので。(すみれ亡き後の)今後に対する真奈の「前に進んで行かなければ!」…との決断に至る経過に、大きな影響を与える【存在感】が浮き彫りになっていきます。
この記憶メディアこそは、すみれの真の姿が否応なしに記録されていた。
東京と言う都会に、1人取り残されて生きる真奈にとって、すみれはとても大きな存在だった。
しかし、その記録に残っていたすみれの姿は、自分に対して見せて来たこれまでのすみれの姿では必ずしもなかったのだろう。
「本当のすみれを知りたい!」
それを知らなければ自分は前には進めない。
《女の子から女性へ》
そんな時期へと差し掛かっている時期の〝 ある種の百合っぽさ 〟
自分の事を唯一理解してくれている…と思っていたすみれの突然の不在感。その辛い想いは、今また好きだった(人への接し方の心地良さから得られる安心感で)楢原店長の不在感によって、再び自分の心はざわついてしまう。
そんな心の揺らぎを描写していたのかも知れません。
中川監督作品は、まだ数作品しか観てはいないので、まだ多くを語るには至りませんが。これまで観て来た作品では、何となくですが、〝 水 〟に対する拘りがあるのかなあ〜と言った漠然とした印象があります。
だからこそ【震災】が大きく関わるこの原作に、監督自身の拘りからの映像化だったのかな?…とも。
多くの《詩的な映像》と併せ、印象深い描写はとても多かった。
そしてもう1つの原作との大きな違いが、作品中でのすみれの最期と言える震災を受けた土地での、(脚本の存在する)映画的なドキュメンタリーと(おそらくは)本当のインタビューとの融合。
思えば原作を読んでいて、1番印象に残った箇所がありました。
「なんだっけ、そうだ。ええと……このあいだの震災も、そうじゃないですか。震災を忘れない、風化させない。忘れないって、なにを忘れなければいいんだろう。たくさんの人が死んだこと?地震や津波ってこわいねってこと?電力会社や当時の政権の対応にまずい部分があったねってこと?いつまで忘れなければいいの?悲惨だったってことを忘れなければ、私や誰かにとっていいことがあるの?」
〜略〜
「ここまで津波が来たから次の地震の時にはもっと高くまで逃げなくちゃいけないとか。有名な大きな会社でもこんな不手際があるかもしれないから、チェックする機関を作らなきゃいけないとか。そうゆうのは教訓だよね。教訓は少しずつ社会の仕組みに吸収して、忘れるとか忘れないとかより、当たり前のものにしていかなきゃいけない。だから、忘れない、ってわざわざ力んで言うのはもっともやーっとした……死んだ人はくやしかったよね、被災者がかわいそうだよね、私たちみんな一緒だからね、みたいな感じでしょ。でも、戦争とか体験してないし、私は身内を亡くしたわけでも、家が流されたわけでもないんだから、ほんとはぜんぜん一緒じゃない。だんだん、忘れないって言葉が、すごくうさんくさく思えてきたの」
(原作本152〜153頁より)
それまで読んでいた原作の部分で、ここの描写に来た時に、思わず雰囲気が違う感じに思えた部分でした。
映像化された作品でも、明らかに雰囲気が変わる描写がありました。それこそが、作品中でのすみれの最期と言える震災を受けた土地での、(脚本の存在する)映画的なドキュメンタリーと(おそらくは)本当のインタビューとの融合と感じる場面。
最後は主な出演者達による、震災被害に遭った人々を代弁するかな様な無言のメッセージ。
この描写を作品の最後に取り込み挿入した事で、多くの震災行方不明者に対する、、、
〝 貴方達の事を愛しています。貴方達の事は決して忘れません。 〟
そんな死者を悼む想いに溢れた作品へと昇華していたのでは…と思っています。
だからこそ、その強く願う想いこそは、、、
『やがて海へと届く』…と。
2022年4月8日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン13
オープニングとラストに描写されていたアニメーション。
あくまでも個人的な考えなので、大いなる勘違いの可能性がありますが。この場面に【輪廻転生】の匂いを感じたのですが果たして…
別の日、真奈の勤め先のレストランの店長(光石研)の訃報が入る。 なんだこの物語は? ミステリーかサスペンスなのかな? そのまま物語は続く。
動画配信で映画「やがて海へと届く」を見た。
劇場公開日:2022年4月1日
2022年製作/126分/PG12/日本
配給:ビターズ・エンド
岸井ゆきの30才
浜辺美波22才
杉野遥亮
中崎敏
鶴田真由
中嶋朋子
新谷ゆづみ
光石研
この映画を見てみようと思ったのは、
偶々、Youtubeで予告編を見たからだ。
浜辺美波のことは「君の膵臓をたべたい」(2017)で知ったのだが、
これはオレが見る2本目の浜辺美波出演映画である。
岸井ゆきのという女優は認知していなかった。
だが、出演作を見てみると、門脇麦主演の「二重生活」(2016)がある。
見た作品なのだが岸井ゆきのを見た印象記憶がない。
おそらく浜辺美波よりも芸歴は長く、出演作も多いと思う。
30才で大学1年生を演じられるのだから比較的童顔である。
真奈(岸井ゆきの)とすみれ(浜辺美波)は大学の新入生歓迎コンパの勧誘の場面で初めて出会う。
酔った真奈をすみれが介抱する。
その日から2人は親友同士になったように思う。
2人の日々の会話劇が続く。
しかし、すみれはいつしか行方不明になったようだ。
詳細は判らない。
わからないまま物語は進む。
すみれのボーイフレンド(杉野遥亮)とすみれの実家を訪れた真奈。
そこにはすみれの遺影と位牌。
すみれは亡くなったのか?
別の日、真奈の勤め先のレストランの店長(光石研)の訃報が入る。
なんだこの物語は?
ミステリーかサスペンスなのかな?
そのまま物語は続く。
真奈は勤め先の同僚のコック(中崎敏)と震災のあった町を訪れた。
どうもすみれは一人旅の旅先で津波に巻き込まれて行方不明になり、
亡くなったと推測されていた。
この場面から先はずっと大事な人を失った真奈のせつない気持ちがラストまで描かれる。
原作の小説と、この映画の制作意図はわからない。
印象的ないい映画だと思った。
岸井ゆきのという女優も今回大きく印象に残った。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
いかに喪失と向き合っていくか
手の温もりが伝わるアニメーションで幕を開ける冒頭から、この映画が一体どのような境地や風景へと我々をいざなおうとしているのか、すぐには想像がつかない。ミステリアスとも浮遊的とも言いうるタッチで浮かび上がるのは、二人のヒロインが人知れぬ思いを抱えながら歩み続ける人生だ。なぜあの時、彼女は声をかけてくれたのか。なぜ彼らは無二の友になれたのか。そして私(主人公)は親友のことを一体どこまで知っていたのかーーー。他人の心を理解するのは難しい。ましてや当人が亡くなると、残された者はこの答えなき問いをずっと抱えることになる。それは時に悲しくて、苦しい。しかし本作は、ずっとその人を思い続ける、忘れない、という一つの決意と寄り添いを優しく、尊く描いていく。若き女優たちの移ろいながら葛藤し続ける存在感に魅了された。そして観賞後はなぜか自分の人生における”もう二度と会えない人々”の思い出がなぜか強く思い出された。
ニライカナイ
一人旅が好きで、5年前に旅に出たまま帰らなかったすみれ。
真奈は大学時代からの親友である彼女の不在を未だに受け入れられずにいた。
彼女を亡き者として扱う周りに違和感を覚えた真奈は、彼女のコミュニケーション手段の一つだったビデオカメラを通して知らなかったすみれの新たな一面を知って行く。
海は
青くて
深くて
恐くて
美しい
喪失と折り合いの映画としてはドライブ・マイ・カーよりも好きかもしれない。
前評判から正直期待値を下げていたが、想像以上に良かった。
自分は千葉の内陸住みなので、幸い周りでそういった被害はなかったけれど、11年経った今でもあの日のことは鮮明に思い出される。
自分は前情報で知っていたが、できる限りこの情報は知りたくなかった。
配慮の問題があるから難しいとは思うけれど…
何も残らなければ、そこにいたこともいなかったことも証明されない。
ただし、そこにいたという周りの人の中に残る記憶を、記録するものが遺物なんだなと。
それは、この作品におけるビデオカメラだったり音楽プレーヤーだったり。
処分することは簡単だが、それはその人の存在そのものを抹消することにも繋がりかねない。
1秒後生きているとも限らないこの人生、自分の人生は勿論だが、今この瞬間から一つひとつのモノやヒトを大切に生きていこうと思った。
ただ少し残念な点も。
ビデオカメラだからと言って震災の記録ビデオみたいなのは要らなかったように思う。
悪いけどこの映画にそれは求めてない。
楢原さんが最期に「好きな曲をかけなさい」と言ってたんだから、メタリカでもPUFFYでもかけて欲しかった。
助長に感じる部分も多かった。
死人に口なし。
ましてや行方不明の人の本当の想いなど他人には分からない。
ただ、すみれは真奈のすぐ近くにいた気がする。
中川監督の美しい映像と音楽が身に染みて、じんわりと優しさに包まれる良作だった。
✳︎そういえば岸井ゆきのと浜辺美波、名前までこの作品にぴったりで好演が光っていました。
幻想的な世界観に魅了される
消えた親友が残した忘れたくない大切な思い出と親友の裏に隠された秘密を描いた物語。
主演・岸井ゆきの×浜辺美波の共演は見応え充分で時間も忘れてスクリーンにグイグイ引き込まれた。
冒頭とクライマックスに差し込まれているアニメーションパートも印象的で発想が素晴らしい。圧倒的な映像美と幻想的な世界観が観るものを魅了する満足度の高い作品。
2022-68
残された方々の言葉でもあるかと
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