「得体の知れない恐怖に取り込まれる」LAMB ラム スクラさんの映画レビュー(感想・評価)
得体の知れない恐怖に取り込まれる
ポスターは宗教的な解釈へと誘うような聖母子を彷彿させるデザイン。
しかも、彼女の名前も「マリア」で、抱くのは子羊、つまり神の子羊=イエス・キリストを表象するもの。
これを聖母子像以外に解釈するのは無理があると言えるほど。むしろミスリードを誘っているのだろうか。
作中、どこも明確に描写するのを避けているようで、得られる情報が少ない。
例えば、登場人物の夫婦マリア・インクヴァルは子供を失っているが、いつどうして失ったのかは分からない。
どちらかと言うと、マリアの方が過去を引きずっているようで、夫婦の家には常に黒い雲が渦巻いている。
そんな夫婦の下に羊から羊でない「ナニカ」が生まれる。
マリアをその「ナニカ」をアダと名付け、我が子のように受け入れる。なんの疑問も持たず、それを受け入れ、愛する様に不気味さを感じる。
彼女の心は既に壊れてしまっているのだろうか。
いつの間にか夫・インクヴァルや後程夫婦の家を訪れたインクヴァルの兄もアダを可愛がるようになる。
特に兄の心境の変化の合間に入ってるシーンは、アダの存在をより不気味なものへと昇華させている。
物語のラストでより訳の分からない怖さが増幅する。
始終、不気味で意味不明な映画なんだけど、
最後まで観て、ようやく物語を自分なりに解釈できるようになった。
夫婦はアダを贈り物と捉え、幸せな家庭を送っているようにみえるが、
本当は悪魔に魅入られただけなのではないだろうか。
そもそも、アダの名前も人類に死という罰が課せられた原因を作った人間「アダム」から来ているから、
罪人の表象が天からのギフトにはなりえない。
自分の子どもの死を受け入れられないマリアの心の隙が悪魔に付け入られ、
「ナニカ」が羊から生まれた。その得体のしれないものに一切の疑問を抱かずに、
アダと名付けて、育ててしまうマリアの心はもはや正常とは思えない。
後の夫や義兄の変化から察するにマリアもアダを違和感なくかわいがるように
心を変えられてしまったと考える。
ラストの描写を経て、アダが何者なのかは見る人の解釈に委ねられている。
「悪魔の托卵」私にはそんな言葉が思い浮かんだ。