「 セリフが極端に少ない寡黙な物語。すべての解釈は観客に委ねられています。“夢”と“幸福”をめぐるおとぎ話として見ると、いっそう興味深いのかもしれません。」LAMB ラム 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
セリフが極端に少ない寡黙な物語。すべての解釈は観客に委ねられています。“夢”と“幸福”をめぐるおとぎ話として見ると、いっそう興味深いのかもしれません。
一風変わった映画は世界中にいくつもありますが、これほど妙ちきりんな作品にはめったにお目にかかれないと思います。アイスランドから届いたホラー映画。いや、ファンタジーとも言えるし、サイコスリラーのようでもあります。いっそ”ストレンジ映画”と呼んだ方がぴったりくる作品でしょう。
地の果て。そう思わせるような風景です。険しい山々を望む谷。白い霧が漂います。どんより曇りがちな空は、白夜で夜も日が沈もうとしません。
そんな人里離れた山間部で暮らす羊飼いの夫婦、マリア(ノオミ・ラパス)とイングバル(ヒルミル・スナイル・グドゥナソン)他には、メェ~と鳴く羊だけ。誰も住んでいません。彼らの牧場以外は、何もなかったのでした。
序盤、谷に閉じ込められたようなふたりの日常が淡々と描かれていきます。夫婦は、子どもを亡くして悲しみに暮れていたのです。
ある日、ふたりはある1頭の羊の出産に立ち会います。そこで羊が羊ではない「何か」を産んだことに直面するのです。産まれてきた子羊は普通の羊とは違う半人半羊の奇怪な赤ん坊だったのだったのでした。夫婦は戸惑いながらもそれを受け入れます。その生き物はとても愛くるしい容貌でした。夫婦はそれをすぐに溺愛して、わが子同様に大切に育てていくことになります。亡くなった子供の名前と同じ"アダ"と名付けるほどに。奇跡がもたらした"アダ"との家族生活は、ふたりにとって大きな幸せをもたらしまします。
しかし、そこへ夫の弟ペートゥル(ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン)がやってきます。彼は"アダ"に驚き、それが異常だと指摘するのです。静かな谷に不穏な空気が流れていきます。やがて"アダ"の存在がふたりを破滅へと導いていくことになっていくのでした。
セーターを着て二足歩行する無邪気なアダに、夫婦がありったけの愛情を注ぐ光景は、開いた口が塞がらないほどシュールです。ただそんな異常な光景をひっくり返してしまうほど、アダは可愛くて、夫婦の気持ちに自然に感情移入できました。"アダ"は明らかに異常ですが、夫婦にとっては「喪失」を埋めてくれる大切な存在であるということに納得させられました。異常さに目をつぶりさえすれば、目先の幸せは壊れないものです。「喪失」の中身は違っても、そんなふうに思って暮らしているのは、彼らだけではないことでしょう。
雄大で荒々しい山や草原の風景をダイナミックにカメラに収め、北欧民話のエッセンスや宗教的な隠喩を織り交ぜた映像世界には、ただならぬ吸引力がみなぎります。
アダの父親である異形の怪物が姿を現す展開にも驚きました。それを覆う白夜の不気味さ。ほとんどセリフの無い不穏な空気。人がジワジワ不快に思う要素盛りだくさん込められています。見終わった後、考えれば考えるほど自分の中で作品の捉え方が変わってくる感覚に包まれることでしょう。
ホラーやSFの雰囲気ですが、本質的には寓意を込めたファンタジーといったほうがいいでしょう。奇妙な物語は甘美な夢のようでも、悪夢のようでもあります。神話のようにすら見えてくるほど。けれども一方で、気味悪いほどの生々しさも感じさせてくれました。 アイスランド北部でロケ撮影されたという圧倒的な自然描写の魔力だからでしょうか。
セリフが極端に少ない寡黙な物語。すべての解釈は観客に委ねられています。“夢”と“幸福”をめぐるおとぎ話として見ると、いっそう興味深いのかもしれません。1時間46分
監督はヴァルディミール・ヨハンソン。これが長編デビュー作となります。衝撃的な設定の中にもリアリティを持った世界観を構築したことで世界から称賛を浴び、第74回カンヌ国際映画祭のある視点部門で受賞しました。アカデミー賞®国際長編部門アイスランド代表作品にも選出。
主演・製作総指揮を務めるのは『プロメテウス』、『ミレニアム』シリーズで知られるノオミ・ラパス。この手の映画は彼女が似合っているとおもいます。