マイスモールランドのレビュー・感想・評価
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小さな島国日本、の更に小さな埼玉県
に閉じ込められた。
ただこの映画の問題点として、埼玉県に閉じ込められているのにも関わらず、滅茶苦茶東京に行くことが挙げられる。どうした?この勢いのまま、神奈川まで行く勢いじゃないか。日本の東京至上主義を感じるね。良くないよ本当。
国境線は人の心の中にあるね
埼玉県で暮らすクルド人難民一家に降りかかる災厄を少女の眼を通して淡々と力みなく描いた作品
その美しい瞳の奥に宿るものは果たして絶望なのか希望なのか
その答えはこの優れた作品を観た後で自分自身の考えを持つことが出来た人のみが知ることになる、そんなふうに思えたワン
ボキの答えは内緒だよーん😚
遅ればせながら凱旋上映にて
MOVIX川口にて凱旋上映が始まりました。気になっていた作品でしたが見逃していて残念に思っていたら今回の機会に恵まれました。ありがとうございます😊
日本に滞在する外国人に関する問題点を現実に即して映像化した秀作でした。若手アクターの好演もあって知的青春映画として素晴らしい作品であると思います。今後も入国管理局のあり方を始めとした外国人に対する常識的かつ友好的な対応が進むことを願っております。
20
今の日本に存在する見据えなければならない問題
(ネタバレですので鑑賞してから読んで下さい)
幾たびもの死者などを出している日本の入管(出入国在留管理庁、かつての入国管理局)のひどさは、もっと日本の国民にも知られる必要があります。
そして入管による強制収容の判断は、現在は入管の単独で決めることが出来ますが、その判断は刑事裁判と同じように、裁判所の公判で判断される必要があると思われます。
日本の一方的で独断的な入管の判断は、どう考えても難民であると思われる人々を難民認定することなく排除しきっていると、この国の難民認定の絶望的な割合の少なさからも個人的には思われます。
(欧米の難民認定率が約63%~25%の中で、日本の難民認定率は約0.7% ※難民支援協会より)
また真っ当に働いていると思われる外国人労働者への独善的な排除も数多く感じられます。
この映画は、そんな入管から(個人的にも現実にある不当と思える)難民認定されない家族のストーリーになっています。
しかし一方で、フィクションの映画として存在するには、テーマ主義で描いてはいけないとは思われます。
なぜならフィクションの映画では、描くのは人間であり、決してそれを利用したスローガンプロパガンダになってはいけないと思われるからです。
この映画は、そういう意味でテーマ主義から脱して、主人公のサーリャ(嵐莉菜さん)の普通の日常がきちんと楽しく描かれています。
このことはどんな立場の人であっても、地続きの同じ人間であることを私たちに伝えてくれます。
その上で、だからこそ入管の独善のひどさが際立ってくるのだ、とも思われてきます。
主人公のサーリャの家族は、サーリャ役の嵐莉菜さんの実際の家族というのを後で知りました。
その自然な演技は、とても初心者の演技とは思えず、みな自然で輝いていたように思われました。
この自然な演技を引き出した監督にも素晴らしさを感じました。
クルド人達の周りからあるいは彼らへの日本人の住民からの伝達に、日本語の出来るサーリャ1人に役割が押し付けられているなどの個々のエピソードもリアリティがあって良かったです。
惜しむらくは、サーリャと家族以外のクルド人達やサーリャの恋人になる崎山聡太(奥平大兼さん)の家族親戚などとの関係性が、サーリャの友人も含めて、(家族と恋人になる崎山聡太以外)一方的なワンターンの関係性で終わっているところに、映画としてのドラマ性にまだ改善の余地があったのではないかと僭越ながら思われました。
またカットの撮り方もまだま工夫の余地があるようにも思われました。
個人的にはその点が傑作になりえなかった点ではと思われながら、その点を差し引いても秀逸な映画となっているとは思われました。
だいじょうぶな顔
(映画が言いたいこととは全く視点がズレているので閲覧注意です。)
衣食足りて礼節を知る。ということわざがある。『生活にゆとりができてこそ、礼儀や節度をわきまえるようになる。』という意味だが、つねづねここに付け加えたいことがあった。
それは容姿、見た目、顔、ルックス、外見──である。
モデルや俳優ほどの美しさは必要ないが、きれいな「それ」は人生を大いにしのぎやすくする。
少なくとも「それ」にコンプレックスや悩みがなかったら(礼儀や節度をわきまえた)良い人生をおくることができる──と考えたことはないだろうか?
誰しもきれいな人といっしょに居た経験があるだろう。
たとえばきれいな女とデート中、かのじょが誰からも親切にされるさまを見たことはないだろうか。
たとえばきれいな男と街へ行き、かれが市井に易々と打ち解けるさまを見たことはないだろうか。
学校で職場で巷間でテレビでTiktokで、わたしたちは日常的に、きれいな人間が社会から遍く優遇される様を見せつけられている。
そもそも人がはじめて集団と交わる保育(or幼稚)園や小学校のときから、じぶんの「それ」で社会や他人がどこまで心を開いてくれるのか──の見きわめを始めるわけである。
ところが「それ」は誰もが影響を被りながらタブーでもある。
TikTokで「それ」を誇らかにさらしているばかりか、みずからのエロス資産をゆさゆさ揺らしている人が山ほどいるのにタブーなのだ。
だれもがきれいな「それ」を求めながら「それ」は決して人間の真価ではありませんという体裁で社会は進行していくのだ。
けっきょく「それ」にコンプレックスがあったとて、なんでもないような体裁で生き抜いて、黙って棺までもっていくほかはない。
逮捕された男の「それ」を見るたびに「こいつモテなかったんだろうな」と感じるのは思い過ごしじゃない。男がみんなモテるならテロリストも戦争もなくなる──とは、あるていど本気でそう思う。
──
難民申請するクルド人一家の話。
受け容れてもらえず働けず越県できず親は収監され、どうしようもない状況へ陥っていく。
もとよりかれらの苦悩に言葉はない。
川和田恵真監督は是枝裕和監督をはじめとする映像作家集団「分福」出身で、すくなくとも新進の日本映画がやらかすアートな気どりはなかった。その点は良かったが、言うなれば“上手じゃない是枝裕和”という感じの映画で、しんみりムードが“一杯のかけそば”のようだった。可哀想なエモへ振って是枝風に宙ぶらりんで幕引きする。
なお平泉成の人権派弁護士がすごくよかった。名古屋章のように声がかすれる感じに疲弊感が出る。巧い。
ところで、映画を見て思ったのは映画の主張とは違うことであり、とりあえず装丁と概要を見た時点でこの子にいったいどんな悩みがあるのだろう──と思った。
主人公を演じた嵐莉菜は『母親が日本人とドイツ人のハーフ、父親が日本国籍を取得しており、イラクやロシアにルーツを持つ元イラン人。』(byウィキペディア)であり、かのじょが持っている「それ」は社会制度を凌駕する資産に見えた。
むろん映画の主張と噛み合わない不適切な感想だが、しばしばハーフの方々が言及するいじめ体験は、その洋顔がもたらす恩恵をスポイルするとは思えない。──と個人的にはよく思う。
日本でクルドやスラブやゲルマン系の顔がマイナスなんてことはあり得ないわけである。
とはいえサヘルローズさんがたいへんなご苦労された方なのは知っている。
ただわたしが前段で述べたのは端的に言えば“きれいな顔の人生はいい”ってことだ。繰り返すが、それがこの映画とは何の関係もないことは知っている。
たとえば、じぶんが八百屋のオヤジだったらKO(きもいおっさん)にびた一文まけないだろう。ぎゃくにきれいな洋顔の子だったら「お姉さんきれいだからおまけしとくよ」とか言って大根葉かにんにくの芽かメークインでも入れてやるだろう。それがばかげた喩えだとしても、概して人生とはそういうものだ。それを生き易さというのだ。だからこそ「それ」がきれいであれば、礼節を知って穏やかに生きることができるのだ。
そもそも俳優がきれいなのは人の共感を集めるためであり、すなわちクルド人の難民でさえ、もし嵐莉菜の顔をもっていたなら、たとえばわたしのようなKKO(きもくて金のないおっさん)よりも、はるかに幸多い人生を過ごすことができる。──ということを言いたかったのだ。
詰め込む弁当
池脇千鶴は普通に心配して藤井隆に伝えたのだろう。藤井隆には守るべき店と風評がある訳で、彼の行動は責められようもない。ただ無力に差し出し低頭する彼と並んでこちらも低頭する思い。
学ぶ機会を得られることは良いことである。帰国に危険が伴う限りは難民認定しなければならない。外交問題ではなく人身の保護の問題である。それを軽視することは自身の安全をも軽視することである。それぞれの部局が護るべき立場を堅持することで、仕組みは正常に機能する。難民を保護すべき者は保護すればよく、他部局の論に同調してはならない。
私たちの未来に光がありますように
クルドって何処…?
多分ほとんどの人が、劇中で奥平大兼演じる青年と同じく思うだろう。
国を持たず、主にトルコ、イラク、イラン、シリアなど中東地域に分布。人口数は4600万人以上と言われている。
我々はそんな基本情報すら知らない。
ましてやその歴史、日本の入管の実態、彼ら個々が何を思うのかーーー。
こうやって映画を通じて知り得たのも何かの縁。
意欲的な作品で、意義ある作品。
かつてはオスマン帝国の領内に存在していたクルド人。が、第一次大戦でオスマン帝国が敗れてからは中東各国に分布。それぞれの国の情勢、武力抗争などにも翻弄され、難民としてあり続け…。
迫害を逃れ、日本にやって来たクルド人たちも少なくない。主に埼玉県の蕨市や川口市に暮らし、その数は2000人以上と言われている。
争いは無く、平和な日本。ようやく見つけた安住の地…ではなかった。別の不条理が彼らを襲う。
日本で難民申請が認定されるのは1%未満。1%未満って…。じゃあ、残りの99%は…? “仮放免”って場合もあるらしいが、要は不法滞在の身。故に仕事をする事も出来ない。驚いたのは、県外に出る事も出来ない。もし、違反したら…。
ある日突然、認定ビザが失われる。ずっとここで暮らしていたのに…。
入管で身柄拘束。行く行くは強制送還…。
自由を求めて平和な日本にやって来たのに、そこで遭う過酷な現状…。
逃れてきた国に居るのと日本で暮らすのと、どちらがいいのか…。そんな疑問すら浮かんでしまう。
日本の入管が厳しいのもそれなりの理由があってだろう。実際、悪質な不法滞在者も少なくない。
だが、そうなってしまった事、せざるを得なくなってしまった事、彼らをそう追い込んでしまった事、本当に苦しんでいる難民たち…。
どうすべきか、何とかならないのか、今一度見直すべきではないのか。
本作を通じて、一人でも多くの人たちに届いたら…。
作品は一人のクルド人少女の視点で描く。
17歳の高校生、サーリャ。幼い頃日本にやって来て、以来ずっと日本で暮らす。
母親は亡くなり、父、妹、弟の4人暮らし。
将来の夢は小学生の先生。日本に来たばかりで日本語も分からなかった幼い頃、よくしてくれた先生に憧れて。
その夢の為に、父親に内緒でコンビニでバイト。
ごく平凡な女の子。
そう、ごく平凡な女の子なのだ。学校では友達と遊んだり、バイト先の男子の事が気になったり…。
では、何が違う…?
やはりそこに、“クルド難民”という壁が立ち塞がる…。
ある日突然、難民申請が却下。一家を支えていた父は働く事も出来ず、県外に出る事も出来ない。サーリャのバイト先は埼玉と東京の県境。
働かなければ生活出来ない。一家の生活はやっとの事。
サーリャもこっそりバイトを続けていたが、父親が入管に身柄を拘束されてしまう。
突然一家を襲った理不尽な現実…。
幾ら法とは言え…。
法というものは、国民一人一人の尊厳を守る為にある。よりよい国家にする為にある。
しかし、時としてそれが、弱者を苦しめる。
法を盾にされたら、どんな理不尽でも抗う事は出来ない。ずっと日本で暮らしてたのに、突然不法滞在者と言われても…。
入管の他人事のような事務的対応。さすがご立派なお偉い管理側だ。人一人の事、営みなどどーでもいい。法なんだから法に従え、とでも言うように。
そう言い渡された側は…
収入がストップ。貯金でやりくり。でも、それも微々たるもの。
友達の紹介で“パパ活”をする。外国人ならではの容姿と美貌を活かすも、寄ってくる男どもは下心見え見え。
バイト先にも認定却下が知られ、居られなくなる。
いつか行こうと約束したバイト先の男子との大阪旅行も行ける訳なく、抱いた夢すら…。
何の見通しすらままならない。
辛いのは直面する数々の現実もあるが、これを機に改めて知る、自分が外国人である事。
バイト先の老女客の一言。決して差別や偏見や悪意があって言った訳ではないが、チクチク突き刺さる“ガイジン”扱い。
確かに自分はクルド人だ。でも、ずっと日本で暮らしている。これからも日本で暮らしたい。日本が故郷だ。
ここに居たいと思うのは、ダメな事なのか…? 違法で罪なのか…? そんなにも許されない事なのか…?
彼女の眼差し一つ一つが、切ない。
本作が商業デビュー作。いきなり難しいテーマを取り上げ、徹底した取材の下、問題提起しつつ、一人の少女の青春、成長、アイデンティティー、家族や民族の物語として纏め上げた川和田恵真監督の手腕は、また一人凄い新人監督が現れたと唸らされる。監督自身も日本人とイギリス人のハーフ。だからこそ、よりメッセージが響く。
サーリャ役は実際のクルド人ではない。もしクルド人を起用して、いつぞや認定が却下された時、問題から守る為起用を断念したという。
この難しい主演を射止めたのは、まさしくフレッシュな逸材!
嵐莉奈。モデルで、本作で女優デビュー。
ドイツ、日本、イラン、イラク、ロシアの5つのルーツを持つ。
一目見ただけで吸い込まれるその圧倒的な美貌は、彼女こそ“千年に一人”に相応しい。
加えて、劇中で繊細な演技まで魅せるのだから恐れいった!
今後の活躍に本当に期待!
この二人の若く才ある監督と主演女優の出会いがあってこそ、本作は生まれたと言って過言ではない。映画に存在する奇跡の瞬間。
サーリャと惹かれ合う男子、聡太役の奥平大兼。
藤井隆、池脇千鶴、平泉成ら実力派がサポート。
でも特に印象に残ったのは、サーリャの家族。知って驚き! 嵐莉奈の実の家族だという。
それを知ると、自然体なやり取り、家族でラーメンを食べるシーンのささやかな幸せ、じわじわしみじみほっこり滲み出すものに納得。
お父さん、いい味出してたなぁ…。本来は日本語ペラペラで、劇中の片言の日本語は演技だとか。これまたびっくり!
サーリャを突然襲う不条理と理不尽。
しかし、日本での事全てが嫌な事、悪い事ではない筈。
友達や淡い初恋…。
夢を抱いた。
勉強もバイトも頑張った。
私はここに、存在した。
自分は何者か…?
日本人ではない。が、ずっと日本で暮らし、これからも日本で暮らしたいと切に願っている。
クルド人ではあるが、日本以外で暮らした記憶は無い。自分たちのルーツも人伝えぐらいにしか…。
だから時々、クルド人の儀式にもうんざり。だけど、彼女たちを囲む同胞たち…。
クルド人である事も忘れてはならず、誇りであらなくてはならない。
クルド人と日本、二つの恩恵を受けて…。
ラスト、父親のある決断。
それを受けたサーリャの選択。
受け入れなければならない現実。この問題は続いていく。
いつか、訪れるだろうか。
この“スモールランド”が、彼女たちにとっても“ビッグカントリー”になる日が。
そんな日を願って、努力して。
クルド人と日本人。私たちの未来に光がありますように。
人間はどこで産まれようが、みな同じなんだ
社会派映画が観たくて、探しました。
主人公家族が 在留カードをパンチされ、使えなくなる光景は悲しい。
そして家族でラーメンを食べるシーンでは そんな家族を守ってあげたくなった。
それもこれも
クルド人 ユダヤ人 隣国が寄ってきた時に、自ら闘えなかったから、国がなくなった。大昔の事だが
同郷人が集まって、宴会をするのは冠婚葬祭以外はダメだ
同化の妨げになるのに加え、僕達との壁を自ら作ることになる。
しかし 主人公サーリャが朝の身支度をする時、ドライヤーでくせ毛を伸ばすのは
日本に同化したいと思っている証。
そんな親日家を日本国は素直に受け入れるべきだと思う。
こんな問題に解決の糸口が見つからない
どうしようもない"理不尽"を感じた映画だった。
難民の姿を通して人間のアイデンティティを問う佳作
㊗️Amazonプライム初鑑賞!😄笑
今年(2022年)の映画館で見逃し映画を、Amazonプライム鑑賞(HDレンタル)🎥
いやぁ~、観て良かった‼️
難民として埼玉県川口市に住む父と2女・1男の家族に「難民申請が不認定」となり、「埼玉県から出てはいけない」&「就労してはいけない」という制約の中で懸命に生きようとする姿を描いた佳作✨
この映画で特筆すべきは、クルド人家族の長女サーリャを演じた嵐莉菜の美貌だけでない演技力。
涙を流す場面では絶妙のタイミングで涙をこぼし、序盤の学友たちとの楽しいやりとりでの笑顔は最高、自分の出自をバイト先(コンビニ)で一緒に働く男に話す時の言いづらそうな間の取り方……などなど、今年(2022年)の新人女優賞ではないだろうか。
⇒キネマ旬報ベストテンと合わせて選出される新人女優賞ベストワンに選んでいただきたい素晴らしさだった。
超絶美人なのもあって、えこひいきの気持ちがあるかも…😍ww
冒頭の結婚式、バス停「川口南公園」、荒川の橋の真ん中にある看板[東京|埼玉]への手形、キョフテなど。
場面としては、何と言ってもラーメン屋で家族がラーメン食べるシーンは微笑ましい(^^)
難民の姿を通して、人間のアイデンティティを問う素晴らしい映画🎥✨✨✨
<映倫No.122826>
難民に冷たい日本
入管で、難民申請し続けた人が亡くなったとか、日常的に暴力が使われているとか、ひどいニュースばかり報道されてますが、
反日で有名な近隣某国には、太っ腹で、ありえない厚待遇…
某国はハニートラップが超エゲツないらしいので、みんなゴッソリ引っかかって逆らえないんでしょうかね(苦笑)
本当に助けるべき難民には冷たい日本。
本来は、その金と労力を、コッチに使うべきなのに。
どう考えたって、いびつ、おかしい。
映画に関してですが、
キャスティングは、客よせの為の変なアイドルを使ってないので良かったし、
脚本も、この映画を観てクルド人の方が抱える問題を知れたし、良かったと思う。
演技は、まだまだ…これから…かな?
この映画を観たのは、お目当ての映画の2本立てのウチの1本だった為で、本当はスルーして観ない予定の映画でした。
でも結果的に、この映画を観れて良かったと思います。
日本人が、悪気なく何気に言う事も差別的だったりする事あると思う。
劇中そんな描写があった、気を付けようと思います。
あと、何か、出来る範囲で、本当に困っている難民の方の為に、少しでも行動を起こしていけたらと思います。
島国根性
この国を如実に物語っている、まぁウルトラライトな人達からのエクスキューズが聞こえてきそうなストーリーである。
前述の所属者からすれば、『こんな不良外国人共は早く国に帰れ』と宣うであろうし、上から目線で『住まわせてやってるんだ』とばりに、糾弾することが容易に想像出来る。
今作品を観て、直ぐに頭に思い浮かべたのは、小松左京著『日本沈没』。こんな国、早く沈んでしまえばいいんだと思っている自分とすれば、どうせ他の国に亡命したって上手く世渡れない矮小な民族感に打ちのめされて、ざまぁみろとほくそ笑む妄想に駆り立てられる自分がいるw
主人公の女の子は強かにこんな腐った国でも生きていける。弟妹も面倒みれる。それだけのポテンシャルを充分表現した演技だからだ。
さて、周りの日本人達はどうだ。他国へ難民として行くにはそれなりの持参金が必要だぞ。全部没収だけどねw
それならば、地球が隕石に衝突する、その瞬間迄、家族と過ごした方が幸せなのかもしれないね・・・
かわいい女の子を泣かすような法律が正しいはずがない
製作に是枝裕和氏が名を連ねている。ちょっとドキュメンタリーっぽいカメラワークとか、2004年の『誰も知らない』に似たシチュエーションもあったりして、是枝っぽさもそこはかとなく感じられる作品。
物語は、主人公のサーリャを過酷な運命がこれでもかと襲う。最初から胸が痛くなるような展開。「しょうがないよ」と、彼女は映画の中で何度言うだろう。
この国にはいろんな法令があるけれど、出来た時からあまりに時間が経ち過ぎて、誰を守るための制度なのかわからなくなってしまっているものもあるのではないだろうか。
かわいい女の子を泣かすような法律が正しいはずがない、と昭和のオッさんは思うのである。
サーリャ役の嵐莉菜も良かったが、崎山聡太役の奥平大兼が素晴らしい。そうそう、最近の若い男の子って、確かにこんな感じなんだよ。
心は世界を救う
2022年劇場鑑賞38本目 秀作 69点
しっとりしたメッセージ性の強い傑作。
当方おそらく2022年劇場鑑賞ベストになるであろう作品、牛久が今作と同じテーマで収容所や難民、ビザさ仮放免などといったワードが飛び交うかつ牛久はドキュメンタリーで、生の映像を使われていることや、そちらを先に鑑賞してしまったことも相まってどうしても比べてしまって、牛久を贔屓目で観てしまうところがありますが、それでも今作は十分に素晴らしかった。
主人公がコンプレックスを引け目に感じながらも、恋をしたり、家族の時間を過ごしたり、自分の道を歩むその一瞬の姿勢が美しく、心を揺さぶられながらも逞しく生きてほしいと強く思わせてくれる、演技と演出には拍手を送りたい。
是非。
未来に光は。。
幼い頃に父に連れられ日本に住む在日クルド人のサーリャがある日、在留資格を失ったことにより日本での自分の居場所について悩む姿を描く話。
難民問題を描きつつも、日本とクルド人ふたつのルーツを持つサーリャが自分の立ち位置を探していく話でもある。冒頭、クルド人の結婚の集まりに出席するサーリャが手に赤い丸(クルド人が何かの催し物の時に付ける印らしい)を付けられ、それがなかなか落ちない様子が描かれる。
これが日本の国旗と同じ日の丸なのにサーリャにとっては逃れられないクルド人としての自分。その反面、颯太と一緒に手に付ける赤いスプレーは簡単に取れてしまう。クルド人であることは必ずついて回るのに、日本人であることは必死にしがみついていないと無くなってしまうように見えて悲しかった。
日本の難民制度についてもちゃんと知れて、自分が日本の難民制度について全く知識がなかった事を恥ずかしく思った。例えば、難民認定が取り消された後その後すぐに強制送還されるのかと思っていたら「仮放免」というほぼ犯罪者の執行猶予みたいな制度が適応されてることとか。
だから日本って難民については凄く厳しい国で難民認定数が少ないから難民が少数しかいないのではなく、認められてない難民がたくさん日本に住んでいるってことなんだなと今更分かった(それでもヨーロッパとかに比べたら全然少ないとは思うけど)。
どこかで日本に難民が少ないのだから他国の難民問題を対岸の火事だと思っていた自分がいて、反省した。日本は海を渡って来なきゃいけないのに難民認定も厳しい。それなのに日本を選んで来てくれてる人を全く「おもてなし」出来ない国なんだなと。
でも、日本に住む日本人としてはサーリャをクビにするコンビニの店長も力になろうとしてるのはわかるけどイマイチ何のためにもなってなさそうな弁護士(?)の立場も分かってしまう。酷いと思いつつも制度がそうなんだからしょうがないと思う自分もいるし、あれ以上何をしてやれるかは自分にも分からない。
川和田監督の舞台挨拶付き上映。 監督の話ではクルド人難民は日本に2...
川和田監督の舞台挨拶付き上映。
監督の話ではクルド人難民は日本に2000人ほどいるとのこと。難民問題は日本が抱える大きな課題の一つ。この映画によって現実を知るよい機会となった。
主演の嵐莉菜さんは初主演とは思えない見事な役作り。脇を固める俳優陣も素晴らしかった。監督の今後の作品にも期待したい。
日本にもあった!知られざる難民問題を浮き彫りにした衝撃作!!
「奇跡体験!アンビリバボー」の再現VTRや『日本以外全部沈没』などの河崎実作品等でお馴染み、外タレを多く抱える稲川素子事務所に所属していた際に注目を集めた嵐莉菜。
その後、事務所を移籍し、モデルとしても活躍していたが、ついに映画初出演を果たすことに。『日本以外全部沈没』のようなネタ映画で主演を務めたデルチャ・ミハエラ・ガブリエラとはまた少し違っていて、外タレ出身としては、かなり異例の出世ではないだろうか。
そんなことは置いといて、今作は日本の闇を描いた、かなり重圧な物語となっている。
埼玉には、実際にクルド人が多く住んでおり、そこにはコミニティも多く存在している。このクルドとは、かつてあった国だが戦争によって失われしまった国だ(劇中でも説明される)。今のウクライナ軍事侵攻と通じる部分もあり、また多くの戦争難民が出てしまっている現状がある。
国で地獄を味わった人たちが、移住先でも地獄を味わうというのは、あってはならないことだ。しかも世界的には安全な国として、外国人を受け入れる国として、寛容な姿勢をみせている日本で、そんなことが起きているとは信じがたい部分もあるが、近年、その日本の闇が浮き彫りになってきている。
記憶に新しいのは、2021年3月6日に、名古屋入国管理局の施設で、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなったことだ。どういった経緯で不法滞在扱いとなり、収容後もどう扱われていたのかなど、はっきりとした情報が開示されていない。
それに加え、茨城県牛久市にある出入国在留管理庁入国者収容所東日本入国管理センターの実態に迫った、ドキュメンタリー映画『牛久』(2021)も話題となった。
日本の難民に対する態度が意図的に行われているような、悪意があるとは言えないが、制度がガタガタの状態で放置されてるというのも罪であって、先日橋本徹が報道番組で「日本はウクライナの難民もどんどん受け入れればいい」と、おそらく正義感から言っていたのだろうが、正直言って、こんな管理が行き届いていない日本に受け入れたところで二次被害を及ぼすだけではないだろうか…….。とも思わせる衝撃の事実が自然に描かれている。
嵐莉菜演じるサーリャは、幼い頃から日本で育っており、ほぼ日本人として生活しているが、外見は外国人として見られてしまう。「外国人だから綺麗」みたいな意味で多用される、日本人が良かれと思って無意識に発している外国人びいき、外国人差別(外国人という表現事態がいけないのかもしれない)が、逆に疎外感を感じさせてしまう。
それも当然な話で、自分は日本人だと思っているし、ルーツといわれても前の世代の話。若い世代にとって実感などほとんどない。さらにその弟、妹ともなればなおさらだ。ちなみに自分には故郷がない、国がないという空白感は、ジャスティン・チョンが主演・監督・脚本を務めた『ブルー・バイユー』でも描かれていた。
サーリャは疎外感を感じながらも、自分なりに心の中で処理していたが、それを突き詰められるような事態に発展していくことから、日常は一気に崩れ去ってしまう。
今まで承認されていた難民申請が突如無効になり、路頭迷うことになったサーリャたち家族。埼玉から出ることができない、仕事をすることも許されないといった理不尽すぎるルールから、生活に困窮していく様子がじわじわと描かれていく。
裁判で異議を申し出ることも可能だが、それには多大な労力と時間が必要となる。難民の人々が、数か月働けないとなると、生きていくこともままならない。そこで少しでも働いてしまうと、不法行為とされて収監されてしまうのだ。
このように、「不法滞在」と言っても、犯罪に関わっているとは限らず、日本のあやふやでガダガタな制度によって「不法」とされた人々もいることを知ってもらいたい。
日本人として、 これが現状なんだと受け入れなければならない日本の暗部が見えてくるのは、観ていて非常に心苦しい。
嵐莉菜自身、幼い頃から日本で育っているのに外国人タレントとして扱われてきた経験や日常で感じることが役にそのまま反映されており、演技ではないリアルさを醸しだしている。
監督の川和田恵真もイギリスとのハーフであり、その境遇を理解しているからこそ描き出せる部分も多かったのだろう。さらにサーリャの父、妹、弟を演じているアラシ・カーフィザデー、リリ・カーフィザデー、リオン・カーフィザデーは、嵐莉菜の実際の家族だ。
役名こそ違うものの、演じているのは自分自身でもある。特に幼いリオンにとっては、これが映画なのか現実なのかの区別がはっきりつく年齢ではないため、父親に起きる悲劇を知ったとき、動揺を隠せなかったようだ。
これは演技だから現実ではないが、現実に苦しんでいる難民の人たちが日本にはいるということを理解しなければならない……。
県境の南、荒川の西
つらい映画である。
出てくる日本人が皆浅薄で、理不尽で、非道に見える(一人を除いて)。難民ひいては移民問題は、日本のみならず世界的な課題であり、島国の日本よりもヨーロッパやアメリカの方が深刻だろう。ほかの国がもっと直接的で苛烈な反応をしているのに比べて、日本は真綿で首を絞めるようなやり方でじわじわ追い詰めていくというか…。
この映画で描かれたような個別のケースに着目すれば、在留資格を剥奪して就労を禁じ移動の自由を制限するなどというのは、義憤に駆られるしかないが、国家は大局をかざして建前を貫こうとするのだろう。最近の北欧2カ国のNATO加盟をトルコが頑なに渋った件などもこのへんの事情が影を落としている。
映画を見ている間中ずっと不安だった。どう考えても、日本の現況からすればハッピーエンドになるとは思えなかったから。案の定主人公は強い意思を示して終わるものの、収入の道が閉ざされた未来は暗澹たるものだ。
主人公の家族役が本当の家族というのは、あとで知って驚いた。主役の女の子は好演。相手役の少年が描くジャクソン・ポロック風の絵はナゾだ。妙に禁欲的で、時折公共広告機構っぽい空気が漂うのが少し気になった。
“わたしの”スモールランド
主人公は日本に暮らすクルド人の高校生、サーリャ。
彼女は、母国での政治活動に対し弾圧を受けていたクルド人の父親に連れられて日本に来た。
クルド人は、トルコを中心に何ヶ国かに居住し、“クルド人国家”というものを持たない。
まだ幼いサーリャの弟が学校になじめず、サーリャと父親は、弟の担任から呼び出しを受けた。その帰り道、父は幼い息子に、「俺たちの国はここにある」と、力強く自分の胸を叩いて見せる。
国はないが、自分のスモールランドは心の中に確かにある、と父親は言うのだ。
サーリャの家ではクルドの習慣を守り、食事にはお祈りを欠かさない。周囲にはクルド人のコミュニティがあり、彼らは同じ仕事に就き、休日には集まっていっしょに食事をする。
だが、生まれた土地の記憶も曖昧で、幼少期から日本で育ったサーリャは、父親とは違う思いを持っている。
このあたりの主人公の心情を表す脚本が巧い。
例えば、「ワールドカップ で日本を応援したかったけど、そう言ってはいけない気がした」、というサーリャのセリフは、子どもながらに友人たちの中での彼女の微妙な立場、複雑な心情を表していて秀逸。
ドキュメンタリーで事実をきちんと説明されるよりも、観る側の想像力を刺激し、共感が引き出される。
そう、サーリャには日本での生活のほうが当たり前になっている。父親には、ほとんどクルド人同士の付き合いしかないが、サーリャには同世代の日本人の友だちやボーイフレンドとの交流があり、むしろ、クルド人との付き合いに違和感を覚えることも多い。
そして彼女は、将来は小学校の先生になりたいと思っている。
そう、サーリャにとっての“スモールランド”は、むしろ、日本での暮らしや身の回りにある日常なのだ。
だが、そんな決して派手でもなく、どこにでもいる高校生の“スモールランド”は、突然乱される。
一家の難民申請が却下され在留ビザがなくなってしまったのだ(つまり不法滞在となる)。
ビザのないサーリャは大学の推薦を受けられなくなり、将来の夢を断たれてしまう。
ビザがなければ就労は認められない。サーリャがバイトを続けられなくなりばかりか、父親は仕事をしていたことが法に触れ、入管に収監されてしまう。
家族の中で、感覚の違いが表れる場面がある。
家族4人でラーメンを食べるシーン。
妹がラーメンをすすって食べていると、父親が「音を立てて食べるな」と注意する。ご存じの通り、日本人はラーメンや蕎麦うどんを、すすって食べる。
妹と弟は「すすって食べる派」だが、その場はサーリャがあいだに入って収めた。
だが、映画の終盤、収監された父親にサーリャが面会に行くシーン。
「親が入管法に従って帰国すれば、子どもたちには難民申請が認められる」という判例を知った父親は、逮捕や迫害を覚悟して、ひとりだけ母国に戻ろうとしていた。
父親は、「ラーメンは好きなように食べなさい」と告げる。そして、サーリャが使っていた自転車の置き場を教える。
サーリャは自転車に乗ってバイトやボーイフレンドとのデートに行っていた。サーリャにとって自転車は、自由の象徴だった。
父親は自分を身代わりの心に、サーリャの“スモールランド”を守ろうとしたのだ。
国や制度は、人びとが大切にしている“スモールランド”を奪っていいのか?
そして、その国は、僕が暮らす国なのだという現実が苦しい。
お父さんは宇宙人か?胸を張ってクルド人って言えばいい。
クルドから逃げてきたサーリャの一家。幼いころに日本にやってきた彼女は、クルドの文化も知っていれば日本の生活にも馴染んでいる。家族は、優しく懐の深い父と、日本しか知らない妹と弟。その家族に突き付けられた、在留カードが無効、という試練。展開はとてつもなくシリアスだけど、けしてダークサイドに落ちないのは、サーリャ自身の人間性だろう。そしてそう育てた父だろう。
祖国を追われ日本にも居場所が見つからぬ、気の毒な彼ら。でも、日本にやって来たクルド人がすべて真っ当な善人とは描いていないあたりがリアル。出てくる日本人も、もちろん親切な人もいるが、大抵は親切なようでいて、薄っぺらいし、手を貸さなし、付け込むような人たち。自分もそうならないように、せめてこの映画を見た人だけでも、もし目の前にサーリャたちのような人が現れたら、自分のできる小さなことから、手を差しのべられるといいと自戒をこめる。
切実な現状は、最後の最後までこの家族を苦しめて、選び難い選択を強いる。最後の父娘の会話は、できればクルドの言葉がよかったと思うけど。
サーリャの見つめる川の向こうの東京はまるで異国で、川は国境のようだった。
まだまだ彼女を待ち受ける困難は、続くのか。それがいま日本にいる彼らの現実。だけど、日本はあなたたちが求めるほど豊かではないんだよなあ。それも歯がゆい。
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