「転校や留学を経験した人ならきっと思い当たる」アメリカから来た少女 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
転校や留学を経験した人ならきっと思い当たる
1990年台湾生まれのロアン・フォンイーは、半自伝的な内容のオリジナル脚本を映画化した本作で長編監督デビューを果たし、台湾の金馬奨5冠のほか東京国際や香港の映画祭でも高評価を得た新進気鋭の女性映像作家だ。幼い頃に母と妹と米国で暮らし、2003年に台湾に戻ってきたのは実体験だという。
コロナ禍が世界に拡大した2020年、台湾政府の迅速な対応を主導して注目された民間登用のデジタル大臣オードリー・タン氏が、未知の感染症に機敏に対応できた理由の一つとして、「SARSが流行した時期の教訓を活かせたこと」を挙げていた。日本ではSARSはあまり流行しなかったので、映画の後半に出てくるSARSの猛威に翻弄される台湾社会の描写がコロナ禍の今に重なることに日本の観客の多くは驚くはずだし、SARSの時代の話がコロナの現代に映画化される巡り合わせにも考えさせられる。
撮影のための照明を加えず、自然光と現場の屋内などにある照明器具だけで撮影したという映像は、主人公の少女ファンイーのつらい思いと重苦しい時代を反映するかのように、暗いシーンの印象が優勢だが、暗い映像が優勢だからこそ、父親の髪を娘2人がはしゃぎながら染めるシーンのような家族の情景が対照的に温かみを伴って輝くのだろう。
家族の情景といえばもう一つ、座る母親のももの上に娘が頭をのせて耳掃除をしてもらうシーン。自分も幼い頃そうしてもらっていたなと懐かしく思い出し、そういえば親が耳かきで子の耳を掃除する習慣って外国にもあるのだろうかと疑問に思う(欧米なら綿棒で済ませていそう)。少なくとも映画ではほかに目にした記憶がない気がする。
米国で暮らした経験のある女性が台湾に戻り、アウトサイダーの視点も交えて台湾社会を見つめるという点で、2019年のアニメ映画「幸福路のチー」に通じる。あちらも女性監督による半自伝的なストーリーだった。台湾映画界での若手女性の躍進を頼もしく思う。
まったく新しい環境で暮らすことの不安、周囲になかなか馴染めない時期のもどかしさ、かつての住み慣れた場所や友達を恋しく思う気持ちなど、転校や留学を経験した人ならきっと思い当たる感情が、繊細に表現されている。