「困難の中での誠実さ」母の聖戦 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
困難の中での誠実さ
<映画のことば>
「我々は数週間前に着任したばかりで、この街をよく知らない。だから手を組みたい。
条件は二つある。
一つは私に疑念を抱かないこと。
もう一つは、このことを誰にも話さないこと。このことが明るみに出ると、お互いに面倒なことになる。
あと、もう一つ。
作戦は失敗することもある。」
メキシコでは、子供の誘拐が頻発しているようなのですね。 とくに、本作の舞台になった、この街では。
資産家の子女だけでなく、庶民の家族も事件に巻き込まれている事情のようです。
本作は、その実相を告発する一本というべきなのでしょう。
そして、そういう厳しい実相の中でも…否、そういう厳しい実相のなかだからこそ、娘のラウラを誘拐されてしまった母親シエロに同情し、いわば火中の栗を拾う…あえて「任務外」の「困難」を引き受けたラマルケ中尉とその部下たちの誠実さが際立ったと思います。
一面では、この街に縁も縁(ゆかり)もないラマルケ中尉だからこそ、シエロの困惑を見るに見かねて協力を申し出ることができたということも否定はできないでしょう。
この街の日常とは密着はしていない軍の立場だからこそという、いわば「フリー」とでもいうのか、語弊を恐れずにざっくりと言えば、利害関係のない立場で。
ある意味、この街に土着し、その「日常」とは距離を置くことができない地元警察との立場の違いとも言えるかも知れません。
(ラマルケ中尉としては、そういう警察の態度に、かねてから業を煮やしていたので、シエロを見るに見かねて、本来の任務外ではあっても、自分が乗り出すことにしたのだろうと考えます。評論子は。)
上掲の映画のことばは、ラマルケ中尉(と、彼を全幅に信頼して抗うことなくラマルケ中尉に従うその部下たち)の誠実さを示して、余りがあったと思います。
その意味で、本作は、佳作でもあったとも思います。
(追記)
日本でも子供の行方不明は、時おり聞く話。
評論子の身近でも、女子高生(当時)が行方不明になり、令和6年の今年は38歳になっているはずとのこと。
先日も、地元の警察署が、彼女が最後に立ち寄ったとされるショッピングセンターで、情報提供を求めるビラを配布しました。
当時は中学生だった娘に「家出しても、頼めば匿(かくま)ってくれる友達はたくさんいるんだ。」と、さんざんブラフをかまされたことがある評論子でもありましたけれども。
それでも、所在不明になることなく成人し、今は家庭も持っていることは、ある意味、決して治安の悪くはない国で暮らすことのできることは、むしろ、ありがたいことだっ
たのかも知れません。