「聖衣の設定に不満」聖闘士星矢 The Beginning SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
聖衣の設定に不満
原作の聖闘士聖矢は大好きだった。
星座モチーフの鎧をまとった戦士たちがバトルする、ジャンプ黄金期の重要な一角を担った作品だった。
熱い少年漫画的な勢いと、少女漫画のような美しく洗練された絵が同居した稀有な作品だったと思う。
世界観も少年漫画的「闘い」の要素と、少女漫画的「星座・神話」の要素が見事に融合していた。
とくに、聖衣(クロス)が星座モチーフの形態からプロテクターに変わるのはすばらしいアイデアだった。
ストーリーは正直バトルの理由付けのための添え物のようなものだったが、明確にラスボスが示され、ボスに至るまでに順番に幹部を倒していく展開は分かりやすかった。
バトル漫画の様式の発展に貢献した作品でもある。単なる強さ比べではなく、今でいう「能力バトル」的な戦い方の萌芽があった。敵の攻略不能な能力に対して機転で解決する展開が多くあった(中国の故事「矛盾」の謎かけが出てくる話など)。
また、戦う理由の説得力の強さで勝負が決まる、「説教バトル」の様式を洗練させたのも聖闘士聖矢ではないだろうか。
原作のすばらしさ、革新性、後の漫画に与えた影響力の大きさには疑いの余地はないが、本映画には残念ながら原作の面白さの要素はほとんど感じられない。
原作漫画がある映画の評価軸は2つある。1つ目は、原作の世界観、ストーリー、キャラをどこまで忠実に再現しているか。2つ目は、映画として面白いか。両方とも満たせれば最高のできということになる。しかし、2つを同時に満たすことは容易ではない。なんでも原作漫画のままにしてしまえば、実写映画にしたときにリアリティがなかったり、コスプレ感満載になってしまったりするだろう。
だから、映画の設定が原作から変わってしまうことはある程度は目をつぶるべきだろうと思うが、本映画が良くないのは、様々な点が原作と違うのに、変えたことが映画の面白さを上げることにほとんど貢献していないと思われることだ。
あまりに何もかも変わってしまっているので、これが聖闘士星矢が原作である必然性がほとんど感じられないほどだった。原作漫画のストーリーや設定もわりといきあたりばったりだったりするが、それは当時の週刊連載というものがそういうものだったので仕方ない面もある。
しかし、この映画の脚本はひどすぎる。ふつうに考えておかしな点が多すぎる。たとえば聖矢の目的は「姉を探してとりもどすこと」のはずだが、彼の行動や考え方が必ずしもそれに沿っていないようなところがあるし、この映画の中で結局姉の問題が解決していない。
困ったことにこの映画、単発のシーンだけ見ると、それなりに原作漫画に忠実で面白そうに見えてしまう。たぶん、シーンありきで、ストーリーを後付けで考えたのではないだろうか。
聖闘士聖矢という作品の本質、「これが変わってしまったら聖闘士聖矢とは言えない」というところはなんだろうと考えたとき、ぼくは聖衣と小宇宙(コスモ)の設定ではないかと思う。実写映画化するにあたり、ここが現実感のあるリアリティのある設定にアップデートされていることが重要だと思う。
しかしこの映画では、聖衣は物理的実体のあるものではなく、魔法のような力で装着した姿に変わるものとして描かれてしまった。これは、すごく安易なやり方だったと思う。物理的実体があり、原作と同様に星座モチーフ形態とプロテクター形態を変形できるようにすることは実写映画化にあたって必須だったのではないか。そうでない聖衣なんて、「トランスフォーマー」に登場する機械生命体たちが車に変形しないようなものだ。
小宇宙については、常人の常識を超えた破壊力の根拠であるというような話、すべての物質が原子でできていて云々…、といった話はなかなか良かったと思う。しかし原作の小宇宙はもっと哲学的に深い話があったんではないか…。この映画はなぜか「運命を超える」というのがストーリーの核になっていたけど、全然ピンとこなかった。原作では「小宇宙」の探究というのが非常に重要な要素だったので、これが中心になった話の方が良かったんではないか。
悪いところだけ挙げてしまったが、アクションや映像は素晴らしかった。それだけに脚本が悪いのがもったいない。