THE GUILTY ギルティのレビュー・感想・評価
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元作品の良さが消えてしまった。
◯作品全体
2018年に公開された同名作品のハリウッドリメイク版。リメイクした意図はわかるけれど、それが元作品の良さをすべて削ぎ取ってしまったように見えた。大筋は元作品と同じだから退屈なわけではないが、表現方法を変えるだけでこんなに違う印象になるのか、と改めて思わせてくれる作品だった。
個人的に感じた「元作品の良さ」は、先が読めないことと、先が読めないことによる閉塞感。
先が読めないというのは物語もそうだけど、会話や思考がいろいろなところに流され、思うようにいかない感覚も面白かった部分だ。ただ、本作ではそこがそぎ落とされた場面があった。例えば、元作品では電話越しに状況確認しようとするアスガーと、パニックに陥ったイーベンの会話に齟齬があったり、アスガーの言葉が伝わらない場面が多々あった。印象的だったのはイーベンに対して深呼吸を促すシーン。元作品では深呼吸を何度も促すが、イーベンはそれに応じず、コミュニケーションがとれないもどかしさがあった。これは電話越しによってコミュニケーションが制限されているためで、作品の特徴でもある。しかし本作では深呼吸を促すと即座にそれに呼応してしまう。パニックで自分の言いたいことを相手に伝えたいという場面なのに、そんなに物分かりがよくては説得力に欠ける。きっと会話のテンポを速めて緊張感を煽りたかったのだろうけど、正直嘘くさいリアクションだった。
閉塞感という部分は致命的だった。この作品の特徴は、先ほども書いたように電話越しでしか状況がわからない、という特殊な状況であることだ。元作品もそこを徹底していて、指令室からは外光も差さず、外の様子がわかるモニターもなく、そして電話の向こうの状況を映像で映さなかった。
この点、本作はファーストカットから外の様子を映し、指令室は夕陽が差して明るい空間になっている。主人公の状況を分かりやすく提示したかったのかもしれない。
そしてなにより、不審なバンに近づくパトカーのシーンを映像化してしまっている。電話の向こう側を見せてしまったら最期、普通のサスペンス作品になってしまうというのに。
閉塞感という部分はむしろ削ぎ落そうとさえしているような、わかりやすさ優先の画面。意図はわかるが、良さはない。
最初は「山火事」や「娘の存在」という新たな要素を興味深く感じたが、上辺だけのエビデンスにしかなっていなかったのも残念だった。
山火事は事件に対応できる人員がいない理由として序盤だけ登場する。あとはもう、モニターに映る背景でしかない。娘の存在は、裁判で真実を話すことを躊躇う要因としていたのは良かった。しかし、積極的に事件に介入しようとする主人公の動機としたかったのだろうが、元作品は主人公と事件を閉塞感でシンプルに対峙させることで、自然と動機づけができていた。それを考えると必ずしも必要とは思えないし、なにより、動機づけとしてはあからさま過ぎた。
わかりやすさが作品を良くするわけではない、という典型的な作品だった。モヤがかかったような不確かさが物語を追いかけたくなる動機になりえるし、その不確かさに奥行きを作る演出も非常に大切な要因なのだ。
〇カメラワークとか
・元作品で印象的だった長回しとか、全く使われてないのが悲しい。我慢しきれずカット割るっていうのを繰り返している感じだった。
・レンガで殴る直前のシーン、前作品にもあった赤い受信ランプで危機感を煽る演出を使っていた。ただ、元作品はランプを画面奥においてボカしていたけど、本作は人物の前にドデカく映していて、なんというか、野暮。
〇その他
・元作品では赤ん坊は死んでしまうけど、本作は生きてるオチに変わってた。うーん。一筋の希望みたいな意味合いかもしれないけど、やってることがあからさますぎて。
・ギレンホール、好きな俳優なんだけど、終盤のトイレのシーンは微妙な芝居だったなあ。裁判で本当のことを言おうと相棒へ語るけど、子どもと会えなくなるぞと反論されたときの芝居。急に顔をゆがめる芝居が、これまたあからさますぎて…。笑ってるような顔にも見えてちょっと変だった。
レンガで殴ることを「報復」と伝えたことに後悔する場面も、わかりやすく自分の頭を殴ったり…ギレンホールの芝居というよりも制作側の演技プランなのかもしれないけど。
・隣の同僚と和解するところは技術的なことを聞きたいだけの和解っぽくなりすぎてて、主人公最悪だな…ってなった。元作品でも似たような性格だったけど、多少なりとも敬意を払う仕草もあった。相棒との関係も、元作品にはあった「早く帰って来いよ」という相棒のセリフが無くなってたり。本作は主人公がシンプルに嫌なやつだからラストが全然かわいそうに思えないんだよなあ。
・元作品にはない、喘息の設定は面白かったかも。体の中にあるヘビと同義として、心のわだかまりの表現になってた。
細かな違いはあれど脚本はほとんど変わっていないから、映像演出の比較をするのには面白い作品。
Calm Down!
Calm Down!!
水の中で静けさを感じよう。
あり得ない。
『遙◯なる山◯呼び声』のケンさんと同じ。カッーとなって殴り殺◯。は駄目である。人◯しは◯殺し。
カムダウン!!
『ダメな奴では人は救えない』
生きていれば良いわけではない。
まぁ、助かって良かったけどね。
でも、映画が台無しになっちまった。
「生きる」
日本では火事か救急の場合119番 警察は110番
しかし欧米ではすべてが緊急ダイヤル112(デンマーク)番に集約されるシステム。
オペレーターは、掛かってきた緊急内容によってそれぞれの機関へ代理通報する。
この作品の優れている点は、すべてがオペレーターである主人公のアスガーの視点のみで描かれていることだ。
そのため視聴者もこのアスガーと一緒になって事件状況を想像することになる。
この緊急ダイヤルには様々な通報が来るが、どっちかというと不親切な対応に、市民から頼りにされているというところまでではないように感じた。映画だからか、その規模も東京消防庁の20分の1もない。
アスガーが対応する件も、膝を打ったから救急車を手配しろとか、風俗街で女の強盗に襲われたとか来るものの、その対応のどこかに自業自得だというような適当さが見受けられる。
彼は以前警察官として、19歳の少年の素行の悪さを個人的に断罪、正当防衛と称し射殺した。
彼の行為に警察は組織を挙げて偽証し彼を守ろうとする。翌日予定されている出廷で彼は無罪となる予定だ。
彼のしたことがどんなことかはさておき、その事で妻のパトリシアと離婚したのだと思う。
それは妻が彼を許さなかったのか、それとも彼自身が良心の呵責に苛まれ続けた2次的結果なのかは不明だが、彼自身の心の底に澱のようになっていたのは事実だろう。
無罪になってしまえば、もう事件などなかったも同然だ。
さて、
物語は1件の誘拐事件に始まる。
イーベンは、車内から子供に電話をする素振りで緊急ダイヤルに通報する。
それを受けたアスガーは、何とかしてイーベンを助けようとするが、警察と緊急ダイヤルの仕事の区分と警察管内の違いなどから思ったように進まない。
警察は「白いバンだけじゃわからない」というし、「正確な場所がわからなければ行けない」ともいう。
イライラするアスガーは、席を変えて誰もいない場所で一人この事件と向き合おうとする。
この事件そのものに大どんでん返しが仕掛けられている。
警察官がイーベンの子供がいる自宅へ行くと、血だらけのマチルデと、腹を裂かれて死亡しているオリバーを発見する。
マチルデはママを助けてという。
誰が想像しても犯人は父のミケル
それぞれの通報者は「みな必死」なのだ。
警察署の指令室に電話すると、たまたま宿直だった当時のボスが電話を取り、誘拐事件の依頼をするものの、管轄外を理由に断られ、アスガーのしていることが緊急ダイヤルの仕事ではないと指摘までされてしまう。
アスガーは元相棒のラシードに依頼し、ミケルの自宅を捜索させる。ただならぬアスガーの様子にラシードは渋々依頼を受ける。
やがて、
イーベンとの会話から、オリバーを殺したのがイーベンだとわかる。同時にミケルが何をしていたのかもわかってくる。
イーベンは橋の上に居て、飛び降りるつもりだった。警察のサイレンで電話が切れる。
しかし彼女は無事保護された。
交替時間はとっくに過ぎていた。
明日の法廷 アスガーは真実を語ると決心した。
さて、
エンドロール直前、交替したアスガーはどこかに電話する。
それはおそらく妻のパトリシアではないかと思った。
真実を語ることを決心したことを伝えたかった相手は、パトリシア以外いない。
これによってアスガーは「ギルティ」 つまり有罪となる。
デンマークという国の不誠実さを「緊急ダイヤル」をモチーフにこの作品に託したのだろうか?
ギルティとは、デンマークで働く緊急ダイヤルのオペレーターと警察官すべてに言っているのではないだろうか?
突然のことに慌てふためく通報者たちを、どこか冷めた口調で「住所は? ナンバーは?」と機械的に対応するオペレーター。
その対応に辟易し「もういい」といって電話を切る通報者たちを鼻で笑う。
警察の指令室は「トイレでクソするより暇だ」というボスも、実際起きている誘拐事件にまったく関心がない。
通報者たちは必死で助けを求めている。イーベンのセリフにそれが出ている。
「できない やれない 助けて 殺される」
バンの後ろに閉じ込められているイーベンに対し、交替しないでそのまま彼女を救おうとするアスガーは、仲間から奇異の目で見られている。
何度も警察の指令室に電話し、イーベンを探し出すように求め続ける。元相棒まで使って仕事を依頼。そのすべては緊急ダイヤルの管轄外。
アスガーを本気にさせたのは、誘拐という実際に起きている事件に、警察はのらりくらりだったからだろう。
誰も本気で助けようなどという気がないことに気づいたからだろう。
その中の一人であるボス 彼の言葉「管轄外」
偽証することは本気なのに、事件を本気で追いかけようとしない。
ミケルは言う「オレは助けてくれと何度も、何度も言った。でも、医者も弁護士も警察も、誰も助けてくれなかった。
アスガー自身もその中の一人だったことに気づかされた。
初めて自分が何にも向き合っていなかったことを知った。
妻にさえ、向き合っていなかったのだろう。
黒澤明監督の「生きる」
この派生作品 デンマークの社会システムを痛烈に風刺している。
様々なシチュエーションで未だ生き続けていることを改めて感じた。
NETFLIXの得意分野
J・ギレンホールの演技が素晴らしかった。
『THE GUILTY ギルティ』鑑賞。
*主演*
ジェイク・ギレンホール
*感想*
デンマーク版のギルティは映画館で観た事があり、内容はほぼ変わってませんが、ジェイク・ギレンホールの演技力が素晴らしかった。登場人物は、オペレーターと電話の相手だけ。
オペレーターと電話相手の緊迫した会話だけなのに、「事件の映像」が自然に浮かび上がってくるので、なかなか面白かった!
主人公・ジョーが通報相手にぶちギレる所は、デンマーク版でもあったので個人的にはツボってしまったw
総じて、リメイク版のギルティもなかなか面白かったです!
改悪???
オリジナル版を観終わった後、リメイク版がある事を知りました
舞台がデンマークからアメリカに
天候は土砂降りから山火事からの煙に
好きな食べ物がポークソーセージからチェリー…って、まあこれはいいか笑
最初の違和感は白いバンを止めた際の映像が出てきたこと
オリジナル版の優れた点は、純粋に音のみで進行していた点に尽きます
バンを止めた映像なんて挟まなくても十分雰囲気は伝わってきたのです
そして最も大きな変更点は弟の生死と最後の電話の宛先が分かった点
弟が生きていることが分かり、最後の電話は新聞記者にでした
オリジナル鑑賞時に考えさせられた主人公は誰に電話を掛けたのか…奥さんに最後の言葉を伝えたんだろな…なんて想像していた事が、いとも簡単にネタバレしました
スッキリ?いや考えさせられる結末がより作品に深みを持たせる事もあります
代表的な例はセブンです
このエンディングは陳腐な蛇足に感じました
結論から言えば改悪と感じます
またリメイク版を観たことで、オリジナル版の秀逸さを実感させていただきました
オリジナル版に比べ密室性や主人公の孤独癖が希薄
オリジナルのデンマーク版が面白かったので、ギレンホール主演のこのリメイクも見てみた。こちらも面白いことは面白かったが、同じ設定とストーリーなのに米国とデンマークではスタイルが大きく違うという印象だ。
オリジナルは緊急通報室の中という密室性や、主人公の孤独癖という特徴が濃厚で、だからこそ主役のヤコブ・セーダーグレンの不器用なキャラクターがその男性的な声とともに魅力を発揮していた。
米国版の同じく一つの部屋が舞台なのだが、室内の警官たちとのやり取りが賑やかだし、やたら多い私用電話が彼の境遇を説明過剰なほどに浮き上がらせてしまうので、何だか密室性があまり感じられず、この作品の最大の特徴が削がれている感じがする。だから主人公のキャラクターも浮かび上がってこない。
ストーリー、会話がよく練られている点は共通なので、ともに緊迫感は伝わってくるが、オリジナルが地味な主人公の地味な告白でさわやかさを感じさせるのに対し、米国版はやはり派手なギレンホールのにぎやかな告白で終わる。
好みの問題だが、小生はオリジナルに軍配を挙げたい。
40点
スカッとしません!
デンマーク映画のリメイク
想像力が試される
友人も元上司も奥さんも被害者も加害者もほぼほぼ電話の向こうで姿を見せない。ひえ〜!電話の向こうの少しの物音で状況がわかるので、音響には気を使った方がいいかも。ジェイク・ギレンホールの発狂演技がやべ〜ストレスフル!ハラハラしてて良い!テンポ感も良かった。ラスト、蛇のせいにはしたくないよなあ〜〜!というタイトル回収さすがです。大丈夫よジョー、善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をやってやつよ。
タイトルなし(ネタバレ)
The mood of the film is very different from the 2018 Gustav Moller film. The ending is likely to please those who watched the film hoping that every one of the main characters in the film was a victim and that they would all be saved. The dialogue and direction are more expository than in Gustav's films, as if he does not trust the viewer's imagination. Personally, I prefer 2018 to this film.
タイトルなし(ネタバレ)
とある事情により現場を離れて、911の緊急司令員として勤務することになった刑事であるジェイク・ギレンホール演じるジョーは他者のために上司に暴言を吐くほどの熱い人間であり当然のように事件の解決に全力を注ぐ。
映画の最後では「警察官に有罪判決が下ればこれで4度目」というセンセーショナルなニュースナレーションが入るのだが、
ここで思うのは、この映画のメッセージに「警察の汚職」があり「とある事情」というのはおそらく昨今問題になっている黒人差別問題と考えるととても感慨深い作品となる。
その背景が「フロイド殺害事件」のような白人警官が黒人を殺してしまうケースであるならば、そのメッセージの肝は
「ジョーは、顔の見えない音声越しの家族、その子供たちが黒人でも助けたか?」という問題提起になっているのだと思えた。
そして、ジョー自身がその問対し、行動と思想に矛盾を感じ、事件の自白を思い立ったのだと考えればジョーの思考的な流れも理解でき素晴らしい作品だと感じた。
まさかの展開
2022年 19本目
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