「歴史の総括すらできない」ドント・ルック・アップ とびこがれさんの映画レビュー(感想・評価)
歴史の総括すらできない
どこがコメディなんでしょうか。笑いどころは1つもない。確かに映画全体を包み込む白々しい空気とチープな演出は、コメディのそれです。ミンディ博士とブリーがキスするのを見て、ケイトがぱかっと口を開ける。そんな能天気なシーンがただただ言い表せない焦燥感を与えてくる。鑑賞中ずっと、焦燥や不安をかきたて続けられます。それこそこの映画の狙った効果なんでしょうが、お見事です。本当に全っ然楽しくない。
何よりまず、この映画で滑稽に描かれる人々について。彗星を信じたり信じなかったり、SNSでブームに乗って迎合したコメントを発信したり、逆ばりで注目を集めたり。これらは現実においても極めて普通の人々です。別に悪者でもなければ愚者でもなく、一般的なセンスを持っている人々。これらの人々によって人類滅亡のオチはもたらされます。
この類いの映画を観る時、映画を終えたら、滅亡がフィクションだったと安心して現実に帰り、あぁ素晴らしい日々だと思いたいものです。そのためには鑑賞中「自分たちはこんな馬鹿なことしないよ」「こんなのあり得ないよ」とツッコみながら笑い飛ばして、だから自分の現実は映画とは違うのだと内的に帰納法を行う必要があります。ですがこの映画はどこをどう探しても普通の人しかいない。ならなんでこんな結末になる?答えは1つしかあり得ません。大統領と首席補佐官が誇張してロクデナシに描かれているのは救いであり、監督の優しさだと感じました。観る人が、現実に対し安心するポイントを残してくれていると捉えましたよ。
しかしミンディ博士は真実を知っている立場でありながらブリーと不倫したり、メディアでいい気になったりケイトがプロポーズされて微笑んだりします。これは見事で、まさに人間が描かれていると思いました。人はアフリカの飢餓を知っていてもバラエティーのレストラン企画で笑えるし、家計が火の車でも酒を飲んでなんとかなると思える。生物の一個体として心を護る機能があるのです。一個体レベルでは彼女にフラれるのと地球が爆発するのが同じレベルの脅威だったりしますし。ただ国のリーダーや大手メディアの報道官は大局的な視点を一時足りとも崩してはいけません。
衝突の瞬間も絶望すらできない喜劇でした。誰かが何とかしてくれるのではないか、何とかなるんじゃないかと幻想に落ち込んだまま消しとんでいきました。人類は、その歴史を総括することもできずに滅びました。ちゃんと問題に取り組み、人類の歴史と叡知を結集して最大限の努力をしたが及ばずに滅亡してしまう、そんな結末ならどんなによかったでしょう。同じ滅亡でもね。誇りも何もない。戦争をして革命をして血と涙を流し、途方もない話し合いで国と国を維持して継承して、よりよい世界をと願ってきた歴史の結末が、こんな下らないものなんて。
救いが欲しいのも含めて『アルマゲドン』が観たくなりました。全く違うけど、全く同じ映画です。
言うまでもなく、気候変動への警鐘です。こんな映画観たくないけど、だからこそ私は観る必要がある。
苦しかった。