「反骨精神でエスタブリッシュメントを笑い飛ばす」ドント・ルック・アップ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
反骨精神でエスタブリッシュメントを笑い飛ばす
アメリカ映画にしては珍しく、権力者と大富豪を徹底的に茶化した作品である。それもそのはず、監督、脚本は「バイス」のアダム・マッケイだ。同監督の「マネー・ショート 華麗なる大逆転」もそうだったが、基本的にコメディ作家である。反骨精神がそこはかとなく感じられるが、エンタテインメントとして十分に成立する作品をうまいこと作っていた。本作品にも、反骨精神でエスタブリッシュメントを笑い飛ばす豪快さがある。
物理学は数式で記述される。相対性理論も量子力学も、論文の殆どが数式で埋め尽くされている。相対性理論を入門書から読んだことがあるが、初級から中級になると数式が増えていき、ローレンツ変換の数式を見たときは、自分には理解不能だということが理解できた。
天文学も物理学と同様に数式が重要な役割を果たす。主人公ランドール・ミンディ博士も、教え子のケイト・ディビアスキーが大発見をした彗星の動きについて、数式をもとにした解説をする。しかし難解すぎて一般人には理解できない。大統領にも首席補佐官にも理解できない。
そして、理論を緻密に積み上げてきた科学者よりも、なんとなくでしか理解できない大統領の方が圧倒的に立場が上だ。このギャップが本作品の面白さのコアになっている。世の中はいつでも、バカが利口を支配しているのだ。
数学をもっとやっておけばよかったと思うのは、大人になって暫くしてからだ。世の中を理解するためには、数字を紐解かねばならない。紐解くために必要なのが数式である。どの数字をどの数式に当てはめるとどんな結果が出るのか。全体像を浮かび上がらせるための数字を導き出すにはどうすればいいのか。グロスとネットの関係がわかれば国内総生産の中身も理解できるかもしれない。
しかし多くの人々は数学に精通していない。相対性理論を記述する数式の羅列を見ても何も理解できない。そして大抵は、理解できなくてもいいと思っている。学者が難しい話を始めると、理解しようとする前に遮って、簡単に説明してくれと言う。勢い、結果だけを伝えることになり、理論が置き去りにされる。学者にとって重要なのは結果を導き出す理論であり、元になったデータの確からしさである。
しかし人々は結果だけを求める。結果が間違っていたら学者を非難し、当たっていたら事態の対処に追われる。もし人々の殆どが数学に精通していたら、そうはならない。結果よりも理論に興味が注がれ、多くの人が結果についての蓋然性を自分で把握することが出来るだろう。しかし教育レベルが低すぎて、誰も理論を理解しようとしない。
地球温暖化について、どれだけの人が数式で記述できるだろうか。ほとんどの人が皆目見当がつかないだろうし、かくいう当方にもできない。北極の氷山が解けても海水面が上昇しないことはアルキメデスの法則で理解できるが、陸地の氷河や南極の氷が解けて海に流れ出したら、間違いなく海水面は上昇するだろう。それを数式で記述してみたい。温室効果ガスの増加と気温上昇の関係についても記述してみたい。本当なのか嘘なのか。やっぱり数学をもっとやっておけばよかった。
ディカプリオは世間知らずの学者を好演。ジェニファー・ローレンスは本作ではセクシーな役をケイト・ブランシェットに譲って、ひたすら天文学に励む正義感の強い学生を熱を込めて演じている。ローレンスの新しい一面が見えた気がする。メリル・ストリープはアホな大統領を楽しそうに演じていた。この人はもう名人だ。他の役者陣についても、作品の世界観がわかりやすいから、皆のびのびと演じているように見えた。アメリカのコメディ映画としては秀作。