土を喰らう十二ヵ月のレビュー・感想・評価
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食べて、書いて、生死を共に
四季折々の自然の中で自給自足のスローライフ。
以前も橋本愛主演で『リトル・フォレスト』があったが、概要はその初老の男版と言った感じ。
長野の人里離れた山荘で、愛犬と暮らす作家のツトム。
幼い頃禅寺で学んだ経験から、作るのは精進料理。材料は全て自然で採れたもの。
そんな暮らしぶりを書き記す。
食べて、書いて、マイペースに暮らして。
ちょいと私の憧れでもある。(実際は大変なんだろうけど)
“食”の映画でもあるので、作られる料理の数々はそそり所。
精進料理なので殺生して得る肉や魚は一切使わず、自然から採れた菜や葉、実やキノコなどなど。
肉や魚好きの方には物足りないかもしれないが、山の中は具材が豊富。そうして出来た料理もなかなか!
一番食べてみたいのは、お湯やお酒で蒸して菜を添えたタケノコ。
それをお焦げ付きの白い炊きたてご飯で食べたら、堪らんだろうね~。あ~、お腹空いてきた…。
じっくり漬けた糠味噌。
梅干しの酸っぱさ、後から来るほんのりの甘さに泣く。
どれもこれも素朴で質素。が、バカになる美味しさ。
この地で育まれたもの、採れたものを食べる。
土を香り、土を味わい、土を食う。
人や外界との関係を断ち切り、仙人のように暮らす…って訳ではない。
執筆の仕事をしている。
電話などの連絡手段もある。
人との交流もある。
そんな彼の下をちょくちょく訪ねて来るのが、担当編集者の真知子。年の離れた恋人でもある。
ツトムの作った精進料理を美味しそうに食べる真知子。
彼女に料理を振る舞うのが、ツトムの何よりの楽しみ。
大人同士の変わらぬ落ち着いた関係であったが、ある時ツトムが提案する。「ここで一緒に暮らさないか?」。
二人の関係に変化が起きる出来事が…。
13年前に亡くなった妻の遺骨をずっと収められずにいる。
ツトムと同じく自然の中で暮らし、妻の亡き後もお世話になっていた義母が突然死去。一通りの事終わった後、義妹夫婦から遺骨を押し付けられる。
ツトムにも突然の病が…。心筋梗塞で倒れる。訪ねて来た真知子が見つけ、大事には至らなかったが、数日生死をさ迷う。
山奥の初老の男の一人暮らし。自由気ままに見えて、もし本当に“その時”が来たら…。
返答せずにいた真知子だったが、一緒に暮らす事を決める。
ところが、ツトムの方にも心境の変化。
死とは…?
生とは…?
沖縄を舞台にした作品が多い中江裕司監督の珍しい“本州映画”。舞台地もさながら内容も含めて、新境地と言えよう。
『飢餓海峡』などで知られる水上勉のエッセイが原案。幼い頃禅寺で学んだ事や晩年軽井沢(作品では長野に変更)の山荘で暮らした事、精進料理の数々など、ほぼ実体験。
担当編集者との関係は脚色であろう。何かちょっと取って付けたような感を受けた。
幾ら心境の変化があったとは言え、自分から一緒に暮らそうと言っときながら、心配して受け入れた彼女を申し出を断って、いやいや言い出しっぺは自分やないか~い!…と突っ込まずにはいられず。そりゃあちと関係が冷めて、別の人と結婚すると言われても仕方ない。
キネマ旬報や毎日映画コンクールで主演男優賞を受賞した沢田研二。確かに味わい深い抑えた好演だったが、そこまで秀でたものあったかな…? 個人的には昨年の主演男優賞なら、『さがす』の佐藤二朗、『流浪の月』の松坂桃李、『死刑にいたる病』の阿部サダヲ辺りを推したい。
松たか子も好演魅せるが、本来の実力存分に発揮…とまでは感じなかった。
出番僅かながら印象残したのは、これが遺作になった奈良岡朋子と愛犬“さんしょう”の賢さと可愛らしさ。
食べて、マイペースに生きて、単なる癒しムービーに非ず。
生死の境をさ迷って、今改めて向き合う。
やはり死は怖い。
どうしたら死と共に生きられるか…。
一度“死んでみる”。
ちょっと突飛な発想だが、全ての雑念を捨てて。ここら辺、禅寺で学んだ経験が活かされたと言えよう。
死から目覚める。
その時の陽光の温かさ。自然の美しさ。食べ物の美味しさ。
これが、“生きている”という事か。
妻や義母の遺骨を収められなかったのも、死に対して“抵抗”があったからであろう。ラストシーン、遺骨を収めた。死を受け入れたと感じた。
生があるから死があり、死があるから生がある。
当たり前の事だが、忙殺する日々に追われ、つい忘れがち。
明日もまたその次の日も…と思うから、しんどく面倒。
今日一日を全うする。
この台詞は染みた。
私も明日も明後日も仕事…と思うから先が重くなる。その日一日を無事終えて。
その積み重ねが、生きていくという事。
一日一日を。
食べて、生きて、全うして。
自然の中で、自分と対峙する
折々の信州の食と季節。
信州の白馬の古民家に棲む小説家のツトム。
独居老人で小説家。
幼い日に口減らしで禅寺に修行に出される。
寺で過ごした9歳からの4年間。
作らされ食べさせられた精進料理。
その思い出の料理と共に過ぎて行く十二ヶ月の、
食と季節と生活を追った映画です。
「リトル・フォレスト夏・秋」
「リトル・フォレスト冬・春」
に、似た雰囲気の映画でした。
「リトル・フォレスト」は若い女の子の一人暮らし。
こちらは老人で、
食べるのは肉も魚も卵さえ御法度の精進料理。
土からの恵み・・・土から採れた食べ物が殆どです。
それが、どうして、どうして、すこぶるに美味しそう!!
一番食べたかったのが、採れたての筍(タケノコ)でしたね。
二番目が皮が薄く付いた小芋(里芋みたいな)を火で焼いたのもの。
うまそうでした。
だけど、どうして山菜とか「天ぷら」にしないんだろう?
漬け物と梅干しばかりでは塩分過多。
胡桃を刻んですって胡桃あえとかすれば、
もう少し栄養価が上がりそうです。
それにしても編集者で時々現れる真知子さん(松たか子)。
彼女の食べっぷりは豪快でした。
本当に美味しそうに食べます。
我が家は車で20分も走れば松茸山があります。
頭をちょこっと出したのを手で掘り出します。
本当に土を払ってから軽く水拭きして調理します。
土からの恵みそのものです。
去年は10年振りの多さだった。
何キロも採れた。
料理法は数えきれない。
精進料理とは?
魚や動物の肉を食べない。
殺生をしないことを特色とする。
野菜・米・麦・蕎麦・豆、豆腐。
そして果物🍎🍊や、せいぜい、
胡麻や木の実くらいなんでしょうね。
信州の白馬での生活にも、割と馴染みがある。
違和感はない。
ツトムの13年前に亡くなった妻・八重子さんの母親チエさん。
(23年3月にお亡くなった奈良岡朋子さんが出演されてました)
びっくり!!
遺作になりましたね。
チエさんのお葬式の【通夜振る舞い】のお料理。
見事でした。
素晴らしく美味しそうで、心がこもっていましたね。
気ままな山暮らし。
アクシデントもあった。
そしてひとりを選ぶツトム。
寒さが厳しい。孤独・・・
(孤独死さえ浮かぶ)
でも季節を感じて、
ひとり老いるのもまた、
潔し。
季節の移ろいと食を描く中で、
自分というものが、
くっきりと浮かんでくる映画でした。
死神と仲良く付合う
原作は未読だが、どうも水上勉のエッセイを基にドラマを監督が執筆したようである
水上勉の小説は一冊も読んだ事はないが、何故か名前は知っている 何でだろうと思い出すと、どうも講演を沢山開いていたらしいので、その宣伝のポスターをやたら目にしていたことが原因だろうという結論に
自分が学生の頃の有名な作家達は、色々と地方の辺鄙なところに移住し、そこでの執筆活動をするというのも、或る意味ステイタスだったのだろう 勿論、静かなところで構想を練るのも大事な事だが、今作のように信州の山奥まで引っ込むと、そもそも生活していくだけでしんどいのに、その後の作家活動なんて、かなりのバイタリティがなければやっていけない 野良仕事なんてのはそれ程重労働なのだ 勿論、今のように機械化されているものもないのだから、自分だったらと思うとご免被る そしてそんな重労働の末に獲得した野菜や山菜を、これ又、畜生の肉が一切無い精進料理として、自然の味付けでのみ調理していくというシンプル且つ、骨の折れる、身を切るような手作業で作り上げる 劇中何度もシーンとして印象付けられる、野菜を洗うシーンでは、手指の感覚が無くなるんじゃないかと思う程、キンキンに冷えた水作業に、自分は手荒れが酷いから直ぐ諦めてしまうと、又自己嫌悪である そう、今作品、禅宗の教えがベースだから絶対に折れない諦めない心を日々の生活に賭して生きているのである
というと、あくまで映画だし、フィクションだから、実際はお湯使っているんでしょ?って勝手に自分を慰めながら観賞している自分は、今作品の真逆の生活を惰性で生きているから、本当に情けない限りだ 折角、東京からわざわざ逢いに来る編集者兼恋人の若い女性であっても、愛情はあるが、しかし自分勝手に振り回す 勿論、後半のテーマが"死"だけに、主人公が愛する人に先立たれた経験則から、自分のような気持にさせたくないという優しさ故かもしれない 毎日寝る前に、「皆さん、さようなら」と、念仏のように唱えて入眠するという、哲学的思考も、毎日、酒の力を借りなければ眠りの尻尾が見えない自分には、なんて穏やかで羨ましい習慣だろうと羨望する
世俗の中でも、主人公の様に芯を持った人は、その生活態度を凛として軽やかに過ごしているだろうし、自分のような惰性で生きてる人間は欲を貪りながらも、死を闇雲に怖がり、自らピリオドを打つことに躊躇する
修行は辛い、でも死にたくないなぞ、なんて恥ずかしい人間なのかと、自らの浅ましさに反吐が出る、そんな自分への説教映画であった(泣
もういいかな、これ系は。
初見。
もういいかな、これ系は。
田舎に静かに一人、
四季が流れて山菜を食べて、
死生観の描写アリ系は。
この二人だから何とか見ていられる系。
退屈な程尤もらしい系。
要するに全然面白くない。
まあ美味しそうだけれども。
犬にはバカという称号が多く与えられる
田舎で山菜などをとってのんびり暮らす人の話。
料理や食事のシーン多め。訪れ人を変えたり、ギャグを入れるなど飽きないように要素が混ぜられているようにも思われる。哲学よりな部分もあり。
良い点
・美味しそう
・ユニークな人々
・失敗した料理は犬が喰らう
・業者任せにしてボッタくられる
悪い点
・終盤少し元気すぎる
・終盤がやや単調。ギャグがもっと多くてもよい
数々のお料理が美味しそうでした。
四季の移ろいの映像が美しかった。
身土不二、地産地消、四季折々、自らの畑と近くの山で採れた食材で作る、素朴だけれど手間をかけた料理や、かまどの羽釜で炊いたご飯が美味しそうだった。
彼女に一緒に暮らそうと言い出した主人公、心筋梗塞で倒れた後、やっぱり独りが良いと変わったのは、彼女に対する優しさだったのか、倒れて死生観が変わったからなのだろか。
映画であり,フィクションでも有り…。
そう,シツコイようだが、映画だから許されちゃう世界観!なんて大袈裟かもしれないが、誰もが語ってる事で重複する事になっちゃってる事はお許し願いたい処(トコロ)…。
4季折々の料理を謳(ウタ)?と共に読み上げ、私にとって本格的な料理を披露して来れたり…。(有名な?私自身が知らないだけ?料理研究家の土井善晴が手掛けてくれてるようだ!)
内容は至って単純かと思っては居たが,何故だか?後から後から非常に気になり始めた次第で有りまして…。
ラストシーンでは「アレっ?未だこのキャストでもっと観たいのに…もう終わっちゃうの⁈」と想わせて終わって行く事って、実は1番理想的なシナリオ&キャスティングだったんじゃ無いかなぁ〜(╹◡╹)♡
勉さんは 扉を閉めないのですよ
北アルプスのふもとの映画館に行きました。地元で撮られた映画です。
勉さんは 扉を閉めないのです。
信州白馬。
雪が積もっています。
勉さんは玄関を出て、庭の雪囲いの里芋を調達に行く。扉は閉めない。
雪を掘って大根を収穫する。扉は閉めない。
誰かが白菜を届けてくれた。戸はあけたままで手を合わせる。
チエさんの小屋を訪ねる。ここでも勉さんは玄関の戸は閉めない。開け放ったままだ。
寒い禅寺で育ったゆえに彼は寒さは平気なのだろうか? お行儀が悪いのだろうか?
囲炉裏ひとつ、かまどひとつの昔の家だ。その室内に冬の冷気が入り込んだって、彼はお構いがないのかもしれないが、
【この映画では印象的に 必ず扉が開いたままにされるのだ】。
なるほど、人間の生活の場と畑とが開け放った空間で繋がっている映画。
そして妻の死と義母の死と 自分の心筋梗塞の入院で、命の扉とあの世の扉は繋がっていて、そこは開いていたのだということを、勉さんが、その様子で教えてくれる。
「生まれてくれば死ぬのは当たり前なのに」
「死ぬのが何故怖いのかを独りで考えてみたい」と語る74歳 沢田研二の表情の長映しが、またすごく良いのだ。
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禅寺そだちの勉さん(沢田研二)が
道元禅師の言葉を唱えながら
ほうれん草の根を洗う。
キュウリを漬ける。
筍を掘る。
豆を撒く。
米を炊く。
そういう映画です。
一世を風靡したあの大スター・ジュリーをしょぼい老人役として起用してくるとは、この企画には驚きです。
お正月の映画館は中高年でいっぱいでした。
”映画館での雑音問題”は当サイトでもしばしば俎上に上がりますね。今回僕の近くの席に陣取った御婦人お二人も
いちいちスクリーンに相づちを打ったり、「あらあら」と応えたり、「水は冷たいはずよ」「まあ、あれを見て」と囁き合ったり返したり・・
でも彼女たちの声が今日はそんなに嫌じゃなかった。
ジュリーと同年代の、老年期を共に生きる者同士の、スクリーンのこちら側とあちら側との素朴な共感と相づちに感ぜられて、小声で話し続けるおばちゃんたちと僕は、なんだか一緒に映画を楽しめたのです。
そしてあの「大きな遺影」やら「かっこ悪い巨大な棺桶」やら、みんなで爆笑も出来たしね。
ほら、信州の女たちはみんな、味噌や野沢菜は自分で作るのが普通なんですよ。だからあの祭壇に並べられていく御供物の「手づくり味噌」、「手づくり漬物」、「手づくり農産物の数々」に客席の我々は共感ができて、頷けて、胸が熱くなるのです。
出演者と観客の境の扉も開いたのですね。
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滋味深い俳句があるのです、
それは、生きて・畑を耕し・野菜を食べて・命を終える、
その姿を五·七·五でこんなにも端的に謳った句が。
大根褒め
悔やみの客の入り来たり
(だいこほめ くやみのきゃくのいりきたり)
今となっては作者がどなただったか存じ上げないが、
その農家のおじいさまかおばあさまかが亡くなったのだろう。
お宅への道はその大根畑。
近所の人たちが立派に手入れされた畑の中を通って、喪中の家の母屋の玄関を開ける。
開けたままで振り返って指を指し、遺族と挨拶が交わされる。働き者だったことがよくわかる。
大往生なさったに違いない・・という句。
思い出したこの俳句も、今日のこの映画も、
人間の生と、死と、畑とが、直通している秀作でした。
勉さんは開け放った入り口をくぐり、窯業の窯と火葬場の釜の間を生きつ戻りつして考えます
生きるとは、死ぬとは。
水上勉の自伝的小説。
・・・・・・・・・・・
付記:
この映画は中江裕司監督との嬉しい再会でもあった、
24年前に「ナビィの恋」でおばあ=平良とみさんを青い海原の彼方に解き放った監督は、
今作品では、見事に年を取ってくれた沢田研二を美しい里山へと還してくれた。
京都出身の沢田にとっては、あの和食への傾倒や、素材の香りへの郷愁は身に覚えがあるはずだ。
高齢者との同居の経験がおありなのだろうか、シニアの中にふつふつと息づく本能の疼きと命の呼び声を、この若き監督はなんとも温かく見守り、みずみずしい観点で描くのだ。
前作「ナビィの恋」以来どうしているのかと心に覚えていた中江監督が、こうして脚本及び監督と二足のわらじを続けてくれていて、若者と老人を繋ぐいい仕事をしてくれていたことが、62歳、初老の僕は何だか嬉しくてたまらない。
観て良かった。
(お正月映画第一弾)
生きることは食べること。
2022年を締めくくったのは、こちら。
美味しいものは、好きな人と食べたい。
なんと素直な告白。
この誘いを断るなんて!
それにしても、湯気が伝わって来るような、もう、お腹空きます!
世界遺産・和食の原点
笑いも泣きも、手に汗握ることもない、盛り上がりが全くない。にも関らず、最後までスクリーンに引き寄せられる。愉悦も歓喜も感動も、つまり何ら感情を昂らせてくれなかったにも関わらず、映画館を出た時に清々しく豊潤な満足感に包まれ、日本人で良かったという思いが自然に湧き上がってきました。
本作は、幼い頃に禅寺で精進料理を学んだ作家・水上勉が、その記憶をもとに一年にわたって季節の野菜を自ら調理し、料理と日本の食文化について思いを巡らせたエッセイ本を脚色して映像化したものです。従いそもそも“物語”になっておらず、恰も滾々と流れる水のように、沢田研二扮する主人公の作家・ツトムの一年に亘る自然と共生する日記、それも誰でも一日三度摂る“食”を記録した、いわば“映像食日記”です。
当然、映像はツトムの一人称で描かれ、ツトムの視野のみで展開します。
食材は、庭の畑や近くの山や川で獲れたものや自家製の漬物を、塩、砂糖、醤油、味噌で味付けして仕上げられ、質素で見栄えはしませんが、しかし、一つ一つに手数を掛けていて、誠に豊かでぜいたくな食生活です。
太陽と水があれば、人は如何ようにも生きていける。寧ろ、自然に己を投げ出し、委ねることで生きる、その清らかさ、その美しさ、その尊さを切々と訴えます。
一年を二十四節季に区切ってその時々のツトムの食を描いていきますが、四季の変わり目にはBGMにアルトサックスのやや甲高いバラード調旋律が響き、冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬への気候の変化、そしてそれに伴って変わっていく食を象徴的に奏でます。日本の四季の華麗で鮮やかな変化が、強く印象づけられました。
ここは管弦楽器では荘厳過ぎ、ピアノでは優雅過ぎ、況してやテナーサックスでは完全にジャズになってしまい、本作には似合いません。
またツトムと松たか子扮する編集者の真知子が二人並んで食事する、やや引いた固定カメラのカットの長回しが所々に挿入されます。殆ど会話や動きのないシーンですが、特に冒頭のシーンは、その静謐な中で物言わず互いの感情が滲み出てきて、嘗ての『駅 STATION』(1981年)の、高倉健と倍賞千恵子が雪の大晦日に紅白をテレビで見ながら銚子を酌み交わすシーンに匹敵する名シーンであるように思えました。
自然の中で自然と共生した生活のようですが、よく見るとあるがままの自然ではなく、人が引き寄せ人の手を加えて食しています。
実は、これこそが、世界遺産に認定された「和食」の原点ではないかという思いに至りました。
それでも人生は続き、また土を食み人は生きる
雪深い長野の山村を舞台に、畑と山で採れる食材を食して暮らす作家の、とある一年を描く
竹に吹く風、流れる雲、目を射るような雪の白、澄んだ水に映える芹の緑、土から這い出す亀の生命力
心が豊かな生活を送る主人公にも、生きる上では難題が降り掛かり、咀嚼しきれない重い塊もある
それでも人生は続き、また土を食み人は生きる
そんなしみじみとした気持ちになれる良作
あと、劇中で松たか子が「いい男ねぇ」と言うシーンがあるんだけど、畑で野菜を育て、山で山菜を摘み、米を研ぎ、梅を漬ける、そんな姿がいちいち様になる
素朴なストーリーの中に、ジュリーはスターだな、と圧倒的な存在感と華を感じさせる映画でもありました
映画に流れる静かな時間
旬の食材と向き合う、丹精を込めて料理を作る、季節の移ろいを眺める
水上勉がそこにいました。
画面には沢田研二さんもいて、土井善晴さんもいる。
犬もお通夜の訪問客も、現地の人びとだから、信州の風の匂いもするわけですね。
ゆっくりもう一度、観たい映画です。
92歳とは思えない奈良岡朋子さんの遺作となりました。
大女優の確かな演技が見れて良かったです。
水上勉さんは、紳士服のモデルをしていたこともあるイケメン。
自分の役を、美形スターの沢田研二さんが演じた事を、心のどこかで
喜んでいると思います。
70代男性版の『リトル・フォレスト』
ずっと気にしていた作品ですが、11月の大作の公開ラッシュに4週遅れでようやくの鑑賞です。
まずは何はさておき、予告編から目が釘付けになる土井先生監修の精進料理。子供には理解できないけど、大人になってみれば大枚叩いてでも食べてみたい料理のあれこれ。作品内でも真知子(松たか子)が完全に胃袋を掴まれていますが、さもありなんと言わざるを得ない説得力でお腹の鳴りが止まりません。そして、こんな調子が1年分続いては「リアル垂涎」しそうだと感じている中盤、物語は動き出します。
そもそも観る前に抱いていた本作への印象は『リトル・フォレスト 夏・秋(14)&冬・春(15)』ですが、概ね間違ってないと感じました。これらはまさに「死生観」のお話です。二つの作品の違いは単に主人公が「20代女性」か「70代男性」であり、若い時に思い悩む「生きる意味」と年齢を重ねて逃れようのない「死ぬということ」という、一見真逆の話のようでありつつ結局は生と死は表裏一体なことを「自然」と相対しながら気づいていく物語で、どの世代にもこういう生活に憧れる理由がまさに「生きている」「例外なく死ぬ」意味を直感的に感じられることが想像できるからなのだと思います。
一般論として、「死」には当然のようにネガティブな印象がありますが、劇中で亡くなり送られるある人物の「葬式」という儀式で、集う人たちが笑い合って故人にいて語らう様子を見ると、やはり重要なのは「生き方・生き様」なのだなと思いつつ、やはりツトム(沢田研二)が仕切る「通夜振る舞い」にまた涎が止まりません。あぁ、美味しいそう。。w
お腹は空いたけど心は満腹になりました
2022年映画館鑑賞69作品目
12月4日(日)フォーラム仙台
リピーター割引1100円
原作未読
監督と脚本は『ナビィの恋』の中江裕司
13年前に妻を亡くし長野の山奥で自給自足の生活をしている老作家の話
老作家は口減らしでまだ幼い頃に禅寺に預けられ13歳で脱走した
時折仕事で尋ねる女性編集者とは男女の関係になりつつあった
老作家は食生活の1年間をエッセイで書き記すことにした
地元には妻の母が一人暮らしをしている
ある日義弟夫婦に頼まれ義母を家を訪ねると義母は亡くなっていた
義母の葬儀は筋違いだが老作家の自宅で行われることになった
老作家は遺影も棺桶も地元業者に頼み女性編集者に助けられ料理を作り義理の弟夫婦が坊さんを呼んでないのでお経を読んだ
そのうえ遺骨も預かることになった
冒頭のジャズっぽい騒々しい音楽はいらない
車と自然の音だけで良かった
タイトル出しが好き
主人公が作家という設定を有効活用している
殆ど吠えない大人しい犬が愛らしい
一般的には室内で飼うタイプじゃないが豪雪地帯なら当然
馬鹿犬とも言われるが実際は賢そうでユーモラス
後ろ姿にも悲哀を感じた
いるといないとでは大きく違う
身勝手な義理の弟夫婦が面白い
かかあ天下なところも相まって
主人公が決して怒らずお人好しな点もなかなか
真知子が乗ってくる車が松本ナンバーから最後は横浜ナンバーなっている
芸が細かい
昼飯食べないで昼過ぎに鑑賞したので空腹感が半端なかった
小僧時代に禅寺で精進料理を覚えた作家のツトムに沢田研二
担当編集者の真知子に松たか子
ツトムの亡くなった妻の弟の妻・美香に西田尚美
ツトムの亡くなった妻の弟・隆に尾美としのり
チエの遺影を作成した写真屋に瀧川鯉八
ツトムが小僧時代にお世話になった禅寺の和尚の娘・文子に檀ふみ
チエの棺桶を作ってくれた大工に火野正平
ツトムの亡くなった妻の母・チエに奈良岡朋子
必見!仙人ジュリーの自給自足お料理教室!! 人はやがて対人関係を卒業し、自然と一つに...シニア版"リトル・フォレスト"映画
少年時代に京都の禅寺で精進料理の作り方を教わった著者が、記憶をもとに1年間に渡って身近な食材で作り続けた料理について綴ったクッキングブック兼味覚エッセイを原作とした自給自足の食生活映画。
雪深い山荘で気ままに暮らす初老の男の一年の食事、それに連なる他者と自然との交流を通して研ぎ澄まされていく彼の死生観。
自分の身の周りの自然と向き合い、土と格闘しながら何か月も前に仕込んだその実りを喜びとともに口にする…そこにある些細な現実に一つ一つ感謝しながら生きる生活は素敵ですが、それと同時にほぼ自己完結して人と人との友愛・軋轢と対立する生き方でもあり、ただそこに在ろうとするのかそれとも我を撒き散らし合いながら爪痕を残すのか、その相克とバランスを問うた作品でもあると感じました。
何はともあれやぱりジュリーファンがその客層の大半ではあるかとは思いますし、その向きに決して不興を買うような内容でもないと思いますが、そうではない層にもそうではない層それぞれにそれぞれの形で刺さる作品ではないかと思います。
全121件中、21~40件目を表示