「死神と仲良く付合う」土を喰らう十二ヵ月 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
死神と仲良く付合う
原作は未読だが、どうも水上勉のエッセイを基にドラマを監督が執筆したようである
水上勉の小説は一冊も読んだ事はないが、何故か名前は知っている 何でだろうと思い出すと、どうも講演を沢山開いていたらしいので、その宣伝のポスターをやたら目にしていたことが原因だろうという結論に
自分が学生の頃の有名な作家達は、色々と地方の辺鄙なところに移住し、そこでの執筆活動をするというのも、或る意味ステイタスだったのだろう 勿論、静かなところで構想を練るのも大事な事だが、今作のように信州の山奥まで引っ込むと、そもそも生活していくだけでしんどいのに、その後の作家活動なんて、かなりのバイタリティがなければやっていけない 野良仕事なんてのはそれ程重労働なのだ 勿論、今のように機械化されているものもないのだから、自分だったらと思うとご免被る そしてそんな重労働の末に獲得した野菜や山菜を、これ又、畜生の肉が一切無い精進料理として、自然の味付けでのみ調理していくというシンプル且つ、骨の折れる、身を切るような手作業で作り上げる 劇中何度もシーンとして印象付けられる、野菜を洗うシーンでは、手指の感覚が無くなるんじゃないかと思う程、キンキンに冷えた水作業に、自分は手荒れが酷いから直ぐ諦めてしまうと、又自己嫌悪である そう、今作品、禅宗の教えがベースだから絶対に折れない諦めない心を日々の生活に賭して生きているのである
というと、あくまで映画だし、フィクションだから、実際はお湯使っているんでしょ?って勝手に自分を慰めながら観賞している自分は、今作品の真逆の生活を惰性で生きているから、本当に情けない限りだ 折角、東京からわざわざ逢いに来る編集者兼恋人の若い女性であっても、愛情はあるが、しかし自分勝手に振り回す 勿論、後半のテーマが"死"だけに、主人公が愛する人に先立たれた経験則から、自分のような気持にさせたくないという優しさ故かもしれない 毎日寝る前に、「皆さん、さようなら」と、念仏のように唱えて入眠するという、哲学的思考も、毎日、酒の力を借りなければ眠りの尻尾が見えない自分には、なんて穏やかで羨ましい習慣だろうと羨望する
世俗の中でも、主人公の様に芯を持った人は、その生活態度を凛として軽やかに過ごしているだろうし、自分のような惰性で生きてる人間は欲を貪りながらも、死を闇雲に怖がり、自らピリオドを打つことに躊躇する
修行は辛い、でも死にたくないなぞ、なんて恥ずかしい人間なのかと、自らの浅ましさに反吐が出る、そんな自分への説教映画であった(泣