劇場版 からかい上手の高木さんのレビュー・感想・評価
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オリジナルでこの完成度なら大満足! でも・・・まさかこれで終わりじゃないよね??
原作未読。アニメは第1期~第3期まで、リアルタイム視聴済み。
結論からいえば、今回の映画版も大変面白かったし、大いにキュンキュンさせてもらった。
予備知識ゼロで観に行ってきたけど、帰りにパンフを読んだら、なんとこれ、アニメスタッフによる完全なオリジナル作品らしい。
原作者が内容にも脚本にも関与しないスタッフ・オリジナルで、この完成度の映画を作れるもんなのか。掛け値なしにすごいと思う。
これが作れるというのは、いかにアニメスタッフが原作を心から愛し、理解し、自家薬籠中の物にしているかの証左だし、原作者の山本崇一朗も虚心にうれしいんじゃないだろうか。
先にテレビシリーズのほうについて私見を述べておくと、
『からかい上手の高木さん』は、かなり「変わった」恋愛ものだと思う。
いわゆる「●●さん系」のハシリであり代表作であるが、後追いで出てきた他の類似作より、いろいろぶっ飛んでいるというか、特殊なくらいストイックなルールのなかで動いているのが特徴だ。
まず、この物語には、対抗馬や恋のライバルがいない。それどころか、ほぼ二人の関係性だけで物語が出来ている。通例の恋愛もので一般的な「AをとるかBをとるか」の要素を完全にオミットしているのみならず、周辺のキャラの扱いはほぼ「モブ」で、完全に「西片と高木さん」二人の距離感だけを追求しつづける超ミニマルなスタイルを貫いている。
さらに二人は、同時並行で連載されるスピンオフの存在によって、「最初からゆくゆくは結婚することがわかっている」。すなわち恋のゆくえについても、不安要素を一切残さない特異な恋愛ものだ。
要するにこの物語は、やがて結婚することになる中学生二人が、ほぼお互いのことだけを見て、恋愛感情を醸成させてゆく過程を、ひらすら微視的に追った、究極的に「閉じた」安定空間での恋バナということになる。
特異なのはそれだけではない。
たとえば、名前。
二人は今にいたるまで、下の名前が出てきていない。
これは、恋愛漫画&アニメにおいては異例のことだ。
なぜなら、「名前呼び」イベントというのは、きわめて重要な「心の距離の近づき」を表現するターニングポイントだからだ(最近のアニメだと『阿波連さん』でもやっていた。これは異性愛に限った話ではなく、『プリキュア』でも『リリカルなのは』でも同じことである)。
ところが、西片と高木さんは、いつまでも相手を苗字で呼び合う。
そこは頑なというか、原作者がそういう「世界観」としてソリッドに固めてしまっている。
これは、ある種の「絶対プラトニック宣言」といっていい。
二人は、「隣の席のクラスメイト」という関係性にアンカーをがっちり下ろして、その絶対的な安定感のうえで子供らしい恋愛感情を育んでゆく。そこには、「名前呼び」によって特別な関係に至ろうという能動的なモチベーションは薄い。あくまでここで描かれているのは、「お互い近くにいることで」だんだんと心も近づいていく過程であって、彼らは決して「恋に恋して」お互いを求め合っているわけではないのだ(その一面については、別に『100%片思い』への偏愛という形で、二次元方面のはけ口が用意されている)。
ちなみに、この徹底的に苗字呼びにこだわるカップルが、いざ結婚したスピンオフでどうしているかというと、両者は「お父さん」「お母さん」と呼び合っていたりする。一義的には、「下の名前を明らかにしない」原作者の方針に従っているわけだが、この意地でも下の名前で呼び合わないスタイルは、二人の在り方をよく表しているような気もする。
この二人はおそらく、踏み込んだ「名前呼び」の関係性よりも、「苗字呼び」、あるいは「役割呼び」のほうが、きっと安心できるし、ずっとしっくりくるのだ。
ちょうど中学のときに、それが本当は恋だと知りながら、ひたすら「からかい」というちょっかいに変換して、恋に恋の名をつけようとしなかった高木さんにとっても。
明らかに高木さんから明快な「モーションをかけられている」ことに無意識下ではきっと気づきながらも、意識上ではそれを頑なに「からかい」「勝負」としか認識しようとしなかった西片にとっても。
それから、『からかい上手の高木さん』は、ある意味きわめて「保守的」な恋の物語でもある。
その保守性は、ちょっと「こわいくらい」だといってもいい。
出てくる子供たちはみんな、純朴で、けなげで、悪意のかけらもない善良な存在で、
住んでいる世界(アニメでは小豆島)も、平和で優しく、良い意味での閉じたユートピア。
彼らは、その閉じた世界のなかで幼い恋をし、プラトニックに関係を育んでいる。
この物語の特異な部分は、それを「成人した後」を描くスピンオフによって、後づけで「全面的に肯定」し、「揺るぎない幸せ」の始まりだったとして事後確認している点にある。
徹底的に二人だけを見つめ合ってきた高木さんと西片は、無事ゴールイン。
西片は母校の先生に。高木さんはお母さんに。
成人したクラスメイトも、たいがい同じ町で生活しているらしく、真野ちゃんと中井くんも無事結ばれたっぽいし、ミナは幼稚園の先生、中井くんは西片の同僚の先生と、正直かなり「世間がせまい」。
かといって、閉じた田舎の生活で閉塞感や焦燥感に苛まれるような描写は、記憶の範囲では出てきていないし、中学恋愛の「儚さ」や「一回性」についてにおわせる描写もあまり出てこない。
じつは恋愛漫画、恋愛アニメにおいて、これはかなり珍しいことだと思う。
要するに、この話は「中学時代の幼い慕情」が「本当に結婚まで結びつく」だけでなく、それが半ば「当たり前」として認識されている世界線での物語であり、村落の内部で育った若者たちが、村落内で結婚し、その構成員として次世代を担っていくことが肯定的に認容された世界線での物語なのだ。成人した二人の「お父さん、お母さん」呼びも含めて、『高木さん』の世界観は、じつのところかなり古風な道徳観と共同体観に支えられているといっていい。
たぶん、観る人によっては、「古めかしい」と感じられるくらいに。
(僕個人はこういうユートピアが現代日本にあってもいいと思うし、あるといいなと思うけど)
もう少し突っ込んだことを言うと、この物語は、徹底的に「プラトニック」に作られているし、他の恋愛アニメのように、エッチなサーヴィス・カットや妄想シーンが出てくるわけでもない。
にもかかわらず、この二人は物語のゴールにおいて、子供を作ることがはっきりしている。
すなわち、潜在的にこの二人は「いつか事をいたす」ことが確定しているカップルなのだ。
表面上は、いっさい性的な要素を封印している(たとえば、高木さんは自分の胸がないことを気にしているそぶりを全く見せない)にもかかわらず、いつか二人が「結ばれる」ことを視聴者は承知している。このシチュは、ギャップがあるぶん、正直逆にけっこうエロい気もする。
中学にもなってグリコとかビックリ箱とかで遊んでる、幼稚園児みたいなネオテニー的恋愛をやってる子たちが、このあとホントに結婚するんですよ? 逆にいえば、このネオテニー的恋愛のなかには、やがて来たる大人の恋愛の要素が「まねび」として含まれているわけだ。
考えてみると、今回の映画で、西片が高木さんにからかわれるたびに、100円を貯金箱に支払って「腕立て伏せ」してるのって、明らかに無意識的なアレの代償行為だよね? なんか、とんでもなくエロくないすか??
とまあ、テレビ版の話をずっとしていても紙幅が尽きてしまうので、そろそろ映画の話を。
今回の映画は、3年生の夏休みのひとときを描いた、オリジナルストーリーとなっている。
前半は、原作同様の恋バナショートストーリー集。夏の虫送りのシーンがひとつの山場だ。
後半は、子猫をひろった二人の共同作業と、その終焉を描く。
前半に関しては、ほぼ何も文句のつけどころがない。
テレビでも結構オリジナル回(三期の文化祭とか)を作ってきた実績があるからか、脚本家も演出家も、「高木さん」らしさをホント良くとらえているんだよね。
二人の感情的な進展が、絶妙の匙加減で表現されていて、さすがだと思った。
あくまで、第一期の開始時点で先に「落ちてる」のは高木さんのほうで、「仕掛ける」のもつねに高木さん。西片はただ受動的にふるまっていたらよかった。
そのうち、西片が無自覚のうちに自分から「勝負」を仕掛けるようになる。
こうして、二人は「からかい」「勝負」を通して、「恋愛不随意筋」を知らず鍛え上げてゆく。
そこに、三期のイベントを経て、ようやく二人の間に「恋」の自覚が明確に芽生える。
映画は、ちょうどそんな時期の物語だ。
友情以上、恋愛未満の空気と、ときめきと、距離感。
脚本と演出は、そのあたりを微視的に描き込んでゆく。
「別離」というキーワードも、うまく組みこんである。
先にも書いたとおり、『高木さん』の世界観は概ね安息のなかに閉じているし、軽く宗教的といっていいくらいに旧弊だが、外部から絡むアニメスタッフにとっては、やはり多少は加味せざるを得ない要素だったのだろう。
映像的には、とにかく雨の描写、水の描写の美しい映画で、梅雨から夏に向けて観るのには最適だ。とくにプールのシーン。なんかエロいうえに神秘的だし、俺でもあんなんされたら、胸撃ちぬかれて溺れるわ。
それから、背景となる小豆島の風景がじつにノスタルジックだ。
とりわけ虫送りのシーンは、ガチで力のはいった映像表現になっていた。
ホタルのピークは6月下旬なので、7月2日の虫送り当日に観られることは少ない(でも冷夏ならあり得る)ってのも、たしかにそのとおりでなるほどと思った。
ただ、作中でツクツクボウシが鳴いているのは違和感あったなあ。ツクツクボウシは誰もが知る通り、晩夏の蝉だから。てか、少なくとも7月初旬に関西であれが鳴くことはまずないと思う。ニイニイゼミとかだと良かったのかな? それとも小豆島ならではの風土的特性があったりするのか?
まあ結局、原作のほうは別途、現在進行形でお話が進んでいるわけだから、映画版で勝手に殊更二人を近づけるわけにもいかないし、下手に喧嘩をさせるわけにもいかない。
そこがオリジナル映画の辛いところではあるが、ぎりぎり本筋に影響を与えない範囲で、うまくハンドリングできていたように思う。少なくとも前半は。
ただ後半は、少し安易というか、やりすぎの感じがしないでもなかった。
子猫のエピソードは、誰が観てもわかるとおり、「子育て」の「まねび」である。
ここで二人は、共同で子猫を「育て」、ともに「愛する」ことで、無意識下で「家庭人としての適性」を確かめ合うことになる。
おそるおそる「からかい」に仮託することでしか好意を表現できず、直接的な恋愛には猛烈に奥手だった二人が、「子猫」という共通の守るべきものに対処することで、いつもより素直に接し合い、いつもよりストレートに感情を出し合い、その結果としていつもより心を強く寄り添わせる。
それはそれで別にいいのだが、ここまでぎりぎりのところを攻めてきた恋愛もののイベントとしては、なんか直球すぎるというか、いままで微妙な駆け引きでやってきた部分を力ずくで近づけ過ぎちゃったというか、一足飛びで「ちぃのいる世界」に接近してしまった感じは個人的に否めない。
ラスト近くで二人が時間差をつけて交わす核心的な台詞も、聞きようによってはただのプロポーズにしか聞こえないわけで、急にここまでやっちゃってよかったのか、とはしょうじき思う。
少なくとも、三期も時間をかけてうだうだ積み重ねてきた「とまどい」と「ためらい」の長さを考えると、さすがに(オリジナルの枠内で)性急に事を運びすぎているような気がするし、ここまで二人に言わせちゃうってことは、もう今やってる連載はアニメ化しないつもりかなあ、という寂しさもある。
できれば、原作未読組でもあるので、今やっている原作が尽きるところまで、アニメ化はやってほしいというのが本心なので。
せっかく映画も当たったことだし、ぜひテレビ版の続きもお願いしますね!!
相変わらずの面白さ
ピュアな青春を描いてて、すごく良かった。
すごく良かった
懐かしの小豆島
窓から海と島並みが見え、石垣、坂が出て来て、ここは何処が舞台なのだ?と思って見ていたら、段々畑と虫送り⁉️
あらまぁ、小豆島かぁと知って懐かしく思った。瀬戸芸で何度か訪れた小豆島、段々畑も虫送りも懐かしい。そんな小豆島の中学3年生の微笑ましい話である。
14才から15才は、自分の小さな世界の中からしか世の中を見ていないのに 自分が何者かになれそうな気もするし、友達関係も何となくずっと問題なくずっと続く様な変な自信を持っている厄介な年齢でもある、と思っている。
しかも精神年齢は、相対的に女子の方が高いから 男子は振り回されてしまう事が多いかもしれない。そんな関係性の二人を 捨て猫と島の風景とが共に描かれる。自然は美しく、白猫はやけに可愛い。
随分とお婆さんになってしまった私には そんなアニメはとても微笑ましく でも 身体と同じように萎んだ心には 残念ながらあんまり響かなかったのは事実。
エンディングは どうなのかなぁ、将来の三人が蛍を見るってのは、うーん🧐 蛇足で、観客に最後を委ねてもよかったんじゃ無いかと思えた。
中学三年生
ダメ出しします。
自分はダメでした。
しかも困ったことに冒頭でコケてしまった。
書いてる人は何ぶん年寄りなので
ヒロインが可愛いければ無条件で赦すほど
お人好しでもなく、また擦れている。
ストーリーとか、キャラクターの相関関係とかに異論がある訳じゃないよ。
"映画"を形作るいくつかのパート。
そのとあるパートについて、
激しい嫌悪感に襲われてしまった。
見間違いか?とも思ったので、
念のため2回見た。でもダメだった。
あれはアカン。
そのパートの"働きの悪さ"一つで。
作品全体のクオリティを押し下げている。
音響。
バランス悪すぎる。
音量がデカけりゃいいってもんじゃない。
映画仕様としてのキャパシティの大きさがある筈なのに、
フィルムを活かす使い方ができていない。
ダメ。
監督、及び音響スタッフには
猛省を求める。
音響バランスが悪いまま出したらアカン。
放映時間も短いので、大人向けのアニメを見たいなら本命。
今年166本目(合計442本目/今月(2022年6月度)13本目)。
私は映画館に行くにあたって、ネットフリックスで原作アニメ版(?)を数話みた程度です。
もともと放映時間が80分ほどと短いという事情、さらに、展開が非常にわかりやすいということもあるので、解釈がゆらいだりということはない印象です。
「ある場所」にある島がメイン舞台で、「四国フェリー」というものが中盤登場するため、瀬戸内海あたり(広島より、愛媛より)が舞台かな?ということはわかりますが、香川県であるようです(香川県の小豆島。このことは最後に表示される)。
アニメ枠なのですが、アニメといっても10歳くらいの子ではちょっと理解が難しいかな…というところがあります(どうしても、中学生の夏休みということをテーマに描いたものであるため、その概念を経験していないとわからない)。とはいえ、絶対無理か?というほどでもないかなと思う一方、この映画の主なメイン対象はすでに成人した大人ではないか…というところです。
80分ほどの内容で、ストーリーが一本道(そこから分岐する点はあるが、あっちこっちには飛ばない)という事情もあるので、何を書こうがネタバレであり、それらは省略します。
アニメ枠の総大成という事情もあるのか、アニメを見ていれば有利ですが、登場人物が実質2人といえるため(ほか出ることは出ますが、そんなに大きなウェイトを占めない)、「原作を見ていないと何がなんだかわからない、理解に妨げが出る」ということはないです。
採点に関しては下記を参考にしました(加算減算あり)が、4.8以上あるので七捨八入で5.0まで切り上げています。
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(減点0.3) この映画で一つのテーマになるのが「猫」ですが、「猫」といっても、「正当な飼い猫」のほか「迷い猫」(飼い主はいるが離れている)、さらに「野良猫」(飼い主不明)というようなものがあります。
このあたり、猫・犬を拾った場合の扱いは実は法律上特殊で(民法、遺失物法、動物愛護法その他)、この点に関しての描写が不適切なように思えます(少なくとも、島の中にいるペットショップの店員が少なくとも「警察や保健所(保健センター)に届け出たら?」とも言わないのは奇妙)。
実際には占有権をはじめとした規定に触れうる行為で(なお、即時取得(民法192)は問題になりません。有効な取引行為がないため)、確かに「迷い猫」「野良猫」ではさらに警察や保健所(保健センター)でも扱いが違いますが、少なくもそれらの公的施設に何らの相談もしないのは法律上まずいです(占有回収の訴え等と絡むと話が面倒なことになる)。
※ ほか、私法である民法以外にも、猫や犬という動物である以上、何らかの病気がここから感染する可能性が否定できない以上、公法上の行政法規の規制も受けます。
※ というより、小豆島であろうがどこの離島であろうが、弁護士や司法書士、行政書士の方(便宜上、「これどうするんですか?」と聞けて回答が期待できうる合格者(未登録者者)も含む)が一人もいない、というのも珍妙ではあります。
(加算0.1) 映画の予告編などからわかるとおり、「中学生どうしの夏休み」を描く映画で、場所がら天体はきれいに見えますし、天体に関する描写もあります。これもきわめて正しく描かれており(夏の大三角をなす星座、さそり座など)、ここは「あるだけあって、適当に点を打っていてよくわからない」映画が実際にあったので、この部分が適正な映画は加算対象にしました。
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こんな青春してみたかった
無理に感動させようとしなくてイイのに…
原作も1巻から購入しているし、もちろん「元」も同様に読んでおり、アニメもTVシリーズは総て見ている…という人の感想です。
「高木さん〜」はそもそも「行間を読ませる」ことで「ムズキュン」や「萌え」を感じさせる作品なので、あまり押しつけられると、逆にうるさく感じてしまう。
猫を拾うエピソードも、何か違うんだよなぁ。あのペットショップのくだりはすべて不要。お姉さんはまだしも、オウムはやかましいだけで、原作やこれまでのアニメの「高木さんワールド」にそぐわない。
TVシリーズの短編2〜3本で構成された形が、あまりにハマっていたので、長編にしてしまった弊害が出ているように思う。
あと気になったのは、北条さんが夏休みに外国へ行ってしまうという設定は意味がわからない。ホントに必要だったのかな。
けっこう楽しみにして観に行ったのだが、少し思ったものと違っていた。
TV版の高木さん3期のラスト2話、バレンタイン&ホワイトデーの回をたまたま見たけど、この2回の方が圧倒的に素晴らしい出来で、二人の関係性について意識し合うという未来へ向けての神回だった。なぜ劇場版でこれが出来ない…
ムズムズ キュンキュン
この映画版が、しっかり観た最初だったのですが、キャラの関係性がシンプルで分かりやすく、入り込めました。
その上で、かなり良かった。
テレビシリーズでは数話で断念。
「恋心を認めろや西片、小学生か!」
「いいから早く告白しろ、高木!」
というあたりに、観ていてストレスに近いものを感じて、リアルタイム視聴の時は見始めて5分くらいでスイッチを消しちゃった記憶。
こちとら、第1シリーズの『金八』「十五歳の母」シリーズのリアルタイム視聴者でしたし、現実世界でも自分含めて中学生の男なんて「やりたい盛りのガキ」ばかりだった記憶があって、今ひとつノレなかったんですね。
本作も前半は「なんだよテレビと変わらないじゃん」みたいな展開でして、眠かったのですが……
ところが、中盤に子猫が出てから、無為に見えた前半が活きて、映画をやった意味が出てきました。
構成が上手かった。
丁寧な作画、演出も好感度が高い。
これならば、初恋の頃を思い出して、ムズムズキュンキュンできましたわ。
また、本作を足がかりにするなら、原作まんがも、テレビシリーズも遡ってちゃんと観られるかもしれません。
もっと見たい
中盤の子ねこの話が切なすぎる 心洗われる青春映画だ
高木さんといえば、高木ブーぐらいしか思いつかない初心者です。
まず、特典なのか、特製コミックがもらえました。かなりのサービスです。ガンダムとはえらい違いだと思いました。
そして、映画でまず感じたのが、高木さんや子ねこがめちゃくちゃ可愛いのです。風景がとても綺麗で、常に流れている音楽が場面を盛り上げます。
中盤の子ねこの話で、ある事件がおきます。
この場面が高木さんの表情を含めて、何とも切なすぎるのです。おそらく、この場面がこの映画の最大の見せ場だと思います。ウルウルしました。
エンディング曲に明日への扉を使ったのは、とてもうれしいですね。
エンドロール後のオマケ映像も忘れずに。ほっこりします。
心洗われる素晴らしい青春映画でした。
思春期の1ページの記憶
やはりヒロインは1人がいい
「10時間」
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