カード・カウンターのレビュー・感想・評価
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ET
戦争という究極の無法は、勝者にさえ深い傷を残し、癒すために同じく無法な手段を選ばせる。これは様々な作品で繰り返し扱われてきたテーマであるが、本作ではアイザックのポーカーフェイス芸で淡々とヒリヒリと描かれ、エンターテイメントの対極みたいな作品に仕上がっている。 ヒリヒリしすぎていささか疲れてしまうので観る人を選ぶかな。
明らかになっていく真相…
ミステリアスなギャンブラー、重い過去、復讐と贖罪… 少しずつ真相が明らかになっていく様に目が離せません。 ゴクリとツバを呑むような緊張感あふれるシーンも… カードゲームに詳しくなくても大丈夫、楽しめます。 スリラーってよりサスペンスですね。 オスカー・アイザックが、渋くてカッコイイです。 スコセッシの映画に合うので、これから組んでほしい。
重く、濃密な、まるでロシア文学・ゴーリキーのようです
人間の嵯峨、それとも習性? 「拷問を受ける人」 「拷問を与える側の人」 「刑務所に服役する人」 「カードゲームを生業にしている人」 表面上は、それは凄まじい バトルが繰り広げられるが 当事者は 長い時間軸の中で 単純な同じことを 単純に繰り返している、にすぎない。 見ていて辛くなるが しかし 自分の中にある 単純作業の繰り返しを 嫌ってない、何があることに 気がつき より、辛くなってしまった。 ただ、 エンディングロールの 背景に続く システィーナ礼拝堂に描かれた アダムの創造(ミケランジェロ) の「触れ合う指先」的な カットの 意味するものは? あまりに象徴的な画面構成なので ???が、気になる。 誰か、解説してほしい!
ひりつき、心を抉られるハードボイルド
ギャンブルに生きる男の物語と思わせて、とんでもないハードボイルドの世界を味合うことになる。 クライマックスが近づき、安堵の気持ちに傾きかけた観客に向かって放たれるとんでもない仕掛け。それまで、ポーカーフェイスを通してきたオスカー・アイザックの表情がほんの少し揺らぐ。その決意が向かうところは果たして。 ぴっちりと分け目をつけて寸分の隙もない髪型とスーツでカジノに臨むウィリアム・テル。ウィリアム・テルという名前自体が運命を予期させるが、買っても負けても眉ひとつ動かさないオスカー・アイザックを見ていると、運命がどう転んでも受け入れる覚悟があるように感じる。 ウィリアムはモーテルの部屋に入るなり、机、椅子、机や椅子の脚まで白い布で覆う。彼の病的な潔癖症は、真っ白な空間で自分の心を平安な状態に置くことが目的なのか。または、邪悪な気持ちが入り込まないように白で防御しているかもしれない。 ポーカーの勝負シーンは、見応えがある。手札を見て勝負を決めるプレイヤーの攻防は、自分の手汗が出てしまうくらいひりつく。 ポーカーは基礎知識しかないが、カウンティングは麻雀でも効果的だから、このテクニックが有効なのはよくわかる。欠点は、ゲームを楽しめないこと。 幻想的なイルミネーションの中を2人が歩く。多幸感に包まれるこのシーンで終われば、それはそれで一つの物語になったと思う。 ハードボイルドは、苦くて辛いもの。そんなことを思い知らされた。
尋問スキルというよりは虐待スキル
そんなバカな⁉️ というくらいに、映画的な鮮やかさを徹底的に排除しています。 もしかしたら、プロの俳優を使ったドキュメンタリー仕立ての映画⁉️ そう思ってしまうほど、この手のジャンル(過去のトラウマへの復讐劇)の作品にしては、起伏がない。 むしろ、現実的にはこうなるよなぁ、〝映画〟じゃないんだから…〟と錯覚しかかるほど、劇的要素はありません。 この映画の狙いがそこにあるのなら満点ですが、娯楽作品として楽しめたのか?或いは何か大切なことをを訴求できたのか?感じられたのか?という問いには、なんとも反応が難しく、人それぞれですからね、としか答えようがない。 人に説明するのが極めて難しい、ちょっと困ったちゃんな映画です。
戦争のトラウマ
オスカー・アイザックのダークな一面が観られる、「タクシードライバー」のポール・シュレイダー監督・脚本、マーティン・スコセッシ製作総指揮というこれ以上ないスタッフが関わっているいぶし銀な映画。 カジノのカードゲームで表に出たカードをカウントしながら確率を計算し金儲けをする「ラスベガスをぶっつぶせ」の様なストーリーかと思っていたが、戦犯として服役した過去を持つ男がトラウマに打ち勝ち前へ進んで行こうとする、カードゲームは大筋には関係のないお話。 イラク戦争でアブグレイブ刑務所で犯した拷問の罪で服役していた男がその贖罪として同僚の息子カークを故郷へ帰そうと試みるが叶わず、かつての上司と(多分)拷問し合い打ち勝つ事で過去を払拭する・・・、が残念ながらその描写はない。 またカークが母親と話をすることを条件に女性と関係を持つのだが、リンダのガタイが余りにも立派なので余計なお世話ながら大丈夫かなと心配してしまったw。 結局ポール・シュレイダーやマーティン・スコセッシって戦争の狂気によって精神を病んだ男がもがき苦しみ、一生懸命前を向こうとする話が大好きだと言うことが改めてわかる、ある意味「タクシードライバー」よもう一度みたいな作品。
どちらかに寄せたほうが良かったのではないかなと思える一作
今年198本目(合計849本目/今月(2023年6月度)23本目)。 イラク戦争および、無茶苦茶な待遇が問題となったアメリカの刑務所関係と、その刑務所から出所した男性がかかわるギャンブルのお話です。 前者については日本でも批判的に報道された経緯があり知っている方も多いと思いますが、いかんせん少し前で最近はほとんど放映されないので(アメリカ視点では、今はウクライナア侵攻でいっぱい)、ちょっと忘れたかなという方も多いと思います。 一方、ギャンブルパートというか、映画のタイトル通りの部分に関しては、ポーカー等トランプのルールに関する理解が要求されますが、それ自体は「一応は」日本でもメジャーなゲーム(トランプのゲームルールの一つ)なので、そこまで傷はないかな…と思いきや、要は結局、お客さんと胴元(カジノやカジノを経営するホテル等)との「賭け式」や「払い戻し率」といった論点が多数含まれるところ、日本ではそれはご法度であり(ポーカー等自体は禁止されていないが、それをギャンブルにして賭け事にするとアウト)、ルール自体は「疑似カジノ」(金銭などを賭けないタイプの遊戯型施設などで見られる)で知っている方も多いと思いますが、個々具体的な賭け式だのオッズだの胴元の取り分だのといった話は日本ではなじみがなく(というより、日本からでは、ラスベガスなり、カジノが合法的にできる国でちょっと遊んだ、くらいしか考えられない)、そちらでの見方もちょっと厳しいです。 特に後者に関しては説明もなく、タイトルにあるいわゆる「カードカウンター」(カードカウンティング)は、一般的に胴元が有利(換言すれば、客が不利)になるこれらの賭け式において客側が有利に持っていこうとしたテクニックの一つを指すところ、これも当然日本では「出番がない」上に、そのために一応の説明はあるものの、上記の刑務所シーン(なお、これらの虐待シーンほかが激しすぎるのでR15になったものと思われます。ギャンブルシーンではせいぜいPG12程度)もどんどん出てきて、中途半端なストーリー展開のまま、そのまま終わってしまうという部分を兼ねてしまいます。また、前者(ギャンブルのこと)が日本ではそもそも関係ないのと同様に、日本では刑務所であっても最低限の人権は守られるので(日本国憲法)映画のような描写にならず(戦後の混乱期等除く)、そのどちらの解釈にとっても、日本ではかなりなじみがなかったりしますので、どう見るのか…というのが難しいです。 そのようなことまで考えると、採点としては、 ---------------------------------------------- (減点0.5/何を述べたいか、映画の主義主張が(日本国内では)はっきりとしない) …という点に大半つきます。 アメリカにおける刑務所などの人権問題の問題提起と解するならそちらに寄せるべきだったし、ギャンブルの紹介(ただし、日本では賭け事としてはできない)として見るならそちらに寄せるべきだったし、どうみたらよいか…というのがかなり中途半端に思えます。 典型的な「日本で放映されることを想定していない」(そもそも刑務所の人権蹂躙問題は先進国ともいえるアメリカのその例が特殊すぎで、およそ先進国というような国でそんなことをやっているとアウトな事案)というタイプの映画では…と思えます。 ----------------------------------------------
なぜキッドと呼んだのか?
痛快なテーブルゲーム根性勝利系かと思っていたら、まあ重い重い。老若バディが人生ぶち壊れるほどのトラウマに向き合った末に、爆砕する物語。なんてこったい、後味悪いぞ。 途中『ハスラーみたいな?』『あれはビリヤードだ』なんてセリフがあるが、勘違い先は「シンシナティ・キッド」ではないかな。
主人公と同様、多くを語らない映画
腕は良いものの、派手な賭け方をせず、ひっそりとカジノを渡り歩くギャンブラーが主人公。
元軍人、刑務所上がりの凄腕ギャンブラーという主人公の設定だけで考えると派手な映画を想像するが、主人公のキャラクターと同様、淡々とした渋い演出が続く。このような演出が作品終盤のインパクトをより大きく感じさせるといった緩急がある作品になっている。
誰でも多少の自分ルールを持っていてそれに従って生きているが、自身の本音や信念を尊重するためにそれを破らなければならない局面が訪れる。
そのような局面での葛藤を感じた経験がある人は、本作をより楽しむことができると思う。
カードより復讐のゆくえ
『魂のゆくえ』に続いて、ポール・シュレイダーお得意のキリスト教への信仰で悶々と苦悩や葛藤する主人公の手記および心の声=己と向き合う内省映画の様式で綴られる復讐と贖罪のスリラー。コール。 驚いたのは俺がムショ生活に合っていたことだ。ノイズ(=周囲の雑音ばかりか想定外に起こること)を嫌い、ギャンブルでは控えめに勝って、日課やルーティン、同じことの繰り返しを好む男。天意に背くようなことはせず、ただ淡々と同じ日々を繰り返す。復讐したい気持ちを抑えて己を律するように規則正しく生きる。そして、それがカードを数えるという行為に表れている。彼と出逢うまでは…。 ビルとテル、そして"C"のカーク。こいつ何様のつもりだ?ザ・キッドに改名。『ハスラー』よろしく面倒を見て師弟関係を築いていく中で、(自分自身も一度は通ったであろう思いに動く)彼をどうにかそこから救いたいという気持ちに駆られ大きな賭けに出る。復讐するなら我も罰し、人間には復讐しないことを選んでも復讐しなければならない時がある。 脚本監督ポール・シュレイダー✕製作総指揮マーティン・スコセッシ御大=今なお異彩を放ち続け多くのフォロワーを生む映画史に燦然と輝く傑作『タクシードライバー』名コンビが、またしても贈る類似したテーマや惹き込まれては幻惑されるような作風、語り口を持つ作品(言ってしまえば同じフォーマット)は、今回も決して裏切られなかった。 余談ながら『ムーンナイト』で仲良しイーサン・ホークが傑作『魂のゆくえ』で演じた次は、主演オスカー・アイザック✕共演タイ・シェリダン✕ティファニー・ハディッシュ✕安定のウィレム・デフォー。流石に面白い。これが昔なら主人公ウィリアムは、ポール・ニューマンに演じて欲しさもあったかも。オールイン。ちなみにキャストの5番目はMr. USAです。USA!USA!USA! P.S. ずっと後ろのオジサンが溜息ついていた。 勝手に関連作品『タクシー・ドライバー』『魂のゆくえ』『ハスラー』『ハードエイト』『ミーン・ストリート』『ワイルド・ギャンブル』『ラウンダーズ』『天使の入江』『ラスベガスをぶっつぶせ』
オスカー・アイザックの演技は細かいね。
ストーリーは興味深いがブラックジャックとかいう賭け事は聞いたことがあるだけで、「カード・カウンター」の意味なんて知らないし、深く観賞できないと思いながら見ていたが、賭け事は焦点ではなく、苦難の中、ブラックジャックで踏み出して行こうとする、一匹狼のウィリアム・ティリッチ(ウィリアム・テル:オスカー・アイザック)の人生が焦点だと分かった。その人生も、閉ざされた心が開いていくところに興味があった。彼が自分の気持ちを素直に表現できるようになっていったシーンとウイリアムがロビン・フッドのような「ウイリアム・テル」になっていったシーンの2点が心に残ったので、ここに書き留める。
まず、元上等兵(PFC)のウィリアム・ティリッチは軍の刑務所で8年の刑期を終えて、学んだブラックジャックの「カード・カウンター」で人生を再スタートさせていくように見える。特殊作戦兵士としてイラクのアブグレイブ捕虜収容所で自らが犯した罪に苦しみ、刑務所で服役した後、ブラック・ジャックをして出直そうとしているようだ。彼の性格は良くも悪くも、はかりしれない才能のある人間(カード・カウンターだから)で、ザ・コンサルタント(2016年製作の映画)のクリスチャン ウルフ (Ben Affleck)high -functioning Autism(HFA)のような自閉症(Autism )かアスペルガーのような才能の人である。軍や刑務所で培われたのかもしれないが、同じことの繰り返しが自己満足させるようである。カジノには宿泊せず、モーテルに泊まる。モテルに入るたび、彼はシーツを広げ、すべての家具を白のシーツで覆い紐で固定する。彼のかつての上司ジョン・ゴードも同じようにシーツで覆い紐を結ぶ。その理由はわからないが、イラクのアブグレイブ捕虜の収容所での拷問や虐待の悲惨さを白の布で覆うことにより、潔癖さを証明したいのか、それとも、ただ、収容所でコードに習ったから癖がついたのか、検討がつかない。ウイリアムの悪夢から察するとイラクのアブグレイブではかなり酷い拷問があったようだね。
それに、疑いを持たれないようにするため、ウイリアムはギャンブル哲学を持っている。それは少額かけてある程度に勝つことである。
心に残った2点のシーンは:
1)ウィリアムがラ・リンダ(ティファニー・ハディッシュ)の宿泊しているホテルにいって、「カーク(タイ・シェリダン)が去る前に約束したんだよ。カークはあなたのことをよく話していて、.........約束したんだカークに。自分の気持ちを行動に移すって...........』ウイリアムはまっすぐ彼女の顔を見られないし、感情を表さないが、ドキドキしている様子が手にとるようにわかる。それに、流れてくるロバート・リーボン・ビーンの歌詞もいいねえ。I was drifting back in and out of space.......(Arise Sun) 収容所や軍の刑務所で女性付き合いもなさそうだっだ。このシーンはウイリアムは自分を変えようとして変えたシーンだ。自分を素直に表現できたシーンだ。明らかに、周りくどく、単刀直入の表現じゃないけど、ラ・リンダに対しての愛の表現が出ている。ウイリアムの勇気ある行動に感激。
2)もう一つは、カークについてこいといって自分の宿泊しているモーテルに連れて行った時のシーン。カークはシーツで覆われて固定されたベッドや家具を見て呆れていたようだ。私はこれから何が起きるのか心配だった。ウイリアムの凶暴性が出てきて、まさかカークを殺しやしないだろうと落ち着いていられなかった。しかし、ポーカーで稼いだ賞金はカークの大学の授業料、必要経費、クレジットカードの負債などを払ってあげるお金で、ポートランドの母親のもとに帰れ、父親を自殺に追い込んだゴードンを追うなと。カークの一切を引き受けてあげることは若いカークの将来を見据えてしていること。ウイリアムも似たような過去を経験していたのかもしれない。カークに二のまえを踏ませたくないという寛大な心から出たことだ。ウイリアムにとって、人のためにできることが前は何もなかったんじゃないか。
収容所と軍の刑務所に長年いて暴力行為が日常化してしまったり、彼のアスペルガーのような性格もあるが、同じ日常を過ごすことで 感情を無くしてしまったようだが、カークのことを考えられるようになったし、ラ・リンダを愛情を伝えることができるようになったことは人として成長したと思う。
最後にラ・リンダが刑務所を訪れたシーンだが、誠に切なかった。しかし、ガラスを通して、二人の人差し指に、お互いがぬくもりを感じたら、二人はまた一緒になると思った。
オスカー・アイザックの演技だが、バーでラ・リンダがウイリアムの頬に最初にキスしたシーンだが、キスの後、さっと身を守るシーンが強烈だった。細かく、気づきにくいシーンだが、アイザックの人に近寄られたくない、人に慣れていない雰囲気がよく出ている。その次の頬へのキスシーンは全く違う。アイザックの演技には感心した。
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