「誰もが本作を「ギャンブル映画」と連想するはずですが、復讐劇として色濃く描かれていますした。」カード・カウンター 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
誰もが本作を「ギャンブル映画」と連想するはずですが、復讐劇として色濃く描かれていますした。
ポール・シュレイダー。言わずと知れたアメリカの巨匠です。脚本家として監督として実績を重ね、齢(よわい)熟して、7月で77歳。円熟の芸の境地にあります。そしてマーティン・スコセッシが製作総指揮を務めています。
スコセッシ監督の初期の名作「タクシードライバー」 「レイジング・ブル」に脚本を提供したシュレイダーが今回主人公に据えたのは孤独なギャンブラー。敬愛する小津安二郎監督の影響も見て取れます。
主人公のウィリアム・テル(オスカー・アイザック)は、風変わりなギャンブラーです。軍人としてイラク戦争に出征したが、アブグレイブ刑務所における特殊作戦で罪を犯したため、8年間服役した。出所後、彼は独学で「カード・カウンティング」と呼ばれるカードゲームの勝率を上げる裏技を学び、ギャンブラーとしてカジノからカジノを渡り歩きながら生計を立てていました。そんな彼のギャンブラーとしてのモットーは、「小さく賭けて小さく勝つ」こと。目立たず、匿名でいることを好んだのです。顔を覚えられるから、テルはホテルでなくモ~テルに泊まります。そして大きなバッグとスーツケースを携えて部屋に入ると、全ての家具を持参の布で覆い隠すという奇妙な習慣を持っていたのでした。
ある日、ウィリアムはギャンブル・ブローカーのラ・リンダ(ティファニー・ハディッシュ)と出会い、大金が稼げるというポーカーの世界大会への参加を持ちかけられます。 しかし、ウィリアムは目立たないのが信条だと伝え、誘いを断ります。
その直後、ウィリアムは二人の男と遭遇します。一人は、軍隊時代の上司でウィリアムに“消えない罪”を背負わせた男ジョン・ゴード(ウィレム・デフォー)。もう一人は、ウィリアムにゴードへの復讐を持ちかける若者カーク(タイ・シェリダン)でした。
カークの父は、かつてウィリアムと同じアブグレイブ捕虜収容所の特殊任務についていました。そこでは捕虜に対し、精神的にも肉体的にも凄まじい傷を与える拷問が行われていたのです。
ウィリアムもカークの父も上からの命令に従い、拷問に加担し、捕虜たちを縛り続けました。そして捕虜虐待の事実が公になった際に、写真に顔が映っていたウィリアムだけが逮捕され、8年の刑を受けることとなったのです。
カークの父も同様に裁かれたのちに出所しましたが、自らが犯した罪によるトラウマにより家族に暴力を振るうようになったことで家庭は崩壊。数年後に自死したと聞かされます。
カークはゴードに復讐しようとしていました。一連の拷問はすべてゴードの命令によるものだったのですが、彼は何の罪にも問われることなく、のうのうと生きていたためです。
そんなカークの様子を見て、ウィリアムはラ・リンダに連絡をとります。彼はポーカーの大会に参加すると伝え、カークには自身の相棒となるよう持ちかけます。
カークは大学を中途で辞めていましたが、奨学金の借金がかなりまだ残っていました。ウィリアムはその分を返済させ、大学に復帰させることで彼は立ち直れるだろうと考えたのです。自身のモットーを曲げてまで、大金が稼げるポーカーの世界大会参加はそのためのものだったのです。
自分は何もせず、ひたすら時間を潰すだけの単調な日々にカークは退屈しているようでしたが、ある日ウィリアムにグーグルマップで調べたとある家の写真を見せます。それはゴードが暮らす屋敷でした。
リンダと出会いがウィリアムを、復讐と贖罪を賭けた人生の勝負へと駆り立てていくことに向かわせるのでした。
『カード・カウンター』というタイトルやポスターなどのビジュアルからは、誰もが本作を「ギャンブル映画」と連想するはずですが、ギャンブラーとしての主人公ウィリアム・テル(オスカー・アイザック)は実に地味な人物です。むしろ本作は、復讐劇としての色濃く描かれました。
本作は「ベトナム戦争帰りの元海兵隊員」を自称する男トラヴィスを描いた『タクシードライバー』、息子を戦場で亡くした元・従軍牧師トラーを描いた『魂のゆくえ』のように、アメリカの戦争が生んだ映画と称した方が適切かもしれません。
本作に一貫して流れているのは、ポール・シュレイダーによる痛烈なアメリカ批判なのです。露骨に強烈すぎて、個人的には好きになれないところです。
ウィリアムは、イラク戦争で、捕虜収容所のアラブ人兵士への拷問に関わり、8年服役した過去をもちます。戦争がトラウマになっているのです。そして囚人を拷問した贖罪の意識も大きかったのです。
ウィリアムが収容された刑務所と対比してのカジノは、多くの人にとって、エキサイティングで騒々しい場所です。しかし本作でのウィリアムがプレイするカジノは、『孤独』な場所でした。なぜ彼と彼に相対するギャンブラーたちは、1日12時間、週7日間、テーブルの前に座っていられるのでしょうか。カジノはウィリアムにとって刑務所の収容生活の延長のような場所に過ぎないのだと思えました。大きな罪を犯したために、煉獄のような場所で時間を費やしているのではないのだろうかと。
ウィリアムがカークを説得するくだりが心憎かったです。
ウィリアムが、バッグの驚くべき中身を見せ、カークが必要な大金を呈示し、「母の許へ、そして大学へ」と約束させます。その時のウィリアムの、嫌とは言わせぬ冷たい目に、一瞬、鳥肌が立ちました。
本作には、悪夢を思わせるアブグレイブのセットなど独創的な空間が随所で描かれます。とりわけ無人の空間が効果的に使われるのです。
シュレイダー監督が語るには、「無人の空間は何も起こっていないと多くの映画監督が誤解しているようですが、ちやんと起こっています」と。「そこには時間の流れが起こっています。無人の空間は時間が流れていることを表現するために使っています。この手法を、私は小津安二郎監督の映画から学びました」
この無人の空間のシーンが意外と長く描かれるため、睡魔との闘いとなることに注意してほしいです。