あのことのレビュー・感想・評価
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いらなきゃやるな! これも人類の永遠のテーマ
40過ぎても不妊治療や大金払ってまで人に産んでもらおうなんて人もいれば赤ちゃんポストや中絶や捨て子は後を絶たない やらりアラブの国の様に夫婦以外のエッチ禁止や男の側に罰則を設けるべき❗でも今のフランスはパートナーはいらないけど子供だけ欲しい何て人も多数いるようで現状はどうなのだろうか⁉️
でもハサミで切って捨てたら今でも犯罪だろ!
主人公に「案ずるより産むが安し」と教えたかった。賢さゆえに孤独になっていく女子大生
これは震え上がる男性続出だろうなあ。原作も監督も演者も、女性の賜物である。中絶のリアル描写は圧巻だ。かと言って、フェミニスト寄りのメッセージを感じるだけの啓発映画として見てはもったいないと思う。
欲望が羞恥心に勝った、って登場人物の一人が言ってたけど、二十歳前後の若者ってそんなものですね。そして、頭ではサルトルの実存主義を理解しようとしているのに、自分の身
に起こったことには脊髄反応のように一つの結論しか持てない悲しさ。発想を転換すれば、命を危険に晒すこともなかっただろうにね。60年代ってそんな時代だったのか。かたや「本音と建て前」の日本社会、(最近まで優生保護法なんかもあり)昔も今も比較的容易に中絶できてしまう。そして少子化。かたや現代フランスでは婚内子より未婚非婚カップルの子どもの数の方が多かったんでしたっけ。この辺はエビデンスなしに勝手に言えないけど、婚内子にこだわる日本社会の歪さの方にまで考えが及んでしまった。
刹那的に深く交わってもその後の妊娠をきっかけにどんどん孤独になっていく皮肉。相手の男性とも、両親とも、友人とも。自分だけの努力と才能で勝ち取ってきた高学歴者ゆえの孤独がヒリヒリ、相談下手。ヤンキー気質の人の方が柔軟に運命を受けれてコミュティの中で問題を解決する知恵を持っている?のはどこの国も同じなのかな。
365日働く階級の両親、特にお母さんとアンヌの関係性、セリフや所作によく表現されていたと思う。お母さんのピンタは、本当に痛かった。子どもって、いい方向にも悪しき方向にも、親の理解と想像を超えていくものだ。
ちょっと長くてつかれた。
監督が女性でよかった
意味深な映画
1960年代初頭と思しきフランスが舞台の映画でした。主人公は文学専攻の女子大生のアンヌ。成績優秀で担当教官からも将来を嘱望されるほど。ところが同年代の男子大生といい仲になり、生理が来ないので検査してみると、妊娠していることが発覚してアンヌの苦闘の物語は始まります。
これは観終わった後に調べたことですが、フランスでは19世紀初頭、まだナポレオンが皇帝だった1810年に制定された刑法により、中絶も避妊も違法とされており、1960年代に至ってもこの法律は生きていたようです。そのためアンヌは、普通の病院に行っても人工中絶手術を受けることが出来ず、自分で子宮に棒を突っ込んで堕胎を試みるものの失敗。最終的には同級生の男友達に紹介された非合法の中絶専門の女医(医師免許があるかすら不明だけど)に施術を依頼することになりました。
これまた鑑賞後に調べたことですが、当時人工中絶が非合法だったとは言え、その需要は少なからずあったようで、本作に登場するような非合法に中絶手術を請け負う女性が結構いたとか。ただ当たり前の話設備も技術も覚束無い闇医者が手術をする訳で、リスクも高かったようです。
そんな中絶禁止法がなくなり、フランスで人工中絶が合法化されたのは、この物語から10年以上経った1974年に成立した通称ヴェイユ法を待つことになるそうです。
要はこの物語、女性にとってのある意味暗黒時代の夜明け前を描いた作品でした。
興味深いのは、フランスで中絶が合法化されて半世紀ほど経過した訳ですが、同時期にロー対ウェイド判決により人工妊娠中絶が合法化されたアメリカにおいて、先ごろこうした流れに逆行する動きが出ているということ。事ある毎にアメリカの野卑で幼稚なところをバカにするフランスのこと、本作も婉曲的にアメリカの昨今の動きを皮肉っているのかしらと思わなくもないというのが感想でした。
肝心の映画の中身ですが、アンヌ役のアナマリア・ヴァルトロメイが難しい役柄に体当たりしていたのが印象的でした。親や友達に当たり散らしながらも、必死で中絶をしようとする哀れな姿を演じる様は、まさに迫真の演技でした。
あと、筋とは全く関係ありませんが、アンヌに闇医者を紹介した同級生役のケイシー・モッテ・クラインが、若い頃のプーチンに似ていて何となく笑ってしまいました。
そんな訳で、体当たりの演技で物語を面白くしてくれたアナマリア・ヴァルトロメイの活躍に★4の評価としたいと思います。
目を背けてはいけない作品
「レボリューショナリー・ロード」
「17歳の瞳にうつる世界」
のどちらも見たが、そのどちらとも違う作品。
一言で言えば「孤独」だ。
中絶が違法な時代、誰にも言えず、悩み苦しむ。
その苦しみを観客も追体験する。
目を背けてはいけない。
映画は「省略の芸術」なので、「見せなくても分かるよね」ということは見せない。
でも本作は違う。
その生々しい場面を見せる。
これは監督の明確なメッセージだ。
「目を背けるな」と。
なぜなら、これは「昔話」ではなく、「現代の問題」なのだから。
米国で「ローvsウェイド判決」が覆された今こそ見るべき作品。
これは海外の問題じゃない。
安価で安全な薬品による中絶方法が海外では一般的なのに、
日本ではリスクのある「掻把法」という方法が用いられる。
(本作と同じかな?)
ピル、アフターピル使用のハードルは高い。
これらは全て同じ延長線上にあり、他人事じゃなく、日本でも同じなのだ。
「妊娠と人生と引き換えにはしたくない」と闘った女性のありのまま。
中絶が違法であった60年代フランスで、人生を取り戻すべく中絶を受けるため最後まで戦い抜いた大学生の物語。ノーベル文学賞を獲ったエルノー氏の私小説に基づく。狭い画角、息遣いまで容赦なく描くリアリティに貧血や腹痛を感じ、動悸が起きたくらい。
この作品は男性にこそ観て欲しい。
セックスは2人で行うもの。
なのに、妊娠?中絶?女の問題でしょ?となるのはなぜだろう。
妊娠も出産も、中絶も、最後までふたりの問題ですよね。そこまで背負えないなら性行為はしない方がいい。
生涯生理もなく、妊娠もせず、出産もしない身体とは、どんな感覚だろうか。想像もつかない。
1週づつ、1日づつ、妊娠は進んでいく。
その恐ろしさ、焦りをここまで当事者以外の鑑賞者にまで伝えてくる作品、本当にすごい。
目を背けたくなる?とんでもない。気持ちのいいセックスの、すぐとなりにある現実です。
これは1975年まで中絶が合法化されなかったフランスでのお話ですが、現代においてもアメリカでは一部の州での中絶が禁止とされ、それが増えていくかもしれない状況。とんでもない話です。
その人の体はその人のもの。その人の子宮で起きていることを、他人の男性たちがとやかく決めて制御しようとするなんて、醜悪すぎて到底受け入れられません。
例外としてレイプによるものなら仕方ない?たとえいい加減な性行為による妊娠中絶であっても、最終的な決断権は女性本人にあるべきです。
そして一番男性に伝えたいのは、
「中絶の権利を女性に!」
これは中絶を良い手段と思っているのとはまったく違うということです。
進んで中絶したい女性などいません。心身ともに大きく傷つく処置です。
「望まないすべての妊娠を『ふたりで』避ける努力をした後で」最後の救いとして中絶は絶対に許されるべき手段だということです。
こちらの感想の中にも「女性も男遊びをしている」「自業自得」「消される命が」など散見しますが、それすべて、男性も背負っていますか?妊娠=軽率な女性への罰、かのような受け止め方が令和の今でも見られるのは残念ですし、道のりは遠いと感じさせられます。
この作品は、フェミニズム作品ですらありません。ひとつの事実を写しているだけです。
共感は難しい
中絶も避妊も肯定しない社会情勢で、直接の相手の男性への責任をも追及せず、犯罪行為の幇助になる医師や関係ない友人を巻き添えにし、条件が揃うのが遅れたとはいえ、胎児の命を奪って、苦痛は流産のときだけで、結末には笑顔というのはやはりいただけない。『ガール』でもやはり、周囲の助言を無視して自分の衝動で選択した行動を笑顔で迎えた結末に感じた思いにも似ている。女性が子を産んで育てながら社会進出が保障される環境であってほしいものである。
メッセージ性に優れ、サスペンスとして秀逸だが、主人公には同情できない
映画が始まって、スクリーンが「スタンダード」サイズであることに戸惑うが、やがて、その窮屈な画面から、主人公の置かれた八方塞がりな状況と、閉塞感や息苦しさがひしひしと感じられて、このフォーマットが高い効果を上げていることに気付く。
中絶を違法とする社会制度を声高に非難するような映画ではないが、女性が心身に被るダメージの大きさを生々しく描くことにより、その理不尽さと非人道性が肌で感じられるようになっている。
孤独や不安や焦りに苛まれながら、自らの未来を命をかけて掴み取ろうとする女性の、スリルとサスペンスの物語としても、非常に良くできている。
ただし、危険を承知していながらそのような事態を招いた主人公の行動は、軽はずみだと言わざるを得ないし、妊娠の発覚後も、避妊の必要はないと夜遊びを続けるその姿からは、やはり「自業自得」という言葉が思い浮かんでしまう。何よりも、胎児の命を奪うことに一切のためらいも罪悪感も感じていない主人公には、どうしても感情移入することができなかった。
ラストも、一応、ハッビーエンドになっているが、敢えて「学業の道も閉ざされ、何もかも失った」みたいなエンディングにした方が、主人公の置かれた過酷さや、当時の社会制度の非情さが、より際立ったのではないだろうか?
コレはキツい…
新聞売りの紹介で。
テーマは若さ(バカさ)の特権?
1960年のフランスの女子大学生が妊娠する話とのことで、渋谷のBunkamuraまで行きました。だいぶ外国人が増えてきました。スクランブル交差点の何がいいんだか?さっぱりわかりません。相手は消防士とのこと。これは八百屋お七みたいに逢いたさ余りに放火を繰り返すのか?と期待しておりました。
映画では字幕で何週間後とかご丁寧に出ますが、1960年の妊娠反応検査は今と違って簡単ではありません。妊娠かもと気がつくのも6週過ぎでしょう。医師が妊娠の徴候を疑うことができるのも8週過ぎでしょう。超音波検査なんてありません。妊娠証明書が送られてきたのは、今の日本で合法的な堕胎が認可されている12週をとうに過ぎてしまっていていたと思われます。1960年代の妊娠反応検査は今と違って、ウサギに妊婦の尿を注射して確かめるのが一般的で、ウサギが排卵したかどうか一定の時間をおいてから開腹して確かめるのです。ウサギはヒトとは違って、性交すると排卵するので、メスのウサギだけ飼って実験室で行うのです。ヒトでもウサギのように性交するとその刺激で排卵する原始的(失礼)な方も結構いますけど。
インチキ堕胎医のおばさんは最初は子宮の中にゾンデを入れるだけ。出血はしても堕ろすことは難しい。お金だけ取られた主人公が文句を言いにいくと、さらに強力な器械を入れますが、とっても危険。結局、ちゃんとした医療機関に送られて、完璧な堕胎術が施され、自然流産と診断されて、処罰の対象を逃れることができましたが、たくさんの人に迷惑をかけて、命を救ってもらえたからいいようなもの。主人公は複数の男性と付き合って、何回もしていたのに、初めてのたった一回で妊娠したと男性医師に嘘ついてましたから、なかなかしたたかで、強情な女でした。新川優愛さん似の純情派の女優さんでしたが、共感はしづらいですね。実際、寮のトイレでかなり太い臍帯がぶる下がっていて、友達にハサミで切ってと頼む場面があり、20週(5ヶ月)は軽く越えていて、非常に危険な状態でした。それでも鬼の形相で友達に指図する主人公の決意の強さは伝わりますが、地方出身の文学部のお嬢さんですから、医学部や法学部で弁護士希望とかとは違って、学業優先の目的は個人的なもので、共感はしづらく、命を粗末にしているだけと思う人も多いでしょうね。ベネチア国際映画祭での金獅子賞は強くなった女性たちと原作者がノーベル賞作家であることにかなり忖度しているような気がします。妊娠週数ばかり気になって、映画を楽しめなかったです。寮のシャワー室の女子大生達の裸体は悪くはなかったですが、時間ですよの銭湯の脱衣場シーンの方が刺激的だったような。妊娠して落ち込んでいる主人公に騎乗位でイク妙技を指南する3人娘のひとりの熱演はなかなかすごいものがありましたけど。若さの特権の映像表現という点では評価に価するってことでしょうか。自分の都合で実家に帰ってくる娘を迎える両親役の俳優さんの方が共感できてしまいました。
アマゾンやオークションなどで手頃な堕胎器具を自分で買って、やってみようなんて思って真似する人が出て来ないかすごく心配しております。
本当に大切なのはどのことよ?
正視できませんでした。。。
1960年代のフランスでは、中絶が犯罪なのだと初めて知った。
中絶した本人のみならず、処置した医師まで逮捕されるなんて・・・ほんの半世紀前のヨーロッパで、とホントに驚いた。
20代で、内田春菊さんの「ファザーファッカー」を読んだ時の衝撃を思い出した。
この中では、言葉で中絶の過程が記してあった。
創造力豊かな私は、精神的貧血になり、自分に中絶という選択肢はさせないようにしようと決めた。
つまり、結婚前提の相手としか、セックスしないということ。
今回は、映画で、小説よりも中絶の現実が迫ってきた。
ラスト近くのシーンは、今までの体験の中で一番のホラーだった。
私は、はさみでへその緒を切れない。
これは、殺人なのか、女性の権利擁護なのか、判断できなかった。
セックスをすれば、避妊をしていても、妊娠する可能性はあるということ。
その危険性は、女性が100パーセント背負うということ。
中絶するにしろ、出産するにしろ、自分の人生が大きく変わるということ。
それを実感する映画だった。
今年私のNO1映画は、「アプローズ、アプローズ!」だった。
フランス語の響き、おしゃれな映像、人生に与える影響。
フランス映画は、やっぱりすごいな。
しかし、ライブ行く前に観る映画ではなかった…。
そこは、スラムダンクにした方がよかったかな???
欲望と学業への忠誠(男ではなく)。
2021年。オドレイ・ディワン監督。今年のノーベル文学賞を受賞した作家アニー・エルノーの原作を映画化。セックス自体がタブー視される社会風潮のなか、優秀な女子大学生が妊娠する。中絶が違法だった当時、親にも友人にも相談できないまま、学業を優先するためになんとか中絶の方法を探すが、、、という話。2021ヴェネチア金獅子賞。
うっかり冒頭で誘ってくる消防士が相手の男かと思いきや、中盤になって別の幼馴染らしき若い男だと判明。それでも消防士は主人公を誘い続け、主人公もまんざらではない様子なのだ。ここで問題なのは、妊娠ごときで欲望を断念したりしないということだ。しかもその欲望に男は誘惑する者としてしか必要なく、かけがえのない存在ではありえない。学業でも同じ構図で、ある男性教授との関係からわかるのは、教授のようになることではなく、教授が関与している学問・知識を吸収したいという思いなのだ。欲望や学業にはどこまでも忠誠を誓うのだが、人(男)の関与は求めていない。
主人公側からの目線、その主人公を見る目線、主人公側からの目線、という古典的ともいえるカットバックで主人公の苦境への没入感を高めている。男たちがみな間抜けにみえる。
女性に選択させなかった時代
凄まじい鑑賞体験
フランスで中絶が違法とされた時代、様々な障壁にぶつかりながらも、主体的に人生を選び取ろうと、もがき苦しみ、最後は命を懸けて自由を勝ち取る女子大生の話。
女性の欲望を、否定も隠しもせず、自然にあるものとして描いている。
少し前にマツコが言っていた、「人は「性」からは逃れられないし、それに対してどう距離を取るのか、眼差すのかがその人の人格形成に大いに影響している」という言葉を、見ている間ずっと考えていた。その意味では、主人公は主体的に性を選ぼうとするし、自分からバーに出掛け、セックスもする。
そこで受ける、男たちからの性的眼差しや偏見の渦、(当時の時代性もあるだろうが)絵に描いたような無理解。
「性」はいくら剥ぎ取ろうとしても脱げない仮面であり、引き剥がそうとしてはこびり着いて執着して回る、脅迫観念のようなものである。
この映画で印象的なのは、音と息づかいである。決定的な場面こそ見せないが、主人公視点からの苦しい表情や痛みに悶え苦しむ声、押し殺しながらも耐え切れずに漏れる息づかいで、観客を深い深い身体の海に引き摺り込む。
最後に、ある場所で静寂を破るように、静かに、確かに響く、ある音。そこで観客の緊張に決着が着き、一瞬、終止符が打たれる。からの、ブレながら何が起こったか見せようとするカメラワークと主人公の一言で、それまで緊張を続けてきた観客の鼓動の速さにドライブがかかる。あー、これはまだ終わりではない。
最後も、晴れてよかったでは終わらない苦さが残る。苦さというより、非常にひりついた痛みである。
凄まじい鑑賞体験。覚悟が出来れば、ぜひ劇場で見て欲しい作品。
望まない妊娠は救済されるべきか?
本年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーが、自らの体験を基に書いた小説『事件』を原作とする映画。中絶が法律により禁じられていた1960年代のフランスを舞台に、望まぬ妊娠をしてしまった女子大生が送る先の見えない日々を描いた作品だ。
原作でもかなりショッキングな場面が多々あり、映画は見送ろうかなと思っていたが、いやあ観てよかった。
女性のみが妊娠できるという当たり前の事実が、ある人達にとっては陥穽となること、中絶という最後の選択肢を取り上げられてしまった残酷さ、男という生き物のどうしようもない愚かさがこれでもかと晒される。
アメリカでは中絶問題でまた国が真っ二つに割れ、中絶は認められているものの薬物は禁止という我が国のような例もあり、なかなか一筋縄ではいかないようだ。
ホラーよりもよっぽどこわいシーンもあり万人には薦めないが、観て、感じて、考えてほしい映画だった。
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