「能ある「犬」は牙を隠す」パワー・オブ・ザ・ドッグ ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
能ある「犬」は牙を隠す
男性同士の秘めた恋愛ものと思いきや、サスペンスに変容してゆく物語。中盤までは当時のマイノリティの文学的な心情描写のみで終わるようにも見えたが、この変容が新鮮で意外とエンタメ的な面白みも味わえた。
本作はアカデミー賞レースの目玉と言っていい評価を受けているが、古いアメリカの土着の話で、聖書のエピソードを取り込んでいて(タイトルに引用した他、ダビデとゴリアテの要素もある)、マイノリティが登場して、といった特徴は「ミナリ」を思い出す。意地悪な言い方をすれば、賞レース受けのよい手堅い設定だ。だが本作は静かな筆致ながら、こういった形式の話などどこかに飛ぶような、独特の後を引く余韻を残す。暗く不穏だが不快ではなく、もう一度観て、考えてみたくなる良作の余韻。
タイトルは旧約聖書の詩篇の一節「わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください」に由来するが、この「犬」が作中の誰にあたるかという点について、色々な解釈が出来るのが本作の醍醐味だ。
物語の中盤までは、「犬」はフィルであるように見えた。弟の新妻ローズとその息子ピーターを、正当な理由もなくしばしば貶める。その動機が判明しないうちは、くだらない場面でマチズモを振りかざすただの偏屈な親戚だ。「わたし」にあたるピーターは、この段階で母親と自分の身を「犬」から守ろうと思ったのだろう。
一方フィルは、秘密の場所での水浴びをピーターに知られた後、急速に彼と距離を縮めようとする。
実際のところ、出会った当初からピーターのことが気になっていたのではないだろうか。体裁のためと興味の裏返しでからかっていたが、秘密の場所で裸を見られたことで、ありのままの自分を知られた気持ちになり、虚勢を張る気持ちが緩んだのかも知れない。
ピーターがフィルを意図的に炭疽菌に感染させたことは、一見ぼかしたような描写で、彼の行動を順番に振り返ってやっと確信出来た。
ネイティブアメリカンが皮を買いに来るところなど偶然の事象も絡んでいて、どこまでが彼の計画なのかは分からない。だが、フィルの死という結末を知ってからもう一度見返すと、ピーターの冷徹なほどの強さが際立っていてぞくっとする。
生皮の入った水にフィルが傷のある手を浸すところを見つめて一服するシーンなどは、初見ではうっすら滲むエロティックな雰囲気に目がいったが、見返すとピーターがひと仕事成した一服を味わっているように見えてとても怖い。
原作ではピーターの父の自殺の一因もフィルにあるという記述があるそうで、映画よりもピーターの行動原理が見えやすくなっているのかも知れない。だがそこをぼかしたことが、むしろ人物像の解釈に豊かな幅をもたらしているように思えた。
フィルはブロンコとの思い出に生き、山に犬の姿を見出すピーターをブロンコに重ね、彼を母親から守ろうという独りよがりな思いを抱いた。そのくだりは一見、強い男が青年を精神的に独り立ちさせようとする健全な物語のように錯覚させられる。
ただ、結果的にはピーターがフィルにとっての「犬」だったとも言える。自分自身の気持ちに翻弄されて、フィルはそのことを最後まで見抜けなかった。
当時のマイノリティの内心の描写に終わらず、人間の強さや弱さの本質について考えさせてくれる作品。