パワー・オブ・ザ・ドッグのレビュー・感想・評価
全146件中、1~20件目を表示
能ある「犬」は牙を隠す
男性同士の秘めた恋愛ものと思いきや、サスペンスに変容してゆく物語。中盤までは当時のマイノリティの文学的な心情描写のみで終わるようにも見えたが、この変容が新鮮で意外とエンタメ的な面白みも味わえた。
本作はアカデミー賞レースの目玉と言っていい評価を受けているが、古いアメリカの土着の話で、聖書のエピソードを取り込んでいて(タイトルに引用した他、ダビデとゴリアテの要素もある)、マイノリティが登場して、といった特徴は「ミナリ」を思い出す。意地悪な言い方をすれば、賞レース受けのよい手堅い設定だ。だが本作は静かな筆致ながら、こういった形式の話などどこかに飛ぶような、独特の後を引く余韻を残す。暗く不穏だが不快ではなく、もう一度観て、考えてみたくなる良作の余韻。
タイトルは旧約聖書の詩篇の一節「わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください」に由来するが、この「犬」が作中の誰にあたるかという点について、色々な解釈が出来るのが本作の醍醐味だ。
物語の中盤までは、「犬」はフィルであるように見えた。弟の新妻ローズとその息子ピーターを、正当な理由もなくしばしば貶める。その動機が判明しないうちは、くだらない場面でマチズモを振りかざすただの偏屈な親戚だ。「わたし」にあたるピーターは、この段階で母親と自分の身を「犬」から守ろうと思ったのだろう。
一方フィルは、秘密の場所での水浴びをピーターに知られた後、急速に彼と距離を縮めようとする。
実際のところ、出会った当初からピーターのことが気になっていたのではないだろうか。体裁のためと興味の裏返しでからかっていたが、秘密の場所で裸を見られたことで、ありのままの自分を知られた気持ちになり、虚勢を張る気持ちが緩んだのかも知れない。
ピーターがフィルを意図的に炭疽菌に感染させたことは、一見ぼかしたような描写で、彼の行動を順番に振り返ってやっと確信出来た。
ネイティブアメリカンが皮を買いに来るところなど偶然の事象も絡んでいて、どこまでが彼の計画なのかは分からない。だが、フィルの死という結末を知ってからもう一度見返すと、ピーターの冷徹なほどの強さが際立っていてぞくっとする。
生皮の入った水にフィルが傷のある手を浸すところを見つめて一服するシーンなどは、初見ではうっすら滲むエロティックな雰囲気に目がいったが、見返すとピーターがひと仕事成した一服を味わっているように見えてとても怖い。
原作ではピーターの父の自殺の一因もフィルにあるという記述があるそうで、映画よりもピーターの行動原理が見えやすくなっているのかも知れない。だがそこをぼかしたことが、むしろ人物像の解釈に豊かな幅をもたらしているように思えた。
フィルはブロンコとの思い出に生き、山に犬の姿を見出すピーターをブロンコに重ね、彼を母親から守ろうという独りよがりな思いを抱いた。そのくだりは一見、強い男が青年を精神的に独り立ちさせようとする健全な物語のように錯覚させられる。
ただ、結果的にはピーターがフィルにとっての「犬」だったとも言える。自分自身の気持ちに翻弄されて、フィルはそのことを最後まで見抜けなかった。
当時のマイノリティの内心の描写に終わらず、人間の強さや弱さの本質について考えさせてくれる作品。
男性器というモチーフを駆使して西部劇を解体。
知性も感性も豊かながら、歪んだマスキュリニティにとらわれた男がたどる、奇妙な悲劇であり、西部劇に多く出演してきたサム・エリオットが「(男性ストリップショーの)チッペンデールかと思った」と嫌悪感もあらわに揶揄したことで批判を浴びたのが記憶に新しい。
ジェーン・カンピオンという映画作家は直接的にも隠喩としてもセックスに執着があって、この映画でも男性器を匂わせる描写がそこかしこに登場する。おそらくサム・エリオットはそういう部分に敏感に反応したのだろうと思われるが、実際に「そういう話」を「カンピオンらしいあからさまさ」で描いている以上、当然出てくる反応だったのではないか。そして、その執拗なほどの性の匂いへの執着が、映画がテーマやメッセージ性に縛られるのでなく、原作にあった匂いをさらに増幅させた個性を獲得させているのだと思う。
ややこしい書き方になったが、わざわざ数えてみたところ、直接的にせよ隠喩的にせよ、男性器を思わせる描写は27箇所あって(全部が意図的でないにせよ)、これってかなりの数である。その過剰さこそがこの映画の面白さにつながっており、過去にも作られてきた「同性愛的視点から西部劇を描き直す」系の中でも異様な迫力を伴ったのではという気がしている。ヘンな映画なんだけど、目が離せない。
緊張感を誘発するカンバーバッチの存在感
ジェーン・カンピオン監督に第94回アカデミー賞で女性としては史上3人目となる監督賞をもたらした力作。主演にベネディクト・カンバーバッチを迎え、1920年代の米モンタナ州を舞台に、無慈悲な牧場主と周囲の人々との緊迫した関係を描いた人間ドラマだ。
とにもかくにも、大牧場主のフィルを演じたカンバーバッチの緊張感を伴う繊細な存在感が、観る者の視線を釘付けにしてしまう。興味深いのは、西部劇というフォーマットを使いながらも、根底に流れている作品のメッセージは現代を生きる人々の心の裡と乖離していないという点だ。
サスペンス的な要素もふんだんに盛り込まれており、これから鑑賞しようとしている方々に対しても、十分に期待を裏切ることがない展開が用意されている。
Slow Minimalist Film that's Inviting to Watch
The Power of the Dog is a much-needed cinematic meditation designed by Jane Campion, a classic female director who has been out of the chair for over a decade. As in The Piano, the film explores the mysterious side of human sexuality. As homoerotic as it may be, the film overall lets the viewer reflect on what shirtless cowboys could mean. Challenging, poetic films are a rare gem from Netflix.
何かに憑かれたようなカンバーバッチの眼差し
1925年のアメリカ、モンタナ州で大牧場を支配しているのは、西部男のエッセンスをぎゅう詰めにしたようなマッチョで頑固なフィルだ。しかし、フィルにとって最も近しい存在だったはずの弟、ジョージが、食堂の主人、ローズと結婚することになり、兄弟の関係は軋み始め、やがて、とんでもない方向に展開していく。
フィルはその男性的な風貌や価値観とは裏腹に、実は東部出身のインテリで音楽の才能もあること、男らしさを強烈に発散している反面、ある秘密を隠していること、などが、ローズと、そして、彼女が連れてきたか細くて女性的な雰囲気を漂わせる息子、ピーターと出会ったことで、徐々に解き明かされていくのだ。
多少勿体ぶった描写はあるものの、話の展開はスリリングで心理サスペンスとして目が離せない緊張感が続く。マッチョの象徴だったフィルが少しずつ素顔のベールを脱いでいく一方で、ピーターが隠し持っていた気骨を徐々に露わにしていくプロセスは、何かが起きそうな気配がしてドキドキする。
ジェーン・カンピオンは今の時代に通じる男性性のまやかしを西部劇のフォーマットを使って訴えかけているようだ。でも、筆者は自分らしくない人生を選択してしまったフィルの悲劇性にも心を突かれた。演じるベネディクト・カンバーバッチが何かに憑かれたような男の眼差しをカメラに向かって投げかけ続けるからだ。最近のカンバーバッチは絶好調だが、本作はその中でもベストだろう。
ストーリーは退屈、演技と間の使い方が絶妙
ストーリーは退屈、演技と間の使い方が絶妙
何が言いたい分からない作品だった。序盤から中盤までは起伏が少なく退屈で、誰にも感情移入できない。文章でいったら結論のない文章を延々と読ませてる感じ。つまらなかったので途中で観るのやめようと思った。最後まで鑑賞できたのは、俳優の演技と間の使いた方がウマかったのと、意味深なカットの連続で先が気になったからだ。台詞が少ないので、俳優の表情や仕草で登場人物が何を考えているのか、推測する楽しみ方もできる。
特に印象的だったのは、ピアノを練習するローズに、フィルがギターで演奏してマウントするシーン。台詞は一言もなかったのに、フィルのローズに対する嫌悪感がメラメラと伝わる。もし私がローズの立場だったら、怒りが頂点に達するのと同時に、心が折れて立ち直れなくなるだろう。
恐怖がボディーブローのように効いてくる
衝撃的な最後のシーンはもはやホラー。ピーターがフィルを殺すなど予想できなかった。思い返してみると、縄や動物の病気のシーンなど伏線はあった。まさかそれらが最後のカットにつながってるとは思わなかったな。鑑賞後にフィルとピーターが会話してるシーンなどを思い出すと、恐怖がじわじわ襲ってくる。
最近は動きが激しくて、音楽が多用されるような映画ばかりを観ていた。本作は台詞やBGMは少なくとも、充分鑑賞できるということを教えてくれた。面白い作品では無かったが、嫌いではない作品。
一番恐ろしいのは…
最恐のマザコン息子爆誕!フィルはひねくれてはいるけど物語が進むにつれてただの悪いやつというわけではないことがわかるよね。
あの息子を最初おちょくったりしているのも、自分がホモなのを隠すためやよね。そして兄の妻に対してわざと反抗的な態度を取るのも兄への愛と嫉妬なんやろうなと。息子に関してはウサギの解剖から片鱗は感じてたけど、馬を乗りこなしてわざわざ炭疽症の牛の皮を剥ぐところとか、粘着質やなあ…
どこまでも男くさい男の切な過ぎる秘めた想い
第94回アカデミー賞最多ノミネート作品ということだが、なかなか観る機会がなく、ようやく鑑賞。
うーん、個人的にはちょっとこの重さは苦手ではあるが、広大な景色を惜しみなく映し出す映像と、そして何よりベネディクト・カンバーバッチの迫真の演技は心の奥深いところをガシッと掴んでくる。ベネディクト・カンバーバッチ演じるフィルの生き様は、荒々しくもとても繊細で、行き場のない切なさに胸が引き裂かれる想いだ。
本作が大々的に高評価されている所以はじゅうぶん理解できるのだが、様々な面においてとても残酷なストーリーともいえるゆえ、好みがハッキリわかれる作品ではあるだろう。
カンバーバッチは忙しい、色々な映画で引く手数多。
2021.11.25(木)
NETFLIXで12月1日から配信される「パワー・オブ・ザ・ドッグ」の配信前劇場公開。UPLINK吉祥寺で。
ディズニーとかも配信限定ではなくて短期間でも良いから劇場公開もしてくれれば良いのに。
1925年のモンタナで牧場を経営している知識はあるが粗野なカゥボーイのフィル(カンバーバッチ)と温和な弟、そして弟の妻となった女性とその連れ子ピーターのドラマ。色々と深い。見方によって評価が分かれそうな作品だ。下に恐ろしきは医学生の母親への愛か、カンバーバッチへの恨みか。
ピーターはフィルに邪険に扱われ、母親もフィルの弟の妻となったのに辛く当たられ、嫌がらせを受け酒に溺れる。ある事を機にフィルはピーターには優しくするようになるが、ピーターはフィルの性的な秘密を知る。
ピーターは医学生だけに病気に関する知識があり、病死した動物の死体から皮を剥ぐ。そして、その皮でフィルは綱を編み、怪我をした手から入った菌で病死する。
100年前のモンタナだが、現代のロスならコロンボ警部の登場だな。炭疽病は人から人へは伝染らないそうだ。意味が判らない?映画を観て下さい。
☆☆☆★★★ ネタバレをする気はさらさらないのですが。この作品に限...
☆☆☆★★★
ネタバレをする気はさらさらないのですが。この作品に限っては、何を書き込んでも。万が一、未見の人の目に止まってしまうと。感の鋭い人だと、何となく気が付いてしまう恐れがあるので。この先少しだけ行間を空ける事にします。
後数分で上映終了〜と言えるその直前まで…
「…これって一体なんだったんだ!」
真剣にそう思っていたその直後、画面に映った場面を見た瞬間に、、、
「嗚呼!そうゆうことだったのか〜」…と。
それまでの疑問点がそっくり氷解したのだった。
それにしても実に意地悪である。
何しろ一切の説明をしてくれないのだから。
本来ならば、登場人物達の台詞であり行動には、ある程度は場面場面での前後に、観客を意識しての多少なりの説明は必要であるのに…
それが一切ない為に。本編中の謎は、謎が謎を呼び、更なる謎が増幅する。
正直言って「う〜ん!映像や演技等、何から何でも良く出来てるのに何でこうも不親切なんだろうなあ〜!」
…と思っていたところでの出来事だっただけに本当にビックリした。
…と同時に「成る程!」と、一気に憑き物が落ちた。
もしも観客に説明的な台詞やショットを挿入してしまうと、この驚きには繋がらないのだな…と。
ほんの一瞬映るクローズアップであり、小道具等。如何にも「コレは何か理由が有って撮ってますよ!」…と言った編集のショットが一切ない。
もしもそれらが映る映像を、後1秒程度長めに編集していたとしたら…
途中で少しでも意味ありげなショットだと観客に意識されてしまったならば、最後に「そうだったのか〜!」と言った思いには至らなかったと思う。
…と書き込んでみたものの、「じゃあもう一度最初から」とはなかなかな行かないんですよねえ。
何しろ、鑑賞前は「何だか評判高いみたい。でもあんまり好きな監督じゃあないのが、、、」だっただけに💧
案の定鑑賞中は「どうなんだコレ!」と思う時間がかなり長かったのよねえ〜(´-`)
取り敢えずはジャンル分けをするとサスペンスにあたるのでしようね。
見た目だけだと西部劇の様に見えて、実はゲイ映画としての側面もあり。心理戦が前面に出た地味目なところも、大衆性に趣きを置く賞レース等ではどうなるのだろう?
2022年1月14日 キネマ旬報シアター/スクリーン1
母を守るために
リーダーシップはあるが、粗野で横柄な牧場主フィルと、親切だが口下手で鈍感な弟のジョージ。
彼らは牧場を引き継いで25年になるらしく、フィルは今でも牧場を引き継いだ時の恩人である亡きブロンコ・ヘンリーという馬乗りを崇拝していた。
ある日フィルは仲間を連れて一件の食堂を訪れる。そこは未亡人であるローズとその息子ピーターが二人で切り盛りしていた。
女性のように繊細なピーターをフィルは散々馬鹿にする。
その様子を見ていたローズは、ピーターの苦しみを思い一人涙を流す。ローズに気があるジョージは彼女を慰めに訪れ、そして結婚を承諾させてしまう。
ピーターは医学生になるために家を出ていくが、ローズはジョージの元へと嫁いでくる。
しかし彼女を気に入らないフィルは、回りくどいやり方で彼女に嫌がらせを始める。
そしてローズはストレスからアルコール中毒になっていく。
とても骨太なドラマだが、よく登場人物の行動を観察していないと意味が分からないシーンが多くなってくる。
なのでストーリーはそれほど込み入っていないが、難解な作品ともいえる。
説明的な台詞は少なく、常に腹に何か鬱屈したものを抱えているフィルの姿が印象的だった。
物語が進むにつれてフィルの秘密が少しずつ分かってくるが、最後まで明確な言葉で語られることはない。
序盤でも彼がジョージと同じベッドで寝る時の仕草や、ブロンコ・ヘンリーを敬愛する時の表情から、彼がゲイであることは予想できる。
彼が頑なに身体を洗わないのも何か関係があるのかもしれないと思った。
フィルには秘密の水浴びのスポットがあり、そこにはブロンコ・ヘンリーの肉体美が露になった写真が隠されていた。
そしてフィルは秘密の姿をピーターに見られてしまう。
ピーターに秘密を知られた途端に、彼に優しく接しようとするフィルの姿が滑稽だった。
彼はピーターのためにロープをプレゼントしようとし、彼に乗馬のノウハウを教える。そして彼に母親からの束縛から逃れるように諭す。
フィルはピーターのことをずっと弱い存在だと見くびっていたが、実はこの映画で一番怖いのはピーターだ。
彼は冒頭のモノローグで、何としても母を守ると誓う。
とても繊細で芸術的なセンスのあるピーターだが、時に残酷な姿を見せる。
彼は母を慰めるために野うさぎを捕まえてくるが、それを医者になるための参考にと解剖してしまう。
そして彼はローズがフィルの嫌がらせのせいでアルコール中毒になってしまったことを心の中で恨めしく思っていた。
ある日、フィルは牧場の柵に干していた家畜の生皮が全て失くなっていることに気がつく。
実はローズがフィルへの仕返しのために生皮を全部先住民に譲ってしまったのだ。
フィルはピーターにプレゼントするためのロープに生皮が必要だったのだと嘆く。
ピーターはフィルに近づき、実は生皮を切り取って保管してあることを彼に告げる。
それはピーターが山で病死していた家畜から切り取ったものだった。
フィルはその好意を有り難く受け取るが、それが彼の運命を決定づけてしまった。
彼は手に深い傷を負っており、さらに病死した家畜の生皮に素手で触れたために炭疽病にかかってしまう。
そしてそのまま呆気なく彼は亡くなってしまう。
さて、色々と偶然は重なったものの、ピーターが明らかに殺意を持ってフィルに生皮を渡したことは間違いない。
完成したロープを手袋をつけた状態でベッドの下に隠すピーターの薄気味悪い笑顔が印象的だった。
彼はジョージと仲良く抱き合うローズの姿を見守り笑みを浮かべる。
それはローズの幸せを喜んでいるようにも見えるが、実はジョージをも殺そうと企んでいるのではないかと思わせるぐらい不気味だった。
タイトルにある犬の力が何であるかは、ピーターが最後に唱えた呪文で分かる。
牧場の前に聳える山の形もブロンコ・ヘンリーは吠える犬のようだと話していたらしい。
淡々としているが、見応えのあるドラマで、フィル役のベネディクト・カンバーバッチの圧倒的な存在感が見事だった。
ここまで表情だけで饒舌に語れる俳優は他にいないのではないか。
官能性と精神性の混濁が希薄でサスペンス風味も乏しく統一感のない作品
『ピアノ・レッスン』とか『ある貴婦人の肖像』とか、カンピオン作品は官能性と精神性を混濁させた作風が好きなので、今回も期待して観た。
本作も官能性、特に男性フェロモンには事欠かず、精神性という面でもフィルのブロンコ・ヘンリー崇拝やフィルとピーターとの虚実混淆とした交流等がある。
とはいえ本作はわかりやす過ぎる。官能性と精神性の濃度が希薄なうえ、それらがはっきり区別され、単純なサスペンス映画と化している。ここには『ピアノ』のような言葉に出来ない雰囲気の素晴らしさ、濃密な何かが見られないのである。
その割にサスペンスの要素をぎりぎり塗り固めていくのではないし、モンタナの美しい自然、林に囲まれた静謐で小さな池やなだらかな丘陵の曲線を描くことで、逆に作品の統一感を殺ぎサスペンス風味を希薄にしている。
カンピオンは何を描きたかったんだろう? インタビューを読むと、「原作はトーマス・サベージが書いた同名小説。じわじわとした恐ろしさが迫り、観終わった後も強い余韻が残る優れた心理スリラーだ。原作小説を読んだ後、カンピオンも同じように感じたと、米ロサンゼルスで行われた会見で彼女は語った」というが、恐怖の前振りもろくになく、如何せんまったく怖くない。
また、キャラクター描出は相変わらず巧みだが、ジョージやローズは何のためにいるのかわからないくらい存在感が乏しい。
「読み終わった後も登場人物やテーマやディテールについて、いろいろ思い起こしては考えにふけってしまった。そのうちに、こんなに気に入っているのだから、自分で映画にするべきではないかと思うようになった」という。
意余って言葉足らず…か。いや、意そのものが足りなかったのではないか?
観終わった後の余韻がすごい
観終わった後に、あれはどういうことだったんだろうか?これはこういうことだったのか、いやこういう解釈もありえるな、など、再度最初から最後まで伏線を追い色々な解釈が頭を巡る、そういう作品が大好きだ。本作は、そういった意味で鑑賞後もしばらく作品の余韻にどっぷり浸って抜け出せない(いい意味で)。おかげで昨夜はあまりよく眠れなかった。
ベネディクト・カンバーバッチ演じるフィルは、その言動から誰がどう見ても男臭い粗野で野蛮な生粋のカウボーイ。実家の牧場経営に生涯を捧げるこの田舎のカウボーイは、実はイエール大卒の秀才でもある。弟ジョージの妻ローズに憎悪とも嫉妬ともいえる複雑な感情をあらわにし、ローズの連れ子ピーターとの間で少しずつ発展する関係のなかで、徐々にフィルのもう一つの面が姿を現してくる。威圧的な外面、精緻な頭脳、誰にも見せていない内面。複雑なこの人物、ものすごい難しい役のはずだが、カンバーバッチが流石すぎる演技で圧倒してくれた。本当に素晴らしい役者。
そして、ピーター役のコディ・スミット=マクフィーが、これまた引けを取らない演技を見せてくれている。登場はヒョロヒョロで弱々しい印象だが、実は彼の亡き父が言ったように「強すぎる」魂を秘めていた。そしてこの物語の最後をがっつりもっていくわけだが、ラストシーンの彼の微笑とともに冒頭のナレーションが頭をよぎり、ああやはり彼は強かったのだ、となんとも言えない感情に浸りながらこの作品を観終えた。ピーターが一本の煙草をフィルと分け合い吸っているときの妖艶な表情が忘れられない。
未だに不思議なのは、ピーターが目的を果たせた過程に、いくつかの偶然が重なっていた
ようにみえたこと。この偶然が無ければ、そもそもどうやって目的を果たそうと考えていたのだろうか?それとも、偶然ではなくピーターの策略で起きたものだったのだろうか(でもどうやって)?わからない、、、でもわからないから、面白い。
久しぶりに素晴らしいヒューマンドラマに出会うことが出来た。
ラスト1分でガラッとひっくり返るめちゃくちゃ怖い西部劇。
西部劇スタイルの感情の機敏に満ちた人間ドラマかと思いきや、なんとも恐ろしい復讐劇だったという、ラスト1分でガラッと引っくり返る鮮やかさ!めちゃくちゃ怖い映画やんけ(笑)。キャラクター同士の歯車が常に噛み合っていない不穏さが全編にスリルをもたらしていて、更にモンタナの広大な自然の美しさすらも映画の緊張感に寄与させたジェーン・カンピオンの手腕は見事。ワイルドさを押し出しつつ秘めたるトラウマを繊細に滲ませる複雑なキャラクターを演じたカンバーバッチの存在感がこの作品の軸になれば、助演のコディ・スミット=マクフィーの不気味なサイコパス感とジェシー・プレモンスの生真面目さが華を添える。見応えたっぷりの素晴らしい完成度で唸った!。
人間関係に焦点を当てたサスペンス
1920年代のアメリカを舞台に、牧場を経営する兄弟を取り巻く人間関係を描いたストーリー。
まず序盤では兄弟のすれ違い度合いがわかるようになっています。兄のフィルは弟のジョージを言葉に表さないけれど大切に思っているシーンが目立ちますが、ジョージはフィルの粗雑に見える振る舞いを嫌悪しているように見えました。そんなジョージが結婚したのち妻のローズ対して「孤独でないのは良いものだな」と涙ながらに言うシーンでは常に隣にいたフィルとジョージの心は通っていなかったということが彼自身の言葉で明らかになります。それまでの雰囲気で察していたけれど、実際にセリフとして表現されたこのシーンはとても見ごたえがありました。
また物語全体を通してフィルの存在感が凄まじく、序盤は謎めいているフィルの行動は、物語が進むにつれて彼の言葉で合ったり秘密が明らかになることで説得力が生まれます。そしてフィルはローズに対する仕打ちが原因でピーターに殺されてしまいますが、それでも最後までフィルに対する嫌悪感を感じることは無かったです。かといって作中の誰かに肩を持ちたくなるような感情も生まれず、ただフィルを取り巻く人間関係にひたすら注目してしまいました。
物語のラスト、窓からローズとジョージを眺めるピーターの構図も見ごたえがありました。フィルの存在に悩まされてきたローズとジョージが葬式の帰りにキスをするというのは決してフィルの死を悼んでの行いではないだろうし、それを見たピーターの笑顔は母の苦しみを取り除いた達成感によるものなのでしょう。ラストのピーターの表情は強烈な印象残すいい演技だったと思います。
時代は1920年代ですが、同性愛であったり、円満ではない家族関係など現代に生きる人々でも直面する問題がテーマとなっていました。ただ個人的にはテーマについて考えさせられるというより、人間関係を表現したエンタメを楽しめたというのが一番の感想です。
フィル vs ローズとピーター
《母を守る》
映画の冒頭。
ピーターのモノローグではじまる。
「父が死んだとき、
「僕は母の幸せだけを願った」
「僕が母を守らねば、誰が守る?」
考えてみれば最初にこの映画のテーマが述べられているのだ。
ピーターがこの映画の隠れたキーパーソンで、
母親のローズが彼の一番大事な人である。
1925年。モンタナ
牧場を経営している兄弟がいる。
兄のフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)と、
弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)。
事務的な経営は弟のジョージ。
カウボーイを束ねて牛の放牧責任者が兄のジョージ。
2人は25年かけて牧場をここまで大きくした。
兄弟の絆は強く、同じベッドに寝てる程だったが、
ジョージがホテル兼ダイナーの店主ローズ
(キルスティン・ダンスト)と突然結婚する。
ローズのことを、連れ子のピーターの
《学費と財産目当てメス狐》と
フィルは罵る。
ジョージを奪われて悲しかっただろう。
ジョージは上昇志向が強く結婚披露に両親と知事夫妻を招く。
その席でローズにピアノの腕前を披露させるために
グランドピアノを買うジョージ。
しかしローズのピアノ練習する「ラディキー行進曲」を
妨害するフィル・・・子供じみた男だ。
フィルのバンジョーはローズのたどたどしいピアノより、
よっぽどリズムに乗った「ラディキー行進曲」を爪びく。
夫婦の寝室の隣がジョージの部屋。
フィルの嫌がらせと、ストレスから
ローズは酒に逃避してアルコール依存症になって行く。
一方で、
夏休みに牧場に帰ったピーター(コディ・スミット=マクフィー)
「お嬢ちゃん」
とカウボーイたちに揶揄われるほど線が細い。
痩せて背が高く色白、瞳が大きく目立つ美貌だが、
女の子のようだ。
しかし医学生のピーターは、ウサギを解剖したり不気味。
やがてフィルとピーターは急接近してゆく。
「あの山は何に見える?」
「吠える犬でしょ!はじめからそう見えた」
フィルは驚く。
もしかしたらピーターは俺の同類。
乗馬を教えるようになり徐々に距離は縮まって行く。
ジョージの師匠で「意中の人」ブランコ・ヘンリー。
ジョージにゲイの世界を教えた男でもある。
ブランコ・ヘンリーは16年も前に死んでいるのに、
ビリーの魔法(呪い?)に、かけられているジョージ。
(・・・あの日が懐かしい・・・)
(ジョージは過去に生きる男である)
ピーターの夏休みが終わる頃、事件が起こる。
ジョージが干していたら牛の毛皮を先住民が買いたいと言う。
それまでずっと、ジョージは毛皮を決して売らずに
燃やす主義だった。
先住民を見たローズは、追いかけて行き、
「牧場主の妻だから、貰ってほしい」
と毛皮をくれてやる。
怒るジョージ。
(ピーターに編んでいる縄の仕上げに毛皮が必要なのだと言う)
ピーターは「毛皮なら自分が持っている」とフィルに言う。
病死していた牛から剥いだ毛皮だ。
結果としてフィルは炭疽症らしき症状で突然亡くなる。
この経緯はかなり無理クリで、
ローズの行動(毛皮を先住民にただで渡す行為・・・
に、意図はあったのか?)
とか、
ピーターが病死した牛から毛皮を剥いだ時、
これでフィルに炭疽症に
感染させようと思っていたのか?
とか、
一連の流れがローズとピーターの連携プレイなら、
計画的と言われても仕方がないではないか?
(こんな事で人が死ぬなんて、3流ミステリーのようだ)
しかしフィルの葬式の席で、ジョージの母はローズに
有りったけの指輪を手渡す。
フィルの父親は、クリスマスの招待を嬉しそうに受ける。
そしてフィルのいない庭でジョージとローズは伸び伸びと
幸せそうに抱擁を交わす。
(フィルは、実は、小うるさい変人の余計者だっただろうか?)
伸び伸びした解放感が、牧場に広がるのだった。
(ベネディクト・カンバーバッチの存在と演技力、
(役にのめり込み、役に成り切る力量。
(他の役者では、これだけの没入感は示せないだろう)
本作品はアカデミー賞監督賞を受賞した。
ジェーン・カンピオン監督の「ピアノレッスン」1993年作品。
その完成度、独創性、官能性、映像美、詩情。
どれをとっても、比べ物にならないと思ったのは、
私だけだろうか?
ドラマ映画を好んでみている人 考察が好きな人向けの映画
事前情報を仕入れずにネットフリックスにて鑑賞。
映像一つ一つはなんとなく分かる→解説ブログ「なるほどそうだったのか !」となるので
繰り返し見ると理解できるんじゃないかな……
(この映画を二回も見る気にはなれないけれど……)
ベネディクト・カンバーバッチ
2022年6月24日
映画 #パワー・オブ・ザ・ドッグ (2021年)鑑賞
西部劇でありながらテーマは現代的なこともあり、見終わったあとの満足感は高かった
女性監督が描いていることを強調すべきではないのだろうな
良作で、オススメです
全146件中、1~20件目を表示