ある男のレビュー・感想・評価
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自分はどんな人間なのか?
愛した男が、亡くなったあとに偽名であったことが判明する不気味さと、「こやつは一体誰なのか?」というミステリーでありながら、人間の内面の重要性を説く作品で、非常に興味深くおもしろかったです。
キーワードは「名前」と「色眼鏡」。
テーマは「差別」と「個体(個人)」だと感じます。
自分はどんな人間であるか?他人に、自分という人間を知って貰えているか?名前ではなくて「こういう人間性のヒトだ」と、他人の記憶に残ることが「生きる」ということ、と説いている作品のように感じました。
「韓国ドラマばっかり観て」というシーンにドキリとしました。他愛のない家族間の雑談シーンで、「韓国ドラマ」という表現はジャンル分けした際の、ジャンルの1つだと思うし、深く考えずに何気なく使っていました。しかし「韓国ドラマ」という単語を分解して言い換えると、「韓国人が作ったドラマ」「韓国らしい作風」「韓国で人気がある」などなど、土地を限定する言い方は、差別にあたるかもと思いました。土地だけではなく、なにかを限定するような言い方は、差別になる可能性があるかもとも。
印象に残ったセリフは「私は誰の人生と生きたのか」です。旦那が不慮の事故で亡くなったあと、偽名だと分かったときのセリフです。のちに、「(偽名を使った理由)真実がわかったあとだから言えるのだけど、名前ではなくそのヒトと一緒に生きたことは事実だから、名前は知らなくても良かったのかも」と清々しい顔をされてました。
でもね、
この人は誰なんだ?という名前を知りたいと思う欲求や衝動は、自然だし当然だと思います。名前は、その人を表す記号だとは思うけど、その人そのもの。名前がわからないと、現実ではおろか、自分の頭の中ですらその人を呼ぶことができない。呼べないというのは、寂しい。だから名前は大事。大事だけど、ほんとに単純な「記号」として。本当に大事で重要なのは、中身で本質。ちなみにこの作品の言いたいことは、息子のユウトくんが全部言ってくれてます。
●「(苗字がかわることについて)僕は誰になればいいの?」
→誰かになろうとしなくていいし、型にハマる必要はないし、型にハマると自分を見失う。
●「(谷口という姓が知らない姓だと知った時)僕の名前はなんなの?」
→個人を表す名称の重要性。
●「お父さんが死んだことが悲しいのはなくて、もうお父さんに会えないことが寂しい」
→人に必要とされること、人の記憶に残ることの価値。
●「妹のはなちゃんには、僕から、どんなお父さんだったかおしえてあげる」
→一所懸命生きた証明をすることと、自分が誇れる人間になりなさい。
そして名前の重要性については、原誠さんが「りょうくん、りょうくん」と名前を呼ぶシーンがあります。
もうその人と接することが出来ない以上、その人の人間性を知る術がない。名前を呼ぶことが、その人の存在を認めたよ…と言っているように見えました。原さんは「思いやりがある人間性を持っている」と垣間見れるシーンでもあります。
劇中では、人物の後ろ姿の描写がとても印象的。度々、後ろ姿で映ります。「ちゃんと目の前の人を見てますか?見えていますか?向き合えていますか?」とメッセージを感じました。たぶん、故意に真正面のシーンは1つだけ。城戸先生が刑務所を2度目に訪ねる場面です。Xさんの本名が判明した事で自信満々の城戸先生。しかし、詐欺師・小見浦が言うように、城戸先生は「何もわかってはいない」。
城戸先生は、真相を知りたくて、知りたいがあまりに、答えだけを求めて、目の前のその人を見ようとしない。その人を形成した過去や環境、今現在の生活など。見ようとしていない自覚もない。分かったつもりでいるが、偏見による考えであることに気付いていない。
気付かないまま城戸先生は、言葉は少なく「分かっている顔」をよくします。偏見による「分かった気でいる」時もあるし、相手に共感を示している場合もある。だけど、共感を示すときは「共感すること」と「自己の感想をもつこと」がゴチャゴチャにならないように気をつけたいところ。城戸先生はそこも曖昧。共感を示す場合は「他者を理解する、までに留める」ようにしたい。意識しないで人の気持ちに共感をしていると、いつのまにかそれが自分の感想であるかのような錯覚を起こして、自分を見失いかねない気がします。
城戸先生は、自身が人種差別を受けてきて、その痛みを知っていて「色眼鏡で見られる」という事にウンザリしていて、人種じゃなくて型にハマった形じゃなくて、1人の人間を見て欲しい願望を持っています。しかし、自分とはなんなのか?漠然とした疑問があるだけだった。
「自分を自分だと証明とするもの」を探そう考えよう、とはしなかった…自己肯定感が低く自身と向き合えていなかった。人捜しは解決してスッキリしたかのような城戸先生だったが、人の、他人の人生は俯瞰しやすい。城戸先生自身は、自分が何者なのかわからないまま。城戸先生の「自分とは、なんなのか?どんな人間なのか?」その旅はこれからも続いていく。
同じように私たちも、自分自身をずっと探し続けるのでしょう。人の記憶に、自分という人間性を刻めるように生きていきましょう、、という映画なんだと思います。タイトルもいいですね…!飾り気がなく、ただ興味を引こうとしてるだけに見えて地味に感じたタイトルですが(失礼)、観賞後は、名前と内面の重要性を表していて、とても妙です!
さて。
度々書いている「自分はどんな人間なのか?」
これは、自分の考え、物の考え方、価値観を把握して自身で肯定する事と思います。一方で、他者が認める「あなたって、こういう人だよね」と評価される事も自分の一部であると思います。すべてを知って、自分を理解することは無理なのかもしれません。劇中(死刑囚の絵画展)で「人は変わりゆくもの」と講演がありますが、自分をアップデートしていくがごとく、絶えず「自分はどんな人間なのか?」と自問すること自体が、意味のあることなのかなと思いました。
作品を通して。
わたし個人の内面を、認めてもらえるように。また、他者と向き合ったときに内面を見ていきたいし大事にしたいと思いました。
城戸が自分を見失う物語としての考察(空想)
窪田正孝演じる谷口の描写に「出自や肩書きなどに囚われてはいけない、その人がどう生きているかが大切」というメッセージを読み取ることも出来る。だが、本筋は主人公城戸のアイデンティティが揺らぐ過程であるように思えた。(原作未読なので、あくまで映画本編のみでの個人的印象)
印象的に使われるマグリットの「複製禁止」の絵、それにそっくりな城戸の後ろ姿のカットがしきりに出てくることを考えると、あの絵は城戸の心の象徴だろう。鏡に正対しているのに、自分の顔が見えていない。
窪田正孝の作り出した闇が強烈でダブル主演のように見えてしまうが、彼の存在は城戸をアイデンティティの迷路に迷い込ませるための凝った舞台装置とも言えそうだ。
弁護士という社会的信頼度が高い職に加え、逆玉の輿と言っていい結婚(しかし最初からあまり幸せそうではない、谷口の家庭を見た後では特に)などを見ていると、城戸は自身の社会的アイデンティティに無意識のレベルで不安があって、絶対に崩されないレベルのスペックで身辺を固めたのでは、とも思えてくる。
それが谷口の件と関わるうち、彼の出自への絶望に知らず知らずのうちに共鳴している自分に気付いた。
戸籍交換という表沙汰に出来ない手段で辛い出自から逃れ、短期間だが真に心安らぐ幸せを手にした谷口。
一方、元在日三世の城戸は、正規の手続で帰化して社会的地位も評価も手に入れた。妻の実家も金銭的な安心感をくれる。時折聞く在日や北朝鮮への日本人の口さがない物言いも、気に留めないようにしてきた。しかし、妻は仕事に理解がなく夫の行動を疑って詮索し、家庭の空気はどこか空疎だ。
心が揺れ始めた状態の中、何度も小見浦を訪ねる。彼は即座に城戸の出自を見抜いた上、弁護士であることなど歯牙にもかけずからかい、城戸の言葉を最後まで聞こうともしない。
乱暴な物言いの人間には仕事上接した経験も多いはずだ。しかし安定を欠き始めた城戸の心に小見浦の言葉が、声を荒げてしまうほどクリティカルに刺さるようになってゆく。かつては苦々しく思いながらも聞き流していた、一部の日本人の在日や北朝鮮に対する心ない言葉も、次第に流せなくなってくる。
とどめは妻の浮気だ。城戸がそれを知ったことに妻は気付かないまま物語は終わるが、彼は妻に浮気を問い詰めることは出来ないのではと思う。
あの妻の実家の太さと付き合いの距離感は、夫婦関係の公平性にも影響を及ぼしていそうだ。それに彼ら義両親は、社会の中で城戸の不安定な自我を守る殻の一部でもある。
もとの自分の在り方に確信が持てなくなり、どんどん息苦しくなって、かと言って現実を打開する行動も取れないから、彼はバーにいた見知らぬ人間の前で谷口を複製し、ひとときの間現実逃避をした。谷口の得た幸せ、妻の里枝からの信頼への羨望があったのかも知れない。
出自や肩書きに囚われないことの大切さを谷口が表しているのに対し、城戸はそのことの難しさを体現しているとも言える。
贅沢なキャスティングで安心して演技を見ていられたが、やっぱり柄本明は別格。頬杖ついて睨まれただけで腰が抜けそう。面会室のシーンは「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンスを思い出した。キャラクターの品性はだいぶ違うけど(笑)。
窪田正孝は父親役も演じていたが、父親の時の目のギラつき方が谷口の時とは別人で驚いた。さすがです。
平野啓一郎先生の作品のテーマだと思う。 実存主義 と アイデンティ...
平野啓一郎先生の作品のテーマだと思う。
実存主義 と
アイデンティティ
をテーマにした血の繋がり。と
そして
ナショナリズムかなぁ
この作品は恥ずかしながらある高校図書館に選書しておきながら、自分では読んでいない。
同じ家族をテーマにした『決壊』とかに似ていて、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からの影響があるのかなぁって思っている。
この原作本を読んだ他の方の映画と原作の関係を参考にさせていただければ、この映画は原作を元にうまく脚本を仕上げていると感じた。但し、会話でのカットと入れ方を小津安二郎監督の手法を取れば、より緊迫感が出たように感じる。
昨日見た『三度目の殺人』と全く同じ様なテーマで相対する解釈と感じる。
僕は平野啓一郎先生をノ◯ベル文学賞に推薦したいね。
そのくらいのファンなんだけど、『マチネ』読んてから彼から遠ざかっていた。原作本読んでみるか。
ドキュメンタリーを見ている感じ?
在日3世、殺人犯の息子、何気なくレッテル貼りされ、本人にとっては息のつまる生活の中で、個人のアイデンティティや本当の幸せとは?という映画だったと思う。テーマはしっかりしていてカメラワークも良いし、全体的には悪くはないのだが、あまり抑揚がなく、のめり込むという感じよりは少々眠くなった。深いテーマで書かれている原作を真正面から映画化すると、どうしてもこんな感じになってしまうのかもしれない。ドキュメンタリーを観ている感じかな。原作のつくり自体が映画化しにくいのかもしれない。
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①誰って思って調べてそれ紐とくのなら、2人目ももう少し内容あっても...
①誰って思って調べてそれ紐とくのなら、2人目ももう少し内容あってもよかったかなって思います。②ボクシングジムで正直に言えたんならどうして結婚するとき嫁に言わなかったのか・・・。③安藤さくらさん、申し訳ないけどそんな店頭で声かけるほど可愛らしさもセクシーさもなく、だったら2人が惹かれた詳細ももうちょっと細かくあってもよかったのかなって思いました。お兄さんがこれは弟じゃないって言った時も執拗に言いかえしてたのも…好みじゃないのかなあ演技が(汗)
自分の過去を消したくて、何度も別の人生を上書きしようとする。他人の...
自分の過去を消したくて、何度も別の人生を上書きしようとする。他人の傷を背負ったふりをしなければ生きていけない人
そんな彼がはじめて自分の居場所をみつけたが、どんな名前で生きていたって、その人が選んだ人生だったら、目の前の大祐だけみて、消したかった過去、里枝には絶対に知られたくなかっただろうことを、無理に暴き出す必要なんて無かったのかもしれない、、
里枝と大祐の実の兄が、この遺影は別人だ、と遺影の前でやり取りするシーンは笑えた
谷口視点で見たかった
「自分じゃない誰かになりたい」、自分も凄く同じことを思うから、凄く引き込まれて見てしまった
残酷な世界で儚くも強く生きようとしてる谷口の姿が魅力的だった
弁護士の城戸が彼の生い立ちを紐解いていく物語なので、仕方がないが、谷口視点で見てみたかった
最後の「全てがわかった後に知らなくてもよかったんじゃないか」(安藤サクラ)というセリフが愛に過去も生い立ちも本当の名前も関係がないことを物語っていて素敵だった✨
良い流れ
小説を読んだ上で鑑賞。
画の作り、演技も良かった。ただ映画では表現出来ない部分が多いので小説も読むとよりよい体験になると思う。「花ちゃんこーおもうよ」があったら良かったのに....それだけが残念。
ヒューマンドラマと、娯楽ミステリーの
人を深く掘り下げたテーマを持ったヒューマンドラマと、娯楽ミステリーを融合させたような作品だと捉えると、それに成功した作品だと感じた。
特に中盤まで、キャラクターが一定以上掘られることなくミステリー要素が際立っていた。X(原誠)と城戸いずれも「ルーツを打ち消したい」というジレンマ以外に掘り下げられた描写が見えなかったので「分人主義」を用いた評もちょっとしっくり来ないところがあり、ただ娯楽ミステリーとして楽しむモードでいた。
結局その部分はそれほどすっきり解消されたわけではないのだが、ラストあたりで急激にヒューマンドラマとしてまとまってきた。
本物の谷口大祐の行動がほぼ説明されていない事や、最も出演の長い城戸を軸に見るとテンポが悪かったり、ラストで不倫発覚するのが取ってつけたようなタイミングになるなど、気になるところは他にも多かったが、「原作がある作品の映画化としてはしょうがない部分があったんだろうな」と、冒頭に挙げたようにミステリーとヒューマンドラマの融合を狙ったものと捉えると良いテンポで引き込ませる力を持った作品だったと思える。
あまりにも退屈なお話
ここまでつまらない話で退屈なまま終わり。
枝葉まで言葉で語らないのは良いと思うけど、映画館で観ていたらお金返せと思ったでしょう。
ひとつ確かなことはこの監督の作品は二度と見ないだろうということ。
驚きがない
在日 死刑囚の息子
その生き方にフォーカスするのはよかったと思うが
正体がわかってからは退屈な時間だった。
この男はもっと別の顔があるのではと期待して
最後まで見たが説明されている通りの男。
ルーツに着眼するのはいいがその人がどんな苦しみを負って生きたかが
劇中ではそこまで触れられていないので
見た人の想像に委ねられている。
ある程度非難されて生きたり苦しい経験をしていたのは
思いつくがもっとそこに具体性があったら良かった。
窪田正孝がスケッチに描いた絵は何を思って書いたのか
父の呪縛から逃げられないことをあらわしたにしても
あそこまで嫌ってる親の絵を真似する心境が分からない。
死刑囚の息子だと観てる側に気付かせる為だとしたら短絡的すぎる。
原作は読んでいないのでもしかしたらもっと深い話なのかと。
普通の生き方をすることはとても難しいと考えさせられるが
その境遇に入り込めなかった。
全体的にだらだらと進んでいく感じがして時間が長く感じた一本でした。
未だ余韻の中
「どんな境遇でもいいから、今の自分を捨てて新しい自分になりたい。
そうでもしないと生きられない人がいるんです。」
城戸の言葉に胸を打たれた。
人の人生を追いかけていると気が紛れると言った城戸も、原誠や谷口と同じく自分のルーツや人生をどこか受け入れきれずに過ごしてきたのだろう。里枝の言葉「本当のことを知る必要はなかったのかもしれない。一緒にすごした時間ははっきりとした事実」という言葉でやっと、自分のこと、自分の選んだ妻、築いた家庭を受け入れ、向き合っていこうと思えたのではないだろうか。谷口大祐の調査を経て、彼もまた救われたのかもしれない。
そう思った矢先に、奥さまの浮気発覚。最後バーで谷口大祐の人生を語ったのは逃避だろうか。「人の人生を追いかけていると気が紛れる」という言葉の通りになってしまった。
最後にマグリットの絵「複製禁止」を映したのは、彼が自分自身を直視出来ない、受け入れられないということを表しているのだろうか。谷口や原誠がそうであったように。
妻夫木聡の、感情を押し殺した絶妙な表情の変化が素晴らしかった。激しく怒ったり泣いたりしなくても、こんなに心の内を表現出来るものなのかと。
安藤サクラの自然な演技も大好きだし、窪田正孝も可愛くて応援したくなってしまった。
亡くなった子供を思って名前を呼んでくれるシーンはぐっと来た。
柄本明怖すぎ。
最近は洋画ばかり観ていたけれど、邦画の力、役者の力を見たような気持ち。
自分の人生を捨てて、人の人生を生き直したい、そう思うほどの境遇に自分は居ないはずなのに、すごく共感できて、感情移入してしまった。
谷口大祐として生きた数年間は、原誠にとってどれだけ幸せな時間であっただろうか。
相手の名前やルーツではなく、今自分が見ている相手、一緒に過ごしてきた時間が大事だと改めて思うことが出来た。
見終わったあともしばらく余韻が残るような、素晴らしい映画だった。
引き寄せられる社会派エンタメ
社会派エンタメ、ミステリーとしてどんどん先が気になる映画だった。
血縁、人種だけを理由にしたレッテル貼り、迫害は絶対にあってはならないし、それから逃れたいと望む人は悪なのか?その人同士が望むなら良いのではないか?
最後妻夫木聡は窪田正孝の最後の人生を自分ごととして語る。
あるいは、妻夫木聡と仲野太賀の同意のもと名前を変え、安藤サクラと結ばれ、中学生の息子は名前を変えずに済んだのかもしれない。
蜜蜂と遠雷と比較すると、衝撃的な映像みたいなものは少なかった。
少しセリフ回しが不自然な印象はあった。
演技は上手い
原作未読。
役者は子役含め、みんな上手い人で揃えている。ただ、この役をこの人?って言うのが幾つか有った。
それと、妻夫木の在日三世設定って要るのかなぁ。原作でもそうなんだろうし、テーマ的に必要なのは分かるんだけど、小説ならその話題の時の妻夫木演じる弁護士の内面がハッキリと出るだろうけど、映画で見ている限り、それ程かなぁと。それより、本物の谷口が消える理由(原作ではどれ位触れているのか?)をもっと出して欲しかったかなぁ。
見終わった後、ググって妻夫木が妻の浮気をLINEで知った時にスルーした理由は分かったけど、映画だけだと「えっ?スルー?」ってなってしまう。
面白かった。ミステリーとしても、演出も。
原作未読で、上映時も観そびれていたが、妹が面白かったとラインしてきて、ようやくアマゾンで観た。安藤サクラ、妻夫木聡、窪田正孝は名演で、河合優美もさすがの存在感。名前でなく、各人の存在と相手との関係性が重要というメッセージを感じた。最後のオチがおおっと思った。
役者が良い
Amazonプライムで観た。
展開が重い。全部が重い。
のちに戸籍を偽る事になるある男の子どもの時
家族ぐるみの付き合いがある友達を誘いに来たら、そこで自分の父親が友達一家殺してて血塗れのお金くれる
原誠がまず変えるべきは戸籍じゃなく顔だったのでは?って思った
殺人を犯したことで自分の人生すら狂わせた憎い父にそっくりな容姿がつらいのが理由だから。
そのあとに戸籍も変えたらもっと人生楽に生きれたのかなと思った
殺人犯の息子、在日だとか、そういう差別をする人達の中で必死で生きて、戸籍を変えてでも必死に生きる強い人だなと思った
どうしたって自分に流れる血から逃れることができない。
だからもういっそ戸籍を変えて、
自分を象る名前を捨てて、
血のつながりから目を背け続けた。
そして新たに自分を創り始めた。
城戸(弁護士)も
在日であることに、自分に流れる血液から目を背けられなかった。
自分をどんなに創り続けても、
貼られるレッテルから逃れられない。
それは自分でなく他人でさえもその人に流れる血液に目を向けるから。
自分が必死に自分を創っても、
他人は人を認識する時、その人に流れる血液や障害がある等を知った途端、以降その人を細胞レベルで認識し始め、その見方をなかなか曲げないし曲げる気も起こさない。
今の自分を捨てて生き直したい
その気持ちは痛い程分かる。
人を見る時に大事なのは
その人が自分にとってどんな存在だったか。
相手と自分との関係性はどうか
表面上では無く、
その人が行ってきた事実に目を向けて、愛してくれる人はかなり貴重な人
彼の血縁など、全てを知った上でも関係なく愛してくれる人に出会えたある男は報われたと思う。
原作未読です。 鏡に映った自分に向かって「お前は誰だ」と問い続ける...
原作未読です。
鏡に映った自分に向かって「お前は誰だ」と問い続けると、人は発狂するらしいですね。まさに鑑賞者にあなたは何者ですか?と問いかけるような作品です。最初は犯罪者の家族の人生にスポットが当てられた作品なのかと思いましたが、妻夫木聡演じる弁護士が在日コリアン3世であることが語られた辺りから、ああ、出自やバックボーンのようなことも含めもっと広いことを扱いたいんだなと感じました。色々考えさせられました。
とにかく役者さん達の演技が素晴らしかったです。冒頭から引き込まれます。窪田正孝さんはこういう役がよく合いますね、顔立ちもあると思いますが、鋭さや暗さの中に無垢さもちゃんと感じられてかなり良かったです。安藤サクラさんは言うまでも無し。最初の20分程駆け足ですがここまで説得力あるのが凄い。この後展開していくのでここがマズイと総崩れです。他の役者さんも皆んなめちゃくちゃ良かった。
ラスト、お酒のシーンで、弁護士が自分のことを話す時に嘘を言いますよね。あれが良かったですね。一瞬、え?どゆこと?と混乱しましたが多分そういう事ではなく。あのシーンがあることで鑑賞者にとってテーマがグッと近くなるんだと思います。皆んなあるでしょ?ちょっと話盛ったり、違う自分を演じたり。でもどれも自分自身なんだ。
私には英語が堪能な友達がいるのですが、日本語を話す時と英語を話す時では若干キャラ変わるなーと思ったことがあります。そもそも扱う言語が変われば発声の仕方や表現方法、文化が丸ごと変わるので当然なのですが、それも同じ当人なんだよな…人には色んな顔があり、そういうものなんだよなーと思った次第です。
死刑囚の絵画展で、本人が特定されるところはちょっと都合良すぎな気はしますが、全体的に良作でした。暗いけど淡々と運ぶ感じも良き。個人的に好きなのは、中学生の息子(坂本愛登)が「お父さんは自分が父親にして欲しかったことを僕にしたんだと思う」と言った時、安藤サクラさんが「それだけじゃなくて君を好きだったからだよ」と言うシーン。丁寧で温かくて好きです。
深さがいまいち掴めなかった
あまりの高評価と絶賛の感想に驚いている。平野啓一郎さんの原作だと知らずに観てしまった。平野啓一郎さんの分人主義も読んでいて複数の自分を肯定する考えに深く共感していたのに、映画からテーマである平野啓一郎要素を読み取れなかった自分が情けない。
ミステリアスな謎解きを期待しすぎたのかもしれない。柄本明さんがヘイトで妻夫木さんに悪態をつくのは物語のファシリテーター的な役割なのか?本物の谷口弟(仲野太賀)はただ老舗の次男が嫌になったただけ?
そこを深く考えなくてよいのなら、窪田正孝Xの生き方や、安藤サクラさんの幸せだった現実を素直に受け入れる姿、母子で支え合う姿はとても好感が持てたし、過去やしがらみに捉われず今の自分を精一杯生きればいいのだと教えられた気がした。
ラストもやもや
でも話してるのが初対面の人だから別人になりたくて嘘を話していたんだろうな。そうだそうだ。
いや、でもなんかもやもやする。清野菜名ちゃんが妻夫木くんにやたら好意的だったのはなんだったのか。最後の話は本当なのかもしれない。あーあ、よくわかんない。
立場から逃げたい
犯罪者の息子という出自が原因で他人になりたかった原。家族関係が上手くいかなくて他人になりたかった谷口。
建前はさて置き、出自による差別や偏見はなくなりませんし、家族関係を断ちたい人もいますよね。城戸の義父のように、いまだに在日のことを言う人もいますし。
人々は普段は立場という仮面を被り生活をする。だから、仕事、家族、地域など、自分が置かれた立場から逃げだしたい人も少なくないと思います。それは、社会的立場が高い城戸も同じで、ラストはそんな皆のちょっとした願望を表しているのかな?と思いました。ちょっとした嘘をつくだけで生きのびられればそっちの方がいいですし。
もし、置かれた立場から逃げられたら、自死も蒸発も減るかもしれないですね。置かれた場所で咲く必要はないと思います。
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