声もなくのレビュー・感想・評価
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どの視点で見るかによって感想も変わってくる。
片足が不自由な男と話ができない若い男は卵売りは表向き、裏では死体処理の仕事をしていたが、裏ボスから誘拐した11歳の女の子を預かって欲しいと頼まれ、若い男に押しつける。
そこから数日、話ができない男とその妹、誘拐された少女の3人の生活が始まる。
少女は加害者に共感し、隙あらば逃げようとも考えつつも、共同生活を楽しもうともしていく。
恐怖と孤独さと話ができない男の実は温かい眼差しを受けている誘拐された少女。
生まれつき発話ができない若い男のつらさ、無念さ。
足が不自由で貧しい生活から抜け出せないオッサン。
話は発話できない男目線で描かれ、誘拐された少女を思いつつも不器用なやり方でしか接することができないことに同情するようなストーリーになっているものの、最後で目が覚めるような展開で終わる。
やはり誘拐(実際は違うにしても)に関わった人物としての引き戻しがこの作品のバランスを保っている。
声を発したかった
卵の移動販売の傍ら、生活の為に犯罪組織の死体処理を請け負う口の利けない青年テインと相棒のチャンボク。ある日、ボスが身代金目的で誘拐した少女チョヒを預かる事に…。
裏社会、死体処理、誘拐…。
韓国作品らしいハードなサスペンスかと思いきや、
いい意味で予想を裏切られた。
シビアな設定、題材である。ラストもどう捉えていいか困るくらい、切ない。
そんな胸かきむしられる感情と共に、ユーモアやペーソスやハートフルといった感情も入り交じる。
見ていて不思議な心地にさせられた。
それを織り成すは、一人の青年と一人の少女…。
口が利けず、無愛想。唸り声でしか感情を表せないテイン。
唯一頼りにしているのは、チャンボク。赤ん坊だったテインを拾い、育て仕事の相棒にしてくれた恩人で親代わり。
でも、彼もまたいい加減。少女の面倒を押し付ける。さらに困った事に、ボスが何かやらかしたのか制裁を受ける立場になり…。
自分たちは死体処理の請け負いだけで、誘拐は専門外。そもそも誘拐にも関わっておらず、ただ少女を預かる事になっただけで、ボス亡き後、誘拐やこの少女をどうすればいい…?
何でこんな事に…とチャンボクは愚痴るが、テインは尚更。
嫌々抵抗しながらも、仕方なく少女を家に連れ帰る。
家と言っても、周りに何も無いド田舎の草むらの中にある、オンボロ家屋。
中もただ食事と寝泊まりするだけのような、布団乱雑の汚ならしさ。
突然布団がモゾモゾと動いたと思ったら、テインの幼い妹ムンジュ。腹を空かしている。
こんなド田舎のボロ家で、口の利けない兄と幼い妹の底辺も底辺、極貧暮らし。
ここに留まる事になったチョヒは…。
チョヒの処遇も不憫だ。
誘拐された事自体そうだが、それ以上に…
本当は誘拐犯は、長男である弟を拐う筈が、間違って姉のチョヒを誘拐。その為、父親は身代金を払うのに渋っている現状。
身内からは軽んじられ、誘拐した側からもたらい回し。
嘆き悲しんでいい所だが、なかなか気が強く、しっかり者のチョヒ。
家でも弟の面倒を見ていた姉だったのか、誘拐された身でありながらムンジュの面倒を見る。
家の中も綺麗に整理整頓。小さなテーブルを囲んで3人で食事を…。
孤独な青年と半ば見離された少女。
所謂“ストックホルム症候群”。被害者が加害者に、加害者が被害者にシンパシーを感じる。
だが、チョヒは隙あらば逃げ出す事を考えている。実際、行動を起こした事もしばしば。
そうでありつつ、この兄妹の事を見捨てられない気持ちもあったのではなかろうか。
テインも当初は嫌々だったチョヒを、次第に受け入れ始める。チョヒの処遇が決まり、人身売買の夫婦に引き渡すが、その直後思い直し、大胆にも奪い返す。
心が触れ合ったようでもあり、抵抗もある。
そんな微妙な関係性は、あのラストまで続く。
他の韓国サスペンスとは違うこの作風。
しかし、勿論インパクトは充分。
死体処理、誘拐、人身売買などの犯罪ビジネス。しかもそれらを行うのが、如何にもな悪人面ではなく、一見平凡そうな人たち。それがまた衝撃であり、戦慄。
テインの極貧暮らしは格差社会の象徴。
女の子だからという理由で身代金払いを渋られ、家父長制による男尊女卑を突く。
韓国現代社会の問題を巧みに溶け込ませている。
本作が長編作デビューとなった新鋭女性監督ホン・ウィジョンの手腕とオリジナル脚本は特筆もの。
見る側に解釈を委ねる結末は賛否別れそうだが、あの終わり方は嫌いじゃない。
体重を15㎏増やし、台詞の無い難役に挑んだユ・アインの熱演と体現は一見の価値あり。
人間臭い相棒チャンボク役のユ・ジェミョンは勿論の事、チョヒ役のムン・スンアはまた新たな天才子役が現れた逸材と存在感。
予測不可能な展開の行く末は…?
身代金受け渡しに加担させられる事になったチャンボク。しかし、まさかの事態が…。
人身売買の夫婦と一悶着。
誘拐実行犯がチョヒを追う。
ある事をきっかけに、女性巡査に嗅ぎ付けられる。って言うか、夜道のあの酔っぱらい親父、本当に警官だったのね…。
そんな中、テインとチョヒはチョヒが通っていた学校へ…。
この結末が何とも言えない。先述したが、どう捉えていいのか…。
先生がチョヒに気付く。
チョヒは先生に駆け寄ろうとするが、テインはチョヒの手を離さない。
チョヒはテインの手を振りほどき、先生の元へ。
先生はチョヒにテインの事を尋ねる。
この時チョヒは先生に何かを囁くが、何と言ったのだろう…?
私を誘拐した人…と言ったのだろうか…?
だとしたら、あまりにも残酷だ。そもそもテイン(とチャンボク)は誘拐の実行犯ではなく、面倒を押し付けられただけ。
家に連れ帰ったとは言え、チョヒに少なからず穏やかな場を与えた。それに、ここまで連れてきてくれた。
それとも、チョヒが何かモゴモゴ発せず、先生がその身なりからテインを“誘拐犯”と決め付けたのだろうか…?
一応チョヒは保護され、事件は解決。
…だが、この何とも言えぬ感情は何なのだろうか…?
テインはその場を逃げ出す。走って、走って。
叫び声を上げる。
あの一時でも、共に過ごした穏やかな日々は全て偽りだったのか…?
チョヒが次第に受け入れてくれたのは事実。
が、家族の元に帰りたかったのも事実。
だから一層、余計に…。
一度、家族(父親)から見離されたチョヒ。
再び家に帰って、居場所はあるのだろうか…?
いや寧ろ、気まずく居場所が無いのなら、そうならないようにしなければならない。
母親が迎えに来たチョヒの表情からそう読み取れた。
チョヒも時折思い出すだろうか。共に過ごした日々を…。
声もなく、翻弄させられ…
声もなく、共に過ごし…
声もなく、唐突の別れ…
声もなく、本心を伝えられず…
声を発したかった。
こんなユ・アイン見られると思ってなかった
Netflixの「地獄が呼んでいる」と、「バーニング劇場版」を見て、ユ・アインさんが気になり、「声もなく」を鑑賞。
作品によってビジュアルも全く別人、作品毎にその人間を生きている事に驚いた。
声を発さない役なのに、全身から感情が伝わってくるテイン🥺誘拐した側とされた側なのに、一緒に過ごす時間が増える事で絆が生まれ、テインが心救われた時間が確かにそこにあったと感じた。逃げられない現実から目を逸らす事が出来た安らぎは一瞬で、やはりラストは現実を突きつけられた。
もっと深く埋めたら良いのに。と思ってたら。
韓国映画のチェンジ・ゲームを実感させる映画だった。韓国と言えば「喜怒哀楽のデフォルメ」が得意技。面白いっちゃー面白いけど、逆に言うと、それが無いと詰まらなさ過ぎて見てらんない、って言う。テーマ性に欠け、映像表現に乏しく、文学的素養は皆無。喜怒哀楽デフォルメを裏返せばそうなる訳で。ハチドリが突然変異では無く、少しづつ変化が起きてる様だ、と言うのを感じました。
ラストシーンは、テインの家で姉妹の様にはしゃぐチョヒとムンジュ。男の願いは、その生活が続いて行く事だったのか。チョヒの生存戦略は、11歳と言う、その年齢なりのものだったのかも知れないけれど、警官を埋めてしまうことへの躊躇の無さや、テインを身バレさせる時の冷たい目は、計算高い打算的な本性を匂わせる。このビターでクールなとこが好き。
そうなんですよ。韓国モノのベタベタコテコテに行かないんですよ。
声なき、を、愛なき、と読み替えて。チョヒが見せてくれたのは、疑似愛だったかも知れないけれど、テインに変化をもたらし。愛で変わって行った行動は、チョヒの裏切りに会う、と言う悲劇。と言うか、自業自得。と言うか、必然の結末。
リアリティのほどは定かじゃ無いけど、ヌーべルバーグの匂いがしないでも無いストーリーが、結構好きです。
<声「が」なく>ではなく、<声「も」なく>・・・の意味は?
黒社会や黒と白の狭間のドラマをサラリと自然体でユーモア含んで描けるなんて、さすがは韓国映画。映像・風景もとっても叙情的で良い!行間も描く感じもいいなぁ・・・でも、「惜しい!」観賞後の第一印象でした。かなり微妙な仕上がりかなぁ〜、なんて思ってたんですよ。ストーリーが空中分解しちゃってるなぁ、女性警官のアレはちょっとなぁ〜、辻褄合わせが多いなぁ・・・・・なぁんて僕の中では評価が低かったんです。ですが、一つだけ引っかかることが、しっくりこないことがありまして・・・、
「声もなく(原題:Voice of Silence)」
この題名は一体なんなのだろう?なぜこの題名なのだろう?と。
端的に考えれば主人公の境遇にフォーカスしての題名?だとするとこのストーリーはしっくりこないのです。この違和感があるので「いまいち」って思ってたんですよね。ですが・・・「声もなく」・・・声もなく「何?」なんだ?、、、原題は直訳で「沈黙の声(で良いのかな?)」「音なき声」なんてことになるのかなぁ?・・・と考えていたら、なんだか「あぁ、そういうことかも!」ってしっくりくることが増えていったのです。主人公の境遇のみフォーカスなら<声「が」ない>なのでは無いかなぁ?<声「も」なく>とは主人公のみの話ではなく、音もなく何かが進む、声もなく進行していく様なのではないか?と。
人は結局は100%分かり合えないと思ってます。いくら何億個の言葉を紡いでも、会話をしたとしてもです。経験がないからかもですが、以心伝心なんてあり得ないし、誠意を持って接したって伝わらないことあるし、「こうあってほしい」と思う世界が実現するなんて、「自分の気持ちは相手に十分伝わっている」なんてファンタジーじゃん?って思ってます。(夢がないですがw)また、人間は自分が欲するもののためであれば、戦略も練るし嘘もつく。
本作はその人間社会の「分かりあえる?」って部分を、物理的に「声が出せない」主人公の境遇と「声なき声となっている心情」とを重ねつつ描いているのではないだろうか?なんて思ったのです。それも、障害がある人が歩んでしまっている悲しい日常も描きながら。ですから第一印象とはガラリと印象が変わり「うまいなぁ〜って感嘆したのです。まぁ、深読みしすぎなんだろうとは思うのですが(笑)
声があれば分かり合えるのだろうか?彼に声があり言葉を交わせていたら結末は変わっていたのだろうか?自分の気持ちを、願っていたことを伝えていたら、自分の境遇を伝えられていたら、、、。障害の有無は関係なく利害の一致が全てなんでしょうね。主人公が生活できていたのも、あの仕事があったのも利害の一致。主人公と女の子の利害はどこまで一致していたのか?けど、ファンタジーではない現実を巧みに描いた作品と言えるのではないでしょうか?
叙情的なカメラワークや、俳優陣の演技でしっとりとしたヒューマンドラマのテイストで見せながらも、えぐい現実を見せつける作品なのではないでしょうか?
ただ、やっぱり女性警官のあの展開や、相棒の行く末の辻褄の合わせ方がどうにも受け入れられなくって、さらにラストシーンは・・・韓国映画お得意の涙腺攻撃が好きになれないんだよなぁ〜ww
でもでも、改めて韓国映画すごいです。良い作品だと思います。
まぁ、深読みしすぎだろうなぁww
韓国映画に一つ傑作が増えた
最高に面白い作品でした。
本作はここ最近の韓国映画の問題意識を共有していて、ジェンダーや貧困格差の問題が描かれています。
特に、おそらくテインの富裕層への憧れの象徴であるスーツをラストで学校の先生に誘拐犯と叫ばれ、走って逃げる際にジャケットを脱ぎ捨てますが、富裕層から拒絶される瞬間のようで切なかったです。
『バーニング』のラストでもユ・アインはダッシュしますが、『バーニング』は富裕層に対するプロテストの気概に溢れていましたが、『声もなく』はただ拒絶され逃げ去るのみであり、もっと悲しいラストでした。
血液型で値段が違う?
あの妹(ムンジュ)を見た時には、誘拐された少女(チョヒ)は一体どうなるのかと心配しましたが。
洗濯のシーンがこんなに心に残る映画は私は初めてです。
少女と妹の髪型が入れ替わるのもいいですね。
あの怪しい男が本当に警官だったとは。
映像もきれいだし、不思議と血のにおいがしない。
血痕を使って少女が花の絵をかくところとか、センスを感じました。
見るのを迷っているかたには、是非おすすめしたい作品です。
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