声もなくのレビュー・感想・評価
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中途半端感が…
あざとい色彩と優しい心
いつか寝ずにまた観たい
裏稼業もサラリーマンと同じ
死体処理の裏稼業で生計を立てる口の聞けないテインと足の悪いチャンボクがある日、誘拐された女の子を預かることになり、依頼者が始末されたことで誘拐事件に巻き込まれる話。
舞台はド田舎なのだが、その中で普通の顔した普通のおじさんおばさんがヤバい裏稼業に関わっているのが怖い。『ただ悪より救たまえ』が悪全面なのに対して、善人の顔した極悪人ってめっちゃ怖いなと思った。1番嫌だったのは、人身売買のおばちゃんが子供に焼酎飲ませて動けないようにさせてたとこ。
しかも専門によって管轄が分かれていて、誘拐も実行犯、子供をかくまう専門、人身売買専門とそれぞれの人達が連絡を取りあって交渉してるのが普通に会社みたいで面白かった。1番下っ端のテイン達が面倒を全部押し付けられるところも、サラリーマンっぽい。
個人的に、男子が優遇される韓国の怖かったのはチョヒが女の子だから身代金を渋ったということより、チョヒがテインの妹を躾ける時にお兄ちゃんがご飯を食べ始めるまで待ちなさいと言っていたこと。明らかにそこは教えなくて良いとこなのに、少女にその文化が当たり前の事として浸透してるのが怖い。
そうやって持ち上げられたことで、テインにも自分はこの擬似家族の上に立ち、守らなければいけないという驕りが生まれちゃったのかなと思った。
想像していた以上にはおもしろい。
最後は、何らかの決着は付けた方がよかったんじゃないかなぁ。
女の子の目の前で捕まるとか、何らかは結果があった方がよかったと思います。
韓国の最下層の人達の、ドタバタ劇ではありますが、想像していたより、おもしろい映画です。
主人公テインは、殺された人間の死体を処理していますが、自分では決して人を殺せない人間でしょう。
その不器用で、真面目な人間性をよく描けていると思います。
女の子も、テインから逃げようとしますが、捕まっても、このオッパーは悪いことをしないと知っていて、自分で手を引いて、テインの家に帰っていきます。
ただ、100%信用しているわけではなく、子供なりに、怒らせないよう、おとなしくしているのかもしれません。
口のきけない男と、誰かに誘拐された女の子の、世にも奇妙な関係を描いた韓流映画。
ぜひ、劇場でご覧ください!
圧倒的なユ・アインの怪演!
卵の移動販売と言う表向きの顔を持ちながら、裏では犯罪組織の死体処理を任されている2人。
そんな彼らがある日、誘拐を請け負うという、何かようわからないイントロダクションだったが、
その背景にある貧困や、善悪のあいまいな境界線が絶妙な面白さを醸し出していた。
当初、ユ・ジェミョンとユ・アインの親子か先輩後輩的なバディムービーかと思っていたが、物語が進むにつれ、ユ・アイン演じる口のきけない青年の行動がこの映画に強烈なインパクトを与える。
一つもセリフもない中、このテインという青年役を演じきったユ・アインがあまりにも凄すぎた。
台詞がない分、観る側はそこに彼の心境や感情を推理し、やがて彼の演技に引き込まれていく。
また、話せないというハンディを背負っている分、この奇妙な誘拐劇がどういう結末を迎えるのかがわからず、まったく予想できない展開にひたすら見入ってしまった。
また、誘拐された少女も、心を許してるのか、それともそれが高等な演技なのか、最後の最後まで読めないスリリングな展開。
もしかしたら『万引き家族』に着想してるのかな、というところもあったが、芯のところは実は観客に委ねられているような挑戦的な作品ともとれた。
これはなかなかの傑作ですよ。
ユ・アインは本作に向け、ウェイトアップをしたそう。
確かに、ちょっと肉付きが良くなっているな、と感じたが、そこにも彼のキャラが出ている。
こんなユ・アイン観たことない。
絶望のなか、一瞬のともしびなのか?
この2人の主人公の【心の揺れ】関係性の変化がこの作品の全てだったと思う。映画の終わりのその後を想像してしまう。もし事件が解明されても、主人公二人の心情は誰もわからない。この二人も説明ができない数日間。
もし自分がこの少女だったとしたら、いつか大人になり、あの男を探すかもしれない。
趣旨が理解しがたい部分もあるけど…。
今年40本目(合計313本目/今月(2022年2月度)12本目)。
映画そのもののストーリーは、他の方が書かれていることと大半重複しますし、かなりのレビューがすでにあるので同じことは省略します。
さて、映画をご覧になった方は気が付いたのではないかと思いますが、キリスト教文化を前提にする字幕や発言がいくつかあります。一方で、「普通の」キリスト教の教会(一般的には、カトリックとプロテスタント)では、「このような」(映画のような)行為は絶対に認めることはないので、「名前だけ勝手に借りて作った個人発の宗教」なのかな…というところは強く見えました(日本でも、そのような宗教や、何ら関係なく個人が作った宗教も、いくつかありますね)。ただ、いかんせんセンシティブに過ぎることもあり、映画内で読み取れるのはそれ(キリスト教を想定できる字幕がそこそこ出てくる)だけで、この映画自体はもちろん架空のお話ですが、韓国におけるそのような宗教(一部の「暴走」した宗教に対する啓発)かどうかまでは(韓国語を翻訳しても)わからない状況です。
そこは、日本と韓国とでは憲法も結構似ていますし、信仰の自由なども類似しますし、あまり「さわる」ところではないのでしょう。
ただ、そこを「さわらない」としたとき、結局のところ「発音に難がある男性と、さらわれた女児との奇妙な生活」が始まったり、あるいは「この血液型の何歳くらいの子が欲しい」というような発言(人身販売を想定できる発言も相当まずいですが、血液型で判断するという文化もあるのですね…)をどうとらえるのか…というところになります。
正直、「本当に文化的に意味はあるのだが、諸般の事情であれこれ書けないし、一般的にも書くことではない」のか、「単にそれらが出てくるだけで、実質はいわゆる「疑似家族」を描くだけの映画なのか」(または、第三の軸として、韓国に多くある各社社会の闇を圧縮したのが、あの組織だという見方)という点に関しては、これも結構探したのですが、まったく出てきませんでした。
※ もちろん、人脈のつてを使えば、聞くことはできますが、内容が特殊に過ぎるので、聞くのもためらわれます。
すると、結局のところ、どの軸で見るのかが非常に難しく、一般的な理解を超えた展開になってしまうし、ラストも結構衝撃的なので(ここは伏せておきます)、どのように解すればよいのか…という点がかなり謎です。
韓国映画って、例えばアクションならアクション、恋愛なら恋愛と、だいたい「何をテーマにするか」は最初にはっきりさせて(そもそも、ポスターからわかるようになっている)その通りに描くのが一般的なのですが、本映画に限ってはそうではないようで、実際のところ「何らかの社会問題を訴えたかったのか」「あるいは、いわゆる疑似家族を描く映画」なのかという点が、正直色々考えたのですが、わかりませんでした。
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(減点0.3) ということが全てで、特に何度か、キリスト教文化を想定できる発言は実際に存在するので(ただし、マリア像などの描写や、教会などは一切存在しない)、「一般的にキリスト教とみなされない、名前だけ借りた宗教」を問題視して扱う映画なのか、「(一応、そういう宗教はあるという前提で)疑似家族の在り方などを描く映画なのか」という点は最後まではっきりしないところです。
韓国映画はどちらかというと余韻はあまり残さず、解釈は普通1通りに定める映画が多いかなと思うところ、本映画は色々な解釈ができそうです。もちろんそれを良しとする考え方もありますが、パンフレット等含めても、誰でもが文献調査等できるわけでもないですし、合理的に「問題提起型の映画かな?」と思わせてしまう点は、やはり減点材料にはなるのかな…という印象です。
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キム・ギドク ポン・ジュノ そして、?
韓国社会の闇と光
主人公から一切の声を奪っているのに切ない絶叫が聞こえる芳醇なドラマ
住む世界が違うから
切ないね、、
【隔てるもの】
この作品のエンディングの場面を観て、ふと......と言うか、よく考えてみて、背筋がぞっとするような感覚を覚えた。
僕たちのモラリティの外側で生きているからと云って、優しさや道徳心がないということでは決してないはずだ。
そして、いつの間にか、杓子定規でしか考えられなくなっている僕たちの社会。
(以下ネタバレ)
まともな教育など受けたことがなく、非合法な仕事をせざるを得ないテイン。
口がきけないというのは、逆らう術などないということのメタファーなのだろう。
しかし、優しさは人質のチョヒとの交流となり、子供たちを救うことにもなる。
チョヒを学校に送り届けるが、チョヒが学校の先生につぶやく”何か”は、僕たちの社会の現実だ。
決してチョヒが悪いのではない。
もし、自分がチョヒの立場だったら、同様にするかもしれない。
何かで隔てられたあちら側とこちら側。
人間の根っこの部分は優しさ等で繋がっていても、厳然と立ちはだかる価値観の相違があるのだ。
テインと妹との心温まる交流に対して、迎えに来た実の両親と兄に一礼をしなくてはならないチョヒ。
僕たちの世界には、相手を理解しようという気持ちよりも、もっと隔てるものが思いのほか多くあるのだ。
とても示唆的な作品だと思う。
見てる人は心の中で言葉をさがす。
ここ最近、話す事や聞く事に障害を持つ人を主人公にしたのアジア映画をよく見る。俯瞰するとマイノリティを描く社会派映画が増えているという事になるんだが、映画としては主人公の「不自由さ」が見る人に感情移入しやすい状況を作るわけで、映画のネタとしてなかなか優れている題材である。
貧しいアジアの田舎では死体処理も、人身売買も当たり前のように仕事として成り立ち、そんな主人公の普通の日常をわりとあっけらかんと描いてる所が本作の良い所ではないかと思う。メイキングで監督が暗い話だから明るく仕上げる様に意識したと語っていた。そう言えば女性の監督も増えたなぁ。
主役男子の何処の高校の野球部にも居そうな顔もよい。
拐われた女の子がまたきちんとした家の良い子でそのコントラストも良いのだ。
届くことのない声の行方。
韓国からまた凄いのが来た。重くて残酷で絶望的で目を伏せたくなるようなストーリー。それなのに何故か心があったまってしまう瞬間がある。
闇社会の末端で相棒と共に死体処理を生業とする口がきけない青年テイン。身代金目的で誘拐された少女チョヒを押し付けられ、隠れるように暮らす茂みの家で妹と3人。不思議な共同生活が始まる。
階級社会からはじかれた者達の行く末。下っ端で学もないテインは誰に逆らうこともできない。貧困が招く負のループから永遠に抜け出せない。クスっと笑えるユーモアを盛り込みながら物語が加速してゆく。チョヒはテインに心を許したのか。それとも身を守るため本能的にそう見せたのか。結局うさぎの仮面は最後まで着けたままだったのかもしれない。誰の耳にも心にも届かない声の行方。テインが走り出した先。どの道を選んでも地獄へ辿り着く。
この重厚さを99分で撮り切った新人ホン・ウィジョン監督に敬礼したい気分です。チョヒと妹がシンクロしてゆくとこや血の花には痺れました。女性ならではの感性だったかもしれないですね。
残念だったのは相棒の展開があまりにも雑だったこと。あそこまできてあれはさすがにどんくさ過ぎる。
「シベールの日曜日」という映画を思い出した。
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