「ひと時のしあわせ。韓国の万引き家族。」声もなく きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
ひと時のしあわせ。韓国の万引き家族。
ヤクザの下請けだった男二人が、逆転して加害者とされ、同時に被害者の立場に墜ちてしまうという、ハートフル・ブラックコメディ。
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うちの会社にも喋れない男がひとりいて、本心困っている。
出先でうまくコミュニケーションが取れないのだ。だから出禁が増え、業務の幅が風前の灯状態なのだ。
奥さんもお子さんもいるらしいのだが、彼の失職や家庭崩壊の姿がチラついて どうして良いのかわからない。
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韓国はすごい。
エンタメの何たるかを知っている。
インドでは、ボリウッド映画はラブ・ストーリーをイケイケダンスで盛り上げるのだが、
この韓国映画界では、ノアールと、込み上げる可笑しみで物語を裏と表から盛り上げてくれる。
そしてSFには逃げず、地に足の付いたストーリーに徹していて、そこに加味される庶民の、そして下層階の人たちの、しみじみとした哀しみが (既視感もあって)、僕たちの胸を打つのだ。
是枝裕和の万引き家族も、韓国ふうに一捻りするとこうなるという良い見本だと思う。是枝へのオマージュは確実だろう。
トイレの扉の前で
「ここにいるよ」、
「怖くないよ」、
と手を叩いてくれたお兄ちゃんのために
警官殺しの土饅頭の前で、震えているお兄ちゃんのために、今度は11歳のチョヒが、そんなお兄ちゃんの弱点に気付かぬ風を装いつつ、ゆっくりと後ろ向きで手を叩いてくれるのだ。
小さいシーンなのだが
ああ、なんていいシナリオ。
「一旦家族になったら助け合わなきゃな」と、おじさんは言ってた。
【悪事を働く善人たち】とのDVD特典のコメント。言い得て妙です。
疑似家族となり、
守るべきかけがえのない存在を知ったお兄ちゃんが、愛すべきチョヒとのひと時の幸せを手放す ラストが、とても痛悲しい。
お兄ちゃんのあの「人物像の設定」は、
本当に喋れないのか、喋ることをやめた人間なのか、それはわからないけれど、
温かい家庭の光景を、理想を、元々は知っていた青年なのだろうと伝わってくる。
そして、セリフがゼロなのに、こんなにも彼の思いがたくさん聞こえてくることには本当に驚いた。
いったい何年ここに、妹ムンジュと二人で暮らしていたのだろうか・・。毎日疲れ果てて帰宅し、泥のように眠るテイン。
なんとかしなくてはと思いつつも、手立ても希望も見つけられずに過ぎていった日々なのだろう。
そんな死体ばかりを見て暮らしていたテインの小屋に、生きている人間チョヒが転がり込んできたわけで、
声の無いテインお兄ちゃんの、
・同居の戸惑い、
・初めて発見した生き甲斐、
・家庭のようなもの、
・けれども自分で決めた別れの哀しみ。
今度はこちらが言葉を失う番だ。
不器用なテインは、
叔父さんは死に、チョヒには捨てられ、早晩彼は、天涯孤独の一人ぼっちになるだろう。警察や児童相談所がやってくるはずだ。
生きていこうと決心をした若者から、瞬時に取り去られていく希望。
彼にどんな未来が用意されているのだろうか、様々に考えさせられる余韻があとを引く。
尻切れトンボでのこのエンディングも、語り過ぎない演出で優れていたのではないかな。
色彩調整がなされたどこか書き割りのような夕焼け空や田園風景。
絵本のように、寓話のように、笑いやグロテスクが交差していて、画面と物語にはグイグイと引き込まれるし、抑制されたBGMがテインの心象を邪魔しない。
”ノアール"って、暴力や死体の世界だけでなく、希望と愛情のついえる瞬間をも指すのだと思った。
ひと時のしあわせが嬉しくって、あわや ほころびそうになった若者の顔が、硬く強ばって、彼は泣きながら街から走って逃げるのだ。
脚本も書いた38歳、ホン・ウィジョンは、これが初監督仕事なのだそうだ。
天才あらわる。
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で、
我が営業所の、あの言葉を話せない同僚の幸せのためには、僕はどうすればいいのかと、この映画からも学びたいと思っている。
LINEは、半月後に既読になっていた。
日本で全く同じストーリーで全く同じ演出にすると、いつの時代の話?今ならありえないとか思ったしまいますよね。一般人が拳銃持っていたら、日本映画なら「どこからそれ手に入れたんだ?」と思ってしまいます(先日リアルに事件がありましたが。
韓国だと、徴兵制があるので一般人でも銃が扱えるのだろう。射撃場があるから銃も許可が降りればOKなの?警察に相談しても無駄なのかもしれない、ゾンビがいるのかも(とはさすがに思わないけど)とか、映画作りには、知らない異国は最適ですね。韓国映画とドラマ好きです。