ほんとうのピノッキオのレビュー・感想・評価
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鬼才が手掛けてこそ原作の旨味引き立つ
マッテオ・ガッローネ監督といえば、たとえ現代を描いた作品でもそこには濃厚な寓話性が染み出してくることでお馴染みだ。そんな彼がイタリアの代表的な寓話を描くとなると、かなりダークでブラックな一作に仕上がるのではと覚悟はしていたものの、いざ出来上がったのは原作の味わいを生かしつつ、妙ちくりんなれどしっかりと感情が香り立つ温かい作品だった。思ったよりおしゃべり少なめでピノッキオへの愛情を迸らせるベニーニがとてもいいし、ピノッキオの極めてwoodyな特殊メイクもこのCG全盛の時代に最高級の意匠を刻む。それに各場面を彩る奇妙なキャラクターたち一人一人がなんとも味わい深い。名曲「星に願いを」で知られるディズニー作品や、ベニーニの主演、監督作のことなどが頭をよぎる一方、スピルバーグ 作『A.I.』をもう一度見直したくなったりも。誕生から140年、シンプルなれど人を魅了し続ける物語の強度を再認識させられた。
大人の為の寓話
見る人の感性が試される作品。
好きな人は凄く好きなはず。
ピノキオの物語は誰しもディズニー作品や絵本でお馴染みなのだろうと思います。
しかし本作品はそのような子供向けのお為ごかしではありません。
【本当は怖いグリム童話】のように原作に忠実なようです。
『不思議の国のアリス』のように不条理な世界で繰り広げられるピノッキオの冒険と成長。
この世はかくも不条理なものなのです。
綺麗事で誤魔化した夢物語ではなく、本当のリアリティがそこにはあります。
現代は真のリアリティを見抜ける目を持った大人が限りなく少なくなって来たようです。
一見、不条理に見えるリアリティの中で、狡さや怠け心、弱さ、それらを一つ一つ乗り越えていくピノッキオの冒険物語に、我々の心も憤ったりハラハラしたりしながら、ピノッキオと共に成長していきます。
このような本物こそ生き残っていくべきですね。
何でもアリを前提に。独特さが光る“本当の”ピノッキオ。ただし評価は人により分かれそう。
マリーヌ・ヴァクト推し
本家のピノキオ
私にとってのピノキオはディズニーのアニメ(1940)が原点、元はてっきり童話と思っていましたが原作はイタリアのカルロ・コッローディによる児童文学だったのですね、邦題に”ほんとう”とついていますがピノキオが生まれた国イタリアの映画だからと言うことでしょう。
ファンタジーさが損なわれてしまいがちなのになぜわざわざ実写版を撮ったのか不思議に思っていたらディズニーもトムハンクスさんでリメイク(2022)しているし、タイトルにピノキオのつく映画は10本近くつくられていたのを知ってその人気の普遍さにあらためて驚きました。
ストーリーはまあまあ、てっきり悪役と思い込んでいた人形劇団のボスが自己犠牲を唱えるピノキオに感激して金貨を渡して家に帰してくれてのには驚きでした、また、飲み込まれたのはクジラと思っていたら原作はサメだったのですね、よく助かったものです。
ピノキオといえばディズニーアニメの「星に願いを」の名曲が輝いていましたから、ファンタジーさやドリーミーさでは劣る気がしました、特に貧乏が辛いという生活感が強かったですね、甘い話には裏があるとか、嘘をつくとお鼻が伸びるわよといった子供への戒めはしっかり伝わるでしょうから家族で観るにはお勧めかもしれません。
私には合わなかったです
ディズニーとの違い
この映画の目的のひとつは、ディズニーによって作られたピノッキオの誤ったイメージを塗り換え、原作の真の姿を世界に知らしめることであったのは間違いない。ディズニーのピノキオはそれほどまでに原作とかけはなれたものなのだ。原作を知るイタリア人は怒っている。ディズニー映画は子供あいての夜の歌舞伎町、あるいは麻薬のようなもので、現実感覚を失わせる。それに、たいていの場合、何も印象に残らない。
原作のピノッキオはもっと素朴な物語で、忘れがたいイメージがいくつもある。この映画は原作に沿って、どの場面も完璧な絵画のように美しく描き出す。しかも、その絵画は派手なわかりやすいものではなく、かなり渋めで、くせのあるの幻想派絵画なのだ。
この「くせのある幻想性」はこの映画のオリジナルではなく、原作からして既にそうなのである。グリム童話もそうなのだが、そこに漂う妖しい魔術的な雰囲気はどこか理屈を超えている。こういうものを映像で再現するには、歌舞伎町的な色彩感覚では絶対にダメで、かなり高度の美的感覚を必要とする。この映画はそういうものを持った人々によって作られた、相当に贅沢な、通好みの映画なのである。
ところで、この映画には新奇なものは何も出てこない。出てくるのは、何もないような草っ原だったり、使い古した廃墟のような建物だったり、使い古した廃墟のような老人ばっかりだったりする。まるで禅画。わびさびの世界。ところが、これがいい味を出している。ゼペットは今まで一度も結婚しなかったような寂しい爺さんだが、初めて恵まれたピノッキオという家族に全愛情を注ぎこむ。何たる慎ましさ、素朴さ。歌舞伎町の対極だ。「ほんとうの」幸せを見失ったスマホ時代の我々に、まっとうなことを教えてくれるようじゃないか。
老残の詐欺師である、キツネとネコも凄い存在感だ。これも人間なのか、動物なのか、妖怪なのかよくわからない存在だが、原作には、ただ「キツネ」「ネコ」とあるだけで、彼らについては何の説明もない。カタツムリも、原作にはただ「カタツムリ」とあるだけで、何の説明もない。これが映画では、巨大な殻を背負ったお婆さんとして登場する。
青い髪の妖精は、この作品の中では最も神秘的な存在で、初めは妖しげな少女として登場し、後で、大人の女性として登場する。これも何の説明もない。ディズニー映画では、わかりやすい女神様のような存在だが、原作およびこの映画では、そんなわかりやすい存在ではない。ピノッキオが野盗に追われて初めて妖精の館に来て「開けてください」と頼んでも、二階の窓から「ここには死人しかいない。」と言って、開けないのだから。この点でも、この作品がいかに「一筋縄では行かない」ものであるか、わかろうというものだ。
以上、原作およびこの映画がディズニー映画とは全くの別物であり、独特の味わいを持つものであることの一端は示せたのではなかろうか。
ダークファンタジーなピノッキオ
サメの腹の中にマグロ
ほんとうの、ピノキオはこうなんだ。
「美しくも残酷に…」という紹介のとおり、キャラクターの造形はリアル...
普通のピノキオ
邦題の「ほんとうの」ってなんだよ。普通にピノキオだよ。「あなたの知らないグリム童話」みたいなほんとうは怖い話なのかと思うじゃんか。
なかなかキレイな実写化でした。観てないけど何年か前のベニーニ主演のピノキオは悪評ふんぷんでした(ベニーニはラジ―賞を獲ってるらしい。これがあったから「ほんとうの」ってしたのかな)。今回はベニーニ面目躍如かな。ほんとにゼペット爺さんって可哀そすぎる泣。キリスト教の世界では「人形に命を与える」という行為は神の領域を犯すとして罰せられる、って面もあるんだろうね。
フィレンツェ(ピノキオ発祥の地)に旅行に行ったとき、市場でものを薦められて「今日は持ち合わせがない、明日来るね」と言ったら店員に「お前はピノキオだ」と鼻の伸びるしぐさをされたのは自慢です笑。
何の教育も受けていないのだから仕方がないが、ピノッキオの馬鹿過ぎる...
美しい妖精
「人間」になるためのリアルな試練
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