社会から虐げられた女たちのレビュー・感想・評価
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やっと自分たちの過去へ
フランス作品
フランス人がした魔女裁判の歴史は、ヒットラーのしたことと大差はないはずだが、都合の悪い歴史にはすぐに蓋をされる。
しかし、その蓋を開けるフランス人がいるのも事実だろう。
自分たちがした過去
その何が恐ろしいのかさえ検証されることなく蓋を閉ざしたことに対する一矢。
ここを題材にしたのは彼らにとっての大きな一歩。
さて、
虐げられた人を題材にした物語は多くの国々にあり、それを大げさにデフォルメした作品は多数あるが、この作品は逆に控えめにデフォルメされているのだろうと思った。
ここにも登場する「正しいこと」
時代によって変化する「正しさ」
正しさとは、誰かにとって都合がいいことを正当化するためのものでしかないのかもしれない。
この作品が提示していることはブルジョアがしてきた行いへの反省を促すために、一人の女性の特殊能力を用いて表現している。
その歴史的背景と当時のものの考え方
父という絶対と男性社会
40年前に母がなくした大切なペンダントをその能力で発見した娘に対し、精神病院へ閉じ込めるという観念は、現代では想像できないほど歪んでいる。
しかし、
この作品が挑戦したのは過去に対する断罪よりも、その先にある統合または調和なのだろう。
独房に閉じ込められたウジェニー
自宅へ帰ってきたジェヌビエーブ
両者が服を脱ぐ姿がシンクロし始めている。
それは他人同士でも心を寄せ合うことができるという表現だと思った。
そもそもこの物語のすべてが対比で構成されているが、それ故、調和のような概念が浮き出てくる。
加えて「心だけはいつも自由」にできることも示唆している。
そのテーマ性や当時の雰囲気などはとてもよく作りこまれていた。
ただ最後のまとめ方は詰め込み過ぎていた。
歴史上、あのような人体実験的な医学や科学が大きく変わったのは何に寄るのだろう?
それを混ぜ込み、歴史の変換があったという物語にしてほしかった。
映画人メラニー・ロラン × 役者陣熱演 = 痛烈
役者メラニー・ロランの監督、あるいは脚本・俳優などあらゆる点から語り手としての広義の映画人としての地位や評価を益々強固・決定的なものにする一作。創造性と伝えたいこと、伝えねばならないことに終わりはない。フランス語なんて英語以上に分からないから演技の良し悪しどうこう言えないけど、それでもやはり原作未読でもこの作品の世界に引き込まれ魅せられるような役者陣の力。
心かき乱される不穏さに、誰がまともか分からなくなる。女性の社会進出などがいくら進んだと言ってもやはりまだまだ絶えることのないミソジニー。キャッチーではないけど痛烈。『カッコーの巣の上で』のような入口から始終つきまとうように実に不愉快で、真に意味がある挑戦的題材。おかしいのだと見えない場所に追いやられ搾取/排除される女性性。あまりにも身勝手に振る舞う男どもの欲望のはけ口と、それを許してしまう男性絶対優位の男根社会における支配の構図。そんなトラウマの中でいかに生き抜くか、シスターフッドと共に。歴史モノに今日の問題を重ねるストーリーテリングは検閲逃れなどいつの時代も普遍的。それはつまりここで描かれることが残念ながら今日でもまだ有効だということ。
"らしい"邦題よりも、やはり原題のほうが結果的には本作のテーマ/メッセージがより多くの人に見られ届くのではないか、考えさせる契機になるのではないかと思った。本作でなくても広く使えることでなく、本作でしか、本作だからこそのタイトルが、作品の内容を婉曲的に結果より深く表すよう。根底、根っこの部分では他作品と重なり合い、共鳴していたとしても。これであなたも"見える人"。
P.S.なんて書きながら本作を見ているときもまだ今日のストレスがすごくて何も考えられず、本作の内容もまるで頭に入ってこなかった。
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