死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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凄い映画だけど、再視聴は出来ない。。。
「面白い・つまらない」では表現が出来ない。
「好き・嫌い」では・・・嫌い。弱い者が理不尽に惨殺されるという展開、さらには映像描写までされているのは、不快感を感じる。
でも「心に刺さり、凄い映画作品」だと思う。
全く部外者の観客なのに、プロローグでいきなり足を引き摺り込まれるように心掻き乱されて、もう、榛村の思う壺に陥る。。。。
映画という時間制限があるので「何だ?何故?」と思う点もあるので、原作を読んでみたいという気持ちと、もう嫌な気分を味わいたくないという気持ちが3:7くらいの割合。
「よくわからない部分を、観客が考える余白がある」と捉えて・・・・
9件目の「根津かおる」は、個人的に雅也の推理「榛村が犯人」だと考える。
高校生・礼儀正しい・爪を剥ぎ取る・・・などの法則を破り、逮捕されたこと、死刑判決を受けたのに、何故雅也に「冤罪だから君に調べてほしい」と依頼をしたのか・・・・・
個人的な感想は「榛村は趣味である完全犯罪ルーティンに飽きて、自分の死(逮捕と死刑宣告)と引き換えに、新しい遊びを実行したくなったのでは?」と。
雅也を「こちらの世界に引き入れよう」としたり、金山をとことん追い詰めたり、灯里も同様に・・・更には看守すらも支配して、脱獄をもワンチャン画策して楽しんでいた・・・・
勝手にそう考えてます。
「むごたらしい資料映像を見ながらカップ焼きそばを食べる」「面会室までの徒歩ですっかり看守と楽しげに会話する榛村」「血まみれで強引なキスをされているのに、受け入れる」など・・・・数秒で異常さを的確に表現しているなぁと。
「金山はわかりやすいミスリードで、真犯人は母親、もしくは母親がラストに大きく絡んでくるかな」と予測していたのですが、灯里とは・・・
演じていた「宮崎優さん」、そして雅也役の「岡田ささん」も初めて知る役者さんでしたが、素晴らしかったです。
そして阿部サダヲの輝きのない大きな黒目が、本当に凄まじい・・・・つい最近「不適切にもほどがある」を見終えた直後だっただけに、ギャップショックがとても大きいです(笑
これはあくまで物語だけど、考えつき作品にする人間の怖さ。。。。その作品のモチーフとなると数々の現実や歴史がある。。。。特に物語の根幹にある「虐待の負の連鎖」。。。他人事のようで、自分が、家族がいつ巻き込まれてもおかしくないと痛感させられる。
稀代のサイコパス「吉良吉影」とは、根本的に違う話
あぁ、おっかない話だった。最後まで観終えたけど、残虐シーンは少しスキップ。観てられなかった。この手のサイコパス映画から学ぶことは、展開のブレなさ(悪い人は悪い人である)と、理由を存在させる必要のなさ、専門家(今回は弁護士)のリアリティは無くても雰囲気でいい、ってことだ。
阿部サダヲの深さが怖い
阿部サダヲ、『不適切にもほどがある』で久々にしっかり観た流れで、『シャイロックの子供たち」も鑑賞し、今回また違う方向での役どころってことで鑑賞。あかんなぁ、最初にばら撒いてたの「サクラの花びら」と思ってたから。眼が黒くて、奥が見えない。これは怖い。パン屋の殺しの流れが、敵無力化からの拷問殺害、というなんだかズルい感じもする。
『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターだったら?『ブラック・フォン』のグラバーなら?他にもサイコパス拷問殺人鬼ってのはたくさんいるけれど(映画でね)、フィジカル的に強いってイメージ。
※ブラック・フォンの原作はジョー・ヒル。スティーブン・キングの息子。父の名を隠してデビュー。本当に実力のある作家だ。
そういう意味では、阿部サダヲ演じる榛村大和は弱い。無力化したうえでの拷問ってのは、こうなんと言うか。観ていて、もしかしたら被害者が勝って、みたいな展開は封じられている。油断のない残虐なシーンは、ただの暴力だ。なんて、そんなこと言っても仕方ないんだけど。怖い。
久々に早送りした映画だった。
ということで、数々のインサートされる残虐なシーンを早送りして観た。観られない。高校生が殺されていくシーン。文字にすればそこそこのセンセーショナルさ。僕のこの「高校生が殺されていくシーン」てのも、字面だとリアリティもない。だが、映像化された時点で、とても観ていられない。吐きそうだった。
憎むべき相手としてキャラ付けされた榛村大和(阿部サダヲ)は、人を操る術に長けている。そして、サイコパスで、嘘つきで、高校生だけを狙う異常な殺人鬼だ。
原作を知らずに映画を観るという怖さ
基本的に原作を読まずに、映画→原作(小説)というのが僕の好きな鑑賞法だけど、こりゃぁ先に読んどいたほうがよかったんだろうか。白石和彌監督の暴力表現は、原作とどれほど近いのだろう、など興味がわいた。が、これまた原作を読むのに勇気も必要だろうに。こえぇんだよ。
見出しの「原作を知らずに映画を観るという怖さ」ってのは、ごく当たり前のことなんだけど、ホラーやスリラー映画に限らずで。この展開を知らない映画、本来の姿なんだけども、どうなるかわからなさ過ぎて怖いっていう感覚を久々に味わった。ネタバレサイトでも観てあらすじ掴もうかとも思ったけど、禁断の果実なのでやめておいたのだ。
タイパを気にして、原作やネタバレを確認したいという心理よりも、この先が不穏すぎて。つまり、まっすぐ進む道しかないんだけど、徐々に舗装された道じゃぁなくなり、街灯もなくなった。真っ暗で、うしろ振り返るとガサガサとなにか生き物の反応がする。戻れないし、前に進む方が安全だ、みたいな感覚で映画を観るっていう心理。うっすら光のある方へ進んでいけるから最後まで観てられるんだけど、その光がほとんどなかった。
面白いか面白くないかで語る
映画的に、つまり、映画でしかできない、もとい、フィクションでしか構成できないものと考えれば、「面白い」。群を抜いて面白い。ただこの面白さというのが、いつもそばに置いておきたい面白さではない。また、観たいという面白さでもない。複雑なのだが、リピートはない面白さだ。
だが、しかし。「白石和彌」監督ってのは、売れっ子で僕はあんまり意識して観てなかったけど、次観ようと思っていた綾野剛主演『日本で一番悪いやつら』も撮ってたんだ。くぅ。(↓追記:昨日鑑賞終了・おもろかった)
岡田健史(現:水上恒司)がこう、映画の狂言回しのように前に前に映画を進行させていくんだけど。怖いもの見たさなのか、こう、Fラン大学の設定みたいだけど、大学でスカッシュして、帰って探偵して。この、設定というか行動原理に、ピンとこない。サイコパスの気持ちがわからないのと似ている。
榛村大和の弁護士事務所のバイトとして、事件記録を黒塗りつぶしなしで見まくって、写真とって、プリントアウトもしたりと。まぁ、そんな資料を弁護士事務所でホイホイ見られるとも思えないし、でもこの設定が許容されていないと、物語がちっとも前に進まない。
こういう違和感のある設定は最初から、そういうものとして受け入れる必要がある。この設定は許そう。たぶん、現弁護士の方が観ると、うーむとなるだろう。
サイコパスの人が見るとどう思うのだろうか?たとえば吉良吉影が観たら
吉良吉影、『ジョジョの奇妙な冒険・第四部<ダイアモンドは砕けない>』の悪役。女性の手に性的興奮を覚え、殺害して手を収集。腐敗が始まったらまた別の女性を殺害し、手を収集する。スタンド名:キラー・クイーン。
吉良吉影もたくさんの女性を殺害してきた。憎むべき悪役なのだが、少年ジャンプ連載漫画としてはそこまでグロテスクに残虐に表現できなかったのだろう。目的は「女性の手」の収集だから、殺害ではない。手だけ切って手にいれてもいいのだろうが、それでは警察に通報される。そのため、殺害して証拠を隠滅する。榛村大和のように、いたぶって拷問して殺害はしない。
榛村大和は、爪をはぎ、ペンチや万力で拷問を行う。被害者との信頼関係を作り、そこから懐に入り信頼させ、拷問と言う流れ。「こんなに信頼していたのに、なぜこの人は私をこんな目にあわせるの?」という被害者の苦しみを喜びとする。剥いだ爪は収集するが、爪目的なら殺害は必要ない。この一連の拷問プロセスを楽しみとし、喜びとする点が大いに違う。
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』はねっとりするが、『ブラックフォン』『ジョジョ第四部』は結末はスカッとする。
『死刑にいたる病』を二度観る気持ちになれないのは、この結末が暗い行き止まりに感じるからだ。
例に出したサイコパス殺人鬼たちは、理屈はあるもののそれは抑えられない自身の衝動のようなもので、あまり理屈めいたものは存在しない。パンを食べるのに、昨日はライスだったから、今日はパンにといったこざかしさもない。パンが食べたいから、パンを食べる。それだけ。
榛村大和は、理屈っぽい。「被害者に信頼を与えてから、拷問で絶望させる・被害者はまじめな17・18歳の高校生」このプロセスを大切にするという設定。自分はこういう形でしかコミュニケーションできないんだという、説明的設定。(作品の批判ではないのでファンの方は、怒り心頭にならずに。どうぞ。)こういう言いっぷりが理屈っぽい。吉良吉影は若い女性の手を収集するという一点に尽きるが、若いころはただの殺人鬼だったし、このあたりを研ぎ澄ましていくと、「女性の手収集」にたどり着いたのだろう。プロセスよりも、結果。そういう点で、この二人のサイコパス殺人鬼は大きく異なる。
刑務所の刑務官まで心を操縦されるという始末
刑務所の刑務官が心を操縦されるって、『グリーンマイル』レベルじゃないと(あれは不思議な力のおかげ)。『グリーンマイル』は心を操縦するのではなく、死刑囚と刑務官が心を通わせる話ね。
刑務官を懐柔するって、この積み上げてきた理屈っぽいサイコパス殺人鬼の設定を覆すような、もう心操る系無双になっている。脱獄すら可能レベルなのではと思うのだよ。
映画は超長い原作の予告と捉えた
映画に関わった人たちには失礼な話かもだが、これは原作を読まねばとなる映画だ。結局のところ結末もピンとこないし(意味はわかる、でも端折りすぎ、最後にガンとひっくり返すのはズルい)。伏線が回収されてる!っていうレビューも多いけど、回収されたというよりも一つに集めなおしたぐらいで集めたパズルはキレイにはまっていないようにも見える。
ということは、原作を読まねばならない。ブックオフ行ってくる!!!
残虐シーンが見るに堪えないが、物語の展開としては観入ってしまうの一作『死刑に至る病』、ぜひご鑑賞くださいませ。(小説版買ってきます!)
最上級のB級映画
最初に、考察もせずただ映画を観て「面白かったー」「怖かったー」を感じたい人には観覧をオススメしない。
何故なら映画である以上ストーリーや設定人物描写などはあるが、製作者側は映画タイトルである「死刑に至る病」とは何なのかをメインテーマに据えて映画を作っているからである。なので、ただ映画の1場面を観て「怖かったー」ではなく、何故その表現をする必要があるのかまでは最低でも考えなければならない。
逆にこの考察が出来るのであればこの映画に最上級の面白さを感じる事が出来る。殺人鬼が主人公に依頼した真犯人の考察、死刑に至る病についての考察の2つを同時進行で行う必要があり、一般的なサスペンス映画では感じられない深さを感じる事が出来る。
一方で上記で話した通りあくまでタイトルを中心に観覧者に考えさせる映画である為、それ以外の部分はおざなりであると言わざるを得ない。元が小説である為こういった「必要ない部分は書かない(表現しない)」ストーリー構成なのはわかるのだが、今時の映画とは思えない程に一部分以外へのこだわりが薄い作品で、映像だけで見ると非常に蛋白なのが残念。
またこれは、ネタバレになるが最終的にこの作品はメインテーマに据えている「死刑に至る病」について具体的な回答は出さない。例えていうと、算数の問題を自分なりに解いたが先生が答え合わせをしてくれない。という感覚。勿論ある程度映画を見れば回答の予測自体は出来るのだが、その答え合わせが出来ないとなるとやはり自分の回答が合っているかどうか知りたいものである。もしかしたら小説版や他の文献を読めば理解できるのかもしれないが、それは余りにもこちら側への要求が高すぎるだろう。
纏めると、面白さは格別だが観覧者側への要求値の高さと配慮の無さが気になる映画の為、評価として「最上級のB級映画」であるように思う。
死んだ目には、気をつけましょう。
2度目の鑑賞になります。
ストーリーは、主人公の大学生雅也かなりの囁き声で、大丈夫かと思わせる。
祖母の葬儀からの、24人の拷問殺人鬼の榛村大和からの一通の手紙が届く。
榛村は、当時地元のパン屋さんで、雅也も当時通っていた。そこから、榛村の面会に足を運び死刑確定であるにも関わらず、1人の女性根津かおるの殺害は自分ではなく他に犯人がいる、その犯人を探してくれと言うものだった。
そこから、雅也は事件の真相に飲み込まれて行き…と言うストーリー。
とにかく、殺人鬼の榛村大和(阿部サダヲ)の怪演は素晴らしい👍
死んだ魚の目をしている時と、やたらと話相手を褒めてるけど心が無いと言うか、サイコパス感が凄かった。人を操る才能があると言うか、自分で決めてと言うセリフは、震えます。
この榛村は、完全に暇潰し感覚で主人公の雅也とゲームを楽しんだだけだと感じた。
榛村は、パン屋を営んでいる時から学生に目をつけて、利用出来る人間の選別し、捕まる事を想定内に置き、徹底的に手紙を送り付けていた可能性も考えさせられる。
榛村の話も、どこまで本当か嘘かも分からず、雅也の母親と過去同じ境遇の中仲良くなり、出産した子供を燃やしたと言っているが、雅也が母親に問い詰めるシーンがありますが、榛村と連絡を取っていると手紙を見せた表情が意外にも懐かしい眼差しで、嫌な表情を出さない事もなんでやと思ってしまいます。子供を燃やした過去があるなら当然だが犯罪です。母親もちょい狂ってる?
この映画は、本当の真実が見えて来ないミステリーでありホラーな映画だと感じます。
ラストは、一見落着でこれから愛を育むはずが〜ですが、このラストも榛村の仕掛けなら天晴れです。
踏み入れたら、沼
感想
史上最悪の連続殺人鬼からの依頼は、たった一件の冤罪証明だった
一件の冤罪事件を巡り二転三転する、真実、深まる謎
誰も予想できないラストがあなたを待ち受ける。
阿部サダヲのサイコパス役最高でした、あの目嫌です。若い時の髪型には笑ってしまいました。
水上恒司の演技もよかったです。
宮崎優は今後注目の女優さんになりました。
元with Bのコージ、阿曽山大噴火も出演してます。
拷問の爪を剥がす、根津の損壊など痛々しい描写ありです。なぜ生傷を舐めれるのか…
冒頭は桜だと思ってましたが被害者の爪で衝撃でした!
ラストはまさか灯里が…鳥肌立ちました。
榛村大和
行方不明になってる少年少女24人の殺害容疑で逮捕。
うち9件立件、起訴されたが、ある1件の事件のみ冤罪を主張。第一審では死刑判決、現在控訴準備中。
計画的に犯行を繰り返す典型的な秩序型連続殺人犯
高い知能を持ち、魅力的な人物で社会に溶け込む
商店街でパン屋ロシェルを経営。客を獲物にすることも
裁判ではのべ殺害人数は覚えてないと証言
成人女性が殺害された最後の事件のみ、冤罪を主張
※BLTO
※分かってくれるよね?
人間の面白い心理
阿部サダヲさんの五臓六腑に染み渡る怪演。素晴らしい以外の言葉が見つかりません。阿部サダヲさんの演技だけでこの映画は良作になってると言っても、過言では無いくらいでした。
ですが、少し邦画ならではの臭い演出が多々あったかなという印象を持ちました。例えばクライマックスの面会シーン。新事実や主人公の推理を披露するシーンでは、プロジェクター(?)を使っており、本作の肝の不気味さが欠けていました。陳腐な表現の仕方で少し気持ちが下がってしまいましたね。
良い所も勿論あり、それは冒頭の拷問シーンです。あういうシーンを邦画で表現しようとするとすぐクラシックを流したり、大袈裟な描写でグロテスクさを引き立てようとするのですが、この映画は少し洋画チックなモノを感じました。まず阿部サダヲさんが着ていたゴムエプロンが似合っていてゾクゾクしました。ただただ淡々と事を進める阿部サダヲさんの目には、人間以外の『ナニカ』を感じさせてくれました。不気味さ、不穏さ、奇妙さがピカイチでした。人間が心の根底に抱える苦痛、トラウマ、狂気の部分は、本当に興味深かったです。本当に阿部サダヲさんの怪演を見るだけで、見てよかったなと感じさせてくれました。
つまらないが、悲鳴は良かった!!
タイトルから、我孫子武丸の「殺戮にいたる病」を思い出しました。普段からYouTubeで、海外の大量殺人犯ものを聴いていますが、何かショボい創作という感じでした。主人公は発声もはっきりせず冴えないし、阿部サダヲは表面的で単調です。大した演技じゃない中山美穂がいるのも謎です。全編に渡って全く面白くないですが、少年少女の悲痛な叫びは良く録れていると思います。
やっぱ、ホラーに近いミステリーは苦手なのかも
何度も裏切り観ている人を飽きさせないが、最後の女の子の部分は理解ができなかった。女の子自身は真面目ではあったかもだが、これまでとタイプが違う気がしたが、意図として親の兼ね合いから自尊心の低い子がターゲットだったから?でも、最初のアルバイトの女の子は違ったような。。いつもの思考系とは違うタイプで理解が難しかった。
感想メモ
阿部サダヲの表情が素晴らしい、光がない目…
肯定して、選ばせる
今日はどっちが痛いことしてくれるの?
女の人途中まで主人公に対する言動キモいなーと思ってたら、最後まさかの!!剥ぎたくなる?で目のぎらつきが変わってよかった
君みたいな普通の人は特別な存在になりたがる、自分が殺人犯の息子だと知った瞬間無敵に思えてきただろう?みたいなセリフ刺さった、自分の本質を見透かされている気がして
裁判傍聴芸人の阿曽山大噴火がいた!
絶望と拒絶、そして人間の不確かさについて
私はシリアル・キラーが登場する作品が好きた。そして、シリアル・キラーのキャラが好きだ。
衝動型より秩序型が好みで、こだわりが強く几帳面なタイプ、己の理想とする儀式を遂行するタイプだとなお良い。そういう意味で、「死刑にいたる病」の榛村大和はメチャメチャ好みのタイプ。テンションの上がるシリアル・キラーである。
冒頭からちょっとヤバい文章を書いてしまったが、なぜ彼らが好きかと言えば「他人の心の奥底は理解しようがない」という大原則を常に思い出させてくれるからだ。
ある程度推測は可能だし、倫理的・道義的に逸脱していても「止められない衝動」と「行動に至る過程」については理解できる。だが、どうしても完全に理解することなど不可能な「不確実性」が必ず残る。そこがある意味とても人間らしく、リアリティはそれを根拠に存在する。
人間は不確かな生き物である。今このレビューを書いている私も、今このレビューを読んでいるあなたも、この映画の主人公である雅也も、この作品で23人の高校生を殺害した大和も、みんな不確かな生き物なのだ。
ある時は聖人君子のように振る舞い、またある時は動物的で、堕落した瞬間もあれば高潔な時もある、そんな生き物なのだ。
雅也が「殺人鬼の息子」であるかもしれないという可能性に、不安よりも希望や愉悦を抱いたように、一見矛盾するような感情が同時に人間を支配する。
この映画は、「犯人」大和と「探偵」雅也がゆらゆらと不確実性の中で揺れながら、重なったり離れたりすることそのものを楽しむ映画なのだ。
もっと言えば衿子と金山にも重なりがあり、雅也と金山にも重なりがあり、衿子と桐絵にも重なりがある。そうやって複数の人物が加害者と被害者を結びつけるように見えてくる構造が秀逸なのだ。
タイトルがキルケゴールの名著である「死に至る病」にインスパイアされたものであることは想像に難くない。
難しい上にボリュームもあるので簡単にまとめると、キルケゴールの言う「死に至る病」とは絶望のことであり、絶望とは人間だけが持つものだ。キルケゴールの「絶望」は、自己に対する理想と現実のギャップや自己と世界のギャップによって生じる、一生つきまとう問題である。絶望とは生きながらに死んでいる状態で、これを「死に至る病」と呼ぶ。
では、「死刑にいたる病」とは何なのか。単純に考えれば、「死」と「死刑」の決定的な違いは他者の介在である。「死」は等しく誰にでも訪れるが、「死刑」は他者から宣告され執行されるものだ。自己が他者にとって理想的で無い場合、つまり拒絶の状態こそが「死刑にいたる病」なのではないかと考えられる。
大和は一見地域社会に溶け込み、拒絶とは無縁そうに見える人物だが、根本の家族関係で明らかに拒絶されて育っている。拒絶、というキーワードに着目すると、雅也も、衿子も拒絶によって孤立している状態を長く経験している。
この拒絶こそが、大和の起こした事件のきっかけであり、雅也と大和を結びつけるきっかけでもあるのだ。
生きながらにして死んでいる状態が絶望であるならば、生きながら「死刑」を宣告されている状態を何と呼べば良いのだろう?
そしてその行き着く先はやはり「死刑」なのだろうか?
拒絶の反対が「受容」であるとすれば、他者から受容されることによって自己は救われると信じても良いのだろうか?
大和が行っていた犯行は、ある意味この受容を逆手に取った巧みなマインドコントロールとも言える。拒絶の恐ろしさを知っているからこそ、拒絶から必死に這い上がろうとする少年少女たちの心に上手く入り込み、「受容」を餌に次々と獲物を手にかけていくのだ。
それは母の爪を痛めつける「拒絶された子供たち」から母を守ろうとする行為でもあり、自分に対する罰でもあり、また自分と同じ境遇にある子供たちへの愛着でもある。
シリアル・キラーは面白い。愛も憎しみも善も悪も全て極端から極端に振れて、しかも同時に存在している。そして、結局のところ完全に理解することなど出来なくて、いつまでも心を捉えて離さない。
サスペンスとしての出来栄えも十分楽しめる上に、素晴らしいシリアル・キラーに出会わせてくれた今作は、しばらく私の心に染み付いて離れないだろう。
冗長 ただただキモイ 無理筋
ダラダラと長い
元々個性が強い役者がやりすぎると
趣味の悪いコメディ クソつまらん
過激な暴力シーン
過激と言うより ただただ気持ち悪い
過激なシーン出せば 目を引くだろってのが透けて見える
展開も不自然
筧くん 突然ぶつかったおっさんを殺しかけるのは無理があるよ
人心掌握がうまいと面会時間が伸びる?
都合好く手紙でて来る
は?は?は?
とんでも犯罪者描きたいんだろけど無理筋です
そんなんを踏まえると 面会室での名優の対峙も
どーでも良くなる
つまらん2時間 キツかったー
阿部サダヲの演技力は申し分ないが・・・
小説は未読です。
映画だけでみると、何か腑に落ちないまま終わってしまった。
はいむらがなぜサイコキラーとなったのか、が
今作で描き切れていなかったため、
殺された子たちの無念さだけが強く残り後味が悪い。
殺された子たちも真面目なところしか描かれていなかった
ので、親に抑圧され自尊心が低い、という
はいむらの動機となる姿まで見えなかった。
阿部サダヲの演技力は申し分ない。
しかし今回、やっていることは充分サイコキラーで見るに耐えないが、
はいむら自体にサイコキラーとして震えるほどの恐さは抱けなかった。
岡田健史の演技は良かった。
サイコ側にいきそうな危うさを感じた。
予想できなかった、、
24件の殺人事件を犯した犯人が1件は自分じゃないと主人公に言い、その事件について主人公が調査していく話
•最初の方が結講グロくて驚いた。
•どこかで特別な人間になりたいと思っている。これはめっちゃ共感できるけど、父親が殺人犯というのは嫌だな、、主人公はすごい影響されてたけど、、
•事件の真相も予想できなかったし、終わり方も怖かったのはよかった。
うーん、サイコパス!
CMが独特でずっと気になっていた作品。
阿部サダヲの目の演技、素晴らしかった。
ストーリーとしては、
榛村のサイコパス具合に痺れました(憧れはしない)。
特に少年たちに切りつけ合うのを選ばせる、
その子達が大きくなっても執着し、また新たな罪悪感を植え付ける徹底ぶりには脱帽しました。
根津さんを自身のこだわりに反し、
あの殺し方したのも、彼女が潔癖症で汚い場所で殺すのがベストの嬲り方だと判断したのか、と納得しました。
ただ、気になったのは
爪に執着していた理由が母親が爪が綺麗だったからという理由(安っぽい)。
榛村を通報した子、どうなったんだろうと思っていましたが、まさかラストに出てくるとは…。面白かったです。
映像はグログログロといった感じでしたので、
一緒に視聴する人は選びましょう。
物語はありえない最悪
いつか観ようと思っていて
Netflixで配信になっていたので
ようやく観れました。
阿部サダヲさん不気味でした。
カラコン?入れてるから
目があんな風に映るのかなぁ
とか思いましたけど。
物語的には、ありえないしかない。
23人?連続殺人が出来るとも思えない。
ラストも、本当にないわぁ〜
どれだけ、主人公の阿部サダヲさんに
囚われて生きている事に???
精神異常者の事の話しを本気で聞き過ぎ、
弁護士と岡田くんが言い争うシーン
弁護士が正しいに決まっているのに、
殺人鬼にのまれすぎではないのかな?
主人と観ましたが、ラスト2人は
幸せにしてあげれば良かったのになぁって
最後まで連続殺人鬼に囚われていて、
本当にバットエンドでした。
岩田剛典さんが出ていて
ビックリしました〜別人だった。
阿部サダヲの語りだけで十分ホラーだと思う
残虐シーンとって付けたように映った。好みの問題かも知れないけど。爪を剥ぐのは捜査会議とかで言及するに留めてもあの桜の花びらみたいなのってと分かるし却ってゾッとする度合いが高まるような気がする。ちゃんと最初からやっていたように処理していればと事細かく処理の仕方を挙げ連ねたりとか前はしっかり拘束していたのにとか淡々と供述する異常さや、そこにいないのに気持ちを掴まれている、信じたい人が彼によってコントロールされている、掴みどころのない不気味さを血とか泥なしでもっと際立たせてほしいと思った。でもサラリーマンへの行き過ぎた暴力の後での傷を舐めるところとかは必要なんだろうとは思う。
阿倍サダオの凄さ
役者のそれぞれの演技が絶妙に絡んでいる作品でした。
特に光っていたのは、やはり主演の阿倍サダオさんでした。どこにでもいるような優しい雰囲気のあるパン屋さんから何人も殺す事を厭わないシリアルキラーまでの幅がすごいと感じた。
とても激しい表現をするでもなく、静かにあるがままの怖さを演じていた。
他にも幼少期から洗脳されていた子供から大人になった人物を演じた岩田剛典さんもすごかった。
完全にオーラを消して、落ち着きのある恐怖を描いた。
阿倍サダオさん演じるシリアルキラーは、人の心を掌握しながら、相手の信頼関係を構築して、それを壊して殺してしまうという性癖の様な心の病に似たもの持っていた。
この作品では、何人もの人殺しが悪い。
人の心を操る奴が悪い。
そういう事よりももっと根本的な部分があるなと感じた。
今に生きる人達が当たり前の様に生活していてもどこかで自分の事をを褒めてもらいたいという欲求がある。
それを求めていても、誰かがしてくれるわけではない。
誰もがそんな中で生きている中で簡単に心を奪われてしまう事ができてしまうという怖さを描いた作品だと感じた。
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