死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
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自分ごとと思えない世界の話・・・
テーマにしたいことも言いたいこともわかるんだけど・・・
なんか不思議と語りたいことが湧き出てこない映画・・・。
なんか没入できないというか、関係ない世界の話に見えちゃうというか
自分に何か影響を与えるものにはなりえなかった・・・
「世の中にはこういう人もいるんだろうなー怖いなー」という感想にしかならなかった。
面白く印象に残るが登場人物が好きになれない
グロテスクなシーンは目を背けたくなり正直気分が悪かったが、ストーリー展開が面白かったので最後まで集中して見ることができた。
役者の演技もとてもよかったが、登場人物がいずれも好きになれなかったため、ストーリーには入り込めるもののどの主要キャラクターにも感情移入ができず置いて行かれてしまった。
作品としての完成度は高いと思ったが、もう一度見たい、この映画が好きだと思える作品にはならなかった。
他の映画と比べるべきではないかもしれないが、同じサイコキラーの登場する作品でも、羊たちの沈黙のレクター博士はとても好きなキャラクター。やはり自分がその映画を好きだと思うためには、登場人物をいかに好きになれるかもかなり重点を占めているなと実感した。
ただ最後まで見せる力や演出、役者さんの演技はすごい映画だなと思ったので、一度は見ることができてよかった。
ラストシーンは鑑賞後にさっぱりした気持ちで終われるものではないかもしれないが、この映画のオチの付け方としては良いものだったと思う。
有象無象のひとつ
超切れ者の殺人鬼
稀代のサイコパス「吉良吉影」とは、根本的に違う話
あぁ、おっかない話だった。最後まで観終えたけど、残虐シーンは少しスキップ。観てられなかった。この手のサイコパス映画から学ぶことは、展開のブレなさ(悪い人は悪い人である)と、理由を存在させる必要のなさ、専門家(今回は弁護士)のリアリティは無くても雰囲気でいい、ってことだ。
阿部サダヲの深さが怖い
阿部サダヲ、『不適切にもほどがある』で久々にしっかり観た流れで、『シャイロックの子供たち」も鑑賞し、今回また違う方向での役どころってことで鑑賞。あかんなぁ、最初にばら撒いてたの「サクラの花びら」と思ってたから。眼が黒くて、奥が見えない。これは怖い。パン屋の殺しの流れが、敵無力化からの拷問殺害、というなんだかズルい感じもする。
『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターだったら?『ブラック・フォン』のグラバーなら?他にもサイコパス拷問殺人鬼ってのはたくさんいるけれど(映画でね)、フィジカル的に強いってイメージ。
※ブラック・フォンの原作はジョー・ヒル。スティーブン・キングの息子。父の名を隠してデビュー。本当に実力のある作家だ。
そういう意味では、阿部サダヲ演じる榛村大和は弱い。無力化したうえでの拷問ってのは、こうなんと言うか。観ていて、もしかしたら被害者が勝って、みたいな展開は封じられている。油断のない残虐なシーンは、ただの暴力だ。なんて、そんなこと言っても仕方ないんだけど。怖い。
久々に早送りした映画だった。
ということで、数々のインサートされる残虐なシーンを早送りして観た。観られない。高校生が殺されていくシーン。文字にすればそこそこのセンセーショナルさ。僕のこの「高校生が殺されていくシーン」てのも、字面だとリアリティもない。だが、映像化された時点で、とても観ていられない。吐きそうだった。
憎むべき相手としてキャラ付けされた榛村大和(阿部サダヲ)は、人を操る術に長けている。そして、サイコパスで、嘘つきで、高校生だけを狙う異常な殺人鬼だ。
原作を知らずに映画を観るという怖さ
基本的に原作を読まずに、映画→原作(小説)というのが僕の好きな鑑賞法だけど、こりゃぁ先に読んどいたほうがよかったんだろうか。白石和彌監督の暴力表現は、原作とどれほど近いのだろう、など興味がわいた。が、これまた原作を読むのに勇気も必要だろうに。こえぇんだよ。
見出しの「原作を知らずに映画を観るという怖さ」ってのは、ごく当たり前のことなんだけど、ホラーやスリラー映画に限らずで。この展開を知らない映画、本来の姿なんだけども、どうなるかわからなさ過ぎて怖いっていう感覚を久々に味わった。ネタバレサイトでも観てあらすじ掴もうかとも思ったけど、禁断の果実なのでやめておいたのだ。
タイパを気にして、原作やネタバレを確認したいという心理よりも、この先が不穏すぎて。つまり、まっすぐ進む道しかないんだけど、徐々に舗装された道じゃぁなくなり、街灯もなくなった。真っ暗で、うしろ振り返るとガサガサとなにか生き物の反応がする。戻れないし、前に進む方が安全だ、みたいな感覚で映画を観るっていう心理。うっすら光のある方へ進んでいけるから最後まで観てられるんだけど、その光がほとんどなかった。
面白いか面白くないかで語る
映画的に、つまり、映画でしかできない、もとい、フィクションでしか構成できないものと考えれば、「面白い」。群を抜いて面白い。ただこの面白さというのが、いつもそばに置いておきたい面白さではない。また、観たいという面白さでもない。複雑なのだが、リピートはない面白さだ。
だが、しかし。「白石和彌」監督ってのは、売れっ子で僕はあんまり意識して観てなかったけど、次観ようと思っていた綾野剛主演『日本で一番悪いやつら』も撮ってたんだ。くぅ。(↓追記:昨日鑑賞終了・おもろかった)
岡田健史(現:水上恒司)がこう、映画の狂言回しのように前に前に映画を進行させていくんだけど。怖いもの見たさなのか、こう、Fラン大学の設定みたいだけど、大学でスカッシュして、帰って探偵して。この、設定というか行動原理に、ピンとこない。サイコパスの気持ちがわからないのと似ている。
榛村大和の弁護士事務所のバイトとして、事件記録を黒塗りつぶしなしで見まくって、写真とって、プリントアウトもしたりと。まぁ、そんな資料を弁護士事務所でホイホイ見られるとも思えないし、でもこの設定が許容されていないと、物語がちっとも前に進まない。
こういう違和感のある設定は最初から、そういうものとして受け入れる必要がある。この設定は許そう。たぶん、現弁護士の方が観ると、うーむとなるだろう。
サイコパスの人が見るとどう思うのだろうか?たとえば吉良吉影が観たら
吉良吉影、『ジョジョの奇妙な冒険・第四部<ダイアモンドは砕けない>』の悪役。女性の手に性的興奮を覚え、殺害して手を収集。腐敗が始まったらまた別の女性を殺害し、手を収集する。スタンド名:キラー・クイーン。
吉良吉影もたくさんの女性を殺害してきた。憎むべき悪役なのだが、少年ジャンプ連載漫画としてはそこまでグロテスクに残虐に表現できなかったのだろう。目的は「女性の手」の収集だから、殺害ではない。手だけ切って手にいれてもいいのだろうが、それでは警察に通報される。そのため、殺害して証拠を隠滅する。榛村大和のように、いたぶって拷問して殺害はしない。
榛村大和は、爪をはぎ、ペンチや万力で拷問を行う。被害者との信頼関係を作り、そこから懐に入り信頼させ、拷問と言う流れ。「こんなに信頼していたのに、なぜこの人は私をこんな目にあわせるの?」という被害者の苦しみを喜びとする。剥いだ爪は収集するが、爪目的なら殺害は必要ない。この一連の拷問プロセスを楽しみとし、喜びとする点が大いに違う。
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』はねっとりするが、『ブラックフォン』『ジョジョ第四部』は結末はスカッとする。
『死刑にいたる病』を二度観る気持ちになれないのは、この結末が暗い行き止まりに感じるからだ。
例に出したサイコパス殺人鬼たちは、理屈はあるもののそれは抑えられない自身の衝動のようなもので、あまり理屈めいたものは存在しない。パンを食べるのに、昨日はライスだったから、今日はパンにといったこざかしさもない。パンが食べたいから、パンを食べる。それだけ。
榛村大和は、理屈っぽい。「被害者に信頼を与えてから、拷問で絶望させる・被害者はまじめな17・18歳の高校生」このプロセスを大切にするという設定。自分はこういう形でしかコミュニケーションできないんだという、説明的設定。(作品の批判ではないのでファンの方は、怒り心頭にならずに。どうぞ。)こういう言いっぷりが理屈っぽい。吉良吉影は若い女性の手を収集するという一点に尽きるが、若いころはただの殺人鬼だったし、このあたりを研ぎ澄ましていくと、「女性の手収集」にたどり着いたのだろう。プロセスよりも、結果。そういう点で、この二人のサイコパス殺人鬼は大きく異なる。
刑務所の刑務官まで心を操縦されるという始末
刑務所の刑務官が心を操縦されるって、『グリーンマイル』レベルじゃないと(あれは不思議な力のおかげ)。『グリーンマイル』は心を操縦するのではなく、死刑囚と刑務官が心を通わせる話ね。
刑務官を懐柔するって、この積み上げてきた理屈っぽいサイコパス殺人鬼の設定を覆すような、もう心操る系無双になっている。脱獄すら可能レベルなのではと思うのだよ。
映画は超長い原作の予告と捉えた
映画に関わった人たちには失礼な話かもだが、これは原作を読まねばとなる映画だ。結局のところ結末もピンとこないし(意味はわかる、でも端折りすぎ、最後にガンとひっくり返すのはズルい)。伏線が回収されてる!っていうレビューも多いけど、回収されたというよりも一つに集めなおしたぐらいで集めたパズルはキレイにはまっていないようにも見える。
ということは、原作を読まねばならない。ブックオフ行ってくる!!!
残虐シーンが見るに堪えないが、物語の展開としては観入ってしまうの一作『死刑に至る病』、ぜひご鑑賞くださいませ。(小説版買ってきます!)
最上級のB級映画
最初に、考察もせずただ映画を観て「面白かったー」「怖かったー」を感じたい人には観覧をオススメしない。
何故なら映画である以上ストーリーや設定人物描写などはあるが、製作者側は映画タイトルである「死刑に至る病」とは何なのかをメインテーマに据えて映画を作っているからである。なので、ただ映画の1場面を観て「怖かったー」ではなく、何故その表現をする必要があるのかまでは最低でも考えなければならない。
逆にこの考察が出来るのであればこの映画に最上級の面白さを感じる事が出来る。殺人鬼が主人公に依頼した真犯人の考察、死刑に至る病についての考察の2つを同時進行で行う必要があり、一般的なサスペンス映画では感じられない深さを感じる事が出来る。
一方で上記で話した通りあくまでタイトルを中心に観覧者に考えさせる映画である為、それ以外の部分はおざなりであると言わざるを得ない。元が小説である為こういった「必要ない部分は書かない(表現しない)」ストーリー構成なのはわかるのだが、今時の映画とは思えない程に一部分以外へのこだわりが薄い作品で、映像だけで見ると非常に蛋白なのが残念。
またこれは、ネタバレになるが最終的にこの作品はメインテーマに据えている「死刑に至る病」について具体的な回答は出さない。例えていうと、算数の問題を自分なりに解いたが先生が答え合わせをしてくれない。という感覚。勿論ある程度映画を見れば回答の予測自体は出来るのだが、その答え合わせが出来ないとなるとやはり自分の回答が合っているかどうか知りたいものである。もしかしたら小説版や他の文献を読めば理解できるのかもしれないが、それは余りにもこちら側への要求が高すぎるだろう。
纏めると、面白さは格別だが観覧者側への要求値の高さと配慮の無さが気になる映画の為、評価として「最上級のB級映画」であるように思う。
岡田健史、イイ
空恐ろしい作品
榛村大和は「共感」してほしい……のだろうか?
ラストのシーンがあまりにも衝撃的かつ筧井雅也の推理のはるか上にあるであろう真実の奥深さを感じざるを得ない。
これが見終わった直後の印象だ。
榛村の得意芸である「決めさせる」ことは、もうそれ以上選択肢をなくさせることと同じだ。
まるで拷問のときに「右手が先がいいかそれとも左足か?」と聞くようなものだ。
実際にそうしていたのかもしれない。
加えて榛村は裁判時においても聞かれていないことなど答えない。
「爪」は彼にとって何だったのだろうか?
冒頭の映像で彼がばらまいていたのは花びらだと思っていたのが「まさか、まさか」だった。
雅也はそれを母の爪ではないかと、つまり母との思い出、母への愛やゆがんだ執着が爪だったのではないかと推理したが、「僕が小さい時は母の爪は綺麗だったね」とだけ言って去った。
理由はそこにはないのだろうか、それとも…。
拘置所で出会った髪の長い男。彼もまた長い期間にわたって榛村に支配され続けた人物だ。
「私をわかって欲しい」
これが榛村の一番の願いなのか?
彼自身がしたこと。それには理由が存在する。その真実をわかって欲しいがために雅也を使って事件を再調査させ、榛村自身の「思い」をわかって欲しかったのだろうか?
雅也はよくやった。ほぼ榛村の思いまでたどり着いた。しかし結局すべてを理解したわけではなかったのか?
理解したと思っていた雅也は、恋人になった狩野明美のバッグの中から榛村からの手紙を発見し愕然となる。
そもそも明美も榛村の「元獲物」だったのだ。雅也は「中学校時代と雰囲気変わったよね」と言ったのは、明美は榛村と接触しながら変わったことを意味する。
元獲物に手当たり次第に手紙を書き続ける榛村を想像するだけで気持ちが悪くなる。
他にも多数いそうだ。
明美は榛村の指示に従い雅也にしつこく接触したのだろう。
雅也の性格も熟知しているし、明美からの報告も受けていた。
何よりも賞賛すべき点は、
雅也が調査に動き出す動機、そして彼の父は誰なのかに関する部分で、そのシーンは固唾を飲んでしまうほど圧巻だった。物語に引き込まれてしまう。そこに仕組んである金田と明美のふたつの平行線。見事でしかない。
さて、
殺された23人の高校生と1人の成人女性 いったい誰が逃げ出せたのだろう?
24人目は誰だったのか? ここは追及されていないが、榛村の証言では「慢心」が原因とされている。
つまり逃げ出してしまったことに気づいた榛村は、燻製小屋を放火し、爪を川に流したことになる。そうして警察が来るのを待ったのだろう。睡眠薬が切れたことが原因としている。
さらに、
殺された被害者と殺されなかった元獲物の差はどこにあるのだろう?
榛村はそれを年齢によって区分していたというが、雅也は自分もその年齢になったら殺害するつもりだったと反論した。
しかし、おそらくそれは「頭がよかったか否か」だったのではないだろうか? そこに加える要素はいくつかあるにせよ、基本的に雅也も、金山兄妹も、そして明美にもその部分の共通性がある。
従順で賢く容姿も悪くない被害者。賢い部分が欠如した「元獲物」
逆に元獲物には、生きながら長期間にわたって苦しめ続けることが、榛村の第2の快楽だったのではないだろうか?
それが逮捕されたことで唯一の楽しみになった。今となっては限定されてしまった第2の快楽、これこそが手紙を使って元獲物たちを使って遊ぶ理由だと思う。
最も大きな被害者は金山一樹。今でも弟を彫刻刀で傷つけたことに苦しんでいる。そうであれば、彼は根津カオルを殺してなどいない。
彼が証言台に立った理由は、榛村によってそれしか選択肢を与えられなかったからだろう。根津カオルが24人の犠牲者のうちの何番目なのかはわからないが、その間に榛村は呪いのように金山に選択肢のない選択をさせ続けたのだろう。そうすることで第2の快楽を拘置所に居ながら楽しむことができるのだ。
しかし、
明美への苦しみという榛村の快楽はどこにあったのだろう?
いずれ雅也は明美が榛村と接見していることに気づく。「話してはいけない」とは言われていない。彼女とのことも榛村によって仕組まれたことに気づく。そしては雅也は彼女に褪めてしまう。これが狙いだったのかもしれない。
こうして人を操って陥れることこそが、榛村の快楽だ。
雅也は根津を殺したのは榛村だと最終的に推理した。榛村の態度を見てそう確信した。
頭がよくないはずの雅也の推理は、本当は的中していたのかもしれない。榛村は雅也との接見を切り上げようとする。「爪」についてもつぶやくだけだが、それも当たっていたのではないだろうか?
そして彼とはもう会わないのかもしれない。「馬鹿に俺の心理がわかるはずはない」と高を括っていたからだ。
これが榛村がしてしまった2度目の読み間違いだ。
もしそこまで雅也が気づいたとき、雅也はきっと榛村に操られていた明美を救いたいと思うはずだ。それが彼が発見することになる新しい選択肢となる。榛村に対し一矢報いることになるはずだ。
かなり奥深く読み応えのある作品だった。
空恐ろしく、面白かった。
色々な伏線が回収される
“みんな彼を好きになる”
死んだ目には、気をつけましょう。
2度目の鑑賞になります。
ストーリーは、主人公の大学生雅也かなりの囁き声で、大丈夫かと思わせる。
祖母の葬儀からの、24人の拷問殺人鬼の榛村大和からの一通の手紙が届く。
榛村は、当時地元のパン屋さんで、雅也も当時通っていた。そこから、榛村の面会に足を運び死刑確定であるにも関わらず、1人の女性根津かおるの殺害は自分ではなく他に犯人がいる、その犯人を探してくれと言うものだった。
そこから、雅也は事件の真相に飲み込まれて行き…と言うストーリー。
とにかく、殺人鬼の榛村大和(阿部サダヲ)の怪演は素晴らしい👍
死んだ魚の目をしている時と、やたらと話相手を褒めてるけど心が無いと言うか、サイコパス感が凄かった。人を操る才能があると言うか、自分で決めてと言うセリフは、震えます。
この榛村は、完全に暇潰し感覚で主人公の雅也とゲームを楽しんだだけだと感じた。
榛村は、パン屋を営んでいる時から学生に目をつけて、利用出来る人間の選別し、捕まる事を想定内に置き、徹底的に手紙を送り付けていた可能性も考えさせられる。
榛村の話も、どこまで本当か嘘かも分からず、雅也の母親と過去同じ境遇の中仲良くなり、出産した子供を燃やしたと言っているが、雅也が母親に問い詰めるシーンがありますが、榛村と連絡を取っていると手紙を見せた表情が意外にも懐かしい眼差しで、嫌な表情を出さない事もなんでやと思ってしまいます。子供を燃やした過去があるなら当然だが犯罪です。母親もちょい狂ってる?
この映画は、本当の真実が見えて来ないミステリーでありホラーな映画だと感じます。
ラストは、一見落着でこれから愛を育むはずが〜ですが、このラストも榛村の仕掛けなら天晴れです。
マインドコントロール
水上恒司さんが好きでこの映画を見てみましたが、拷問のシーンに気分が悪くなり見なければ良かったかとも思いました。
誰かとこの映画を見ようとしている人は相手を選ぶかもしれません。気分が悪く吐き気も出ました。
物語が進むにつれて、それぞれの心理描写に引き込まれました。悪い環境にいるものほど優しくされるとその人を信奉し対象者の洗脳が可能になる。
看守の態度の変化や村人の言動からも人の心に入って行く榛村のマインドコントロールの恐ろしさを感じました。
自分の父かもしれない、凶悪犯罪者のDNAが受け継がれているかもしれないと思い込み殺人を犯そうと気が狂ってしまった様子も、よく心の葛藤が描かれていました。
最後の最後はビックリしました。原作ではどんな風に描かれているのか、細かなストーリーが気になる映画でした。
衝撃のラスト
犯人はサイコな人物で完全に頭がイカれている。ラストまでサイコなシーンのダメ押しがあって、 これで監督や脚本家の趣味の悪さからやっと解放されて ほっとした。
動画配信で映画「死刑にいたる病」を見た。
2022年製作/128分/PG12/日本
配給:クロックワークス
劇場公開日:2022年5月6日
阿部サダヲ
水上恒司
岩田剛典
中山美穂
予備知識無しで見はじめる。
知っているのは阿部サダヲ主演ということだけ。
映画が始まってからわずか9分後にとてもキツい描写がある。
「うわあ、こんな映画だったのか」
見たことを少し後悔するが、我慢してそのまま見る。
これは猟奇快楽殺人、しかも被害者は24人という
とんでもない殺人鬼の話だった。
あとで白石和彌監督の作品だと知った。
白石和彌監督と言えば
「孤狼の血」「彼女がその名を知らない鳥たち」
「日本で一番悪い奴ら」「凶悪」など
犯罪に関する作品ばかりだが、これもそうだった。
劇中で何度も残酷で眼を背けたくなるようなシーンがある。
登場人物はエキセントリックな人ばかりで、
榛村(阿部サダヲ)、雅也(岡田健史)、雅也の母親(中山美穂)、
皆どこかで繋がりがある。
そんなことあるか?
と突っ込みたくなるが、
これはお芝居なのでしょうがない。
犯人(阿部サダヲ)はサイコな人物で完全に頭がイカれている。
ラストのラストまでサイコなシーンのダメ押しがあって、
これで監督や脚本家の趣味の悪さからやっと解放されて
ほっとした。
見応えはあったが、2度と見たくない映画だと思った。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
踏み入れたら、沼
感想
史上最悪の連続殺人鬼からの依頼は、たった一件の冤罪証明だった
一件の冤罪事件を巡り二転三転する、真実、深まる謎
誰も予想できないラストがあなたを待ち受ける。
阿部サダヲのサイコパス役最高でした、あの目嫌です。若い時の髪型には笑ってしまいました。
水上恒司の演技もよかったです。
宮崎優は今後注目の女優さんになりました。
元with Bのコージ、阿曽山大噴火も出演してます。
拷問の爪を剥がす、根津の損壊など痛々しい描写ありです。なぜ生傷を舐めれるのか…
冒頭は桜だと思ってましたが被害者の爪で衝撃でした!
ラストはまさか灯里が…鳥肌立ちました。
榛村大和
行方不明になってる少年少女24人の殺害容疑で逮捕。
うち9件立件、起訴されたが、ある1件の事件のみ冤罪を主張。第一審では死刑判決、現在控訴準備中。
計画的に犯行を繰り返す典型的な秩序型連続殺人犯
高い知能を持ち、魅力的な人物で社会に溶け込む
商店街でパン屋ロシェルを経営。客を獲物にすることも
裁判ではのべ殺害人数は覚えてないと証言
成人女性が殺害された最後の事件のみ、冤罪を主張
※BLTO
※分かってくれるよね?
後半の続きは原作では明かされてるが、映画では明かされず。 原作の映...
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