死刑にいたる病のレビュー・感想・評価
全563件中、41~60件目を表示
🌀パッケージを見て一言‼️ ★彡『ちゃんと調べてくれる?』
刑にいたる病
🇯🇵栃木県など
24人の殺害で死刑の決まった元パンの男(サダヲさん)犯人と中学生時代から知り合いだった青年。面会で伝えられた犯人の要望にのめり込んでいく。
🌀パッケージを見て一言‼️
★彡『ちゃんと調べてくれる?』ってな感じで訴えかけてきました。しらんけど☺︎
❇️岩ちゃんどこ?そしてミポリン!何故オファー受けたのか?謎多き役回り。
◉72D点。
サイコパスは理解を超えてくるなー
★彡身の回りに一人くらいヤバい奴はいるよね。人は殺してなくても予備軍はいそう。しらんけど🙃
🟢感想。
1️⃣スタートから引き込まれまれる。🎞️
★彡前半6分頃でで犯人の素性が解るあえての攻めストーリーは斬新やな。
2️⃣どんな展開になっていくのか?気になる。
★彡いくつかの謎が伏線で惹かれるストーリー
3️⃣怪我の血を舐めて看護はありえへん💢
★彡ここは減点です。ちょっとありえへん。
ここまで良かっただけに残念からの〜
ラストでは納得しましたが…
4️⃣何故レイティングがPG12なのか?
★彡アマブラは16+となってる?
事あたりが配信業者によって違うのはどうかと思うけんど。皆さんはどう思う?
★彡個人的には結構グロが多いと思った。
5️⃣岩ちゃん(岩田剛典さん)解らへん。
★彡岩ちゃんどこで出てるのか解らへんよ。
なかなかの攻めた役処に共感。
6️⃣伝えたかったのはやっぱりサイコパス。
★彡やべーよサイコパスはほんまヤバい。
サダヲサン演技凄いと思いました。
★彡中山美穂さん何故こんな役に?
活かせてない感じを受けました。
よくオファー受けたなと思うんけど🙇🏻♂️
アナタのココロの隙間をお埋めしましょうドーーン!!
原作を先に読んで映画観るぞ!って意気込んではみたが、どちらも叶わずアマプラ配信でヒッソリ観る悲しさ。
観た後も原作読みたいな〜ってなった。
個人的にはいろいろとわかりやすい演出が序盤はいいと思ったけど、だんだん鼻につく。
ハイムラと対面したマサヤとの映り込みの変化や絡み合う手、がむしゃらに1人スカッシュしたり周りから浮きまくってたりと鬱屈した心を表したり、しつこいまでの調査、資料の中でご飯を食べる日々、バイトとして雇われてるのに明らかな乱用。明らかなミスリード。
今の世の中、信頼を得るというのはすごく難しいことなのでは〜とひねた私は思ってしまう。
私なら、パンサービス♡とかおっさんに言われてもキモってなるし、自転車間違いおじさん映画館で急接近♡とかなんだかな。
BLTOとかサブイぞおっさん。思春期舐めんな。
そんな違和感ありありなのにやりこなした!ってのは逆にすごいぞって思う。なるほど、これがハイムラ式マインドコントロール!是非ともレクチャーして欲しい。
ハンニバルレクターかな?
だけど、ハイムラとそれに支配されたマサヤを含めた人々の黒々とした瞳は印象に強く残った。
信頼した人たらしによって拷問死させられる人、家庭環境などに問題をもちそこから行動を支配され狂わされていく黒い瞳の持ち主達。
家庭環境うんぬん、どんなバックグラウンドを持っている人達の僅かな心の隙を鷲掴みにして、信じさせられてしまったのだから、どちらに転んでもおかしくなかったと思うんだな〜
なんだか、途中からハイムラの方が正義だと思えてきたような錯覚に陥った私も支配されつつあったのかも。
自分ならどちらになったか考えてしまうよ。
じっと自分の爪を見てしまう。剥ぎたいか?
人を殺す殺せないで親子関係を考えるとかダメだよ。
結局は関わった人々みんな不幸せ。
ハイムラ一人勝ち。
まぁ、エンタメにダラダラ文句言ってはいけませんね。
好みでは無かったというだけです。
カップ焼きそば食べたい。
これ、ほんとに白石和彌?
優しさに飢えている人達
ハイムラがシリアルキラーになったのは幼少期の虐待が原因ですよね。彼の背景をもっと知りたかったです。ハイムラは人の優しさに飢えていたからこそ、逆に善人を演じることがうまかった。救いを求める人達へのマーケティングに長けていて、自己プロデュースも上手い。シリアルキラーとまではいかなくても、もしかして似た様な詐欺師くらいは私達の周りにもいるかもしれないですね。グロいのが苦手なのでいろいろキツかったです。
凄い映画だけど、再視聴は出来ない。。。
「面白い・つまらない」では表現が出来ない。
「好き・嫌い」では・・・嫌い。弱い者が理不尽に惨殺されるという展開、さらには映像描写までされているのは、不快感を感じる。
でも「心に刺さり、凄い映画作品」だと思う。
全く部外者の観客なのに、プロローグでいきなり足を引き摺り込まれるように心掻き乱されて、もう、榛村の思う壺に陥る。。。。
映画という時間制限があるので「何だ?何故?」と思う点もあるので、原作を読んでみたいという気持ちと、もう嫌な気分を味わいたくないという気持ちが3:7くらいの割合。
「よくわからない部分を、観客が考える余白がある」と捉えて・・・・
9件目の「根津かおる」は、個人的に雅也の推理「榛村が犯人」だと考える。
高校生・礼儀正しい・爪を剥ぎ取る・・・などの法則を破り、逮捕されたこと、死刑判決を受けたのに、何故雅也に「冤罪だから君に調べてほしい」と依頼をしたのか・・・・・
個人的な感想は「榛村は趣味である完全犯罪ルーティンに飽きて、自分の死(逮捕と死刑宣告)と引き換えに、新しい遊びを実行したくなったのでは?」と。
雅也を「こちらの世界に引き入れよう」としたり、金山をとことん追い詰めたり、灯里も同様に・・・更には看守すらも支配して、脱獄をもワンチャン画策して楽しんでいた・・・・
勝手にそう考えてます。
「むごたらしい資料映像を見ながらカップ焼きそばを食べる」「面会室までの徒歩ですっかり看守と楽しげに会話する榛村」「血まみれで強引なキスをされているのに、受け入れる」など・・・・数秒で異常さを的確に表現しているなぁと。
「金山はわかりやすいミスリードで、真犯人は母親、もしくは母親がラストに大きく絡んでくるかな」と予測していたのですが、灯里とは・・・
演じていた「宮崎優さん」、そして雅也役の「岡田ささん」も初めて知る役者さんでしたが、素晴らしかったです。
そして阿部サダヲの輝きのない大きな黒目が、本当に凄まじい・・・・つい最近「不適切にもほどがある」を見終えた直後だっただけに、ギャップショックがとても大きいです(笑
これはあくまで物語だけど、考えつき作品にする人間の怖さ。。。。その作品のモチーフとなると数々の現実や歴史がある。。。。特に物語の根幹にある「虐待の負の連鎖」。。。他人事のようで、自分が、家族がいつ巻き込まれてもおかしくないと痛感させられる。
自分ごとと思えない世界の話・・・
面白く印象に残るが登場人物が好きになれない
グロテスクなシーンは目を背けたくなり正直気分が悪かったが、ストーリー展開が面白かったので最後まで集中して見ることができた。
役者の演技もとてもよかったが、登場人物がいずれも好きになれなかったため、ストーリーには入り込めるもののどの主要キャラクターにも感情移入ができず置いて行かれてしまった。
作品としての完成度は高いと思ったが、もう一度見たい、この映画が好きだと思える作品にはならなかった。
他の映画と比べるべきではないかもしれないが、同じサイコキラーの登場する作品でも、羊たちの沈黙のレクター博士はとても好きなキャラクター。やはり自分がその映画を好きだと思うためには、登場人物をいかに好きになれるかもかなり重点を占めているなと実感した。
ただ最後まで見せる力や演出、役者さんの演技はすごい映画だなと思ったので、一度は見ることができてよかった。
ラストシーンは鑑賞後にさっぱりした気持ちで終われるものではないかもしれないが、この映画のオチの付け方としては良いものだったと思う。
有象無象のひとつ
超切れ者の殺人鬼
稀代のサイコパス「吉良吉影」とは、根本的に違う話
あぁ、おっかない話だった。最後まで観終えたけど、残虐シーンは少しスキップ。観てられなかった。この手のサイコパス映画から学ぶことは、展開のブレなさ(悪い人は悪い人である)と、理由を存在させる必要のなさ、専門家(今回は弁護士)のリアリティは無くても雰囲気でいい、ってことだ。
阿部サダヲの深さが怖い
阿部サダヲ、『不適切にもほどがある』で久々にしっかり観た流れで、『シャイロックの子供たち」も鑑賞し、今回また違う方向での役どころってことで鑑賞。あかんなぁ、最初にばら撒いてたの「サクラの花びら」と思ってたから。眼が黒くて、奥が見えない。これは怖い。パン屋の殺しの流れが、敵無力化からの拷問殺害、というなんだかズルい感じもする。
『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターだったら?『ブラック・フォン』のグラバーなら?他にもサイコパス拷問殺人鬼ってのはたくさんいるけれど(映画でね)、フィジカル的に強いってイメージ。
※ブラック・フォンの原作はジョー・ヒル。スティーブン・キングの息子。父の名を隠してデビュー。本当に実力のある作家だ。
そういう意味では、阿部サダヲ演じる榛村大和は弱い。無力化したうえでの拷問ってのは、こうなんと言うか。観ていて、もしかしたら被害者が勝って、みたいな展開は封じられている。油断のない残虐なシーンは、ただの暴力だ。なんて、そんなこと言っても仕方ないんだけど。怖い。
久々に早送りした映画だった。
ということで、数々のインサートされる残虐なシーンを早送りして観た。観られない。高校生が殺されていくシーン。文字にすればそこそこのセンセーショナルさ。僕のこの「高校生が殺されていくシーン」てのも、字面だとリアリティもない。だが、映像化された時点で、とても観ていられない。吐きそうだった。
憎むべき相手としてキャラ付けされた榛村大和(阿部サダヲ)は、人を操る術に長けている。そして、サイコパスで、嘘つきで、高校生だけを狙う異常な殺人鬼だ。
原作を知らずに映画を観るという怖さ
基本的に原作を読まずに、映画→原作(小説)というのが僕の好きな鑑賞法だけど、こりゃぁ先に読んどいたほうがよかったんだろうか。白石和彌監督の暴力表現は、原作とどれほど近いのだろう、など興味がわいた。が、これまた原作を読むのに勇気も必要だろうに。こえぇんだよ。
見出しの「原作を知らずに映画を観るという怖さ」ってのは、ごく当たり前のことなんだけど、ホラーやスリラー映画に限らずで。この展開を知らない映画、本来の姿なんだけども、どうなるかわからなさ過ぎて怖いっていう感覚を久々に味わった。ネタバレサイトでも観てあらすじ掴もうかとも思ったけど、禁断の果実なのでやめておいたのだ。
タイパを気にして、原作やネタバレを確認したいという心理よりも、この先が不穏すぎて。つまり、まっすぐ進む道しかないんだけど、徐々に舗装された道じゃぁなくなり、街灯もなくなった。真っ暗で、うしろ振り返るとガサガサとなにか生き物の反応がする。戻れないし、前に進む方が安全だ、みたいな感覚で映画を観るっていう心理。うっすら光のある方へ進んでいけるから最後まで観てられるんだけど、その光がほとんどなかった。
面白いか面白くないかで語る
映画的に、つまり、映画でしかできない、もとい、フィクションでしか構成できないものと考えれば、「面白い」。群を抜いて面白い。ただこの面白さというのが、いつもそばに置いておきたい面白さではない。また、観たいという面白さでもない。複雑なのだが、リピートはない面白さだ。
だが、しかし。「白石和彌」監督ってのは、売れっ子で僕はあんまり意識して観てなかったけど、次観ようと思っていた綾野剛主演『日本で一番悪いやつら』も撮ってたんだ。くぅ。(↓追記:昨日鑑賞終了・おもろかった)
岡田健史(現:水上恒司)がこう、映画の狂言回しのように前に前に映画を進行させていくんだけど。怖いもの見たさなのか、こう、Fラン大学の設定みたいだけど、大学でスカッシュして、帰って探偵して。この、設定というか行動原理に、ピンとこない。サイコパスの気持ちがわからないのと似ている。
榛村大和の弁護士事務所のバイトとして、事件記録を黒塗りつぶしなしで見まくって、写真とって、プリントアウトもしたりと。まぁ、そんな資料を弁護士事務所でホイホイ見られるとも思えないし、でもこの設定が許容されていないと、物語がちっとも前に進まない。
こういう違和感のある設定は最初から、そういうものとして受け入れる必要がある。この設定は許そう。たぶん、現弁護士の方が観ると、うーむとなるだろう。
サイコパスの人が見るとどう思うのだろうか?たとえば吉良吉影が観たら
吉良吉影、『ジョジョの奇妙な冒険・第四部<ダイアモンドは砕けない>』の悪役。女性の手に性的興奮を覚え、殺害して手を収集。腐敗が始まったらまた別の女性を殺害し、手を収集する。スタンド名:キラー・クイーン。
吉良吉影もたくさんの女性を殺害してきた。憎むべき悪役なのだが、少年ジャンプ連載漫画としてはそこまでグロテスクに残虐に表現できなかったのだろう。目的は「女性の手」の収集だから、殺害ではない。手だけ切って手にいれてもいいのだろうが、それでは警察に通報される。そのため、殺害して証拠を隠滅する。榛村大和のように、いたぶって拷問して殺害はしない。
榛村大和は、爪をはぎ、ペンチや万力で拷問を行う。被害者との信頼関係を作り、そこから懐に入り信頼させ、拷問と言う流れ。「こんなに信頼していたのに、なぜこの人は私をこんな目にあわせるの?」という被害者の苦しみを喜びとする。剥いだ爪は収集するが、爪目的なら殺害は必要ない。この一連の拷問プロセスを楽しみとし、喜びとする点が大いに違う。
『羊たちの沈黙』『ハンニバル』はねっとりするが、『ブラックフォン』『ジョジョ第四部』は結末はスカッとする。
『死刑にいたる病』を二度観る気持ちになれないのは、この結末が暗い行き止まりに感じるからだ。
例に出したサイコパス殺人鬼たちは、理屈はあるもののそれは抑えられない自身の衝動のようなもので、あまり理屈めいたものは存在しない。パンを食べるのに、昨日はライスだったから、今日はパンにといったこざかしさもない。パンが食べたいから、パンを食べる。それだけ。
榛村大和は、理屈っぽい。「被害者に信頼を与えてから、拷問で絶望させる・被害者はまじめな17・18歳の高校生」このプロセスを大切にするという設定。自分はこういう形でしかコミュニケーションできないんだという、説明的設定。(作品の批判ではないのでファンの方は、怒り心頭にならずに。どうぞ。)こういう言いっぷりが理屈っぽい。吉良吉影は若い女性の手を収集するという一点に尽きるが、若いころはただの殺人鬼だったし、このあたりを研ぎ澄ましていくと、「女性の手収集」にたどり着いたのだろう。プロセスよりも、結果。そういう点で、この二人のサイコパス殺人鬼は大きく異なる。
刑務所の刑務官まで心を操縦されるという始末
刑務所の刑務官が心を操縦されるって、『グリーンマイル』レベルじゃないと(あれは不思議な力のおかげ)。『グリーンマイル』は心を操縦するのではなく、死刑囚と刑務官が心を通わせる話ね。
刑務官を懐柔するって、この積み上げてきた理屈っぽいサイコパス殺人鬼の設定を覆すような、もう心操る系無双になっている。脱獄すら可能レベルなのではと思うのだよ。
映画は超長い原作の予告と捉えた
映画に関わった人たちには失礼な話かもだが、これは原作を読まねばとなる映画だ。結局のところ結末もピンとこないし(意味はわかる、でも端折りすぎ、最後にガンとひっくり返すのはズルい)。伏線が回収されてる!っていうレビューも多いけど、回収されたというよりも一つに集めなおしたぐらいで集めたパズルはキレイにはまっていないようにも見える。
ということは、原作を読まねばならない。ブックオフ行ってくる!!!
残虐シーンが見るに堪えないが、物語の展開としては観入ってしまうの一作『死刑に至る病』、ぜひご鑑賞くださいませ。(小説版買ってきます!)
最上級のB級映画
最初に、考察もせずただ映画を観て「面白かったー」「怖かったー」を感じたい人には観覧をオススメしない。
何故なら映画である以上ストーリーや設定人物描写などはあるが、製作者側は映画タイトルである「死刑に至る病」とは何なのかをメインテーマに据えて映画を作っているからである。なので、ただ映画の1場面を観て「怖かったー」ではなく、何故その表現をする必要があるのかまでは最低でも考えなければならない。
逆にこの考察が出来るのであればこの映画に最上級の面白さを感じる事が出来る。殺人鬼が主人公に依頼した真犯人の考察、死刑に至る病についての考察の2つを同時進行で行う必要があり、一般的なサスペンス映画では感じられない深さを感じる事が出来る。
一方で上記で話した通りあくまでタイトルを中心に観覧者に考えさせる映画である為、それ以外の部分はおざなりであると言わざるを得ない。元が小説である為こういった「必要ない部分は書かない(表現しない)」ストーリー構成なのはわかるのだが、今時の映画とは思えない程に一部分以外へのこだわりが薄い作品で、映像だけで見ると非常に蛋白なのが残念。
またこれは、ネタバレになるが最終的にこの作品はメインテーマに据えている「死刑に至る病」について具体的な回答は出さない。例えていうと、算数の問題を自分なりに解いたが先生が答え合わせをしてくれない。という感覚。勿論ある程度映画を見れば回答の予測自体は出来るのだが、その答え合わせが出来ないとなるとやはり自分の回答が合っているかどうか知りたいものである。もしかしたら小説版や他の文献を読めば理解できるのかもしれないが、それは余りにもこちら側への要求が高すぎるだろう。
纏めると、面白さは格別だが観覧者側への要求値の高さと配慮の無さが気になる映画の為、評価として「最上級のB級映画」であるように思う。
岡田健史、イイ
空恐ろしい作品
榛村大和は「共感」してほしい……のだろうか?
ラストのシーンがあまりにも衝撃的かつ筧井雅也の推理のはるか上にあるであろう真実の奥深さを感じざるを得ない。
これが見終わった直後の印象だ。
榛村の得意芸である「決めさせる」ことは、もうそれ以上選択肢をなくさせることと同じだ。
まるで拷問のときに「右手が先がいいかそれとも左足か?」と聞くようなものだ。
実際にそうしていたのかもしれない。
加えて榛村は裁判時においても聞かれていないことなど答えない。
「爪」は彼にとって何だったのだろうか?
冒頭の映像で彼がばらまいていたのは花びらだと思っていたのが「まさか、まさか」だった。
雅也はそれを母の爪ではないかと、つまり母との思い出、母への愛やゆがんだ執着が爪だったのではないかと推理したが、「僕が小さい時は母の爪は綺麗だったね」とだけ言って去った。
理由はそこにはないのだろうか、それとも…。
拘置所で出会った髪の長い男。彼もまた長い期間にわたって榛村に支配され続けた人物だ。
「私をわかって欲しい」
これが榛村の一番の願いなのか?
彼自身がしたこと。それには理由が存在する。その真実をわかって欲しいがために雅也を使って事件を再調査させ、榛村自身の「思い」をわかって欲しかったのだろうか?
雅也はよくやった。ほぼ榛村の思いまでたどり着いた。しかし結局すべてを理解したわけではなかったのか?
理解したと思っていた雅也は、恋人になった狩野明美のバッグの中から榛村からの手紙を発見し愕然となる。
そもそも明美も榛村の「元獲物」だったのだ。雅也は「中学校時代と雰囲気変わったよね」と言ったのは、明美は榛村と接触しながら変わったことを意味する。
元獲物に手当たり次第に手紙を書き続ける榛村を想像するだけで気持ちが悪くなる。
他にも多数いそうだ。
明美は榛村の指示に従い雅也にしつこく接触したのだろう。
雅也の性格も熟知しているし、明美からの報告も受けていた。
何よりも賞賛すべき点は、
雅也が調査に動き出す動機、そして彼の父は誰なのかに関する部分で、そのシーンは固唾を飲んでしまうほど圧巻だった。物語に引き込まれてしまう。そこに仕組んである金田と明美のふたつの平行線。見事でしかない。
さて、
殺された23人の高校生と1人の成人女性 いったい誰が逃げ出せたのだろう?
24人目は誰だったのか? ここは追及されていないが、榛村の証言では「慢心」が原因とされている。
つまり逃げ出してしまったことに気づいた榛村は、燻製小屋を放火し、爪を川に流したことになる。そうして警察が来るのを待ったのだろう。睡眠薬が切れたことが原因としている。
さらに、
殺された被害者と殺されなかった元獲物の差はどこにあるのだろう?
榛村はそれを年齢によって区分していたというが、雅也は自分もその年齢になったら殺害するつもりだったと反論した。
しかし、おそらくそれは「頭がよかったか否か」だったのではないだろうか? そこに加える要素はいくつかあるにせよ、基本的に雅也も、金山兄妹も、そして明美にもその部分の共通性がある。
従順で賢く容姿も悪くない被害者。賢い部分が欠如した「元獲物」
逆に元獲物には、生きながら長期間にわたって苦しめ続けることが、榛村の第2の快楽だったのではないだろうか?
それが逮捕されたことで唯一の楽しみになった。今となっては限定されてしまった第2の快楽、これこそが手紙を使って元獲物たちを使って遊ぶ理由だと思う。
最も大きな被害者は金山一樹。今でも弟を彫刻刀で傷つけたことに苦しんでいる。そうであれば、彼は根津カオルを殺してなどいない。
彼が証言台に立った理由は、榛村によってそれしか選択肢を与えられなかったからだろう。根津カオルが24人の犠牲者のうちの何番目なのかはわからないが、その間に榛村は呪いのように金山に選択肢のない選択をさせ続けたのだろう。そうすることで第2の快楽を拘置所に居ながら楽しむことができるのだ。
しかし、
明美への苦しみという榛村の快楽はどこにあったのだろう?
いずれ雅也は明美が榛村と接見していることに気づく。「話してはいけない」とは言われていない。彼女とのことも榛村によって仕組まれたことに気づく。そしては雅也は彼女に褪めてしまう。これが狙いだったのかもしれない。
こうして人を操って陥れることこそが、榛村の快楽だ。
雅也は根津を殺したのは榛村だと最終的に推理した。榛村の態度を見てそう確信した。
頭がよくないはずの雅也の推理は、本当は的中していたのかもしれない。榛村は雅也との接見を切り上げようとする。「爪」についてもつぶやくだけだが、それも当たっていたのではないだろうか?
そして彼とはもう会わないのかもしれない。「馬鹿に俺の心理がわかるはずはない」と高を括っていたからだ。
これが榛村がしてしまった2度目の読み間違いだ。
もしそこまで雅也が気づいたとき、雅也はきっと榛村に操られていた明美を救いたいと思うはずだ。それが彼が発見することになる新しい選択肢となる。榛村に対し一矢報いることになるはずだ。
かなり奥深く読み応えのある作品だった。
空恐ろしく、面白かった。
色々な伏線が回収される
“みんな彼を好きになる”
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