「やや物足りぬ脚本」リスペクト しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
やや物足りぬ脚本
“ソウルの女王”アレサ・フランクリンの伝記映画。
アレサ役のジェニファー・ハドソンは及第点だが、エンドロールのアレサ本人の歌声を聴いちゃうと、やはり本家には負けると思ってしまうかな。
冒頭のエピソードが、ほぼ本作のメッセージを伝えていて、映画の構成としては分かりやすい。
アレサは1942年、デトロイトで最も大きな教会の牧師をしている父のもとに生まれた。
ベッドで寝ている幼いアレサのところに父がやってきて「歌いたいか?」と尋ねる。
アレサは「歌いたい」と答え、自宅で開かれていたパーティーの場で見事な歌を披露する。
会場は大いに沸くが、父親は1曲だけ歌わせると「もう寝なさい」と彼女を再びベッドに戻すのだ。
次のシークエンスは、父親と離婚し分かれて暮らす母親とのやりとり。
アレサは母親にピアノを弾くよう、せがんでいる。
母親はアレサに言う。
「歌は誰かに命じられて歌うものではない。たとえ、それが父親でも。あなたが歌いたいと思ったときだけ歌いなさい」
冒頭のシーンで父親は、寝ていたアレサをわざわざ起こし、たった1曲歌わせたら「もう寝なさい」と言う。
そう、勝手である。
その後も父親は、自分の教会の客寄せのように、アレサの歌を利用している。
母親のメッセージは、こうした父親の行為の問題点を際立たせるもので、対比的な描き方が明解だ。
幼い頃から圧倒的な歌の才能を持ちながらアレサは、父親の過干渉に苦しみ、父と娘の確執が続く。
また、彼女に関わる男性もまた、ときに暴力を振るい彼女を支配しようとする。
つまり、彼女が女性であり、男性支配に苦しむことが、彼女のアーティストとしての活動に影を落とす様子が本作では描かれるのだ(タイトルの「リスペクト」は、ここから来ている)。
また、彼女が育った時代は公民権運動の真っ只中である(キング牧師の暗殺が1968年)。
つまりアレサ・フランクリンは女性で、かつ、黒人という社会的な弱者の立場に置かれていたわけだが、本作は惜しいことに、この点の脚本が弱い。
後にアレサはオバマ大統領の就任式で歌うことになるが(僕はこの就任式をテレビでリアルタイムで観ていてアレサ・フランクリンが出てきてビックリした)、彼女が選ばれた背景には、まさしく、上記のような彼女のバックグラウンドがあったはずだ。
例えば、アレサは未婚の母になっていたようだが、その背景はほとんど描かれていない。
また、父親がキング牧師と親しかったらしく、アレサ本人も公民権運動に高い関心があったようだが、こうした点も説明不足だろう。
公民権運動については、ブラック・ライブズ・マターにつながる文脈として描くことも出来たはずで、惜しい。
ジェニファー・ハドソンの歌や演技のパフォーマンスは悪くないだけに、脚本の浅さが惜しい。