「エンターテインメント性と時代考証の「せめぎ合い」」信虎 シリーウォークさんの映画レビュー(感想・評価)
エンターテインメント性と時代考証の「せめぎ合い」
80歳の老将が、隠居先の京から甲斐の国主に返り咲こうと家臣郎党を引き連れ一世一代の旅に出る。映画『信虎』のメインストーリーは、戦国時代の余り知られていないこの史実を基にしている。製作陣は『甲陽軍鑑』を読み解き、武田信玄に追放された非道な父・信虎という一般的なイメージから、甲斐の国主としての誇りを忘れず、老境にあっても果敢に復権をめざす新たな信虎像の確立を目指そうとしている。
2022年は武田信玄生誕500年の節目の年である。なぜ今、信虎と勝頼なのか。その答えは、物語のクライマックスといえる、両者の一世一代の対峙に端的に表れているといっても過言ではない。北条氏、そしてかつて信玄と敵対した上杉氏と手を組み、国主として織田信長包囲網を画策する信虎。それに対し、信玄から陣代としてのバトンを受け取り、戦へとはやる若武者勝頼。三年の喪を守ろうとする家臣たちを巻き込み、強烈な不協和音を響かせるこの軍議のシーンが、強大なリーダーシップを失い、時代の潮流に呑まれ崩壊していく武田家、ひいては信玄の偉大さを逆説的に表現しているのだ。「市民ケーン」や「ゴッドファーザー」を彷彿とさせる構図である。
物語を通底する「武田信玄のレガシー」というテーマは、従来の大河ドラマや時代劇映画では描かれにくいこの映画のユニークな視点にも表れている。たとえばこの映画は元禄時代、武田家の幕府高家としての再興を果たした側用人柳沢吉保が、息子に語り伝える物語という体で始まる。徳川家康は武田家の遺臣を庇護し、天下泰平の江戸時代をつくった。ほかでもない柳沢吉保こそが武川衆の出なのである。徳川家がいかに甲斐の地、そして人脈、血脈を重視していたかを、この映画は教えてくれる。
このような徹底的に考証や新視点を取り込んだ「硬派」な時代映画としての側面もありながら、時代劇のエンターテインメント性を損なわないアイデア性も見どころの一つだ。黒沢映画をはじめとした往年の名画をリスペクトしたキャスティング、流血伴う戦闘シーンや時代の変遷が見える城内の調度品など、戦国のリアリティを追求した演出は圧巻といえるだろう。そして物語は妙見信仰や諏方大明神の伝説など「伝奇性」を取り込む一方で、お直御寮人と信虎、父娘のすれ違いを描いたロード・ムービーといった繊細な性格も持ち合わせており、信虎の物語を魅力的に見せる製作陣の苦心と奮闘の跡が垣間見える。
それぞれの「御家存続」がぶつかり合う重厚な戦国ロマンに、荒削りな演出が息をつく間もなく連続するスピード感は好みが分かれるところであろうが、却ってこの映画の持つ特異性を引き立てることだろう。