アイアンサーガ 暴走機械兵団
2020年製作/98分/ドイツ
原題または英題:A Living Dog
スタッフ・キャスト
- 監督
- ダニエル・ラボルト
- 製作
- アクセル・リッケ
- 脚本
- ダニエル・ラボルト
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ステファン・エベル
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シーリ・ナセ
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ニコライ・ウィル
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ミッチェル・ビーゼメス
2020年製作/98分/ドイツ
原題または英題:A Living Dog
ステファン・エベル
シーリ・ナセ
ニコライ・ウィル
ミッチェル・ビーゼメス
人間の声に対してかなり敏感に反応し襲い来るが、人間が立てる物音にはかなり寛容なロボットが地球を支配した世界で、とある男ととある女が...
聞き分けられる音に乗せた言葉が重なり合っていき判別の効かないうるさいと感じる単なるノイズに変換された先に訪れる静寂を以て、詰まるところの声という情報を問う、いやなにかそこを起点としたい狙いは伺える。
しきりに気にするサイドミラー、家の鍵の置き場所(隠し場所)、シールドの機能と有無、大量の蝿の羽音、服用しているおクスリ、口に巻くダクトテープ、24時間のタイマー、地図、記号にマーク、なんかの機械に爆弾...、
声を奪われた世界において、他のツールを用いてのコミュニケーション手段が模索された形跡が無いことに違和感は覚えつつも、たった一言説明があればすぐに済むだろう、言葉を交わすことができれば即座に解決しただろう、作品としてみれば映し出せばいいだろうことを、声という情報に頼らずわざわざ手を変え品を変えその意味をその真意を読み解かせようとする意識が徹底されており、
声という手段があれば起こらなかっただろう衝突と、いやもし声があったならばそれ以前に障壁が立ち塞がっただろう事実を以て、その先にある人間の声が失われたからこそ気付けるナニカを、築こうとする本来築けるはずの繋がりを見極めようとさせる意図もそれなりに感じ取れる。
人類と敵対する対象が「クワイエット・プレイス」のようなエイリアンという地球外生命体ではなく、人類が生み出した無生物のロボットとしているのも、人類の存在を人間の価値を命を問う足掛かりとしたい故なのだろう。
しかし、この世界観におけるルールというか境界線が、本来一律であるはずのロボット側に委ねられるべきところを、作品を成立させる上で人間側に都合良く捻じ曲げてしまっているために、人間とロボットとの対比及び線引きが機能しているかはかなり疑問。
「宇宙戦争」...「クワイエット・プレイス」シリーズ...「プラネット・オブ・ロボット」(2015)...「アローン・イン・ザ・ゼット」(2016)...「キル・コマンド」(2016)...「クワイエット・フォレスト」(2016)...「EXO <エクソ:地球外侵略者>」(2017)...「タイタン・フォール 巨神降臨」(2020)...「アルマゲドン・サーガ」(2021)...
音を出したら奴らが来る・・・、とまるでホラー映画のパクリのような設定、たしかに芸術性の高いタルコフスキーの映画でも画面に集中させるために用いる演出だが、全編無言劇のSFとは突飛を越して意味不明。強いて解釈すれば、低予算でどれだけ踏ん張れるかの製作者の挑戦を描いていると言えばいいのだろう。
原題はA Living Dogと自虐的だが打って変わって邦題やポスターの誇大宣伝の酷いこと、人類反撃の戦記というが人類はほぼ二人、暴走機械兵団というが子供の玩具並み。
まず予算はクラウドファンディングで集めたが無いに等しい、俳優も少ないしセリフも無いからスタッフも少人数。2週間のフィンランドの森の中の撮影なのでスタジオ無用、敵も昔の英TV番組トリポッド・シリーズ(1984~)のパクリ、ダニエル・ラボルト監督は子供の頃大ファンだったそう、CGにするまでもなく模型で充分、SFシーンは主人公の恐怖の体験の再現映像だから同じ絵を使いまわせると、節約、工夫の数々には頭が下がる。プロットも一切説明が無いから先が読めない、想像力で補いながら最後は自己犠牲で悲劇的感動を狙うと言ったシュールを装った手抜き映画。
この種の映画はSFではなくSci-Fi(サイ・ファイ)と呼ぶコアなマニアもいるので恨まれたくないがまともな映画ではないのでご注意を・・。