最後の決闘裁判のレビュー・感想・評価
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最後の決闘裁判はニーチェの「悲劇の誕生」から?
この映画は、単なる善と悪の闘いを描いているのではないと考える。決闘の事実をもとにニーチェの「悲劇の誕生」を下書きにして作られた映画なのだと私は思う。ニーチェはこの書でギリシャ悲劇がアポロン的な造形、形象世界と、ディオニソス(バッカス)的な心象、情念の融合によってもたらされたと書いた。
この2つの観念を人間の性格的な概念に当てはめると、アポロン的とは意識的で、かつ理性的、秩序だっていて、論理性に優れた性格を言い、ディオニソス的とは無意識的で、情動的、陶酔型の激情的性格のことを言う。この2つの性格は「理性と感性」、「静謐と狂乱」のように本来相反するものなのだ。
この映画では、マット・デイモンの演じたカルージュがアポロンであり、アダム・ドライバーの演じたジャック・ル・グリがディオニソスそのものなのだ。カルージュを突き動かす行動原理は理性と秩序であり、キリスト教的絶対正義である。他方ル・グリを動かすのは、情動と感性、激情的なアンチキリスト的行動原理である。
ニーチェは反キリストの立場を取ったが、ここで示されたル・グリの行動は明らかにアンチキリストである。その点からもこの映画の意図は明らかだと思う。つまりカルージュにより示されるキリスト教的絶対正義が、アンチキリストのル・グリを打ち負かし、正義と秩序を世界にもたらすのだと。だがしかし、本当にそれだけなのだろうか?それならばなぜマルグリットは命が助かったにも関わらず、晴れやかな顔をしないのか。
ここからは私の独断とある種偏見なのだが、ディオニソスはギュンニスとも呼ばれている、女男という意味だ。今でいえばLGBTともいえる。つまりある意味、性において自由なのだ。他方アポロンであるカルージュのセックスといえば目的が子作りにあるのは明らかだ、それが悪いと言っているのではない。しかしこの先死ぬまで名誉のために秩序と正義に生き、厳格なキリスト世界の中で暮らすことが、本当に自分にとって幸せなのだろうか。彼女はきっと疑問に思ったはずなのだ。其疑問の象徴が建設中のノートルダム大聖堂のように思える。キリスト世界の勝利の聖堂が、なぜか暗く幽霊屋敷のように描かれているのは一体なぜなのだろうか。
昨年見逃してしまったのですが、ようやく見れました! 時代背景がわか...
羅生門の手法で描いた中世版「テルマ&ルイーズ」
昨日、黒澤の「羅生門」を観て、翌日に本作を観ることになった。すると両作とも手法が「羅生門」スタイルだったので、出来すぎた偶然に驚かされた。何よりも今にしてもなお、その映画手法が世界に影響を与え続けている黒澤監督の偉大さに頭が下がる。
「羅生門」は平安時代の強盗殺人レイプ事件をめぐって、被害者とその妻、犯人と、最後に目撃者の証言をそれぞれ映像として描き、人間のエゴをむき出しにしていく作品だった。
本作は、中世ヨーロッパの封建領主間におけるレイプ事件をめぐって、領主と被害者の妻、加害者の領主の3人の証言を、やはり別々に映像化して、どれが真相なのか観客に想像させるものである。
これは黒澤作品と違い、3人の証言がまったく異なるわけではなく、「妻と加害者に合意があったか否か」だけが争点となっている。そして時代背景、宗教裁判の実態を考えれば、状況証拠としては真っ黒だから、羅生門手法は①妻の証言で犯行に至る経過やその後の反響が徐々に明らかになっていく点や、②領主双方の人間性が別々の観点から膨らみをもって描かれている点――に効果を生んでいる。
両者とも自己の非を認めないことから、最後は領主同士が戦って「真実」を決定することに。中世騎士の戦いはリドリーには手慣れたもので、今回も最後の決闘シーンは息をのむ迫真性に満ちている。
その中でレイプに対し泣き寝入りせずに、世間や家族と戦いながら真実を貫く女性の姿を描くことが本作の狙いであり、女性にとっては痛快極まりないだろう。中世版「テルマ&ルイーズ」といった趣が面白い。
アダム・ドライバーの殺されっぷりが良い
14世紀+MeToo運動+羅生門
14世紀、欧州百年戦争の真っ只中、女性の権利など話題にもならなかったであろう時代、夫婦関係と富と名誉、人間のエゴイズムのごった煮を見せられた。既婚者なら何とも言えない感情をくすぐられたはず。
古い物語に見えなかったのは、MeToo運動を思い起こさせる内容だったからか、リドリースコットの手腕か。その時代に生まれた運命と、人の善悪と、自分の人生を貫く力を描いた力強い脚本と演出。
リドリー・スコットの美学は健在で、コントラスト高め、濃い色調の重厚な画作り。綺麗な絵本のような美しいカットばかり。物語の緩急とアクションの見せ方はいつもながらの出来で、最後の決闘シーンもなかなか印象深い。羅生門形式はあまり好きではないけど、退屈な映画にはならず、またも巨匠は秀作を生み出した。
男性の認知の歪みをよく描いている
ひとつの事実を三者それぞれの視点で描かれていた。強姦の加害者がどのように事実を受け止めて自分に都合よく認識をするかとてもリアルに表現されているし、最後の被害者の視点が「真実」と断り書きされているのもよかった。
日本なら南北朝時代‥
この頃の中世西洋の風俗や雰囲気がよく伝わってくる物語でした。彼らも我が国の戦争・政治プレイヤーたちと同じく「戦になったら絶対殺すマン・そこで死んだらしゃーないが、不名誉でカッコ悪いのはイヤ」「家とは領土と名跡」だったのですね、勉強になりました。
その一方で話の進め方がまるで現代の「客観・多角的犯罪捜査」映像みたいだったので、対比的にとても新鮮でした。
話の内容の味やその深淵性・芸術性については、それらを含めて観た観客それぞれでかなり差がありそうです。私的には、その部分正直↑の総合評点4.0程ではありませんでした。描写手法上どうしても物語世界に没入しにくく、まるで第三者意見を求められて捜査資料を見せられている他所の刑事みたいな気分になってしまいました。リドリー・スコット監督はその辺観客がどう観る(べき)と思ったのか聞いてみたい気分。
最後の決闘裁判シーン
最後の決闘裁判シーンは手に汗握って観れました。
つまりラストに向かって振りがちゃんと効いてたという事。
マット・デイモンもベン・アフレックもアダム・ドライバーもとても良かった。
当時は良しとされてる事や信じられてり物が今と違ってて、
アダムドライバーなんて言い訳してる悪いやつのように
見えるけど、彼なりの正義があったのではないか?
とも見られるし、
奥さんも素敵な人と思ってるだけで罪と思ってる部分も
あったのかもしれないし、
マット・デイモンはただただ無骨で不器用なやつ、
だけどアダムドライバーに一泡吹かせたいと言う気持ちも
あったのかもしれない、
と3章に分かれてて色々登場人物の正義を考えて観ると
面白かった。
ラストの決闘裁判も手に汗握って観る事が出来た。
どちらが勝つのか?と言う事だけでも楽しめると思います。
にしても快楽を覚えないと妊娠しないからとか、
神が決めるから決闘しようとか、
なかなか不気味な映画でした。
視点を変えて真実を描く
ディズニープラスの説明に復讐劇とか書いてるので、てっきりカイロレンが悪者かと思いきや。。。いや、悪者は悪者やけど、、、復讐とは全然違うやんー!!誰やこの説明書いたん😵
大まかに言うと、元親友にレイプされた妻のために決闘裁判を申し込んで勝つ話なので復讐劇っちゃ復讐劇なんだけど、、、その中に男の名誉とか、愛とか、女性の地位の低さとかの時代背景も入ってくるから、そんな単純な話じゃない。
さらに決闘裁判の原告、被告、そして被害者である原告の妻の視点から同じシーンを何度も描くから下手したらちょっと退屈になりそうやけど、そうならないのがさすがリドリースコット✨
うまく説明できてないけど、面白かったです😊
余計なラストのメッセージが気に入らない
人も馬も血統 人も馬も決闘
中世ヨーロッパはお好きですか?
わかるよ、わかるのよ、映画的な面白さは。
いわゆる“羅生門スタイル”は嫌いじゃないし、三者の視点から繰り返される映像には見入ってたし尺の長さは全く感じませんでした。
でもねぇ、あまりの男尊女卑!女性をモノとして扱い、妻に人権は無く、騎士たちの粗野というよりむしろ野蛮な振る舞い。女性が感じれば妊娠し無理矢理(レイプ)なら妊娠はしない、という意味のわからない論理。勝てば真実、釈放、英雄。負ければ処刑、偽証、火あぶりという決闘裁判の酷さ。中世という時代とは言えストーリーの胸糞悪さに霹靂。
そう、人は自分に都合良く記憶するし三者のどの視点もまた真実なのでしょう。そして現代社会も本質は何も変わってないよね、っていう監督の意図もすごく響きました。
だけどそもそも中世ヨーロッパがダメだったんだわ私。
まぁ世界史全般苦手でしたけど特に中世の貴族や王の人名のややこしさに教科書放り投げてました。
あの時代が好きかどうかもこの作品評価に多少は影響ありそうですね。あとはリドリー監督との相性かな。
ともあれ高齢になってもこんな大作を作っちゃう巨匠の凄まじいエネルギーと、マット・デイモン&ベン・アフレックの久々共同脚本ということで二人の変わらぬ友情に敬意を。
Are you telling me the truth! 神様へ近づく第一歩
脚本マット・デイモンとベン・アフレック、監督リドリー・スコット。これだけで絶対面白いヤツやん!っと思ってほとんど内容を知らないまま映画館に足を運びました。ただ土曜日なのに劇場にお客さんは私を含め3人・・・くぅぅ、この地方に映画好きはおらんのか⁉️と思ったりもしたのですが、映画自体は期待通り面白かったです✨
前情報をあまり入れてなかったので、最初から三者の視点で話が進んでいくのもビックリでした。リドリー・スコット監督御年83歳。それだけの年齢になっても攻めてますね。でも、これは脚本が上手かったのかも。マット・デイモンとベン・アフレックもグッド・ウィルハンティングでは若者の青春劇を見事に描いてましたが、本作を観ると大人になったなぁっという感じがします。
で、決闘裁判なのですが物語の時代が1300年代後半だったのは意外でした。フランスは1981年までギロチン使ってたみたいなので(ギロチン止めたのより最初のスターウォーズ公開の方が古いという事実❗)、もっと最近まで決闘裁判とかやってたのかと思ってました。でもリドリー・スコット監督ってこういう昔の街並みを撮るの抜群に上手いですよね。あの時代の街並み作るのってメチャクチャ大変だったと思います。あのマルグリットの三つ編みをグルグル巻いて後ろで束ねてる髪型は可愛かったですよね✨当時流行ったりしていたんですかね?朝の準備ではメッチャ大変そうですけど、昔の人は頑張ってたんでしょうね。
たとえ史実であってもレイプ野郎が生き残ったらモヤモヤするので最期の決着はスッキリしました。史実を知らなかったので決闘はかなりドキドキしながら観てました。でも、ちょっと微妙な所もあるんですけどね。マルグリットがあの結果で幸せだったかどうか。
最初にジャック・ル・グリに会ってキスをした時に3人の回想でキスの長さが微妙に違うんですよね。ジャン・ド・カルージュの回想では短く、ジャックとマルグリットの回想では少し濃厚。で、その回想を観た時に実はマルグリットも少しジャックに気があるのかと思ったんですよ。だからと言ってレイプしていいはずもないんですけど。でも、ジャンとの関係って良くなかったじゃないですか?決闘裁判になった時にはマルグリットは密かにどっちが死んでもいいって思ってたのではないでしょうか?自分も燃やされると知るまでは。思惑がスゴく三者三様です。
まぁ、ジャンもジャックもロクな男ではなかったので決闘を観ててどっちが死んでもいいよって気分になりつつ、ジャンが死んだらマルグリットも道連れになるから、やっぱりジャン頑張れって気持ちで観てました。
ぶっちゃげリドリー・スコット監督ってもういつ最新作が遺作になってもおかしくない年齢じゃないですか?もちろん個人的な心情としてはまだまだいっぱい面白い作品をつくって欲しいのですが、年齢的に撮れる映画の本数が限られてきてるのは事実だと思うんですよ。そこで勝敗は神様が決めるという決闘裁判の映画を撮る。もちろん決闘裁判に神様が入る余地はなく、現代から見れば荒唐無稽なのですが・・・でも、もしそこにほんの少しでも神様の意思が介入しているとしたら?そしてリドリー監督が本作を撮る事を通して、少しでも神様の意思を垣間見ようとしているとしたら?
・・・なんて考えると、ちょっと本作の見え方も変わってくるのかもしれませんね。
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