「600年以上経っても変わらない女たちの生きづらさ」最後の決闘裁判 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
600年以上経っても変わらない女たちの生きづらさ
百年戦争という名は、戦端の開かれた1339年から、港町のカレーを除き、フランスがイングランド軍を大陸から駆逐した1453年までの期間が約百年だったことに由来し、19世紀に言われ出したそうです。なので、当時の人にとっては、目の前の状況に応じて断続的に色々な場所で戦っていただけのことで、長期的なビジョンなんてものはなかったはずです(そりゃそうだ)。元々英仏の王家はフランス国内の領土問題などから血縁関係も深く、相続争いに絡んだ王位継承やら領土を巡る勢力拡大闘争なども絡み、ぐじゃぐじゃだったようです。なにしろそもそもの戦争の始まりは、イングランド王のエドワード三世がフランス王位権を主張したことから始まったのですから。しかも、エドワード三世がそんなことを主張したのは、彼が征服するのに苦労していたスコットランドをフランス国王が支援したからというのですから、面倒くさい(そう言えば、『サー、と呼べ❗️』と激怒していたマット・デイモンが多くの兵を失ったと報告していたのもスコットランド遠征でした…この方面でもダラダラと小競り合い的な戦争が続いていたのですね)。
この時代は、ペストの蔓延や気候不順による作物の不作も頻発していたそうで、あの決闘はストレスの溜まっていた大衆から一定のガス抜きをする効果もあったのかもしれません。
※決闘を認めた国王シャルル6世(在位1380〜1422年)は、在位途中で精神に異常をきたし、異常をきたす前は親愛王、きたした後は狂気王、と両極端な呼ばれ方をしたとのことです。
人間は程度の差はあるにしても、どうしても〝見たいと思う現実しか見ない〟傾向があります。
第1章、第2章とも、それぞれの男にとっての見たいと思った現実。第3章は、そうであって欲しいという願望が男よりも少ない女の側から見た現実=ほぼ真実。
言い方を変えれば、男にとっては、ある程度願望通りの現実を生きることが可能であるが、女にとっては、そもそも願望などが通じるわけがないと始めから分かっている男優位の社会だからこそ、起きたことの現実を願望によって歪めることなく叙述できるということなのだと思います。
ラストの一見幸せそうなジョディ・カマーの首を右側に傾げた表情。しかしその裏には、この決闘から600年以上経った今日の社会でも、この構図がほとんど改善されていないということが、恐ろしいほど浮かび上がるわけで、〝(映画としては)結果オーライだったけど良かったね〟で簡単に済ますわけにはいきませんよ、という監督からのメッセージを強く感じることになりました。
余談
マイケル・クライトン原作の『タイムライン』も百年戦争だったと思います。そういう感じ、なんだかいいですね。
何言ってるかよくわからないかもしれませんが…
コメントありがとうございます。
分からない部分はWikipediaや雑誌などを見て書きまして(^^;
ラストシーンは不思議な余韻が残りました。
リドリー御大も敢えてくどくど描かず、観る側に判断やメッセージを委ねた気がしました。
美紅さん、いつもお世話になっております。
女性に敬意を持つという概念がない時代の男どもが、美紅さんにはどう映るのか、機会があればお聞きしたいと思います。
シャルル6世は在位途中で人格が激変したんですか。決闘裁判をまるで余興を楽しむように狂喜している王に王妃は引いてましたね。でも、王は王妃をいたわっていて、二人は仲が良さそうでもありました。ちょっと不思議だったんですが、これらはなんとなく入れたシーンではなく、ちゃんと設定があるんですね。細部にまで気を配られた演出なのだということですね。