「共感はしきれないけれど・・・・・・」Pure Japanese るんばさんの映画レビュー(感想・評価)
共感はしきれないけれど・・・・・・
物語の流れとしてはわかりやすいものでしたが、おそらく観た人の評価は大きくわかれるんだろうなと思います。
内容的には大まじめではあるけれど、リアル感は薄く、観ていても現代の正義とはずれていて、「こんなことする?」みたいな気持ちになります。主人公が行動したくなる心情としては理解できないわけではないけれど、実際の行動としては決して正しく思えない部分も多々あって、だんだん滑稽にも感じてきます。
ただ、ディーン・フジオカさんは“Pure Japanese”に何を表現したかったんだろうと考えながら観ている時に、ふとした気づきがありました。それは、自分の思考が現在の法律、ルール、道徳、価値観などに縛られているということです。
おそらくタイトルに込められた思いの一つは、武士道や武士の精神性。それが失われた現代に、“Pure Japanese”として登場したのが主人公ですが、現代の価値観には合わないため共感しきれない。
しかし、もしこれが例えば江戸を舞台にした時代劇だったとしたら……。
主人公の立石が武士、そのほかの登場人物たちが悪代官や悪徳商人、やくざ者たち、町娘だとしたら、それほど違和感なく楽しめた勧善懲悪的な娯楽作品になったようにも思えます。
時代によって価値観や法律、ルール、道徳などは当然違います。だから時代劇なら立石の行動もほぼほぼ自然に見えるけれど、現代の西洋的な考えも反映された法律やルール、ネットの発達した現代の価値観などに照らせば、立石の行動は狂気になってしまう。実際に対峙する相手は悪い奴らでだれもが許せない気持ちになると思いますが、現代視点で観ているので立石の行動に違和感を持ってしまうわけです。今の価値観の中に武士が現れたと考えれば、この物語のようなリアリティのない展開にもなるのもうなずけます。
“Pure Japanese”にはもとは日本人として持っていたであろう美学や価値観で、時代の流れとともに見失った感覚が表現されているのではないでしょうか。もちろんこれはタイトルの一面だけのことで“Pure Japanese”と英語のタイトルになっていることにも意味はあると思いますし、別の観点も含んでいるので、何度も観れば、さまざまな捉え方ができるように思います。
この映画の狙いとは違った見方をしているようにも感じていますが、自分が正しいと思っていることは、現在の法律やルール、道徳、価値観、風潮などに縛られてしまっていて、それに則って世界を見て、思考しているために、視野が狭くなっていることに気付けたことが、私にとっては映画を観てよかったと思えたことでした。
それから蒔田彩珠さんがすべての救いでした。
最後に、この作品はディーン・フジオカさんだから成立する作品じゃないでしょうか。