ディア・エヴァン・ハンセンのレビュー・感想・評価
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許容限度を超える(個人の感想)嘘
自死した同級生の遺族に、彼と友達だったと嘘をつく。それも、ちょっとつつかれたらすぐバレそうな拙い嘘を。
先々のことまで現実的に考えると、それはものすごく残酷なことだ。そのような行動を物語の主人公にやらせるなら、せめて嘘をつくに至った理由として余程説得力ある差し迫った事情が提示されたり、嘘が公になったあとで本人が相応の償いをしないと、見ていて何だかいたたまれなくなる。
そういった因果応報の描写が終盤にわずかしかなかったためか、遺族への嘘という重い行為がエヴァンの積極性を引き出すための踏み台として扱われているようにしか見えず、2時間でかなりフラストレーションが溜まってしまった。私が固く考えすぎなのだろうか。
以下、散々な感想を書きます。好意的に鑑賞した方、ごめんなさい。
公式サイトを見ると、エヴァンの嘘を「思いやりの『嘘』」と表現し、亡くなったコナーの両親を苦しめないため、思わず話を合わせてしまったと書いてある。私の目には、もともと他人とのコミュニケーションが苦手なエヴァンが、言いにくい事実をきちんと言うという本当の誠実さを全うすることから逃げたようにしか見えなかった。
もしかしたら、本作ではこれをちゃんと「エヴァンのダメな部分」として描いているつもりで、思いやり云々は日本のプロモーターの適当な作文なのかも知れない。彼は極端にコミュニケーションが不得手という設定でもあるし、初手でつい嘘をついてしまったことについてはひとまず甘受することにして。
その後、彼はその嘘をつき通すために同級生のジャレッドに金を払ってコナーからのメールを捏造してもらい、遺族に嘘を重ねる。偲ぶ会の演説でも嘘を言い、社会活動好きのアラナに誘われてコナーの名を冠したリンゴ園のクラウドファンディングの広告塔になる。そもそもリンゴ園がコナーの思い出の象徴のようになったのもエヴァンの嘘が起点だが。
果てはエヴァンをすっかり気に入ったコナーの両親から学費援助のオファーを受ける。これはかろうじてエヴァンの母が断ったが、エヴァン自身には罪悪感から申し出を断ろうという様子は見られなかった。片想いしていたコナーの妹ゾーイから告白されて付き合うようになると、リンゴ園クラファンの集会もサボるようになる。本当に親友なら万難を排して参加するのでは、とアラナにもっともな指摘をされても真実を告白しない。
それどころか、遺族と自分しか見ていないコナーの遺書(と誤解されたままのエヴァンの自分宛の手紙)画像を、自分の嘘を補強するためアラナにメールで送り、そこからコナーの遺族がネット炎上してしまう。
うーんこれ、「促されるままに語った(公式サイト)」という表現から感じる、悪意はないから、で許される範疇を超えてませんかね。エヴァンの自己保身にしか見えない。コナー遺族と親しくなったからこそ、嘘を続けることに葛藤を感じる、そんな良心はなかったのだろうか。
ゾーイと思いが通じた時点や学費援助の申し出があった場で良心の呵責に耐えかねて告白するならまだ救われるが、相手に実害が及んで弁解出来なくなり、追い詰められてやっと白状。
お金が絡んできても嘘をやめなかった時点で何だか印象が……
で、嘘がバレたエヴァンは一応SNSに謝罪動画をアップしたり、今更過ぎるがコナーのプロフィールにあった彼の好きな本を読んでみたりする。コナーの個人情報をリサーチして彼が施設でギターの弾き語りをしていた動画を発掘し、それをUSBに入れて郵便でコナーの両親に送って、何だか許されたような空気感になる。
ごめんなさい、私がもし同じように嘘をつかれてとばっちり炎上まで経験したら、エヴァンからの封書は開けずに捨てます。
メンタルに問題を抱えた人のつらさ、一見健康そうな人もそういう悩みを密かに抱えている可能性を想像することの大切さ、それはよく分かる。だからこそ、自死遺族に嘘をつくなんて変にセンシティブな部分に踏み込んだ設定にすることの必然性がよく分からなかった。
エヴァンが小学生だったら、あのあまりに場当たり的な嘘も子供なら仕方ないと思えて、作品自体はもうちょっとポジティブに受容出来たかも知れないが。
あまりに付いていけなかったので散々に書いてしまったが、活発なようでいてつらさをうちに秘めたアラナの歌はとても共感出来たし、ジュリアン・ムーアが歌っていたのは新鮮だった。楽曲は耳に心地よいメロディが多く、歌詞のメッセージも素晴らしかった。
嘘はやっぱり不幸になる
鑑賞後の気持ち
「人を幸せにする嘘もあるんだよ」ってよく言う人がいるけど、そのセリフには必ず「最後までバレなければ」っていう枕詞がくると思う。
この映画で最初からずっとある嘘は本人と周りを傷つけてきた。
もしこの作品のメッセージが「自分らしくいよう」的なものなのだとしたら、嘘をついてまで偽りの自分を演じようとする。という行動をしてしまうのも自分としては受け入れていいはずだ。だから、この映画は「嘘つくな」って言うメッセージだと思った。
鑑賞後の心の変化
嘘をつく人を弱い人だと思っていたけど、耐えられなかった人だと思うようになった。
鑑賞後の行動の変化
嘘はつかない。でも嘘をついてしまう人はそれだけ何かを抱えているのかもしれない。というところまで考えなくていけないと思った。
好きなシーン
なし。
嫌いなシーン
なし。
よかった。
私はコナーの家族を傷つけるとわかってても仲良くなかったと言ってしまうと思う。嘘つくのハラハラする。
この映画はいい映画。歌がどれもいい。エヴァンみたいに悩んだことがある人は、歌詞がよく思ったり考えたりする言葉がたくさんあると思う。やさしさを感じた。わたしは最初の歌やアラモの歌がとくに。いや、他のも。
スピーチが拡散されて共感の嵐みたいになる。私も共感するところは多い。セリフも歌もほぼ共感。でも事情を知ってるから映画の登場人物たちみたいに全部を気持ちよくみれない。
製作者たちが励まそうとしてるのを感じる。
エヴァンがエヴァンに宛てた手紙は励ましの言葉で、それは見てる私たちに言ってる。
登場人物の言葉は悩んでる私たちが心の中で思ってること、言いたいことを言ってくれてる。
映画としてよかった。
主人公のエヴァンの嘘に嫌悪感で受けつけない人もいるかもしれない。彼に気持ち悪さを感じるかも。
でもいい映画、寄り添って励ましてくれる。
フィクションの役割
エイミーアダムズとジュリアンムーアとケイトリンデバーがでてて、スティーブンチョボースキーが監督してるミュージカルってんで、見ようと思ったわけですが、ダニーピノが出てたの!ドラマ・コールドケースのスコッティ!若手やんちゃ刑事だったスコッティが、ジョージタウン大学のスウェット着てる、稼ぎの良い弁護士(多分)が似合うようになるなんて!
多分主人公は自殺しようとして木から落ちたのよね。そして、ひどい嘘をついた。だいぶ取り返しがつかないけど、これはフィクションなので、見てる人は書き換えられるよってことなんだと思う。フィクションは予め起き得る失敗を見せて、反面教師を担ってる。私は、そう思って見た。
なので、かなり感動していた。誰の立場でかはわからんけど。もう10代じゃないから名前のない苦しみなんてない。名前のある苦しみを纏って生きる覚悟をしてる大人だもん。でも親ではないから親目線ではないのよね。
名前のない、何に苦しまされているかわからない時期を知ってるかつての10代として感動してたのかなぁ。
ヒューマンドラマの皮を被ったグロ映画
完成度の高い楽曲と感動を与えるような演出でまるで泣ける話のような皮を被ってますが、本質は人間の醜さと安易さをかなりシニカルな目線で描いた作品です。
コナーの死に便乗して、主人公、コナーの家族、同級生など全ての登場人物が自分が信じたい事だけを勝手に信じて、善意から行動しています。
誰もが善意や正義感から行動しているのですが、誰もコナーの事を本気で理解しようとはしていません。
コナーの死を利用した自慰行為をしているようなものです。
物語の流れだけを見ればまるでペイフォワードのような感動系の映画の流れに沿っているのですが、観客の感動しようとする感情と主人公のついた嘘への嫌悪感がなんとも気持ち悪く、落ち着かない気持ちにさせます。
現代のSNSでのバズりや炎上への風刺がとても効いていて、面白い映画です。
なかなか他に無い味のする映画ですが、
惜しい点としては楽曲一つ一つのクオリティは高いのですが、あと一曲観客を無理矢理感動させられるようなパワーのある曲があればもっと気持ち悪い(褒め言葉です)最高の映画になったでしょう。
最後だけでも星5
説教臭くない
ストーリーおもしろい
にしてもポンポン嘘が出てくる出てくる
コーナー歌上手いダンスも上手い
家族3人で歌うとこと、活動家の女の子の歌が良かった
コロナ中で撮影してるのすごい
メイキングでエヴァン役の人出てきたけど、誰?ってくらいイケメンだった。ピッチ・パーフェクトの人か
ミュージカル的にもすごく良かった。カップル曲も良い
泣ける
追記:コナーの歌良すぎてずっと聴いてる。他のも聴いてるけど
良かった
劇場で観たかったが見れなかったので、いつか観たいと思っていたら、Prime Videoで配信されていたので観た。
ヴァンは最初はホントのことをコナーの両親に伝えるつもりで、状況的にホントのことを言えなかったので、ついウソをついてしまったけど、そのウソがどんどん大きくなって…
なんか、自分もウソついちゃいそうな時があるけど、やっぱりウソついたら後々めんどくさそうな事になるから、やっぱりウソはいかんなぁとあらためて思った。
あと、ゾーイかわいすぎな。
コナーの気持ち
コナーは自死を決めていた
最後くらい善を行おうとしてエヴァンに声をかけサインした
だけど目にしたエヴァンの手紙で自分の期待は裏切られる
それがきっかけになったかは分からないが彼は直後に旅立った
そんな事は目に入っていないエヴァン
自分の手紙によって家族そして自身が翻弄される
エヴァンは恵まれない環境から抜け出したくコナーの家族の一員になりたいと思うようになる
自死遺族の罪悪感を癒やす代わりに。
誰にだって本当の自分がいる
本当の自分でありたい、本当の自分を見てほしいと言いながら、故人の嘘のエピソードを語ってしまう主人公エヴァン。故人を冒とくしただけでなく、悲しみに暮れる家族を再度地獄に突き落としてしまう。
過ちに気づいて初めて本当のコナーを知ろうと手を尽くすエヴァンが、コナーの生前の動画を手に入れる。自分が陳腐なエピソードで作り上げた偽物とは比べ物にならないくらい輝いている本物のコナーを。
登場人物に魅力があるとしたら主人公ではなくコナーだと思う。コナーの生前をもう少し掘り下げてくれたら感動があったような気がする。
頭が痛くなる…
元のブロードウェイを一切知らない状態で見ました。
共感生羞恥というのでしょうか…
嘘を重ねて、ヒロインといい感じになる光景がただただ辛い。
お前はそれでいいのか??って心の中で何度もツッコミました…
優しい嘘に乗じて、流れに身を任せる主人公。
いつバレるのだろうかとハラハラしてる間に、頭が痛くなってきてしまい、本当に辛かった。
歌はすごく良いんですが、全て嘘の上にある以上、その全てが自分には何も響きませんでした…
結局本当に終盤にならないと嘘がバレない。
やっと頭痛から解放されたのは良いけれど、そこに全ての体力と印象を持っていかれたので、最後のコナーを思っての行動までもが響くことはありませんでした…
もう少し早めに嘘がバレた方が安心して見れたと思います…
せっかくいい感じの映画なのに…
見応えはあり、ただ二度目はないかな。
鑑賞前はミュージカル映画だとは知らず、映画冒頭いきなり主人公が歌いだしたので予想外でしたが、主人公の本音がポップなミュージックで表現されるのは見応えありました。ベン・プラットの歌声はピッチ・パーフェクトで聴いていたので彼の美声がまた聴けたのはサプライズでした。
しかしそれを超えるに値する物語が若干薄いかなという印象。
気になってしまったのが周囲からクレイジーと言われてた彼が亡くなったことで周りの人が手のひら返しで追悼会に参加したこと。
悪評があった彼の追悼会にそんなに人集まるのか?と。。
ちょっと所々にご都合主義的なものを感じたし、ジュリアン・ムーアとエイミー・アダムスに助けられている部分が多かったような気がします。
優しさから思わず出た嘘
ミュージカルの割にあまり歌うシーンは少なく、たまに歌い出すとああミュージカルだったと気付く程度。エヴァン役は特に歌が上手!
心優しいエヴァンの嘘。こちらもこの嘘が嘘を呼んで思わぬ方向へ進化していくから、いつかバレるぞとハラハラさせられる。結局遺族を苦しめる事になって打ち明ける事になるけど。
ギプスに書かれた名前をシンシアから見られた時はよりによって!と思わず吹き出してしまいました。
不幸をアピールしつつ、実はハッピーな青年が教える、嘘からのあざとい人生好転レター
昨年ハリウッドでは、ミュージカル映画が例年になくリリース。
『イン・ザ・ハイツ』『ウエスト・サイド・ストーリー』、配信なら『tick,tick…BOOM!:チック、チック…ブーン!』…。
いずれも高い評価を得、ミュージカルの醍醐味と躍動感に満ちた秀作揃いであった。
本作もブロードウェイ名ミュージカルの映画化。
『ワンダー 君は太陽』の監督、『ラ・ラ・ランド』の音楽コンビ、オリジナル舞台と同じ主演を迎えた意欲作。
公開時、LiLiCoがいつもの番組で号泣熱弁。2021年のBESTミュージカルと。
…でも私は時々と言うかちょくちょく、この人と映画の好みが合わない。同じミュージカルで『マンマ・ミーア!』をこの人は「最高の映画!」と大絶賛してたけど、私ゃあのノーテンキぶりがダメダメだったもんなぁ…。
LiLiCoは絶賛したけど、本国アメリカではラジー賞に絡む酷評&不発。
どうやら私は、今回も然り。後者派。
主人公像、話、作品の作り…いずれも共感出来るものが無かった。
まず、主人公像が好きになれなかった。
高校生のエヴァン。学校には友達はおらず、家でも母親とすれ違い。
“社会不安症”で常におどおど、おどおど。会話もままならない。
孤独な青年がやがて…という設定や展開は分かるのだが、その描き方がステレオタイプ。見ててイライラすると言うより、ドン引きレベル。
そんな主人公が自分の境遇を延々感傷的に嘆くのだから、げんなり。躍動感の欠片も無い。
ベン・プラットは舞台版でも同役を演じ、スタッフたちは彼の起用が本作の決め手だったと称賛の言葉を贈っているようだが、高校生役でありながら28歳…。
見えなくもないような、見えないような、さすがに無理があるような…。それこそ“嘘”でしょ…?
エヴァンはセラピーの課題で、自分宛ての手紙を書いている。
“親愛なるエヴァンへ。今日は学校で素敵な事があったよ”…とか。
でも実際は、感傷的な手紙ばかり。何処までも根暗…。
ある日、その手紙を問題児の同級生コナーに奪われてしまう。
笑われ、さらに学校中でバカにされるよ…。
…その方がまだマシだったかもしれない。
突然、コナーが自殺。コナーの両親はその手紙を見つけ、息子とエヴァンは親友だったと勘違い。
ここで正直に事実を言うべきだった。
が、口下手なエヴァンはそれが言えない。
我が子を失ったばかりの悲しみに暮れる両親をこれ以上悲しませたくない。
親友でした…と、嘘を付く。
相手の為に、思いやりと優しさに溢れた嘘。
“嘘も方便”。時に嘘が相手を癒す事もある。
何て涙ダダ溢れの素敵な話…。
…いやいや、これはアカンでしょ。
これに共感出来るか否かで、本作への好みが分かれる。
相手の両親を癒した嘘だったけど、あれよあれよと言う間に、嘘で嘘を塗り固めていく。
リンゴ園の木を一緒に登った。自分が落ち、コナーが助けてくれた。
勿論、嘘。
ありもしない“2人の思い出話”を両親に求められ、でっち上げていく。
メールのやり取りも捏造。その中で、自分(コナー)の本心、両親への思い、妹への心配り…。
と言うか、エヴァンのこれほどの想像力は逆に大したもの。青春小説でも書けば良かったのでは…? 題して、『そして、僕は嘘を付いた』。
『そして、バトンは渡された』も“嘘”の話。
あちらはいいのに、こちらはダメ…?
ハイ。決定的な違いがある。
『バトン』は愛する人の為に、自分が犠牲になってもいいから付いた、無償の愛の嘘。
それに対しこちらは、全くの他人。嘘から始まって知り合って他人じゃなくなっていくけど、それを肯定出来る要因や説得力に欠ける。
もはや嘘と言うより、騙し。
『バトン』は嘘に隠された真実が分かった時誰も傷付けなかったが、こちらは…?
その嘘がバレた時、相手の家族はどう思う…?
さらに嘘は、雪だるま式に大きくなっていく。
故人の親友として、追悼式でスピーチ。それが感動を呼び、エヴァンは一転して人気者に。
“2人の思い出の地”のリンゴ園を永遠に大切にしようと、クラウドファンディングが立ち上げられる。
ずっと密かに想い寄せていたコナーの妹ゾーイと恋仲に。
が、嘘で築き上げた今の幸運が続く訳がない。
歯止めが利かぬSNSの拡散。
リンゴ園保存のクラウドファンディングが仇となって、コナーの両親が槍玉に上がる。誹謗中傷の嵐。
彼らを傷付けまいとしてきた事なのに…。こんな事に…。
“嘘物語”の作品は、必ずバレる。遂にその時が。
自ら告白。
でも、そこからがまた解せない。
コナーの両親は理解は出来なかったが、エヴァンを咎めない。寧ろ、“もう一人”の息子の事を思いやる。
学校でも、以前以上にのけ者にされて当然なのに、白い目は向けられるものの、何処となく同情心すら感じられる。
エヴァンの母親もそう。息子の嘘や彼がした人様への迷惑を怒らない。それどころか、息子のした事を心配し、許す。
大いなる母親の愛…って言いたい所のだろうけども、いやいや、そこは一言くらい叱らないとダメでしょ。
唯一咎めたのは、ゾーイくらい。真っ当な反応。でも、彼女ともその後和解して…。
クライマックスはエヴァンの謝意。反省。
コナーの両親に本当の事を話す謝罪のシーン、歌い出す。ここはミュージカルじゃなく、普通に台詞の方が響くのでは…?
そのシーンや夕食に招かれた時も食べてる最中に思い出話を歌い出し、マナー違反。
しんみりする歌もあったけど、どうもミュージカルとしてぎこちない本作。
ここでミュージカルいる?とか、相手が通常の台詞なのにこちらは歌とか、ミュージカル嫌いの人がよく指摘する“ヘン”さ。
私はそれほどそれを気にしない方だが(だって、ミュージカル・シーンがミュージカル映画の醍醐味)、今回に限っては“ヘン”を感じてしまった。
この作りも自分には合わなかった。
嘘から始まった人生の好転。
SNSや自殺、いじめ、家庭内問題への警鐘。
僕は決して独りじゃない。
反省を経ての再起。
まるで“災いを転じて福となす”な前向きハッピーエンドにしているけど、何か根本的に違うんだよな…。
だって客観的に見れば、
周囲に嘘を付いて、
彼女まで手に入れて、
母親に庇護され、周囲に甘やかされて、
自分は本当は幸せに恵まれてて、
そんな自分を感傷的に歌い、嘘付き青年が自分宛てに綴った、あざとい手紙。
メチャひねくれ意見だけど、そうしか感じなかった。
さすがの歌唱
みんな歌が上手だなー。特に主演のベン・プラット。ミュージカル版でエヴァンを演じている人だそうなので、当然なんだろうけど本当に上手い。上手いのに技巧が目立たない歌い方。初めて聴く曲でも心地よく沁み通ってくる。
ただ、私の感覚では歌ってほしくないシーンもあった。ミュージカル映画を何本か観てきて、だいぶ慣れてきたつもりではあるんだけど、それでも、深刻な嘘を告白する胸苦しいシーンで歌い出すのはちょっと違和感が。「言葉もない」って朗々と歌われるとな。そういうもんなんだろうけど。
亡くなった人が生前に楽しい時間を過ごしていたこととか、好きな人間や好きなことがあったこととかが、残された人の心を勇気づけるのは、思えば不思議なことだ。でも、感覚的にはすごくよく分かる。コナーがあのA4ペライチを、ただ持っていたのではなくて“大事に”持っていたのが分かったとき、泣けてきた。
エヴァンとゾーイが最後ああなるのもいい塩梅だと思った。あそこからヨリは戻らないと思うし、かといって憎悪の感情を向けっぱなしでもゾーイだって辛いし。
余談ですがアマンドラ・ステンバーグかわいい。
親愛なる自分へ
Dearで始まって、Meで終わる手紙。
観終わったあと少しモヤモヤしましたが、それぞれの人の行動も言葉も、誰かではなく、あなたでもなく、自分のために宛てたものだったのだなと思うと納得できました。
コナーの尊厳は?
前評判を聞いて期待に胸を膨らませ上映終了間際に滑り込んできましたが正直残念でした。
「あなたは独りじゃない」というのがこの映画が伝えんとした最大のテーマだと思いますが、このメッセージは本編の内容とは乖離しているように感じました。
劇中でエヴァンが経験したことはあくまでも「嘘をついても意味がない」「ありのままの自分でいるしかない」ということ。
たしかに「あなたは独りじゃない」と歌っていましたし、その歌が人々の心を打ったわけですが、
実際にはそれは亡きコナーに向けた言葉ではなく、エヴァン自身が欲していた言葉あるいは望んだ世界のことでしかない。
独りじゃないよと伝えることに意味がないと言いたいわけではなくて、少なくともこの映画では「あなたは独りじゃない、だから大丈夫だ」という言葉を裏付けるようなエピソードがなかった。
希死念慮を抱えるほどの孤独の中にいる人に「あなたは独りじゃないよ」とこの映画で訴えたところで、コナーは死んでるんですよ。
しかも死んだあとは赤の他人によってニセの人格が作り上げられ、その嘘にまんまと家族は涙し、世間に消費される。コナーだけが浮かばれないです。
死ぬまでみんな無関心だったくせに。
良くも悪くも死んだら終わりなんだという現実を突きつけられましたが、それはおそらく本来の意図ではないですよね。
最後コナーがギターを演奏する姿がみられたのが唯一の救いでした。コナーには憩いも居場所もあった。
まあその事実も最終的には「それなのに死んでしまった」という気持ちに着地するので、やはり「あなたは独りじゃないから大丈夫」の根拠にはなり得ません。
コナーのように不安を抱えた人たちの支えになれるようにと言いながら、映画を通してコナーへの思いやりは感じなかったです。
目先の幸せに溺れて嘘を重ねるエヴァンの気持ちや、エヴァンの話を聞いて慰められる家族の気持ちは分からないでもないですけど、
嘘だとわかって観ている私達はマーフィー一家が吐露する歌をどんな気持ちで聞けばいいのか。
元も子もないかもしれませんが、ミュージカルでなければもう少し楽しめた気がします。
豊かで華やかな音楽に彩られるほどコナーの影とエヴァンの孤独が浮き彫りになり、音楽に没頭できませんでした。
言葉がほしいときに決まって歌が始まるのでもどかしかったです。
歌に救われたという声も聞くので一概には言えませんが。
少なくとも私は感動話として処理するにはあまりに浅はかな作品だと感じました。
……と思うままに書き連ねてしまったので最後に好きだったところも挙げておきます。
・「キーを回す前にブレーキを踏む」というエヴァンの内省。冒頭から私の心の中を見透かされた気分でした。
(だからこそこれから始まる物語でどのようにアクセルを踏めるようになっていくのか、と縋るような思いがあったのですが)
・妄想のなかのエヴァンとコナーの音楽は心躍りました。歌も踊りも最高。なによりコナーの踊りが軽やかでキャッチーで一瞬で心掴まれました。もっと見たかった!!!
・「コナー」「コナーの親友」というふたつの仮の人格を通してでしか本音を語れないという構図も引きつけられます。基本的にはエヴァンに自己投影しながら観ていたので分かるなぁと。
エヴァンがついた嘘は口から出まかせというよりは、「ありたかった自分」のことを歌っているのでどこか空虚で切ない。
周囲のリアクションとエヴァンの実情とのギャップにかなり心が痛みました。
テーマとメッセージと表現方法
映画の在り方は、人それぞれの価値観で違うわけで、メッセージ性の高い作品もあれば、脳みそ全開!アドレナリン全開!の作品もある。
この作品はミュージカルにする事によって、メッセージは伝わりやすいし、重くもならないが、ただ、軽くも感じる。
それを良しとする人もいるだろうけど、個人的には主人公の成長の話よりも、自死した人の方が気になった。
なんで、最悪な選択したんだろう?。
その選択をした理由は分からないが、生徒会長が自死対策を進めていく…。
学生にとって、良い教材になるんじゃないかなぁ。
寂しさから、また寂しさに戻る
ベン・プラットは歳さえ気にしなきゃ、脆弱な樹木のようなエヴァン・ハンセンを演じて、なかなかに素敵でした。
突然の友人
寂しさに悩むエヴァン・ハンセンが、自分と通じるものがあると感じたコナーの死に際して思わず嘘をつく。それは自死したコナーを悼み、コナーを失った両親をいたわるだけでなく、自分の孤独を救うためでもあった。
しかしやがてエヴァン・ハンセンは、こんなレアなケースに遭遇して初めて「友人」ができる自分がいたたまれなくなる。屈折して、かついじましい物語。
大衆に押し潰される
エヴァン・ハンセンの嘘は、素晴らしい話としてSNSで拡散されて、若者たちの運動にも繋がっていく。しかし、この若者たちの賞賛の嵐の空々しさ感は、これもこの作品のテーマの一つであることを感じさせました。大衆は一人一人の集合体ではなくて、一個の巨大な生き物。勝手に持ち上げ、勝手に沈める。個が対峙するのは、極めて難しい。
寂しいが爽やかな風
嘘の親友は当然の成り行きで崩壊して、実りかけたゾーイとの恋も破局した。今まで参加していた世界から弾き出されて、エヴァン・ハンセンはまた寂しい生き物になる。まるで夢から覚めたように肌寒い顔をして、それでも少しずつ自分を取り戻していくが、ゾーイとの仲が修復されることはない。
現実味たっぷりの寂しい幕切れは、それでもPCに向かうエヴァン・ハンセンの姿には爽やかな感じさえ見られて、映画としての読後感は悪くなかったです。
不思議なミュージカル仕立て
ただ、やはり他の方のレビューにあるように、ミュージカルの映画化にあたり、何故このような形式のものになったのか、スッキリした理解は得られません。コナーの父母やエヴァン・ハンセンの母までが、セリフの途中から歌い出すのには着いていけなかった。
ただ、光を求めて孤独から旅立とうとする人々を象徴するために、ミュージカル仕立てにしたと言うのはあるかなと思います。
エヴァンはそんなに悪い子だろうか?
映画館の宣伝で知り、曲はもちろんのことストーリーを調べると絶対好きなやつだと確信。楽しみにしていて観賞。
原作の舞台、NYに居るうちに観に行きたかったなぁ…。
ネタバレはむしろ積極的に観賞前にチェックするが、とにかくエヴァン君を責める意見が多い。グレショ好きには合わずララランド好きに合うかもという意見も…?
何ですと…グレショは人生で一番好きな映画、ララランドはワースト5に入るほど嫌いな僕が通りますよw
ほぼ貸切状態で妻と観賞。
結果、大のグレショ好きだがこの映画は「そこそこ好き」という…
まずレビューでエヴァン君がボロクソに叩かれているので、観賞前はよくあるティーンの承認欲求のためよく知らない子の死を利用してしまった感じなのかと思った…ら、全然承認欲求とか無いじゃんこの子…
ゾーイに振り向いてほしくて、かと思いきやそうでもなく、脚本上のことはわからないが、表情を見る限りエヴァンが欲しかったのはコナー君の両親では?
コナー母に抱き締められると本当に嬉しそうに抱き返すのがかわいいw一瞬しか映らないがクズ過ぎる実父へ何度も健気なメッセージを送ってて、コナー父は最初よくある金持ち家庭省みない系かと思いきや、ゾーイとも上手くやっており、コナーに向き合おうという気もあったようで、そりゃエヴァン君こんなお父さんが欲しかったってなるよね…
普通に思いやりで吐いた嘘だったし、暴力的なコナー君が親友になってくれる妄想はエヴァン君自身も癒したようで切ない…
コナー君、エヴァン君に絡んだ二回目はちょっとやっちまったというか、こんな態度だから嫌われるんだって自覚があるような表情をしたよね。
コナー君の方も勇気を出して話しかけてみたし、名前書いたのだってちょっと友達になりたい気があったのでは…コナー役の人ダンス上手いなぁ。いかにもアメリカのいじめっ子顔なのに偽メールの内容を楽しそうに歌うのは良い演出。
ベンプラット、生歌が上手いから本当に歌が上手いんだな。それでいて大物プロデューサーの息子。そんなチート白人のアメリカ人が、ここまでビビりのコミュ障をきちんと演じられるのがすごい。
嗜虐心をそそられる良い怯えっぷりw老けすぎwという意見もまあわかるし、好みの顔ではないが表情と首周りの動きが絶妙で段々可愛らしく見えてくる。
バズりと叩かれが思ったほどでないのはご都合主義感ある…が、誰かが亡くなった途端皆その人の友人を名乗り始めたという実話が元になっているので、ロッカー前の自撮りや枯れていく花とかのやるせなさがメインなのかもという気もする。
曲の良さは誰もが認めているが、もう本当にグレショのThis is me やA million dreamsとかもだが、You will be found、なんでこんなに歌いやすく盛り上がりやすくかつ切なげな良い曲なの?w何か人に刺さりやすい曲のパターンがあるのではないかと邪推するほど、素直に良い曲過ぎる。
設定と歌はよく出来てるのに、細かいところがご都合主義なのはグレショにそっくり。演者が魅力的なのも同じで、違うところは設定上仕方ないとはいえ、ダンスが足りないところ。コナーのダンスはとても良かったけど、あまり死人が元気に踊り続けても変か…w
ちょっと地味な部分詰めが甘い部分はあったが、僕は概ね好きです。
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