沈黙のパレードのレビュー・感想・評価
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福山が及川光博にしか見えなくなる呪いにかかった
いやぁ福山がもう及川光博にしか見えない。マジでもうそれにしか見えない
容疑者Xが中学生の時見た記憶あるんですけど、かれこれ10年ぶりだったので殆ど覚えておらず、あれ湯川さんてこんな気さくな性格だったっけ、あれ草薙さんてこんな感情爆発系キャラだったっけと思いつつ鑑賞
殺人の動機が全体的にん?
そんなんで人殺す?
ストーリーとしてはまぁうんうんという感じですが、あんな年間何本もミステリー書いてるのに次々に新しいの思いつく東野圭吾ってすげぇ。
容疑者Xの献身、真夏の方程式に次ぐガリレオ映画シリーズ3作目。ガリ...
容疑者Xの献身、真夏の方程式に次ぐガリレオ映画シリーズ3作目。ガリレオ映画はドラマシリーズと一風変わった雰囲気のイメージでしたが、今回の「沈黙のパレード」は、ドラマシリーズに近いユーモアな場面も見受けられた印象でした。
【”実に面白い”と天才物理学者、湯川教授は言った。”複雑なパズルは過去に戻らないと、最後のピースは嵌らない・・。親友、草薙刑事が過去の事件で負った心の傷を想う、湯川の心意気が心に沁みる作品である。】
ー ”バレット”今作では、重要な言葉(ピース)が多数出る。その代表のピースである。
ちなみに今作は、彼の口癖である”サッパリワカラナイ”作品ではない・・。-
■数年目前に、行方不明になった歌手を目指していた女子学生、佐織(川床明日香)が遺体で発見された。彼女は料理屋を営む、両親(飯尾和樹&戸田菜穂)を始め、歌の指導をする新倉夫婦(椎名桔平&檀れい)や恋人(岡山天音)を始め、多くの人から愛されていた。
だが、容疑者蓮沼(村上淳)は、完全黙秘を貫く。彼は、以前の幼女殺人事件でも完全黙秘を貫き、無罪になっていた・・。
◆感想
・劇中でもこの言葉が出るが、蓮沼は”警察が産み出した”モンスターである。彼の父親が、刑事で犯人を落とす名手であったからである。蓮沼は父から、物的証拠が無ければ、沈黙を守れば罪に問われる可能性は少ない事を学んだのであろう。
その蓮沼に対し、幼女殺人事件の時に、口を割らせることが出来ず、無罪にしてしまった草薙(北村一輝)は心に深い傷を負っていた。
ー 湯川学教授(に昇進)が、捜査に協力したのは、ラストシーンでも暗喩されるが、親友を想っての行為だと思う。湯川は、血と涙も十二分にある男なのである。ー
・蓮沼が町の祭りの中、殺害される。誰もが、容疑者になる訳だが、誰もがアリバイがあり、捜査過程は難航する。
だが、そこに救世主のように現れた、且つての幼女殺人事件で無罪判決を言い渡され、自殺した母親の”兄”(酒向芳)が登場する。
彼は、蓮沼に巧妙に近づき、時間を掛けて蓮沼の信頼を得る。
ー 正に、執念であろう。-
・蓮沼の殺害方法を解明するシーンは、湯川教授の独壇場である。”チッソかあ・・。実に面白い・・。”
・物語の展開も練られており、新倉夫人が”歌手を辞めたい・・”と言った時に、佐織を突き飛ばしてしまい、彼女を殺してしまったと思い込むシーンから、その事実を知った新倉が自ら、自首する姿。
ー 夫婦愛だなあ・・。(遠い目・・)-
■そして、観ている側は最後に
”この作品に登場する人物の中で、悪者は蓮沼のみであり、他の人は皆、人間の心を持った善性溢れる人たち”
であることを知るのである。沁みるなあ・・。
<シリーズは全作読んでおり、映画も3作観ているが、”実に面白い”シリーズである。気になるのは、エンディングで流れた過去作のセピア色のシーンの数々である。
ええっ、これが映画のラスト作品なの?未だ、6作分あるんだけどなあ・・。
更なる続編、希望である。>
沈黙が開かれた時…
フジテレビの人気TVドラマ『ガリレオ』の劇場版第3弾。
『真夏の方程式』から9年ぶり、『容疑者Xの献身』に至っては14年前とは、実に久し振り。
いつもの事ながら原作未読、TVドラマ未見だが、劇場版前2作が非常に良かったので、実はこの秋、楽しみにしていた一本。
東野圭吾ミステリーは見る側の予想を超えてくる展開や真相、心揺さぶられずにはいられない悲しみのドラマが醍醐味。
今回見始めは、やたらシンプルだと感じた。
ある殺人事件が起こり、容疑者は一人…じゃない。事件には幾人も関わる。
皆、事件に遺恨がある。動機も充分。全員が密かに協力し合って、暗黙の了解で復讐を…と、某名作洋ミステリーのような犯人たちや犯行動機、結末を彷彿した。
が、現代屈指のミステリーの作者。模倣犯みたいな事はしない。
現在の事件と過去の事件。…いや、事件以上に、関わる人物たちの思惑や心情が複雑に交錯。
その果てに紐解かれた真実を、あなたは見届けるか。それとも、沈黙を貫き通すか…?
事件の概要(主なストーリー)は…
都内のとある町。町の人々が集う定食屋“なみきや”の長女・佐織は歌の才能を見出だされ、当初父親の反対もあったものの、歌手の道へ歩もうとしていた町の人気者だった。
が、突如行方不明に。それから数年後、遺体となって発見される。
発見された場所は、地元から離れた別の県。火事による焼死と思われたが、その前に鈍器で殴られ、殺されたような跡が…。
容疑者として浮上した男・蓮沼。以前なみきやで一悶着起こし、佐織に付きまとっていた。
さらに蓮沼は、15年前に起きた別の少女殺害事件の容疑者とされながらも、完全黙秘を続け、証拠不十分で無罪となった男だった。
今回も黙秘を貫き、釈放。再びこの町に舞い戻り、なみきやにも顔を出す。
嫌がらせか挑発か、それとも…?
激しい憎悪をたぎらせる被害者遺族とその友人知人たち。
かつて蓮沼の罪を立証出来ず苦汁を舐めさせられ、また再び蓮沼が関与する事件と直面した刑事・草薙。
そんな時、町恒例の夏祭りのパレード中、蓮沼が死体となって発見される。何者かに殺された疑いが…。
真っ先に嫌疑が掛けられたのは、なみきやと友人知人の蓮沼を憎む面々。動機は充分。が、アリバイがある。
草薙の後輩・内海は偶々この町に赴任していたある人物に協力を乞う。言うまでもなくその人物・湯川教授は、奇しくもなみきやの常連客で…。
なみきやと友人知人が事件に何か関わっているのは明白だ。
彷彿した名作洋ミステリーとは、『オリエント急行殺人事件』。犯人や動機も今更繰り返す必要もないほど。
当初はさすがの湯川も“さっぱり分からない”が、その推理力と物理学検証で核心に迫っていく。
遂に一人が口を滑らせ、犯行が明るみに…だったら、あまりにも東野圭吾ミステリーとしては物足りなく、お粗末だ。
しかし、その心配無用。一見『オリエント~』風に展開と思いきや、思わぬ真犯人が浮上。かと思ったら、本当の真相へ…。
二転三転する展開と、驚きと悲しみの真相に、実に引き込まれた。
容疑者は以下の面々。
なみきやの店主・祐太郎と、その妻・真知子。
祐太郎の友人で、食品加工業の経営者・戸島。
書店の跡取り娘・宮沢。
佐織の恋人・高垣。
音楽プロデューサーの新倉と、その妻・留美。
全員が佐織と関わり、動機もあり。
両親の祐太郎と真知子は言うまでもなく。二人の悲しみは今も癒えない。
戸島にとって佐織は姪っ子のようなもの。可愛がってきた。
恋人を失った高垣も悲しい傷を抱えたまま。あれ以来、新しい恋人を作っていない。
宮沢は歌手を目指す佐織を応援していた。警察への協力を拒む。
佐織の歌の訓練をし、夢を託していた新倉と留美も。佐織を見出だしたのど自慢大会で佐織の事を思い出す…。
佐織を愛し、大切に思っていた家族、恋人、知人…。
罪に問えなかった警察や司法に代わり、憎きあの男に何かよからぬ仕打ちを課してやりたくなるのは、分からんでもない。
蓮沼という男は、そういう人物。
癇に障る言動。
黙秘を続ければ証拠不十分で釈放。自身の生い立ちからの“反面教師”。
警察や司法を嘲笑い、被害者遺族を挑発する。
疑わしいのに、この強気の姿勢は何処から来るのか…?
自分は罪に問えないと絶対の自信があるのか…? それとも、何かを知っているのか…?
その挙げ句殺されてしまったが、一切擁護したくないほど憎々しい。
が、そんな“モンスター”を生み出してしまったのは皮肉にも…
警察も辛い立場にいる。それを体現するは、草薙だ。
かつて司法の限界で、蓮沼を罪に問えなかった。
放免となった蓮沼がまた事件に関与。
あの時罪を立証出来れば、また新たな悲しみに暮れる人々を出す事は無かった。
悔恨の極み。草薙は今回の事件にまた蓮沼が関わっていると知った時、嘔吐してしまったほど。
蓮沼は警察や司法の限界や手詰まりが生み出してしまったモンスター。
それほど重くのし掛かる。
が、蓮沼は殺され、その事件を捜査。何と言う皮肉。
蓮沼を逮捕したかったのに、その蓮沼を殺した犯人を探さなければならないのだから。
草薙の苦悩と憔悴し切った姿と表情は、見てて痛々しいほど。
そんな彼に、さらに追い打ちが。草薙も苦しんでいるが、ある人物が言う。
(我々の悲しみ苦しみは)あんたらと次元が違う。レベルが違う。
そんな彼らを、草薙は“容疑者たち”として捜査しなければならないのだ。
被害者遺族とその友人たちの蓮沼を憎む気持ち。
役に立たなかった警察と司法への落胆。
誰かに何かに当たりたくなってしまう。
それを浴びせられ、それでも捜査しなければならない草薙。
事件の真相が明らかになって、彼らは救済されるのか…?
真実は時に新たな悲しみを作る。また悲しみと苦しみが蓄積されてしまうのか…?
福山雅治、柴咲コウ、北村一輝のトリオの“再会”は、TVドラマから見ているファンにとっては歓喜もの。
自分は劇場版しか見てないが、それでもこの3人の揃い踏み、やり取りはしっくり来る。
確かに歳を取った。それは単に老けたという理由ではなく、円熟を増したという事。
特に、北村。本作での苦悩と憔悴の演技は、歳を重ね円熟を増したから成せる味。
湯川以上に印象に残り、レギュラーメンバーの中では今回の主役格と言っていい。
ゲストキャストも各々印象残す。
笑いを一切封印し、シリアス演技に徹したずん飯尾…いや、役者・飯尾和樹。名コメディアンは名優である事を、彼も実証してくれた。
村上淳の憎々しさ満点の怪演。見る者を翻弄する。
いつものクドさを抑えた椎名桔平の演技。
檀れい、戸田菜穂、吉田羊、美熟女たちが華を添える。この中に、事件の真相に深く関わる重要人物が…。
酒向芳の役柄がブレイク作『検察側の罪人』を彷彿させるクセ者キャラと思いきや、今回の事件と過去の事件双方に関わる意外な役所。(『検察側の罪人』での怪演で気になる役者となり、端役からの遅咲き売れっ子ぶりは何だか嬉しい)
個性的な面々のアンサンブルは本シリーズの醍醐味の一つ。
忘れちゃいけないのは、湯川の名推理と科学で暴くトリック。
タイトルにもなっているパレードを利用したアリバイ。
蓮沼を殺害した密室トリックを、科学で検証。実証。
その際に掛かるお馴染みのテーマ曲。
一応湯川の見せ場も設けられてはいるが、正直TVドラマのファンで、この部分が好きな方には今回、物足りないかもしれない。
あくまで事件の傍観者。真相を暴く役割。
劇場版の主人公は、事件によって悲しみ苦しみを今も引き摺る被害者側。
もっとテンポ良く、コミカルでポップなテイストだというTVドラマ版とは一線を画す。
賛否はあるだろうが、私は劇場版シリーズのじっくり見せるドラマ仕立ては嫌いじゃない。寧ろ、好きな作風だ。
言わば金田一耕助的な湯川も、その役割や立ち位置をしっかりこなしている。
二転三転する真相。
その過程で障壁となり、各々が誰かの為に秘めるのが、“沈黙”だ。
沈黙は時に、武器や最大の防御となる。
蓮沼がそれだ。沈黙する事で罪を免れ、沈黙する事である人物に重圧を掛ける。
また、時に沈黙は、守り庇う。
大切な亡き人物の無念の為に、協力を拒む。“沈黙罪”として問えるものなら問え。皆、その覚悟。
あらゆる出来事、偶然、罪…それらが複雑に交錯し合って。
守る為に、口を閉ざす。
だがそれは、尊い行為でもあり、罪から目を背ける行為でもあり、新たな悲しみ苦しみを作り出してしまう行為でもある。
真実が明かされた時、ただ悲しみ苦しみを増やすだけなのか…? 救済される者は居るのか…?
もし、誰かが悲しみ苦しみから救済されるのなら、沈黙を破る。真実を開く事によって。
今回も見応えあり、余韻にも浸れ、個人的には満足。
が、人気シリーズ故、避けては通れないのが…
シリーズでどれが面白かった?
おそらく、ほとんどの人が『容疑者Xの献身』と答えるだろう。代表作であり、大ヒットもした。
私は、そう問うのはあまり好きじゃない。
例えば、AとB、どっちが面白い?と問われ、Aと答えたら、じゃあBはつまらないと思われる。
そうじゃない。どっちもいいんだ!
『容疑者Xの献身』には『容疑者Xの献身』の良さがあり、『真夏の方程式』には『真夏の方程式』の良さがあり、『沈黙のパレード』には『沈黙のパレード』の良さがある。
別に本シリーズに限った事じゃない。あらゆるものもそうだ。
無論、本当に好き嫌い、自分の好みに合う合わないはあるが…
今後レビューが増えていくと、必ず比較の声が上がっていくだろう。あまり比較すべきではない。
だって、どれも実に面白い、のだから。
(ネタバレはないと思いますが、映画の趣旨的に予防的にネタバレあり扱いにしてます)
今年270本目(合計545本目/今月(2022年9月度)13本目)。
続けて鑑賞した映画がこちらの映画です。同じく日本映画です。今週は洋画に恵まれていませんね…(グッバイ・クルエラワールドって洋画?)。
前作やテレビ作品なども存在はしますが、それらを前提にした作りになっていないのは好印象です。中には「テレビ作品など原作を知らない人はおいてけぼり」という作品もあるからです。
映画としては結構高度で、序盤は(映画の趣旨的に)物理や化学の話をするかと思えば、後半はうってかわって刑法や刑事訴訟法の話をしたりと分野違いがすごく、全部理解するのは結構難しい気がします(ただ、どちらも一般的な理解で足りるように工夫はされてはいますが、一部の法律ワードを気にすると、刑事訴訟法は司法試験以外で学習しない以上、ハマリが発生します)。
一応ネタバレありにはしましたが、誤ってクリックする方もいますし、映画の趣旨的に誰が犯人だの何だの書き始めると一発でアウトなのでそれらは全てカットします。
個人的には下記が「子供の教育の観点から」気になったところです。
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(減点0.2) この映画はそうそうに「被害者の死因はこうであろう」ということは語られてしまいます(よくある、最初にタネを出しておいて、「誰が、どうやって」を問うタイプの映画かな、と思います)。
ただ、「この方法」はリアルでは一般人がそうそう扱うことはないものの、科学実験などではよくあるもので、科学館(子供向け、一般向け)などの、いわゆる「サイエンスショー」などの類では「定番の中の定番」として確立しているものです(あまりに定番化しているので事故にならないほどにマニュアル化されているし、学芸員のどなたが病欠などしても代打でできるほど確立しています)。
つまり、子どもにとっては結構身近な存在(これを一切扱わない科学館のほうがある意味珍しいくらい。もちろん、地学特化などと断ってあるものは除く)であるにもかかわらず、まさか子供が「この方法」が悪用できるということは(ピュアな子は)想定できず(なお、映画内では明示されていませんが、そのままやると失敗するようになっています。悪用しないために、あえて「欠陥」を入れているのです)、この観点でいうと、一般指定のこの映画は家族そろっていくことが想定できる前提では「やや」配慮不足(もう少し、子どもがあまり触れないような話題にしてほしかった)という点はいえます。
とはいえ、実際に「この方法」でいう「この方法で使う道具など」を勝手に科学館から持ち出すことはできませんし、一方でどこかで売っているわけでもない以上、実際に危害が及ぶことは想定がしづらい(下手に真似をすると危険)以上は、指摘はしても減点幅はこの程度で、七捨八入で満点にしてあります。
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文句なく面白い
東野圭吾原作の映画ははずれがない、という確信をますます深めた。文句なく面白い!
ガリレオシリーズは小説もTVドラマも大好きだったので、復活したのは非常にうれしい。
「沈黙のパレード」の原作は読んでないけど、映画がこの出来ならさぞかし面白いのだろうと思う。久しぶりに読もうかな…。
わりと複雑な話だと思うのだが、全く分かりにくさを感じさせない、見事な脚本。
1つ1つの演技や表情なども非の打ちどころがなく、とても丁寧に作られた映画だと感じる。
今回は草薙の刑事としての苦悩と、湯川と草薙の友情が中心の話。草薙を演じる北村一輝の迫真の演技がすごい。
ただ、個人的には「容疑者Xの献身」を超えるものではなかった。
物語の展開が二転三転するところはたしかに面白いのだけど、真犯人の意外性はやや弱い。殺害方法トリックの解明は序盤で終わってしまうので、謎でひっぱる展開にならなかったのも原因か。
それにしても福山雅治というのは役者としてすごいだけじゃなく、歌手としてもすばらしいし、作曲作詞できるし、ラジオもユーモアたっぷりで面白いし、もちろんイケメンだし、こんな完璧な人間この世にいるんだ、っていつも思ってしまう。
エンドロールでテレビシリーズからの若き頃の湯川、草薙、内海のシーンが流れていくのは、うるっときてしまう。
#視点を変える
今作の湯川先生は「視点を変えて考えてみること」を強く推奨していた。
別の面から物事をみたとき、結果が違って見え、新しい発見がある可能性がある。
しかし今作は、別の視点からのアプローチを試みた結果、やはり導き出された答えは同じであったという話。
ミステリーとしても新しい論理展開ではないかと思い楽しむことができた。
一方、湯川先生の感情の動きをもっとみたかったなあという個人的な感想。
それが1作目2作目よりも少なかったのかなという印象。
重要な登場人物が多いだけに、誰に感情移入してみるかによって、だいぶ違う感想が生まれる映画になるような気がする。(湯川学目線で見た自分としては涙は全くなかった。)
数回見て、映画の全体像をつかみたいなと思わされた。
東野圭吾はいつからか、小説の主人公として福山さんを思い浮かべながら書くようになったと、どこかのメディアで言っていた。
福山雅治主役の原作も読んでみたくなった。
そして、これが最後のガリレオではないと勝手に信じている。
No. 1175
うん、これは実に面白い!(*^ω^*)
取り敢えず、ネタバレにならない範囲でww
当初の少女誘拐殺人事件から、徐々にストーリーが進むにつれ、だんだん不穏な空気が漂いはじめる。
みんなが、それぞれにアヤしく見えてくる。
さまざまな人間模様の蠢く中、二転三転する展開は、実に面白い!
ちょっと重ためかな
湯川先生がポップに楽しんでる姿があんまり見られなかったかなーというのが残念。全体的にキャスト年取ったなぁという重め感なのかなぁ。人間関係中心の内容だったせいかな。。
内容的には豪華キャストでまずまず楽しめましたが、ちょっと淡々としてるしだいどんでん返しがあるわけでもないしとんでもないトリックとかあるわけでもないのでふーんで終わってしまうところもあるかなという感じ。
大きな視野で考えたら、とても良かった
原作は未読の状態で観ました。
映画自体は、細かいところを気にしなければ良かったと思う。
物理学やらなんやらのトリックの要素はとても薄くて、登場人物それぞれのドラマに重点が置かれているから、期待していたのとは違ったけど。
とりあえず、粗探しのように気になった点をまとめると......。
◯並木佐織◯
父親の反対を押し切るように歌手としてデビューする道を選んだにも関わらず、彼氏としっかりヨロシクやっていて、最終的には恩人である新倉夫妻の気持ちは一切考えていないかのような決断をする。
デビューまで新倉夫妻が歌唱レッスンだけでなく、金も掛けて売り込みやらなんやらもしていたんじゃないかと思うと、あそこまでの暴言(?)を吐くのもいかがなものかと思う。
◯高垣智也◯
純情な好青年に思えるけど、佐織さんの歌手としての将来を応援しながらも、そんな大切な時期だろうにしっかり“生”でやっている。
元を辿れば、ヨロシクやっていた事が原因で佐織さんがあの決断をして事件までいったのだろうから、避妊はちゃんとしろよ。
◯新倉留美◯
いろいろと事情もあったとはいえ、事件後はどんな気持ちで【なみきや】へ行っていたんだろうかと思う。
◯その他、事件に関係した人達◯
結果的に蓮沼寛一の犯行だったのだろうけど、彼が冤罪だったらどうしたんだろうか?
犯人だと確定して有罪にもなったけど、あまりにも罪が軽かったり、心神喪失で無罪になっているのならまだしも、決定的(?)な証拠もでっち上げの可能性もあるんだし、裁判も行われていない以上、犯人だと断定しすぎではないの?
見る人によっては評価が分かれそうです
個人的にですが、女子殺しと真犯人に対しては、納得できる所もありました。しかし、3年前の被害者が酷過ぎました。数年間世話になった人に、そこまで暴言を吐く必要がありますか。誰も私の気持ちを分かってくれない? 才能がないあんたの期待が鬱陶しい...相手の努力を舐めてませんか、馬鹿にしてませんか。しかも、デビュー間近の時期に軽率な行動で多くの人に迷惑をかけることを厭わず逆切れとは、殺されて良いとは絶対思いませんが、あの人と恩師を追い詰めたのは彼女自身の身勝手さが招いた浅はかさである事に憤りが絶えません。しかも、共犯者達は刑罰らしきものも軽く日々を過ごす結末。ヒューマンミステリーと言うには、映画の都合上短すぎて、感情移入が中途半端で終わる作品でした。2度は無いですね
ミステリーというより、むしろ人間ドラマ
うーん、モヤモヤ…
ミステリーというより、むしろ人間ドラマに近い。
「オリエント急行殺人事件」にに似てますな。
でも、情念の描き方は一級品でした。
過去シリーズを知ってる者からすると、
ふだん冷徹な湯川学がなぜ、今回の事件に入れ込むのか、その背景があればもっと良かったかな〜と。
原作読んでないから、わからんけど…
ガリレオでなくてもいい話
原作は未読である。2008 年の「容疑者Xの献身」、2013 年の「真夏の方程式」に続く映画化第3作である。テレビシリーズの放映が始まったのが 2007 年で、既に 15 年が経過している。
映画化された3作のうちで、内容が数学や物理学に深く関わりを持っていたのは1作目だけで、2作目と今作は、特に物理学の知識がなければ真相に辿り着けないという訳ではないのが物足りなかった。特に今作は、ガリレオへの出動要請がどの辺にあるのかが非常に疑問だった。
物語の興味は、蓮沼という最悪のキーパーソンを軸に、登場人物がそれぞれ如何に関わっていたかがかなり丁寧に描かれており、犯行の全体像と真犯人は何通りも成立する可能性がある。どこまで深く踏み込むかでその姿が変わるという構成は興味深かった。
ただ、警察の捜査と裁判所で完全黙秘を貫けば無罪になるかのような誤解を生む恐れがあるのはどうなのかと思った。完黙ではないが、狂人を装ったオウムの松本智津夫や、和歌山カレー事件の林真須美は死刑判決が確定しているのである。
今作において、ガリレオは殺害手段のアイデアを示すことにも貢献しているが、ほとんどの考察は関係者の人間関係と過去の事件との関連であり、ほぼ警察の領域である。黒板や地面に数式を書き殴るというお馴染みのシーンにお目に掛かれなかったのが、それを物語っていると思われる。
湯川、草薙、内海トリオは第1作以来で、オリジナルメンバーの再集結は嬉しいところであったが、流石に 15 年の時間経過は全ての人物に加齢をもたらしており、テレビシリーズ開始の頃 39 歳だった福山も既に 54 歳になっており、まだ何とかこれまでのイメージを保っているが、この先のことを考えるとかなり不安を覚えた。
被害者のかけがえのなさは、冒頭部分で非常に実感させられるものがあり、見事な演出にすっかり引き込まれた。この演出に大きな効果をもたらしていたのが「ジュピター」で、実際歌っているのは別の人らしいが、非常に見事な歌唱であった。それに比べるとエンディングで流れた歌謡曲はかなり弱かったと言わざるを得ない。
(映像5+脚本4+役者4+音楽4+演出4)×4= 84 点。
語りえぬものについては、沈黙しなければならない。 −ウィトゲンシュタイン
私は小説を一切読んでいない。純粋に映画だけを観た者の感想であるから、その点悪しからず。
そもそもガリレオのドラマと映画とではスタンスが違う。ドラマは超論理的思考を駆使してトリックをあばく爽快サスペンス。映画はむしろ、湯川学の人間性や、理論ではどうにもならない現実の不条理を描く。その点、本作も過去作同様の系譜を辿るが、さらに推理作品の域を凌駕した。
ドラマのそれを期待して観てはいけないのだ。故に、計算式を書き殴る象徴的なシーンは当然登場しない。これについては過去作も同様だ。一方で、前作からの時間の経過は随所で表現されている。それらはドラマシリーズからも引き継がれたものであり、ガリレオ世界の広がりは確かに感じ取れるのだ。しかし前作と決定的に異なるのは、テレビドラマの劇場版としての作品では無くなったという点だ。本作はドラマから遊離し、それ単体で存在するが故に完結性が求められた。しかし、それを成し遂げるには2時間という時間はあまりにも短すぎるように感じるのだ。
事態の説明は実に簡潔だ。舞台の必然性や、登場人物の背景や繋がりも、それらはどうしても淡々と述べられた設定程度に留まり、それが観客の作品への深入りを拒んでいるようにも思えた。描ききれない分については、沈黙を貫く。「ご想像にお任せします」というような、ある種の可能性として捉えることもできるが、語らぬが故に物語が希薄化してしまっているようにも感じる。人間関係という点での語りは、前作の『真夏のパレード』が実に秀逸なものを見せてくれていたがために、少し物足りなさを感じてしまった。ただでさえ、重要な人物が多いというのに、3つの事件が複雑に絡み合う。単純な推理作品ではなく、それを凌駕したというのはこの点である。しかしそのために、彼らについての説明は省かざるを得なかったのだろう。
ガリレオ作品特有の「思い込み」と「視点を変えて得られる真実」については、本作の主軸である3つ目の事件についてかと思われたが、その発想こそが思い込みであると喝破するかのように、見事に裏切られた。犯人の自供が誰かを庇うための嘘であるという構造自体は、ガリレオをかじったことがあれば容易に想像できるのだが、それは全くの見当違いなのだ。誤った推理は2つ目の事件の方だった。しかし、それを観客が推理するのは不可能であると言って良いだろう。確かに違和感はあるのだが、それを解消できるだけの納得材料が用意されていたわけではないのだ。だから、真実が解き明かされても、すっきりとしない何かが残るのである。また1つ目の事件、すなわち15年前の事件についても、犯人が沈黙して無罪となったどころか、1000万円を獲得したという語りがあり、それらが何らかの形で結びついてくるのかと思われたが、犯人が「警察が生み出したモンスター」であることを説明するにとどまった。こうして1つ目の事件の真相も謎のまま終わってしまう。確かに、結果的には3つ目の事件を解き明かす上で1つ目の事件について具体的なことが分かる必要はなかったわけだが、ということはつまり、1つ目の事件は3つ目の事件を複雑にするためだけに用意された都合上の事件、といったような感じを抱く。難解なパズルのために多くのピースは用意されていたが、結局組み立てられたのはそれらの一部分、そんな感じなのだ。
結局、犯人は最初からの犯人であったというのが、本作の肝だろう。紆余曲折して実は真犯人は別に居たというのではなく、遠回りして別解を求めたが、答えは変わらなかったのだ。その画期性は確かに非凡であるが、それは上映時間に押しつぶされてしまった。真実に辿り着く鍵は、紆余曲折して得られたものではなく、初めから存在していた物証であり、真実を裏付けたのは最終盤に語られたバレッタの存在、それも、確実とは言えないような実証の仕方だ。仮説は徹底的な試行による実証の上で真実となる。それは今までのガリレオシリーズで堅持されてきた姿勢だが、今作のバレッタについてはそうは言えない。例えば、確かに公園で殺害されたが、偶然バレッタに血がついていなかったかもしれないし、完全に拭き取ったことでルミノール反応を掻い潜ったのかもしれない(これについては専門的な知識がない私の勝手な憶測)。このように観客が納得できるような解決のされ方ではなかったのだ。
やはり、本作は膨大な要素によって構成される大作になり得たが、時間の都合上、随所が沈黙されてしまい、存分な可能性を残したままエンドロールを迎えてしまったのだろう。どうしても不完全の感は拭いきれないが、しかし十分に満足できる作品であったことは間違いない。ガリレオの世界がまだ続いていることを知れただけでも、大いに価値ある映画なのだ。
追記;
新垣夫妻が歌うま選手権の審査中、手を握った後に通帳?のようなものを渡した場面があったように思うのですが、その点について分かる方がいらしたら教えていただきたいです。
原作を生かしきれていない駄作
蝶々っている?邪魔だよね。お金の無駄遣い。
原作読んでない人向け。
原作ラストの2人の友情?からのプレゼントのシーン。
何故カット?
湯川先生がギブソンを弾くシーンがカットされるのは仕方ないとしても…(せっかくギターは用意してあったのにね)
登場人物が多くそれぞれの思いが重なり合って悲しい事件になるので一人一人を深く掘り下げられないのが勿体無い。
パレードのシーン大幅カットでも良くね?
でも宝箱の色分けは必要だと思う。(説明はしなくてもね)
書店の店主モブキャラでもいけたんじゃね?
飯尾さんは頑張ったと思う。
あんな食堂の店主いるよね。故に瓶ビールで行ってもらいたかった。人手少ないんだからサーバーの維持面倒くさいし。
映画ラストの大急ぎで撤収するシーンって…
もうちょっと余韻浸らせても良いじゃん。
原作が良すぎるため尺が足りなさ過ぎて残念な作品。
TVシリーズでワンクールじっくりやってもらいたかった。
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