「ここにも人生の真実があった」JOINT 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
ここにも人生の真実があった
「JOINT」というタイトルはとてもいい。人間と人間、人間と組織、組織と組織は、はまる場合とまったく受け付けないときがある。上手くはまったように見えても、小さな部分が違っていたりすると、結局はうまくいかない。うまくいくためにはどちらかか、あるいは両方がどこかで妥協するしかないのだが、妥協できない人間がいて、妥協できない組織がある。
本作品の主人公タケは大抵のことには妥協する。世話になったヤクザには挨拶するし、朝鮮人とも一緒に商売をする。カタギのヤスから紹介されたベンチャー企業の浮ついた青年たちとも上手くやった。このまま順風満帆に行くように見えたが、好事魔多し。稼いでいる奴を見つけたらハイエナのようにタカりにくる人種がいる。それにヤクザや半グレなどの裏社会を毛嫌いする企業もある。刑務所で罪を償っても、社会は前科者を許さず、受け入れない。
もう一度立て直すことも出来たはずだが、タケにはハグレモノの自覚がどこまでもついて回る。所詮自分は半グレのチンピラだ。表の社会では生きていけない。ヤスは破滅に向かおうとするタケを必死に諭すが、タケの心は荒れ果てていた。
面白いセリフがあった。「裏から見れば、表の社会が裏だよ」である。どちらの社会でも人間はシノギをして生きていく。裏社会は暴力を武器にして人の上前をはねる。荒っぽい割に稼ぎは少ない。詐欺も騙される年寄が減ってきた。警察も周到な対策を練っている。ゆきづまるのは時間の問題だ。
表社会には裏社会のような荒っぽさはない。しかし法律を上手く使ったり、政治家を頼ったりする。シノギをしているのは裏社会と同じだが、シノギの額では裏社会は表社会にまったく敵わない。ヤクザがフロント企業を設立したり、表の稼業に乗り出したりするのは当然の流れだ。ヤバい組員とは手を切る。仁義なんか知らん。
しかしタケは仁義の男だ。弟分を任せられたら最後まで面倒を見る。でなければ兄貴分としての顔がない。昔気質の半グレのタケが、近代化を目指すヤクザと上手くはまらなくなってしまったのだ。皮肉なものである。
どんな時代も人は真っ直ぐには歩けない。真っ直ぐに歩こうとすると頭を押さえつけられる。足をすくわれる。タケにもそんなことはわかっている。わかっているけれども真っ直ぐに歩きたいときがあるのだ。ここにも人生の真実があった。