流浪の月のレビュー・感想・評価
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悲劇的なファンタジー
罪なのか、愛なのか
原作は未読。
李相日監督って、「悪人」にしても「怒り」にしても犯罪を犯した人間との愛を描くのがうまい。犯罪を犯しても人としてそこまで憎むべき存在なのかってことを問いかけてくる感じ。本作もそんな映画だった。
誘拐事件のなった15年前と現在をうまく場面展開しながら物語が進む。事件当時、誘拐の犯人と被害者、そんな関係性に違和感を覚えるほど、2人の間に流れる雰囲気は穏やかで温かいものだった。
徐々に明らかになる更紗と文が抱える闇。男として色んな感情を揺さぶられ、かき回された。性の問題と人との関わりについて、こんなにえぐってきて、でも優しく目の前に提示されるなんて。なんて物語だ。
そして、狡猾な暴力はいい人の仮面を被ってくる。横浜流星の演技を見てそんなことを思った。こんな役もいいな。もちろん広瀬すずと松坂桃李もよかった。でも、物語的に文の役はあんなにイケメンでいいのだろうか。勝手な願望だが、岡山天音や矢本悠馬あたりが演じたものを観てみたい気がする。
ひたすら二人の幸せを願って鑑賞しました。
ーーねえ文、わたしってどんな子だった?
原作にも登場するこの台詞を、僕は非常に重要な台詞だと思っている。それは、自分を押し殺し、自分自身さえも偽り続けてきた更紗の悲痛な叫びである。彼女はもう、文に尋ねなければあの頃の自分を思い出すことが出来ない。
そして、文と過ごしたあの頃が更紗にとって重要なのは、更紗にとって最も重要な「両親と過ごした幸せな日々」を模倣したものだからである。夕食にアイスを食べ、朝食にケチャップをぶちまけ、日曜日には昼間から床の上に寝そべってビデオを観ながらデッカいピザを食べる一見野放図な行為は、単なる彼女のワガママでは無い。文はその生活を全肯定してくれた。
原作との比較はあまり意味のない行為ではあるのだが、両親と暮らした幸せな時代をバッサリカットしたのは何故だろう。お父さんは病気であっけなく死に、お母さんは男を作って出ていったと言う説明だけでは、まるでネグレクトされた子供だ。幸せな子供時代を想像する事は難しい。叔母の子(いとこ)による性的虐待からのエスケープを強調したかったのだろうか。文との生活は彼女が人生で初めて得た唯一の安息地に見えてしまう。
また、母については男と逃げたことだけ語られるのに、父がバカラのワイングラスでウィスキーを美味しそうに飲んでたエピソードを残したのは中途半端である。
李相日監督は意図的に幸せな描写を取り除いて撮影しているように見える。それは、再び二人で行動を共にする事になったエンディングも例外ではなく、明るい未来を予見させる要素はほとんど無い。陰鬱な気持ちで映画館を出た。暗ければ良いってもんじゃないと思うのだが。
追記
原作によるとcalicoを邦訳すると更紗とのこと。お互いずっと求めあってたんですね。二人には幸せに暮らして欲しいです。
人と寄添い合える事の幸せが素敵だなと思いました。
本当に無理…
相変わらず濃い李監督作品
相変わらず濃い李監督。その濃さは実はあまり好きではない。俳優のみならず脚本監督も気合が入りまくって過度な劇的構造の、言ってみれば昔ながらの日本映画な感じがいつもする。こういうのが好きな人は好きなのだろう。
前半見てる際には「シベールの日曜日」的作品かと思いきや、やはり原作はさすが本屋大賞、病的な要素を持つ主人公たちの運命的な再会と世間の邪魔、大きな障壁を持った幸せになることのできない男女のロマンス、とも言えないロマンス。なのでいい物語だな、と思うのだけど、いかんせん濃すぎる。常にみんな思い詰めてるみたいで確かに葛藤こそドラマとは言うけれど、みんな思い込みが激しくて感動からは遠ざかる。
現在進行形に過去回想が入る作りではあるけど、回想の分量とタイミングがそこでよかったのか微妙。「誘拐」と世間でみられたその時間は実はかけがえのない心の拠り所となる幸せの時間だった、という一連は、実は芯になる結びつきのシーンが見えなかった。心の傷を負ったふたりが公園で出会う。そして歩み寄る。打ち解ける。となるはずなのだけど、逮捕のシーンのところで、もっと盛り上がりたかった。前半でその掴みがないのでいまいち盛り上がれず。ただ、カメラは目新しい。パラサイトの人なんですね。とてもシャープな絵ながら陽光のハイコントラスト、夜景手前の日没後の雲が見える空、「月」とタイトルにあるからか、とても丁寧に撮られていて新鮮でした。
かなり驚くシーンが多い
性被害や小児性愛等、重たい内容です。カップルで見る内容か分かりませんが、キャストが人気の方々だからか、若いカップルが多くて驚きました。人それぞれ受け止め方はあると思いますが、善悪や幸せとは何かを考えさせられる作品でした。
広瀬すずさんの辛いシーンが多く、それでも心から笑えてるシーンに救われる思いでした。長野や松本の街と共に美しく描かれてます。また、横浜流星さんのDVや二重束縛、崩れっぷりがなかなかエグい。あんなにかっこいいのに、終盤かっこよくないとさえ思えるくらい。はじめての役柄のように思えます。
そして、松坂桃李さんの演技が素晴らしかったです。難しい役柄で、心配になるくらい減量もされて、「前貼りなし?」というシーンもありました。3人の心身を削るような全力の演技に感動しました。
原作を再読したくなった
人は見たいようにしか見てくれない
原作未読ですが、予告を何度も見たので、ある程度の予備情報をもって鑑賞してきました。俳優陣の熱のこもった演技に圧倒されましたが、鑑賞後の後味の悪さは否めません。
ストーリーは、偶然見かけた寂しそうに佇む少女・更紗に声をかけ、自宅に連れ帰った青年・佐伯文は、しばらく同居生活を続けたあと誘拐犯として逮捕されますが、その15年後に偶然再会したことにより、2人の距離は再び縮まり、今の生活がしだいに壊れていくというもの。
普通に考えれば、誘拐犯と被害女児が、心を通わせることなどありえません。ましてや、しばらく生活を共にしていたとなれば、性的いたずらや暴行があったと考えるのが一般的でしょう。しかし、更紗と文にはそれがありませんでした。出会った当時の2人はそれぞれに心に傷をもち、それが性的なものに起因していたからです。そのため、2人が性的な行為に及ぶことなどなく、互いの存在を安心できる場所として求めていただけなのだと思います。
この極めて稀な出会いから生まれた絆は、15年経っても2人の心に残り続け、再会と同時にまた求め合ってしまいます。それは、2人が今もまだ事実や本心を周囲に語れず、誰にも心を開くことができなかったからでしょう。そんな時に更紗が口にした「人は見たいようにしか見てくれない」という言葉が胸に刺さります。結論ありきで「きっとこうだ」という思考に物事を都合よくあてはめていくのは、マスコミに限らず、世間の誰もがよくやることです。きっとそうすることで、理解、納得、共感を得やすいからでしょう。でも、それを声高に叫ぶことは、そこに当てはまらない人々の思いを無条件に切り捨てることなのだと感じました。
更紗と文のような特殊な関係でなくても、とかく人は他人のことをあれこれと邪推しがちです。かといって、真正面から質問もしにくいし、ましてや本人たちが語りたがらない秘密を根掘り葉掘り聞き出すこともできません。でも、せめて勝手な憶測で噂を広げないようにはしたいものです。SNS等で誰もが世界に発信できる時代だからこそ、その一言のもつ影響力の大きさと責任をしっかり自覚する必要があるはずです。本作を通してそんなことを考えました。
主演は松坂桃李くんと、広瀬すずさんで、常に陰を背負いながらも、どこかで自分らしくありたいと願う文と更紗を熱演しています。特に広瀬すずさんの体を張った演技や、文との再会で見せる表情の変化は秀逸で、役者としての成長を感じました。脇を固める横浜流星くんのやさぐれっぷりもなかなかでしたが、本作の立役者はなんと言っても白鳥玉季ちゃん!どの作品においても強烈な存在感でしっかり爪痕を残す演技は、本作でまさに本領発揮と言ったところ。恐るべき12歳です。
素晴らしい良作 ただし、、、
先入観や思い込みを疑う大切さ
みんな書いているが、リアリティという部分と、文の抱えてきたものを魅...
切ない事実と穏やかな真実
凪良ゆうの『2020本屋大賞候補作品』の映画化。社会からはみ出て、生きづらさを感じる男と女の生き様を、李相日監督が、心を揺さぶるヒューマンタッチなサスペンス、そして切ないラブ・ストーリーとして、作品に仕上げている。
社会を上手に生きていくために、場を読んだ言動が求められる中で、個性とは、自由とは、どういうことなのか?自分自身が欲する優しさや異性に対する感情とどう向き合っていかなくてはならないのか?大人の女性を愛せない男と天涯孤独で少女時代にトラウマを背負う女。そんな現代社会の片隅に生き、他者から見れば、病的とも思える歪んだ関係の男女の『事実』も、当人達からしたら全く違う穏やかな『真実』がそこにある。
自由奔放に育てられた小学5年生の更紗。そんなある日、両親が突然に居なくなり、同時に今まであった自由を失い、叔母の家に住むことに。しかし、周囲に合わせる生活と、夜な夜な従妹からの性的暴力を受けるようになり、自由を求め1人飛び出した小学生の更紗。それを受け止め、匿ってくれたのが、当時大学生の文(ふみ)。
天涯孤独の更紗にとっては、文の優しさは唯一心の拠り所となる。暫くは、2人の穏やかな生活が続くが、ついに文は、ロリコン誘拐犯として逮捕される。
長い年月を経て、更紗も新たな恋人と歩み始めていたが、彼氏の束縛やDVが牙を剥き始めた折、文と更紗は、文が営むカフェで偶然再会。彼氏のDVから逃れる中、再び更紗は文を頼っていく。しかし、そんな2人を世間が放っておくわけもなく、またしても2人の生活は、音を立てて崩れていく。そして、文が抱えてきた秘密を更紗に明かすラストシーンは、原作を読んで分かっていても、衝撃的な描写に息を呑んだ。
物語の中で文が営む、アンティークで落ち着いたカフェの描写が、とても気に入った。文が、豆を丁寧に選別して焙煎する。そして、ゆっくりゆっくりと愛でるように、琥珀色の珈琲を注ぐ。セピア色した穏やかな時の流れの中で、香ばしい珈琲の香りまで漂ってくるような描写。そんなカフェの片隅で、更沙が、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』を読む姿は、何とも言えず美しかった。
主演の松坂桃李は、希望も持てず、寡黙にただ生きるだけの青年を見事に演じていた。本作の為に体重も8kgも減量したということも、さすがアカデミー賞俳優。俳優魂を感じさせる名演技だった。そして更紗の恋人役の横浜流星も、これまでのカッコいい彼のイメージを払拭。落ちる所まで落ちていくみじめな男を演じていた。
また、何といっても広瀬すずの演技は、これまでの広瀬とは、ひと味もふた味も違う、大人の女としての魅力を湛えていた。更紗が抱えていた切なさや儚さ、トラウマ、そして美しさを李監督は見事に引き出していた。鑑賞後、次の『日本アカデミー賞・主演女優賞』は彼女で決まり!と思うくらいの、大人の大女優・広瀬すずの誕生を感じさせる作品だった。
男と女の強い絆を描いた異色のラブストーリー
李相日監督作品ということで娯楽作品ではなく超シリアス作品だと覚悟していたが、過酷な運命に翻弄されながらも、求め合い続ける男と女の強い絆を描いた異色のラブストーリーだった。主役の松坂桃李と広瀬すずの抑制の効いた巧演が際立つ秀作だった。
大学生・佐伯文(松坂桃李)は、両親と離別し叔母の家で暮らしている10歳の更紗と偶然知り合い、叔母の家に帰りたくないと言う更紗と同居生活を始めるが、2ヶ月後に誘拐犯として逮捕される。15年後、大人になった更紗(広瀬すず)は偶然文と再会したことによって二人の運命は大きく変化していく・・・。
二人の同居生活は、長閑であり、両親との離別後、癒されることが無かった更紗の心に安らぎを与える。大学生の文は、そんな更紗を優しさで包み込む。2ヶ月という時間の中で二人は強い絆で結ばれていく。台詞が洗練されているので僅かな台詞のやり取りのなかで二人の関係性が深まっていくのが分かる。穏やかだが心に悩みを抱えた文を松坂桃李が生気のない物静かな佇まいで好演している。やがて、文は誘拐犯として逮捕される。逮捕直前に二人は手を握りしめる。それは二人の絆の強さを確認した行為だと推察できる。
15年後、二人は偶然の再会を果たす。二人には恋人がいたが、再会によって、二人は自分が本当は誰を求めているかに気付き急接近していく。次第に恋人との関係はギクシャクし始め破綻していく。
ラストシーン。流れるという更紗の台詞が意味深である。二人が他に居場所を求めて流離うという意味だけではないと感じた。流離うことは、生き続けることである。
愛する人がいれば人は生きていける。母親への愛に見放され絶望していた二人は、偶然の出会いによって愛する人を見つける。絶望から救われる。
これから先の人生がどんなに辛いものであっても、愛する人がいる限り二人は生き続けるだろう。生き続ければ二人の人生に希望の光が灯る日は必ず来ると信じたい。
2時間でできないのかな
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