流浪の月のレビュー・感想・評価
全520件中、121~140件目を表示
2人もまたさすらいゆく。
陰キャの男子大学生が家に帰りたくないという10才の少女を自宅に連れ帰り共に生活を送るが2ヵ月後誘拐の罪で逮捕される。それぞれの人生を歩むが15年後偶然再会し再び運命が交差してゆくというストーリー。
これは2人にしか分からない感情、感覚でその気持ちだけを優先してどんどん突き進んでいってしまう。もう勝手にして下さいみたいな感じになるけど、やっぱり解せなかったな。ただし嫌悪感や興味本位で叩きのめすのはただの捌け口でしかないし世間のダメなところ。
広瀬すずは年々美しさが増してますね。あと声がめっちゃかわいい。横浜流星は男尊女卑思考の超オレ様DVかまってちゃん役でかなりの挑戦だったのではないでしょうか。そして松坂桃李ですけど、もうほんとに個人的にはあんまり合ってなかったと思いました。せめて大学生パートは別の役者さんにしてほしかったです。
結局文は物理的に繋がりを持てないから「大人の女性が苦手」なのかそもそも「子供が好き」なのかどう解釈したらいいものか。分かりにくかったな。
ロリコンとは
自己欲望と他人や社会の評価のギャップ
松坂桃李と横浜流星にたじろいだ
これは、男性陣が圧巻な一本。暴力的な彼氏は綺麗な顔の人の方が迫力があり、観ていて辛かった。松坂桃李くんは儚げなキャラクターを上手く表現していて、ラストの告白シーンは迫力がすごかった。子役の女の子も可愛い。だけど、アイスクリームあんな大きなものをまんま食べるのは、アメリカじゃないし、違和感あった。いろいろ考えさせられた作品。
大人の階段のぼる・・広瀬すずさん最高
「流浪の月」
監督の李相日さん。
まだ48歳なんですね。
先ず最初に
撮影・音楽と素晴らしく
ホン・ギョンピョさん最高。
「流浪の月」
雨・傘・と・静かな音に影多め
絶対眠たくなる感じの映像150分は
目蓋おちるどころか・・
静かに・身をのりだし
静かに・心ざわつき
静かに・怒り
静かに・涙し
静かに・笑い
静かな映像は、
白鳥玉季演じる、
家内更紗を上手に浮きあがらせ魅せる。
そんな更紗に、先ずは考えることなく
目を耳を視神経をゆだねるつなぐ。
静かに静かに
広瀬すず演じる
家内更紗に戸惑ってしまう・・視神経
広瀬すずさんの素晴らしさに・・視神経は
思わず・・チャンネルを変えたくなる心を
静かに抑え・・広瀬すずさん、演じる
家内更紗さんにも身を預けゆだねる。
雨・傘・
松坂桃李さん演じる
佐伯文を最初に見た瞬間
心ざわつき・・吃驚する。
松坂桃李さんも、素晴らしすぎて
逆に、私がどっぷり浸からないように
緊張感の結界を心に搭載し、
視神経につなぐ。
話はゆったりゆっくりと流れる
横浜流星さん好きの私は、
不協和音奏でる、シーンは
ストーリーとは、別感情が発生し
なんともはや・・悲しくなりましたが・・
同じく
不協和音奏でる
趣里さんには、脱帽したくなるほど
グッとハマり声出したくなる・・
やっぱり不協和音いるよね〜的な・・
まだまだ・・
ダラダラと書き足したいこと、
たくさんあるけど、
朝3時16分
少し寝ないと・・
と
言うことで・・
「流浪の月」は
とても良い作品です。
ラストシーンも
大好きです。
アッと言う間の150分でした。
声無き声を語る映画。隠された暴力の痕跡が全編に散りばめられていた。
暴力について描かれた映画だった。
声をあげられない性暴力、妻や同居人女性への男からの暴力、ネットの暴力、週刊誌の暴力、養育拒否、母親からの子どもへの無関心と侮蔑、未成年同士の性暴力、公権力の暴力。
前向きに逃げる、という言葉を思い出した。
ぼろぼろになる横浜流星が良かった。彼の行動は父親譲りのものだったのだろう。あの家族の描き方が印象的だった。
切ない
重く、切なく物哀しい…
世間的に誘拐の加害者と被害者の2人。
周りはサラサを一方的に可哀想な子と決め付けて同情、フミをロリコン、変態等と罵る。
けれど2人にとって一緒にいた時間は自分らしくいられた大切な時間。
2人の間にある真実は、他人には理解されることはないんだろう。
観終わった後はなんとも言えない気分になりました。
表現的に分かりづらいかったので、原作を読んでみようかなと思いました。
この女優さん
李 相日の映画芸術を見せつけられた
雨、日射し、月、水中、水面、陰(闇)などを、ハイアングル、ローアングル、クローズアップを駆使し、時にハイスピードを用いた見事な撮影。
時空を行き交う巧みな編集。
説明を抑えた最低限の台詞。
映画とは、こういう創意に富んだ試みを注ぎ込んで、オリジナルな映像世界を紡ぎあげるべきものだ…と、改めて感じた。
撮影監督:ホン・ギョンピョ(パラサイト 半地下の家族)
編集 :今井剛(るろうに剣心 シリーズ)
アバンタアトルで少女と青年が出会う。
台詞はなく、雨のなかを歩く二人の様子はなにやら怪しげな事件の匂いがする。
ファミリーレストランで働く女性が登場する。この女性も訳ありな様子だが、説明はない。
この少女と女性が同一人物 サラサ の過去と現在だということが、やがて解る。
少女期のサラサ=白鳥玉季
現在のサラサ=広瀬すず
青年 フミ=松坂桃李
少女サラサと青年フミの不可思議な生活が描かれるが、現在に至るまでに何が起きたのか直ぐには明かされない。
現在のサラサには同居の婚約者(横浜流星)がいる。
サラサの生い立ちに“何か”があることが、二人の会話で仄めかされる。
現在のサラサが同僚(趣里)と深夜営業のカフェを訪れ、そこでフミを見つける。
徐々に明かされる過去の事件と、登場人物たちが抱える病巣。
私は以前から、松坂桃李と広瀬すずは推しの俳優だ。
演出だと思うが本作の二人は闇深い人物を淡白に演じていて暑苦しくない。が、しかし、間違いなく迫真の演技だった。
横浜流星に凌辱される広瀬すずを見るのは辛かったが、李監督は『怒り』で広瀬すずの純潔を奪った人だった…
横浜流星は言わば汚れ役。旬の二枚目でありながらこのチャレンジは松坂桃李に通じるものがある。
現在のフミの恋人を演じた多部未華子も、性欲のないフミを熱烈に誘う、テレビては見せない捨て身の演技を披露している。
サラサは親代わりの叔母の下で暮らしていて、従兄の少年から性的虐待を受けていた。やっと逃げ場をみつけたフミとの生活だったが、大人たちから認められる訳がない。
一方、母親からハズレ扱いされてきたフミは身体も心も正常に育たず、大人の女性と関係がもてない。幼女に性的な快楽を求める変質者ではないのだが、世間はそうは見ない。
この二人が心で寄り添う関係は誰にも理解されないのだ。
さて、不幸な人間や不運な人間には不幸な出来事や不運な出来事がついて回るものだ。それが運命なのか宿命なのか、当人たちにはどうしようもない悲しいスパイラルと言える。
フミが、警察官によって一緒にいた少女と引き離される時、 サラサとの時とは違って激しく抵抗し、「もうやめてくれ」と悲痛な叫びをあげる。
サラサは今度もフミを守れなかったと自責の念にかられる。
この映画は、そういう不幸の連鎖を見せることで、どこまでも成就しないサラサとフミの関係を「純愛」として描こうとしたのだろうか。
だが、この二人の関係はいわゆる男と女のそれではない。
純粋な愛なのか、相互依存なのか、とにかく二人は一緒にいるだけで安心が得られる関係なのだ。
人は、男と女には肉体関係が生じるものと理解していて、そうではない関係性を否定しなければ自分達の常識が崩壊してしまう。もし成人男性が幼女を手元に置いたなら、そこには幼女偏愛=性的虐待があるはずだと決めつけなければ、秩序が保てないのだ。
もしかすると、そういう常識人と思われる人間たちの許容範囲の狭さのようなものを描写したかったのだろうか。
横浜流星や趣里の役どころも病んだ人間だ。フミの母親(内田也哉子)もそうだ。
彼らは映画で描かれた範囲では社会的制裁を受けないが、身勝手に人を傷つける人たちだ。
人を傷つける人間が制裁を受けず、人を守ろうとした人間が制裁を受ける不条理な構図を見せたかったのかとも、この映画は思える。
ふたりだけのセイフティーネット
コメントしずらい作品である。それこそ下手な表現をすると偏見と差別につながってしまう。
原作も読んだが、映像にすると拡散された誹謗中傷も含めて、よりどきつくなる。
どんなにそれが純粋な愛情で、お互い心が通じて、守り合っているものであろうと、それが親、家族、夫婦、恋人といった定番の愛情関係でないとだめな世の中なんだ、と痛感する。
映像にすると、原作よりも一層、大人になりきれず、はずれものの青年が、少女に愛情を注いでしまったという誤解が生じてしまいがちだが、そういった見方はするべきではないと思う。
むしろ、定番の愛情関係がDV、モラハラ、虐待等で崩れ去っていく中、その愛情関係からはじき出された者同士が、ふたりだけのセイフティーネットを築き上げ、手探りで魂の救済を図ったんだという気がした。
逆に、愛情は親、家族、夫婦、恋人等で育むものという幻想に未だ縛られている私たち世間に、一石を投じた作品だという見方が当たっているかもしれない。その切り口だと、納得感でじわーっと充たされる。
閲覧数
-
「多様性」から除外された男たちの話
見終わった直後の印象は「社会派映画かと思いきや、ギリギリアウトな恋愛映画」だった。
更紗と文はくっついちゃダメだろと思ってたら最終的にくっついちゃって、見てる側からするとカタルシスはあるけどモラル的にはダメだよなー、でも面白かったな、みたいな感想だった。
帰り道に色々考えてるうち、違う考えに行き着いた。
一見、この映画の主役は更紗みたいに見えるけど、ほんとの主役は文と亮じゃないかと。
ふたりは線対称の関係で、更紗はその「線」の役割じゃないかと。
文はどうやら小児性愛者、亮はDV癖のある男として描かれている。
ふたりともそれが社会的に許されないと自覚し、それを隠しながらなんとか生きている。が、どうしてもそれを抑えられなくなりそうな瞬間もある。
更紗はふたりの“それ”が発露する対象として存在している、とも言えるんじゃないか。
文と亮の違いは、自分の“それ”を自覚し、向き合ってきたか否か。
若い頃に(何もしていないとはいえ)大きな事件となり、否が応でも“それ”と向き合わざるを得なかった文と、“それ”を無視し続けながら「社会的な幸せ」を掴もうとし、踏み外した亮。
心の中に怪物がいたとしても、人はこの社会の中で暮らさなきゃいけない。
そのためには、“それ”を無視せず、正面から対峙して、飼い慣らし、しんどくても一緒に生きていくしかないんだろう。
「多様性」とか「自分らしさ」とか安易に言うけど、こういう危険だったり汚いとされる「自分らしさ」は社会から除外される。
それは社会の治安や安全のためにはしょうがないかもしれないけど、でも社会が見て見ぬ振りをしても、そういう人もいるんだよ。「いる」ことを否定しても、糾弾しても、いる。
「自分らしさ」を発揮すればたちまち加害者になってしまう人たち。
そういう人たちとどう付き合えばいいのか、社会はまだその術を知らない。
この映画だって、おそらくどうしようもなく受け入れられない人もいっぱいいるだろう。
そんなことは百も承知で、それでもこの映画を作った李相日監督の覚悟を感じたし、私は敬意を払いたい。
一方、すんごい面白かったからこそ、些細なことが気になった。
ああいう生き方をしてきた文が、あんなにきれいな筋肉のついた身体なのは違和感ある、とか、更紗はどうやってあのマンション借りられたんだ?とか。
あと、警察に連れて行かれた梨花ちゃんがその後どうなったか分からず、更紗も文も心配すらしないのか…と思ったけど、二人には梨花ちゃんを心配する余裕なんてないってことかなぁ。
ともあれ、重厚感のある素晴らしい日本映画がまたひとつ誕生したことを嬉しく思います。
決めるのは本人たちではなく社会の目
「何もなかった」って証明が
一番難しい。ほぼ不可能。
更紗の人生で
一番「自由」だったのは
後にも先にも
あの2ヶ月間だけだったんですよね。
その後は
「誘拐の被害者」となってしまったので。
あの時は良かったっていう思い出だけで
頑張って生きてこれたのかもしれない。
本人たちは何も悪くない
周りが悪かったことにしちゃってるだけ。
でもその「周り=社会」とは
切り離して生きていくことはできない。
受け入れる?わけにはいかない。
受け入れたからってどうにもならないし。
もし小5の女の子じゃなくて
男の子だったらどうなってたんだろう?
誘拐にはなるんだろうけど、
ここまでのことにはならなかったのかも。
あと、女性が小5女子をだったら、とか
女性が小5男子をだったら
また話は変わってくるのかな。
「何もなかった」だとしても
結局は社会が決めること
ってなってしまうのかな。
本人たちには何もできない。
決めるのは「社会の目」
ものすごく怖い。
ん-、そうじゃなくてさ
面白かった。映画の間中ずっと集中して見た。良かった。見る価値あり。
でも、松坂桃李の設定がさ、身体的な特徴で仕方なく(どうしようもなく)女性と深く関われないっていうのがさ、んー、なんていうか、そうなると「そりゃしょうがないようね」「めっちゃ特別な人だね」になってしまうわけで、納得するけど共感はできんわけで、んー、そうじゃない設定の方が良かったなあ。広瀬すずの設定の方が共感できた。身近に感じられた。
是非とも見て欲しい映画。すごく良かったよ。
もう一回観たい
内田也哉子さんの存在感すごし!!
テーマは非常に重いですが時折ある幼女誘拐で本当にそういう人もいるんじゃないかと思ってしまった。
マスコミが騒ぎたてても真実は本人たちにしか知り得ないのです。
DVな彼氏もいそうな設定がすごくて見ていてハラハラした。
あと、私は松本市民なのだが方言監修の人に言いたいが松本はあそこまで方言はひどくない気もします。
映画用に誇張したのだろうか。
違和感が半端なかった。特に若い人はなまりとかないです。
子役の子が主人公の女の子を演じるだけではなく広瀬すずを意識した演技をしていたのもすごさを感じた。
まぁなんだかんだ言っても最後内田也哉子さんがすべて持っていった感がある!!
あの存在感は素晴らしい!!!
またぜひ映画にでていただきたいです。
あの唯一無二の存在感なんだろう。
映画の評価としてはよかったです!
全520件中、121~140件目を表示