「『シュベールの日曜日』の様な純愛を望む」流浪の月 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
『シュベールの日曜日』の様な純愛を望む
ストックホルムシンドロームでなけりゃ良いけどね。
『シュベールの日曜日』な純愛を望むよ。
松◯桃李さんは『蜜蜂と遠雷』の出ていたので知っている。中性的綺麗な顔をした物理的男性だと思う。老若男女から愛されるお顔立ちの俳優だと思う。
その彼がとんでもない犯罪者を演じてしまう。しかし、彼の行為は純愛を求める行為ではない。
僕の世代は、宮◯勤の連◯幼女◯拐殺人◯件がある。事件はロリ◯タ◯コンプレ◯クスとは言えないペド◯◯◯◯ではあるが。
宮崎◯の行為が純愛などと言える訳が無い。
つまり、それを承知してこの作品を作っているか、全く知らないで描いているかでこの作品の評価は違って来る。勿論、犯罪者が刑期を終えて社会復帰する事が主題であれば、婚約者の男の横暴を訴えている事になるが、話はどうまとめるのだろうか?だから、例えば松◯桃李さんの役を髭面の禿げちゃびんオヤジで置き換えればもっと現実的になったと思う。
多分『シュベールの日曜日』の純愛をテーマにしようとしているのだろうから。
でも、両性の合意取れる年齢に経っしていならなければ、相手の男がどんなに優しく良心的な男であっても、自分の生活圏に、周囲に黙って入れてはならない。
映画は男目線な純愛ではないストーリー展開になっちまってる。原作は多分、そうでは無いと思い、評価はしたい。
幼い少女が男と黙って一緒にいれば、どんな事があっても、第三者は偏見を持つ。そう言った社会である。明るい少女のキャラで描いているが、現実的ならば、それで病むくらいのトラウマに陥る。そんな犯罪歴はアメリカに星の数ほどある。
アメリカに限ったことでは無く、妄想の範疇を含めれば、犯罪者まがいの幼児◯愛者は沢山いる。だから、最後のネタバレはすべきで無い。ストーリーの趣旨が違って来る。それならば、寧ろのLGBTの話にするべきで、そうしないのは純愛を描きたかったからだと思う。性的なコンプレックスを据え置くと、全て性的な衝動になっちまう。
世の中は松坂桃◯ばかりではない。ハゲチャビンの髭面オヤジが純愛語って、信用してくれますか?しかし、歳を重ねるとそんな事は分かって来るものと最近分かるようになった。従って、僕からは恥じらいが消えた。