「過剰な設定ではないのか」流浪の月 Scottさんの映画レビュー(感想・評価)
過剰な設定ではないのか
最初、みんな演技がいいなと思ったの。「松坂桃李はいい役者になったなあ」とか。
横浜流星がカフェに入ってくるところとか「いいなあ」って感じで。
監督の演出がいいんだろうな。李相日監督の他の作品も観てみようと思ったもん。
画も良かった。「松本は良い街だ」って感じで撮れてる。
ロケ期間は冬だったのかな。夕暮れの空の色がとても良かった。
だから映画としては良いと思うんだよね。
でもノリきれなかったのは、元々の話に原因があんの。
この話、事情説明劇になってる気がすんの。
「登場人物はこう動きました。それは実は、こうだったからです」ってやってくのね。
何かを描き込んでいるというよりは、事情をどの順番で、どう呈示していくかに心が砕かれるね。
話としては、周囲にどんなに認められなくても、引き裂かれた自分の半身ともいえる相手と添い遂げるってことなんだよね。
それを描くのに、ここまで設定いるかな。ここまで設定を作り込まないと描けないのは、作り手の弱さなんじゃないかと思っちゃったのね。
そして、登場人物たちは、その作り込まれた設定に翻弄されて終わるね。
翻弄される中で出会えた半身と、一緒に翻弄されていこうと決めたっていう。
そんなこんなで、そこまで良い作品とも思わなかったけど、事情説明劇は人気あるんだよね。
でも、そうじゃなくて、僕が観れてない、読めてないだけかも知れない。
他の人のレビューを読んで考えてみようと思ったよ。
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