「この生き辛い世界の中に私たちの居場所と自由に流れ着くまで、生き続けていく」流浪の月 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
この生き辛い世界の中に私たちの居場所と自由に流れ着くまで、生き続けていく
これぞ李相日の真骨頂。
そう思わせてくれる新たな力作!
あらすじだけでも答えの無い答えを投げ掛けているようだ。
かつて世間を騒がした女児誘拐事件。その被害者と加害者が時を経て再会する…。
我々は“映画”として観ているからであって、これが現実だったら我々も“吐き気を催す”側だろう。
誘拐事件の被害者と加害者が…。いわゆる“ストックホルム症候群”。
普通に考えたら、ありえない。ヘン。異常。ビョーキ。
でも我々は事件の“上っ面”しか知らず、当事者だけの“何か”がそこにある…。
夕刻の公園。一人ベンチに座って本を読んでる女の子。
突然雨が降ってきても帰ろうとしない。
心配になって、傘を差して聞いてみる。
「お家に帰らないの?」
すると、女の子は言う。「帰りたくない」
もしこんな場に遭遇したら、あなたならどうするか…?
それでも「帰った方がいい」と言ってしまうだろうか。
言ってしまうだろう。それが普通。当たり前。一般常識。
でもその時、一抹でも考えた事あるだろうか。女の子が帰りたくない理由を。そこまで言わせるよほどの理由がある。口にもしたくないような…。
「良かったら、家に来る?」なんて言ってはいけない。ましてや、相手は女の子。その時点で世間一般的にアウトだ。
しかし、そう言葉を掛けた。別に“助ける”なんて綺麗事ではない。何かを背負い、悩み苦しんでる女の子に、手を差し伸べて上げたかった。
そして、その女の子は拒まなかった。
二人にとって、悲劇か、救済か。
この物語の主人公、更紗と文の運命の始まり…。
世間は思う。
女の子が何者かに連れ去られ、何か“されている”に違いない。
実際更紗は…
文の自宅アパートで悠々自適に過ごす。
アイスもアニメDVD(今敏監督作品!)もゴロ寝も好きなだけ。
どんなに自由に好き勝手しても、ありのままでいさせてくれる。大量のケチャップかけは少々ドン引き顔されたけど。
本来居るべき場所=自分の家では感じた事の無い解放感。
何故なら、家では…。
父が亡くなり、母は恋人と暮らし、伯母の家に預けられるも、息苦しい。何より彼女を苦しめるのは、毎夜自分の身体に触ってくる伯母の息子…。
更紗が家に帰りたくない理由はこれだった。あの家に私の居場所は無い…。
事件が連日ニュースで報道され、更紗は文に聞く。
「私、帰った方がいい…?」
「帰りたかったら帰ってもいい」
女の子を自分の家に連れ帰った自覚はある。
が、悪質な誘拐の意思はない。
帰りたければいつでも帰り、留まりたければ好きなだけ留まればいい。更紗のしたいように。
更紗が選んだのは…。
「誘拐犯にされて怖くない?」
「怖いのは、人に知られたくない事を知られる事」
この言葉が何を意味するのか、それは最後になって明らかになるが…
文は更紗をどうこうしようとする卑猥な行為は一切無かった。それどころか、指一本すら触れず…。
世の中には性行為には及ばなくても、女の子の姿をただ眺めてるだけでいいという輩もいるらしいが、
文の場合は違う。ただ優しく静かに傍にいてくれるだけ。
居る居場所が無い私に、唯一の居場所と自由をくれた人。
そんな時間は永くは続かない。
湖に遊びに行った時、警察が現れ、文は逮捕。
世間はこう思っただろう。遂に変態ロリコン野郎が捕まった。
更紗は激しく抵抗。
世間はこう思っただろう。誘拐犯に洗脳された可哀想な女の子。
事件は解決。が、考えた事あるだろうか。被害者のその後、加害者のその後。再びこの事件が槍玉に挙げられた時…。
15年。
更紗は成人し、ファミレスでウェイトレスのバイト。
過去の事件と言っても実名報道で残り、時々周囲から話の話題になる。
慣れるしかない。そうやって生きてきた。
一流企業に勤める恋人もいて、婚約中。
新たな人生、幸せを手に入れた。
…一見は。
ある夜、同僚と夜しか開いてない隠れ家的なカフェへ。
「いらっしゃいませ」
このたった一言で、かつての記憶がまじまじと蘇るような、絶妙なシークエンス。
カフェの経営者は、文。
更紗は激しく動揺。が、あっちは気付いていないようだ。
その後どうしても気になって、度々一人で来店。それでもやはりあっちは気付いていないようだ。
ある夜仕事帰りの彼をこっそり尾行。彼は今恋人もいて、穏やかに静かに暮らしてる。
その姿を見て思わず言葉が漏れる。
「良かった…」
私が文の人生を壊したと思っていた。私だけ幸せに暮らしていたら…?
でも、そうじゃない。心からの、良かった。
またこの社会で彼も生きられるなら…。
しかし…。
恋人・亮が更紗の“異変”に気付く。
カフェに突然現れ、ある時は更紗の手首を痣が残るほど強く握る。
彼の実家に挨拶に行った時、親族から“悪い癖”を聞く…。
その亮がSNSに今現在の文の写真と経営しているカフェを投稿。
それまで控え目で従順な彼女でいたが、初めて反発。
カッとなった亮から激しい暴力。さらに無理矢理…。
亮は更紗に自分だけへの愛情を求めると共に、執拗に性欲を貪る。
それを見て思った。どっちがゲスなのだろう。
女の子を連れ帰り、指一本も触れず、居場所や自由を与えてくれた誘拐犯か。
“可哀想な女の子”の目で見て、過剰な愛情と性欲を求め、遂には暴力を振るう恋人か。
同居していたマンションを飛び出した更紗。
向かった先は、やはり“あそこ”しか無かった。
これじゃあ昔のまんま。同じ事の繰り返し。
成長し、新たな人生を踏み出したかと思ったのに、私はあの時から時が止まったまま。
それは分かっているのに、また彼の人生を壊してしまうかもしれないのに、それでもやはり…。
こんな私にまた手を差し伸べてくれた文。
どうやら更紗の事を気付いてはいたようだが、敢えて声を掛けなかった。何故なら、また更紗の迷惑になるかもしれないから。
かつての誘拐事件の被害者と加害者が時を経て再会した時…。
そこから何が始まるのか…?
更紗は文の隣の部屋で暮らし始める。
端から見れば奇妙な光景だ。異常な光景だ。
隣同士とは言え、かつての誘拐事件の被害者と加害者が“一緒に”暮らしている。
が、この平穏、温かさ、居ていい居場所は何なんだろう…。
この二人の再会の行く末は…?
かつてと同じなら、行く末も同じだろう。
更紗が同僚の娘を預かった時から、私の心にどんよりとした何かが落ちた。
一時は幸せでも、また…。
李相日とこの実力派キャストの組み合わせを見た時から、確信。
広瀬すずと言えばスポ根的な王道青春ムービーの奮闘女子が鉄板だが、名匠と組めばそれとは違う面を魅せる。何か暗い過去や重いものを抱え、その苦悩を体現。複雑な内面、抑えた感情、本格的な濃密な濡れ場も…。
ベストに挙げてもいいくらいの熱演。改めて広瀬すずという女優に魅せられ、圧倒され、頼もしさすら感じた。
今何をやっても巧い松坂桃李。彼もまた複雑な内面、抑えた感情、影を込めた演技…絶品! この繊細さ、危うさ、哀しみは、同世代で表せる事が出来るのは限られる。松坂桃李はその一人だ。
共演に横浜流星と聞いた時、力量不足と思った。彼の映画やドラマを全て見てる訳でもなく、その実力のほどをよく知らない。極真空手の世界一に輝いた経歴を持つ、ステレオタイプなイケメン…。
が、本作の彼には本当に驚いた!
前半は“理想的なイケメン恋人”。それが中盤~後半は、目付きも表情も演技も豹変。歪んだ愛情から暴力や狂気に堕ちていく。
その様に本当に怖くなった。ファン離れていくんじゃね?…と心配にすらなったほど。複雑な役柄だったら広瀬や松坂以上かも。
間違いなく本作は、彼にとって大飛躍の一本になるだろう。もしこれが認めなければ、日本映画界はどうかしている。
たった一本で印象を変えてしまう私もミーハーだが、それくらいの存在感!
ご贔屓多部ちゃんが出番が少なかったのは残念。
更紗の少女時代に、天才子役の白鳥玉季。その実力に圧倒された『ステップ』からまた成長。過去パートで非常に大きな役回りと印象を残す。
文の母親役で、内田也哉子。初登場シーンに驚いた。樹木希林と見間違えた。
6年ぶりの監督作となる李相日。
重厚で、複雑で、繊細で。
見る者の心を抉るほどのテーマを投げ付け、単純に割り切れない善悪や感情を揺さぶる。
厳しい演出で知られるも、そこから役者から名演を引き出す。
重たい題材で2時間半は身構えさせるが、見始めたらあっという間。終始緊張感を維持し、今にも壊れそうな感情やテーマを掬い取っていく。
話題の『パラサイト 半地下の家族』のカメラマン、ホン・ギョンピョによる映像美。
部屋や屋外に差す陽光、木漏れ日のような美しさ、街の夜の明暗…どれも魅せられるほど。
美しくあると同時に哀しみも滲み、それがまた本作にマッチ。
原摩利彦による音楽も胸に染み入る。
アパートを突き止め、郵便ポストを漁る亮。
それだけでもヤベー奴だが、我が耳を疑ったのは、「戻れば許してやる」。
自分のやってる事は理解し難いかもしれないが、何故許しを乞わなければならないのか…?
作品的に憎まれ役の亮だが、彼もまた哀れでもある。
更紗の心が自分に戻らないと知った時、自殺を図る。
歪んだ愛情かもしれないが、彼は彼で心から更紗を愛していたのだ。
救急車に乗せられる亮から思わぬ一言。
「もう、いいから」
更紗を解放し、亮の中の良心を垣間見た。
SNS社会の恐ろしさ。
瞬く間に拡散する。
週刊誌にあれこれ、野次馬の茶化し、悪質な嫌がらせ書き…。
さらに問題になっているのは、かつての変態ロリコン野郎がまた小さな女の子(同僚の娘)と一緒にいる事。
ヘンな奴がいた時だけ、世の中は誹謗中傷という正義で一致団結して叩く。
更紗はバイト先を辞職。(この時の店長の言葉に人格を見た)
でも何より更紗を苦しめたのは…
同僚の娘は警察に保護され、文は今回は逮捕されなかったものの、また私のせいで文の人生を壊してしまった。
文がどんな思いで人生を持ち直したか…。
あの事件の後、少年院を出てから実家へ。文は離れに住まわされ、両親の監視下に。
母親との関係が複雑。
ある時文は、母親が育ちの悪い苗木を抜くのを目撃する。
それを自分に当てはめ…。
「僕はお母さんにとって外れなの…?」
それに対し母は、
「外れを産んだ私が悪いの?」
更紗以上にこの世界に居場所が無い文。
恋人に知られ、責められる。
それに対し文が返した言葉。ただ聞けば酷い言葉だが、本心からじゃないだろう。
こんな自分との別れを決心させる為。彼女のこれからの出会いや幸せを思って。
だが一つ、本当の気持ちがあった。
自分は小さな女の子が好き。
衝撃の告白に聞こえた。
やはり彼は、ロリコンだったのか…?
いや、本当の意味なのだ。
ここで明かされる文の“人に知られたくない事を知られる事”。
文は大人になれない。
成長する上で身体…性的部分に成長が表れない病気。
男としてそれがどんなに恥ずかしく、哀しい事か。
好きな人が出来ても身体でそれを示す事が出来ない。
故に小さな女の子しか…。
更紗も性に対して抵抗意識が。少女時代のトラウマ、亮の過剰な性欲…。嫌で嫌で仕方なかった。
愛し合う男女が身体を求め合う行為はごく自然な事。
しかし、絶対的にそれが必要なんて事はない。
自分にとって本当に大切な存在だから…。
更紗だから。
自分に通じるものを感じたから。境遇、孤独、今尚抱えるもの…。
二人の関係を単に“愛”とは呼べない。
成人男性が未成年の少女を愛す。
誘拐された被害者が加害者を愛す。
それは偏見かもしれないし、正しい見方かもしれない。
何とも生きにくいこの世界。
二人の関係は、互いを受け入れ、心に寄り添ってくれる“居場所”。
それは愛という形より崇高で純粋で、穢れなき形に見えた。
あの湖で手を握ってくれたその日から。
だから今までこうして生きてこられた。
これからどんな社会の荒波に呑まれても、もうこの手を離さない。
生き続けていく限り、自分たちの居場所や自由に辿り着くまで。
流れ流れゆくあの月のように。