劇場公開日 2022年5月13日

  • 予告編を見る

「ひたすら二人の幸せを願って鑑賞しました。」流浪の月 SUZさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ひたすら二人の幸せを願って鑑賞しました。

2022年5月16日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

ーーねえ文、わたしってどんな子だった?

 原作にも登場するこの台詞を、僕は非常に重要な台詞だと思っている。それは、自分を押し殺し、自分自身さえも偽り続けてきた更紗の悲痛な叫びである。彼女はもう、文に尋ねなければあの頃の自分を思い出すことが出来ない。
 そして、文と過ごしたあの頃が更紗にとって重要なのは、更紗にとって最も重要な「両親と過ごした幸せな日々」を模倣したものだからである。夕食にアイスを食べ、朝食にケチャップをぶちまけ、日曜日には昼間から床の上に寝そべってビデオを観ながらデッカいピザを食べる一見野放図な行為は、単なる彼女のワガママでは無い。文はその生活を全肯定してくれた。
 原作との比較はあまり意味のない行為ではあるのだが、両親と暮らした幸せな時代をバッサリカットしたのは何故だろう。お父さんは病気であっけなく死に、お母さんは男を作って出ていったと言う説明だけでは、まるでネグレクトされた子供だ。幸せな子供時代を想像する事は難しい。叔母の子(いとこ)による性的虐待からのエスケープを強調したかったのだろうか。文との生活は彼女が人生で初めて得た唯一の安息地に見えてしまう。
 また、母については男と逃げたことだけ語られるのに、父がバカラのワイングラスでウィスキーを美味しそうに飲んでたエピソードを残したのは中途半端である。

 李相日監督は意図的に幸せな描写を取り除いて撮影しているように見える。それは、再び二人で行動を共にする事になったエンディングも例外ではなく、明るい未来を予見させる要素はほとんど無い。陰鬱な気持ちで映画館を出た。暗ければ良いってもんじゃないと思うのだが。

追記
 原作によるとcalicoを邦訳すると更紗とのこと。お互いずっと求めあってたんですね。二人には幸せに暮らして欲しいです。

SUZ