「人は見たいようにしか見てくれない」流浪の月 おじゃるさんの映画レビュー(感想・評価)
人は見たいようにしか見てくれない
原作未読ですが、予告を何度も見たので、ある程度の予備情報をもって鑑賞してきました。俳優陣の熱のこもった演技に圧倒されましたが、鑑賞後の後味の悪さは否めません。
ストーリーは、偶然見かけた寂しそうに佇む少女・更紗に声をかけ、自宅に連れ帰った青年・佐伯文は、しばらく同居生活を続けたあと誘拐犯として逮捕されますが、その15年後に偶然再会したことにより、2人の距離は再び縮まり、今の生活がしだいに壊れていくというもの。
普通に考えれば、誘拐犯と被害女児が、心を通わせることなどありえません。ましてや、しばらく生活を共にしていたとなれば、性的いたずらや暴行があったと考えるのが一般的でしょう。しかし、更紗と文にはそれがありませんでした。出会った当時の2人はそれぞれに心に傷をもち、それが性的なものに起因していたからです。そのため、2人が性的な行為に及ぶことなどなく、互いの存在を安心できる場所として求めていただけなのだと思います。
この極めて稀な出会いから生まれた絆は、15年経っても2人の心に残り続け、再会と同時にまた求め合ってしまいます。それは、2人が今もまだ事実や本心を周囲に語れず、誰にも心を開くことができなかったからでしょう。そんな時に更紗が口にした「人は見たいようにしか見てくれない」という言葉が胸に刺さります。結論ありきで「きっとこうだ」という思考に物事を都合よくあてはめていくのは、マスコミに限らず、世間の誰もがよくやることです。きっとそうすることで、理解、納得、共感を得やすいからでしょう。でも、それを声高に叫ぶことは、そこに当てはまらない人々の思いを無条件に切り捨てることなのだと感じました。
更紗と文のような特殊な関係でなくても、とかく人は他人のことをあれこれと邪推しがちです。かといって、真正面から質問もしにくいし、ましてや本人たちが語りたがらない秘密を根掘り葉掘り聞き出すこともできません。でも、せめて勝手な憶測で噂を広げないようにはしたいものです。SNS等で誰もが世界に発信できる時代だからこそ、その一言のもつ影響力の大きさと責任をしっかり自覚する必要があるはずです。本作を通してそんなことを考えました。
主演は松坂桃李くんと、広瀬すずさんで、常に陰を背負いながらも、どこかで自分らしくありたいと願う文と更紗を熱演しています。特に広瀬すずさんの体を張った演技や、文との再会で見せる表情の変化は秀逸で、役者としての成長を感じました。脇を固める横浜流星くんのやさぐれっぷりもなかなかでしたが、本作の立役者はなんと言っても白鳥玉季ちゃん!どの作品においても強烈な存在感でしっかり爪痕を残す演技は、本作でまさに本領発揮と言ったところ。恐るべき12歳です。