「自由な報道の意味」コレクティブ 国家の嘘 LSさんの映画レビュー(感想・評価)
自由な報道の意味
ルーマニアで火災事故の熱傷患者が院内感染により大量死した事件は、スポーツ紙の調査報道により、国の説明の偽瞞と、その背後にある国全体の医療体制をめぐる構造的な腐敗の闇に行き当たる。新任のNGO出身の保健相は改革を期して、守旧派の多くの妨害の中、政令改正までたどり着くが……。
カメラは主にスポーツ紙記者と保健相に密着してストーリーを形づくる。ドキュメンタリーだが制作側の立ち位置は明確に既得権益側を批判的に描いている。記者が、また制作者が見ているのが真実の一面だけかもしれないという点には留意が必要だろう。
実際、劇の終盤で保健相は、政治家に外国(彼が以前いたウィーンの医療界)との癒着を示唆され、彼が国の医療を外国に売り渡そうとしていると攻撃される。また、消毒液製造業者(不正に薄めた液を納品し感染拡大の原因と目された)が不審な事故死を遂げ、公式に自殺と発表されると、疑惑を追求していた記者は「報道が彼を殺した」と責められる。(これらの点について劇中、深堀りはされない)
それでも記者が述べた(記憶が正確ではないが)「報道が黙れば国家は国民を攻撃する。記事を読むことが、国民が国家との関係を考えるきっかけとなる」旨の言葉には感情の高まりを禁じ得なかった。
劇の終わり、総選挙で現政権は大敗し、守旧派の返り咲きが示唆される。記者には家族の安全に注意しろとの警告が届く。
報道の中立性・党派性、権力化、メディアスクラムといった問題は別にあるだろうが、前提は自由な批判ができる安全な環境が守られることだろう。奇しくも政府に批判的な立場のロシアとフィリピンのジャーナリストがノーベル平和賞を受賞したとの報を聞き、このニュースを世に問うた記者たち、映画制作者たちに心から敬意を表したい。