「期待感が高すぎちゃった!」名もなき歌 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
期待感が高すぎちゃった!
ペルーのというだけで、すでに興味をそそられた。それも、この映画は1988年が舞台で、社会から置き去りにされているアンデスの先住民ケチュア族の女性ヘオルヒナ(Pamela Mendoza)が出産した子供が国際的な乳児売買組織の餌食になるという話だ。それに、ジャーナリストのペドロ(Tommy Párraga)の性への心の葛藤を組み入れた作品になっている。ペドロがアマゾンの上流のイキトスまで行って、乳児売買組織を見つけ出すが、もう手遅れのようだった。それに、ケチュア族の伝
統である祈りや祭も、実はカラーならもっと現実味を帯びるかなと思いながら観ていた。
後半にかけて、ケチュア族の夫、レオ(Lucio Rojas)がテロリスト(Shining Pathペルーの左翼過激テロ組織「センデロ・ルミノソ」(シャイニング・パス、日本語のウィッキーによる)の仲間に足を踏み入れ、ヘオルヒナはより、寂寥感がまし、 (テロリストwere trained to suppress their feelings and cut ties with their families ー監督の言葉を抜粋)一人で、歌を歌う。赤ん坊を奪われた悲しみと夫、レオがテロリストになり、戻ってこないという意味だと思った。
正直なところ期待感が高すぎちゃった。ペルーの1988年の現状、例えば、インフレ、水や電気などの公共利用の不安定さ、テロリストの(Shining Path)暴力、女性の扱い、ホモセクシャルへの理解不足、貧困と格差、人身売買など、社会の問題が、盛りだくさんすぎる。それに、アヤクーチョ(Ayacucho)ワマンガ(Huamanga)に住んでいるケチュア族はID(身分証明書?)を持っていないから、ペルー人であっても、リマではペルー人としてのシステムに入らせてもらえない。
最後のところだが、レオとヘオルヒナの夫婦関係がわかりにくなってくる。レオは初めて違って、赤子を見つけ出すことにも興味を示さなくなり、テロリストの仲間に入る。Shining Pathというテロリストは金持ちも、貧乏も、民族も関係なく殺すテロリストだと監督は言っている。ケチュア族への暴力も、もっと説明がいるし、理解しにくくしている気がする。観賞後、やっぱり納得がいかなく監督の言葉を調べた。(it’s this need to run away from stereotypes, so I create characters that are as complex as possible.)と監督は答えているが、ステレオタイプを避けるため、レオの存在をわざと複雑にしたようだ。なぜステレオタイプを避ける?
監督本人はペルーの出身だから、ステレオタイプの知識も持ち合わせているだるが、私個人として、ケチュア族の男性、夫に対する偏見でもいいのだが、知識が皆無だから、ステレオタイプすらも考えられない。ケチュア族っていったって、モーターサイクル・ダイアリーズ(2004年製作の映画)Diarios de motocicleta/The Motorcycle Diariesという映画でチェゲバラがケチュア族と会話した知識とインカ帝国の民族。そして、気候変動でケチュア族は主食のじゃがいもなどの芋類の栽培面積が減っていっているというくらいしか知らない。
結局、この映画では何も解決されず、宙ぶらりんで、尚且つ、現代社会でも、この残影を引きずりつつあるのだろうか。乳児売買組織はどうなったのだろう。最後の方で、議員の言葉の、『もらわれた方が幸せに』は強く疑問が残った。
Pauchi Sasaki - La Quebrada
アンデスの音楽とララバイをミックスした作曲家はPauchi Sasaki さんで、ササキさんのお母さんは日本人で、お父さんは日系ペルー人だと監督が。