すべてうまくいきますように : 特集
【名匠フランソワ・オゾン“死の三部作”の完結編】
脳卒中で倒れた父に「終わらせてくれ」と頼まれた…
あのゴダールも選んだ安楽死のリアルに衝撃と驚き
愛する人の死を、自分の手で導かなくてはいけなくなったら――。
2月3日に公開される「すべてうまくいきますように」は、そんな重大な葛藤を中心に据えつつ、安楽死という制度の“手順”を詳細に描く。それでいて、遺される者たちの再スタートをも描出した感動作でもある。
いや、感動作と表現してよいのか? 感動という言葉よりももっと深く、胸に重く残り、しかしポジティブなユーモアもふんだんに盛り込まれていて。一筋縄ではいかない作品であることは確かだが、果たして……。
監督は名匠フランソワ・オゾン(「8人の女たち」「スイミング・プール」など)。“死の三部作”の完結編に位置づけられる今作の見どころを解説するとともに、映画.com編集部が実際に観た感想をお伝えしていこう。
【目次】
[見どころ解説]安楽死のリアルを刻み、新たな人生を拓く渾身の一作
[レビュー]実際に観て刺さった “リアルさと意外性”
【見どころ解説】ついに“死の三部作”最終章
安楽死のリアルを刻み、新たな人生を拓く渾身の一作
まずは、あらすじは予告編で把握していただければと思う。そのうえで、今作の特徴を語っていこう。
●監督:「まぼろし」の名匠がつむぐ“三部作”の結末を見届けよう
今作があのフランソワ・オゾン監督による新作だという事実が、ひとつの見どころだ。
オゾンは“恐るべき才能”とも評された、フランスを代表する名監督。同国で実際に起こった神父による性的虐待事件を描いた「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」では、第69回ベルリン国際映画祭の審査員グランプリを獲得している。
そんなオゾンは、これまでに「まぼろし」「ぼくを葬る」と死にまつわる二本の名作を世に放ってきた。それらは“死の三部作”と呼称されてきたが長らく最後の一作は発表されておらず、満を持して今作「すべてうまくいきますように」がその三作目として公開される。
ライフワークともいえる試みの“ひとまずの終着点”で、名匠は何を見出したのか。ぜひとも見届けてほしい。
●特徴:あのゴダールも選んだ安楽死…その過程を極めて解像度高く描き出す
テーマの中心は安楽死である。となれば、映画ファンならば巨匠ジャン=リュック・ゴダールの選択が頭に思い浮かぶだろう。アラン・ドロンが安楽死を決断した、との報道も記憶に新しい。
彼らが望む安楽死とは、果たしてどんなものなのか。手順や手続きは? どんな問題が起き、どんな感情になるのか? 何よりも、安楽死を選ぶ人間心理とは――?
おそらく日本人の多くが知らないであろう現実を、克明に、わかりやすく、かつ興味深く描き出す。かようなストーリーが今作の最大の特徴であり、他作品にはない“独特の深さ“につながっている。
●なぜここまでリアル? ある脚本家の実体験がベース、当事者しか描けない迫真性
描写の解像度が極めて高く、当事者にしか描けないディテールにも注目。原作は「スイミング・プール」の脚本家エマニュエル・ベルンエイムの自伝的小説。物語は、ベルンエイムの実体験がベースなのだ。
こんなシーンがある。
・お見舞いから帰宅し、ソファに寝転んで映画を観る。それもスプラッターもの。過激なやつを。・寝たきりだった父が、イスに座れただけで、飛び上がるほど嬉しい。・いきつけのレストランで食事。父は「最後の晩餐だ」と愉快そうに笑ったが、主人公はそんなジョークが耐えられない。ほかにも本編にはまだまだ多くのエピソードが描かれる。だからこそ今作は類稀な力強さ、究極ともいえる迫真性を湛えている。他の映画では味わえない、唯一無二の映画体験である理由はこのリアリティにあるのだ。
【レビュー】実際に観て刺さった “リアルさと意外性”
愛の複雑性を象徴する、崩壊しているが幸福な家族の姿
ここからは実際に鑑賞し、予想に反して驚いた部分や、深く心に刺さったことを紹介していく。
●驚き①:“気づき”に満ちたエピソードの数々…安楽死はこんなに事務的に進むのか
安楽死は重々しく痛切なムードで実行される、と思っていたが違った。まるで役所の手続きや、ホテルのサービスを受けるみたいに進むことがとても意外だった。
例えば「当日は救急車が迎えにくる」ことや、スタッフに「(家族が父のもとにくるのは)処置の当日ではなく、翌日のほうがいい」などと言われたり……。物語の結末がどうなるかは自身の目で確かめてもらいたいが、筆者は勝手に「死の瞬間は愛する人たちの涙、涙」などと想像していたから、事務処理のドライっぷりにはかなり衝撃を受けた。
また表現が難しいが、物語は安楽死を推奨も批判もせず、あくまでも最後は個人の選択であるとの立場を維持しつつも、なんというかこう「安楽死をしたくなったら、あるいは『したい』と言われたら、こうするといい」と教えてくれるようでもあった。ショッキングだが重大な“気づき”にあふれており、ああ、こんな映画を観られてとても良かった、と感謝がわきあがってきた。
●驚き②:キャスト陣の熱演…ソフィー・マルソーら魂の演技が切実かつ痛烈
主人公エマニュエル役は、「ラ・ブーム」(1980)でスーパーアイドル的人気を獲得したソフィー・マルソー。愛する人のゆるやかな死を、最も近くで手伝わなければならない……という難役を丁寧に体現。その存在感はあまりにも理想的なエイジングを経て、吸い込まれるような新たな魅力へと昇華されていた。
さらに、フランソワ・トリュフォー監督作「私のように美しい娘」などの重鎮アンドレ・デュソリエが、本音しか言わない父アンドレ役に。オゾン監督と「まぼろし」「スイミング・プール」「17歳」などでタッグを組んできたシャーロット・ランプリングが、母クロード役で出演することも大きなポイント。
すべての人に訪れる死や、家族の愛とは何かを滔々と問いかける“キャスト陣の魂の演技”は、ぜひ大画面で見届けるべきだ。
●驚き③:およそ良好とは言い難い家族関係…それでも「大好きよ」
最後に、主人公家族の関係性も意外だった。エマニュエルは「最低な父親」と悪口を言うが、それでも父を「大好き」と語る。母クロードも、父の見舞いには来るも不快感を隠そうとせず、速攻で「帰る」と言って本当に帰っていく……が、なぜか今も別れてはいないらしい。
彼女らは長い年月をかけて自然崩壊した家族だ。しかし姉妹の仲はいいし、母にも父にも頻繁に会うし、父の好きなブラームスを聞いたりする。だいたいの物語は「壊れている家族は不幸だ」と描くが、この映画は「壊れていても不幸ではない人たちはいる」と示しており、それがとても面白いと感じた。
だからこそ思う。愛はとても複雑で、慈しむだけの価値があるのだ。胸に宿ったこの感情は、鑑賞後も刻一刻と形を変化させて生き続けている。