すべてうまくいきますようにのレビュー・感想・評価
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最後まで主人公な父親
ドタバダするシーンやすっとぼけたオヤジのシーンを見るとちょっとコメディっぽくもあり笑ってしまった。
ラストシーンはフランス映画によくある感じ。
お年寄りが半数以上占め満員御礼の平日の昼に鑑賞。他人事じゃないって感じなのかしらん?
金持ちは死ぬまで道楽もの
ソフィー・マルソーが歳を重ねてもソフィー・マルソーで、美しい。
いい歳の取り方で、羨ましく感じた。
アンドレ・デュソリエの演じる父アンドレは、確かに黙ってられない、かまってほしいくせに、頑固で人の話を聞かないタイプ。
今まで自由を謳歌しておいて、病気で身体が麻痺したら安楽死を望み、娘にやり方を調べろと命令した自分のせいで、その娘たちの身が危なくなるという始末。
見方によって、チャーミングな可愛らしいおじいさんとも言えるが……
弁護士だの、国境越えでタクシーがわりに使える民間救急車だの、さまざまな費用だの……
「金があると、生き死にも自由なんだな」という点が、鼻についちゃって。
世の多くの人は、死にたくないのに(または死ぬと分からずに)死を迎えるのに、剛毅かつ豪勢な死に方を選べるなんて。
まぁ、金持ちはいいよな……
と、カツカツで生きているこちらの僻み根性を、アイスピックで突き刺すような刺激をいただきました。
観客が、『PLAN75』同様に70~80代が多く、みんな死に方に興味あるのかな、って印象も受けました。
23-020
自らの尊厳のため、安楽死を選ぶ父。
父に支配され、それでも父を愛する娘。
父のワガママっぷりは、元気な頃から変わらないのだろうか❓
それとも動かない体の代わりに喋ってるのだろうか❓
いずれにせよ、口は災いの元。
娘達に心労を与えて、親族を混乱させて、挙句警察まで。
それでも娘は父を愛しているんだなぁ。
ソフィーマルソー、メチャ良かった
一見すると「些末なシーン」
冒頭、急を要する電話でバタバタと家を飛び出すエマニュエル(ソフィー)。エレベーターを待つのも惜しい様子で階段を駆け下りますが視界がぼやけます。どうしたのかと思えば、家に戻ってコンタクトを入れるシーン。一見すると「些末なシーン」にも思えますが、このシーンで如何にエマニュエルが焦っているかを伝えています。そして、その後の怒涛のような出来事から一旦帰宅し、そのコンタクトを外すところまで見せるなど「小道具」一つで状況や心情を表す演出、裏切りません。
脳卒中を機に介護が必要になったことで、生き続けることよりも尊厳死を求める父。姉妹は思い悩みつつも父の絶対的立場と、頑なな意志の強さにその計画を進めざるを得ません。
それでも良い展開から当然のように「期待」を持つ娘たち。ところが、期待したばっかりに「落胆」も深くなる父の言葉に、彼女たちへ同情しきりです。
とは言うものの、彼女たちにも生活と家庭があり、感傷に浸っている間もない感覚を実感できる展開のテンポの速さもきちんと効果的です。
そしてソフィー・マルソーの「疲れ切った顔」が素晴らしくリアルでいい。勿論、相変わらずの美しさはベースにあるのですが、発散を兼ねて余裕があればスポーツしているシーンに、彼女自身の美貌キープへの意識の高さも重ねて感じ取れます。
さらに、他のキャストも皆素晴らしく、父・アンドレ役のアンドレ・デュソリエは頑固だけど茶目っ気たっぷりでついつい笑わされますし、シーンは少ないながらも母・クロード役のシャーロット・ランプリングも相変わらずの存在感で強く印象に残ります。
「尊厳死」という難しい題材ながら、やはり「選択肢」という観点においては議論することくらいは余地があってしかるべきと思える、いいバランスの作品ではないかと思います。
安楽死と尊厳死、どう違うの?
テーマに惹かれて鑑賞。
脳梗塞て倒れた父親。片麻痺を残し、「コレは自分じゃない。延命だ」と。気が変わることを願いつつ、手段を探す娘。生きることへの価値観、人としての尊厳、自己決定。人として認め合った関係性。寂しくて、それでも父親の決定を受け入れようとする娘2人。父親を送り出してお酒を飲みながらの食事シーン。どれひとつとっても、日本との違いは大きすぎる。安楽死というより、尊厳死ではないのかしら?
高齢者にはかなり響く作品
ソフィー・マルソー演じる長女に尊厳死を望む父。シリアスなテーマを描いてはいますがお涙頂戴ものにせずフランス映画らしく淡々と描いています。
日本では法律的にも道徳的にも実現は難しい尊厳死ですがフランスでは本人の意志が強ければスイスに場所を移せば叶うらしいというのがわかりました。
脚本家のエマニュエル・ベルンエイム(故人)が書いた自伝的小説を映画化した作品ということで父と娘の関係がとてもリアルで、逆にドラマチックなシーンは少ないです。
この父の強い意志は親族にとってどうなのだろうかと考えてしまいました。
親の介護に関係してる年代には心に響く作品だと思います
なんだろ この空虚な後味…
ソフィーマルソーいいねー。
年齢を重ねることで人は魅力を増すことを周知させる力。
それにしても 巧みな役者達が演じてるのにまるで心に届かない不思議。 泣きも笑いも胸熱くなることさえない時間がラストまで。
いまいちよくわからない、私小説的映画。お客は結構入ってた。尊厳死...
いまいちよくわからない、私小説的映画。お客は結構入ってた。尊厳死への興味なのか? むしろ、尊厳死問題批判かと思うほど、主人公はデタラメ感がある。子どもたちに甘えきってるし。フランス人っぽくもるのか。マルソーの頑張りは自分を思い出させてしまい、世界中で同じなんだろうと思うけど、あんまり気持ち良くない。こんな風な関係になってしまうのだ。
父と娘、尊厳死のリアル。
かつては殺したいほど憎んだ父親、実業家として長けてはいたが年頃の娘にとっては最悪の父親だった。
年頃の娘に対して散々無神経な言葉を投げつける。母親は長男を死産で失ってから長きにわたりうつ病で実質父子家庭。
父親を憎みながらも実業家としてはリスペクトしていた。そんな父が脳梗塞に。自分の思う通りに生きれない現状を嘆いて父は娘に尊厳死を持ち掛ける。
最初は一時的な感情かと思ったが父の意思は硬い。それを頼まれた娘は苦悩する。かつて殺したいほど憎んだ父、そんな父が殺してくれと懇願する。自分は父を殺したいのか、それとも思いとどまらせたいのか。娘の葛藤が丁寧に描かれる。この難しい役を演じたソフィーマルソーはさすがだった。
能天気に死を望む父とは対照的に苦悩する姉妹。フランス映画ならでは、ある部分とても能天気に見えて、ある部分とてもリアル。
自身が娘たちと同世代だけに要所要所で自分と照らし合わせずにはいられない。とてもリアルな体験が出来た稀有な作品だった。
後半は一種尊厳死をめぐるドタバタ劇の様相、しかし結末はやはりドラマチックではなく、現実を突きつけられる。
最後まで身勝手な父だった、娘たちがどんなに苦悩したことか。だが、最後の最後娘たちは親孝行ができたのだと信じたい。
安楽死するためのトリセツ
脚本家エマニュエル・ベルンエイムの自伝的小説を基に、
安楽死を望む父親に翻弄される娘の葛藤を描いた人間ドラマにみえるが、
これは合法的な安楽死を支援するスイスの協会活用へ尊厳死や自由死をするための、すべてうまく行くための注意事項と活用マニュアルか?
それはフランスでのジャン=リュック・ゴダール監督への自殺の幇助か尊厳死か安楽死か判定への混乱の回答かも知れない。
あれだけのキャストを使いながらうわ滑っているように感じた。
さて、あなたならどうしますか?
世界には自殺幇助を認める国が10ヵ国以上ある。
ネットで調べたらそう書いてありました。
心臓移植を海外で受けることができるように(億単位の高額ではありますが)、日本人でもそれらの国で法的にクリアできれば、認められるのでしょうか。
でも、移送費や色々な準備の手間ひまを考えると、極めてハードルは高い。
いや、この映画でそういうことを考えるのはお門違いか。
人権という概念や医療技術が現代ほど発達していない時代は(先進国ですら、二つの世界大戦前は、大半の人が栄養不足で、肥満や成人病になるなんてかなり限定的な現象だったはずです)、カロリーを確保(食糧の調達)するのも困難で今安楽死を望むような状態の人は、たぶん放っておかれたし、どれほど心身の痛みを抱えていようが、安楽死を望むかどうかなんて誰からも関心を持たれないまま、そう長くは生きられなかった。
生きる権利が、基本的人権のひとつならば、死ぬ権利だって同様に認められるのが、筋ではないか。
という論理立ては、一見真っ当なように見えるが、生きることは極めて自発的な行為であるのに対し、自殺幇助は〝殺してあげる〟〝殺してもらう〟ことであり、極めて他者からの能動的行為となる。当然、能動的行為には、責任や妥当性や社会的要請(世間的に認知されること)の有無などの検証が必要だが、そこに殺意や犯罪的な意図の介在が可能であることが、問題を複雑にしている。
『金の国 水の国』のように、人間の資質の基本がほとんど善意で成り立っているのなら、法的解釈としてはそれほど難しくはないと思うのだが(手を下すことへの罪悪感や心のケアについては、死刑執行に携わる方などにお聞きしながら整理する必要はあると思います)、残念ながら現実は違います。
正解のない堂々巡りの問題ではありますが、
さて、あなたが当事者になったらどうしますか?
ということを突きつけられる映画です。
同時に、ソフィー・マルソーの成熟した大人の魅力だけでも、十分に見応えのある素晴らしい作品でもあります。
死ぬ権利を認めたい
フランソワ・オゾン監督が、何度か手を組んだ脚本家のエマニュエル・ベルンエイム(故人)が書いた自伝的小説を映画化した作品。
小説家の長女が、脳卒中で倒れ右半身に麻痺が残る父の看病をするうち、安楽死させてくれと頼まれる。一度言い出したらきかない父の思いを叶えるべく、スイスの協会に連絡し手続きを進めるが……。
内容は重いが、描写はコミカルな部分もあり楽しめるた。なによりソフィー・マルソーが素晴らしい。父親を演じたアンドレ・デュソリエの演技もすごかった。
国によって制度が異なるが、日本は基本的にNG。そろそろ真剣に考えてくれないかな。
淡々と
尊厳死(安楽死)に進もうとする奔放な父親とそれに振り回される家族。
娘、妻、それぞれの思いと思惑違いの結末。
そういう意味では「葛藤」は描かれるが、ドラマチックな展開は特に無し。
劇中の父親のセリフ「生かされる事と生きる事は違う」刺さります。
昨年見た「PLAN75」とはまた違った「老い」と「長寿」についての映画。
話し変わりますが、年齢的に「ラ・ブーム」のソフィー・マルソー世代。
素敵に年を重ねてますね。
とっても『だらしない』
人類の半数くらいは『だらしない』と思うけど。
上映直前に、着席してる私の前を、
私のポップコーンを倒して通った奴がいたので、
憤慨してしまって。
それが無ければ、感想は若干違っていたのかも
知れない。
とにかく『だらしない』
病気で心が病んでいることを考慮したとしても、
安楽死を望む父親の姿は、
あまりにも『だらしなく』て
辟易した。
いや、
現在の私が、健康なので、
病に冒された、身体の自由を奪われた人を
『見たくない』と思っているだけなのかも
知れないけど。
大半の人間は、
本質は『だらしない』ものだろうと思うけど。
『だらしなく』て『わがまま』で、
『美しくはない』のだろうとは思うけど。
生きていく、生き抜く、って、
とてもドロドロと、
『美しくは無い』ものなんだろうなぁ、と。
安楽死、尊厳死、そういうものを考えて、
『涙する』ことを期待して見に行くと、
『ちょっと違う』切り口の作品だった。
歳を重ねたソフィーマルソーの演技も素敵!
年老いた父親が安楽死を求める物語。振り回される子どもたる姉妹に対し、なんと父親の自由な我儘ぶりよ。。
自分も、主人公と同じ年代に差し掛かかろうとしているところ。親といえども、仲良しではいられないけど、でも、嫌いなわけではない。家族ならではの、なんともやりきれない感じと、正直な気持ちをぶつける感じが身に沁みました。
安楽死という、重たいテーマでしたが、重すぎず、軽すぎず、でも暖かい映画に仕上がっていたのは、素晴らしい。後味は悪くない。
短い人生、みんなが少しでも笑顔で過ごせますようにと祈りたくなる映画でした。。
人生って、そう簡単に割り切れるものかな?
自殺を美化するような内容はやはり個人的には受け入れ難いです。
多様性の時代とはいえ、あっさりアンドレが逝ってしまって、それでいいのかなと思ってしまう。
また、娘たちも、その取り巻きも少し冷たい印象が(パティックをせしめた奴を除く)・・・
欧米人って、こんなもんかと言えばそれまでなんですけどね(死への寛容性が高い)
85歳だからね、もういいでしょうと考えなくもないが
なんか腑に落ちないな
6h7minの先
脳卒中で倒れたことで安楽死を望む様になった親父と言い出したら聞かない親父に翻弄される娘達の話。
病院で自分に何か起こったことを知り、そしてICUと一般病棟を行き来し、自分の置かれた状況を理解して「終わらせてほしい」と言い出すストーリー。
彫刻家の嫁のことを大病と言ったり、娘と話す時はお前の母親と言ったり、嫁の話題だけ聞こえなくなったりwというおちゃらけがありつつ、面倒臭~いヤツに怯えたり、スイスのことを言い出した後も、その気はあるのだろうけれど、どこまで本気なのか、あれがしたいこれがしたい。
現状の自分とありたい姿の埋められないギャップだったり、そういう信念みたいなものに対するプライドですかね…。
娘2人の父親に対する愛情の深さは素晴らしかったし、楽しく哀しく、そして尊厳死について考えさせられた。
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