「形容不能の愛が弾き出した答えは…」TITANE チタン 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
形容不能の愛が弾き出した答えは…
本当は途中で帰りたかった。本編が始まるや否や首のあたりがゾワゾワして、とてもじゃないが一定の姿勢を保っていられなかった。
でもたぶんジュリア・デュクルノーはそこまで見通していたんだろうなと思う。もう出て行ってやると決意が固まりつつあったところでそこまで画面の大半を覆い尽くしていたグロテスクネスの霧が晴れ、奇妙だが興味深い愛の物語が始まる。
そのとき私はこの映画に敗北を喫した。何から何までが狂っていたようで、実は全てが緻密な計算のもとに成り立っていたのだ。あームカつく😡
本作の序盤を彩るのは執拗なまでの「痛み」のイメージだ。アレクシアは性的な昂りを感じた時、頭に差した串で相手を刺殺する。女だろうが男だろうが躊躇はない。それは擬似的な射精といえる。串はあらゆる対象を支配する暴力性もとい男性性のメタファーだ。
一方で彼女は自身の肉体的な女性性を捨てきれない。入浴中の彼女が扉をドンドンと叩く何者かの誘いに応じ、そのまま車の中で犯されてしまう(というか車に犯されている?)シーンは鮮烈だ。
あまりにも罪を重ねすぎたアレクシアは、見知らぬ街で行方不明中の他人(男)になりすます。このとき彼女は人相を寄せるべく鼻っ柱をシンクに思い切り叩きつけるのだが…思い出すだけでも寒気が…
「アドリアン」になったアレクシアを迎えに来たのは彼の父親を名乗る人物、ヴァンサンだった。彼は消防隊員のリーダーで、歳の割に屈強な肉体を持つ男だった。
アレクシアは父親の勧めで消防隊に入隊するが、そこで思い知らされるのは心身共にマスキュリンなホモソーシャルの圧倒的暴力性だった。
串という飛び道具を捨てたアレクシアにとって、男はもはや懐柔可能な弱者などではない。筋肉のない彼女を「ゲイ」と侮辱したり、せっせと力仕事に勤しんだり、手近な女を手近に消費したり。アレクシアは「本物の」男だけが持ちうる暴力性に打ちひしがれる。また彼女の身体にも異変が生じはじめる。彼女は腹の中に何かを懐胎していた。それは彼女の肉体が紛うことなき女であることを突きつけるように、日増しに大きくなっていく。
アレクシアがヴァンサンに連隊を覚えたのは、彼もまたホモソーシャルの力学に疲弊した者の一人だったからだ。彼は自身の筋力を維持すべく、失神も厭わぬ覚悟で筋肉注射を行う。あるいは過酷な筋肉トレーニングも。しかしそれでも若い男にはかなわない。
男たちを束ねる「男の中の男」としての自負に追い詰められるヴァンサンと、自らがかつて他者に突きつけていた男性性を、今度は身を持って味わう羽目に遭うアレクシア。二人が互いに連帯を覚え合うのは自然な成り行きだろう。しかし特筆すべきは、ヴァンサンとアレクシアの間にはいかなる肉体的接触もなかったことだ。
ラストシーン、ヴァンサンはアレクシアの出産を手伝う。アレクシアの中から出てきた「それ」は背骨が金属、つまりチタンでできていた。ヴァンサンは動かなくなったアレクシアの横に寝そべり、チタン製の「それ」を大切に抱き締める。
ヴァンサンとアレクシアの間に生じた形容不能の愛。その結果物がこの異常で、グロテスクで、非人間的なチタン製の物体/生命体なのではないか。欲を言えばこいつがその後どうやって生きていくのか、あるいは生きていけないのかについて監督がどういう展望を持っているのかくらいは知りたかった。
本当に面白い映画だったけど痛みの描写がエグすぎてもう2度とは観られないと思う。観たい方もそこだけは覚悟して行ってください、マジで…