ニトラム NITRAMのレビュー・感想・評価
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子供に向き合わない親
『大人は判ってくれない』を観終わったときと、同じ感慨を覚えました。評価子は。
ちゃんと子供と向き合わない親が、子供をこんな途に走らせてしまったのだろうと、評価子は思います。
映画「JOKER」とテーマは同じ
1996年オーストラリア・タスマニア島で起きた銃乱射事件を題材にした映画「NITRAM」を観て、最初に頭に浮かんだのが米映画「JOKER」です。シチュエーション、人物像は違うが、内容的には共通している部分が多い。
この映画の主人公MARTIN(NITRAM)は、軽度の障害のため社会に馴染めないので、大人になってもニートで、親にパラサイトしているし、障害手当ももらっている。そんな彼が、元女優で金持ちのヘレンに会い、恋愛関係になっていく……(後は映画・ビデオを見てください)。
欧米では、毎年のように銃乱射事件が起こっているが、日本では、刃物で切り付けたり、自動車で跳ねたりする事件が毎年のように起こっています。各国で事情は違うかもしれないが、ほとんどが男です。
「全てのことがどうでもいいや!」と人生を投げた男が起こす事件が多い。「事前に○○すればよかった」、「事前に○○できなかったのか」などの後付け評論をしても、人権のこともありほとんどできません。安倍元首相の狙撃事件を見ればわかります。
残念ながら、このような事件を未然に防ぐことは、民主国家ではほとんど不可能です。
もう(花)火で遊ばない?
冷たい社会の抱える様々な問題点を浮き彫りにしながら、しっかりと丁寧な描写で疎外感や劣等感、負の感情を積み上げていく。変に脚色されたり、作品自体が過多になることなく、ものすごくパワフルに掴まれるドラマ。自分をおかしいと思わざるを得ない環境を作った親や周囲からすれば、あるいは傍から見れば一見支離滅裂に映る(ような)ことも、本作を見ればなんだか少し解ってくるよう。拒絶されてバカにされて、見返したくて一目置かれたくて、あるいは人の輪に入りたい、認められたいと思って。嘘はつかない。
ジャスティン・カーゼル監督と(オーストラリアの)実際の殺人事件。一方は連続で、もう一方は無差別。彼の出世作『スノータウン』の方は主人公の少年を導くヤバい男の直接的な影響という存在が大きかったので、それと本作では同じにはできないけど、陰鬱な空気や何処かドキュメンタリータッチな演出然りやはり通ずる部分もあるだろう。そして何より、恐らく体も増量などいわゆるだらしなくしているであろう、"普通"になれないケイレブ・ランドリー・ジョーンズの熱演が見る者を強烈に引っ張る。今までも大作というより様々な小規模かつ良質インディー(アート)形の助演というイメージだった彼が体を張って周りに打ち解け馴染むことの困難大変さを体現するよう。ウスノロやニブい、知恵遅れなどと蔑称/差別用語で形容され、呼ばれ罵られて。ニトラムとは呼ばせない、呼ばれたくない。みんな絶望的な気持ちで毎日を生きてる。だから、こうすべきなんだ。
そんな彼を真っ直ぐあるがままに受け止める女性との出会い。自動車販売店の常連となっているのも、車自体が別に欲しいわけでなく、その購入の過程でのコミュニーケーションが目的。人々の抱える孤独。けど、その出会いによって奇しくも得た大金や場所が、軍資金となり銃の練習場所となる。お金のために後から来た人に勝手に売っている不動産、いとも簡単に凶器を買えてしまう銃社会。凶行/犯行に至るまでの瞬間、なにが彼を"そうさせたのか"?…という表現にしてしまうと語弊が大いにあるが、間違ってももちろん起こした犯罪を擁護するわけではなく、その背景にあった要因を紐解いていく。なぜこれだけ人々が亡くなっても、銃乱射事件は無くならないのか?犯行理由/原因は謎のまま…か?根本から無くすためにはどうすればいいのかということを今一度考える契機となるだろう。そして無音エンドロールまで圧巻の余韻…うむ。
芝刈り
チッチ、チッチ
勝手に関連作品『エレファント』『タロウのバカ』
P.S. 公開当時、映画館で絶対に見ようと思いながら、同時に絶対気分沈むだろうな…と思って行き損なっていた作品
これは、えぐい
かなりアウト寄りな映画
でも、心の奥ではこんな映画を求めていたのかもしれない…
ニトラム
Matinを反対にしたNitramという蔑称で呼ばれていた主人公
彼がどうして完全にニトラムになってしまったのか
そして、誰が彼をニトラムたらしめたのか。
そんな映画でした。
彼が悪いのは、大前提なんだけどさ、
やっぱりこういう映画を見るとそれだけじゃないというか
まあそういう造りになっている。
銃を購入するシーンなんて本当ゾッとするよ。
こんな時だけは、日本に生きてて良かったと思いますな…。
本当、幼児のいる部屋での売買とか、
普通に銃の店行っても余りにも簡単に買えてしまったり、
奥に購入客がちらほら当たり前のようにいるんですよね。
演出の妙だな、と思うんですが、余りにもグロテスクだった。
全体的に役者さんが素晴らしかった。
父も母もヘレンも。
そして、主人公。
どっかで見たことあるなーと思ってたら、スリービルボードの彼か!!
すげえや!ケイレブ・ジョーンズ、とっても良い役者さんですな…。
静かなのに、緊張させられるシーンが多く、
一時間くらいでもうお腹いっぱいでしたよ…。
それほど凄い映画ってことなんですけど。
うろ覚えだけど、「ブルーリベンジ」ってこんな雰囲気あったような。
後半にかけてヒートアップするような映画のはずなのに、
中盤もしっかり面白いんだよなあ…。凄い。
ラスト、露悪的に銃撃シーンを見せることもなく、
各所への配慮が行き届いてるなと思いました。
ただ、こういう映画を観たとて、
やはり私には恐怖を感じることしかできないんじゃないか。
と無力感を感じてしまいますね。
最低限のことは、していかないといけないです。
やっぱり最後の文章の恐ろしさは、現代に続いているし、
銃規制のない国に住む事の恐怖をまざまざと感じました。
孤独な青年の病んだ心に迫った野心作
自分は本作を観るまでこの事件のことを知らなかった。ただ、アメリカなどでは今でもこうした発泡事件は頻発しており報道などでよく目にしている。そこには人種偏見や貧富の格差といった社会的構造が大きく関係していると思っていたが、しかしそんな一面的な捉え方をして知った気でいるのは大変な間違いであったということに気付かされた。今回のケースは社会的な要因というより私的な事情から犯行に及んだように見える。
映画はニトラムの荒んだ日常生活を淡々と筆致するシークエンスで構成されている。母親との軋轢、周囲に馴染めない不器用さ。そうした鬱屈した感情が克明に記されている。そして、そんな荒んだ心は近所の裕福な独身女性ヘレンとの親交によって、少しだけ潤いを見せていく。しかし、その幸福も束の間。”ある事”によってニトラムの未来は再び暗く閉ざされてしまう。
映画冒頭でニトラムの幼少時代のニュースフィルムが出てくる。花火で遊んで火傷を負ったということでローカルテレビ局のリポーターが彼にインタビューするのだが、これを見る限りすでに彼はこの頃から問題児だったということがよく分かる。青年に成長してもその性格は変わらず、映画を観る限り自分はADHDのような印象を持った。実際にカウンセリングの治療を受けるシーンも出てくる。
ただし、だからと言って病気のせいだけにして、今回の事件を片付けてはいけないような気がした。
厳格な母親との衝突が彼を追い詰めてしまったのかもしれない。幼い頃から虐められっ子で、その反動が積もり積もって爆発したのかもしれない。あるいは、彼のことを唯一理解しようと努めていた父を襲った”ある悲劇”が関係しているのかもしれない。愛するヘレンの喪失感から自暴自棄になったのかもしれない。
このような様々な問題が複雑に絡み合って今回の事件が起きたように思う。
いずれにせよ、事件で命を落とした犠牲者にとっては正に理不尽以外の何物でもなく、どこかで防ぐことはできなかったのか、と思ってしまう。強制入院させるべきだったのではないか。周囲にもっと手を差し伸べる誰かがいなかったのか。いくらでも方法は思いつくが、現実にはそう簡単にいかないのだろう。
本作を観て一つだけ違和感を持ったことがあった。それはエンドクレジットで流れる銃規制に関するテロップである。その内容についてはまったくその通りだと思うが、ただ犯人の心のうちに迫るという本作の趣旨を考えると、いささか唐突な感は拭えない。どうしてもそれを訴えたいのであれば、また別のアプローチでこのドラマを描くべきだったのではないだろうか。例えば、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」のような銃社会に対する徹底したリサーチがあってしかるべきであると思う。
キャストではニトラムを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演が印象に残った。スマートなイケメン俳優として売り出していたが、今回は体重を増やして非モテな自閉症気味なキャラを独特の風貌で作り上げている。時折見せる冷徹な眼差しがシーンに見事な緊張感をもたらしていて目が離せなかった。
尚、実際の事件についてはwikiにも掲載されているので興味のある方は読んでみることをお勧めする。本作とは大分異なる内容で驚くかもしれない。自分も後から調べて分かったのだが、今回の映画は多分にフィクションが混じっていることに驚かされた。エンタテインメントとしてはこういう作り方もありかもしれないが、事件そのものを曲解しかねない危険性もあるので、ある程度は慎重さも必要だった気がする。このあたりは観る側のリテラシーが試される所だ。
無差別銃乱射 ポート・アーサー事件
事実に基づく映画で、オーストラリアで起きた無差別銃乱射事件を描いてます。
殺害のシーンは描かれておらず、犯人が事件を起こすまでを、
どんな家庭に生まれ育ち、どんな人生を歩んできたのか、人間ドラマで描かれます。
当然、観たあと気分が悪いです(笑)
発砲しはじめる前に、
「今日は白人ばかりだ、ジャップはいないんだな」と言ってから、無差別に発砲した
と言われてますが、
監督いわく、確固とした証人もおらず、本当か確証が取れず、思想も不明瞭な部分が多かったので、描かきませんでした
特定の民族を狙った殺しではなく、明確に分かっているのは、無差別だった事
だそうです。
パンフレットに興味深い事が色々と書いてありました。
動機がわからず、銃規制のきっかけになった事件だと知れたくらい
1996年4月28日、オーストラリア・タスマニア島・ポートアーサーでの無差別銃乱射事件を映画化した作品。
父と母と3人で暮らしていた27歳のマーティン青年は小さなころから周囲に馴染めず孤立し、同級生からは名前を逆さに読みしたNITRAM(ニトラム)という蔑称で呼ばれ、バカにされてきた。ある日、サーフボードを買うため芝刈りのバイト先で、ヘレンという50代の女性と出会い、気に入られ同居させてもらった。しかし、ヘレンが運転する車の助手席からハンドルをいじり車は横転してヘレンはその事故で亡くなった。ヘレンの財産をもらったニトラムは銃を買い求め、父の買いたかった別荘地に住んでる夫婦を皮切りに35人の死者と15人と負傷者を出した無差別銃乱射事件を起こしたという話。
ニトラムは近所迷惑な花火を打ち上げたり、無職でブラブラして親にお金を無心するような、元々おかしな行動をとっていたから、何がきっかけなのか?無差別銃乱射事件の動機は観終わってもよくわからなかった。
ヘレンを殺した事は追求されず、父親の死にも関係してたのかとも思い、頭のおかしな奴に近づいちゃいけないという教訓なのかな?
ロシアのプーチンはもっと多くの人を殺してるので、コイツよりもっと頭がおかしな奴だと改めて思った。
レビューを書くのに少し時間がかかった。
このオーストラリアの事件はリアルタイムで覚えているが、海外の話だからどんな背景だったのかまでは知らなかった。
銃の乱射、無差別殺人事件はなぜそこまで犯人が追い込まれたのかを描き僕らが見過ごしといる事、気づかずに彼らを追い込んでいることを白日の下にさらす。この映画もそうだ。そしてポートアーサーの事件は犯人が発達障害であった事を私ははじめてこの映画で知った。
その事が話を難しく、重くしている。
発達障害のお子さんを持つご両親のご苦労は日本でも問題になっている。両親が居なくなった時、社会はかれらをどう許容していくのだろうかがドキュメントのテーマになる事も多い。
もう一つの問題は銃所持で、日本の場合は幸い規制が強いので助かっているが欧米、エンドクレジットにも出るがオーストラリアでも大問題だ。
淡々と真綿で首を絞めるようにニトラムが追い込まれて行く様子は発達障害があるから役者も監督もかなり役作りや見せ方を悩んだだろう。ニトラムの行動が障害のせいなのか、健常者でもそうなるのか、、、どちらか一方のせいにする事が許されないからだ。こんな難しい題材に挑んだ主演の子と監督の勝利だと思った。
たぶん今も世界の片隅で誰かが追い込まれて、引き金に指がかかっているんだろうな、、、それは案外自分の近くかも知れない。
なぜ、主人公を途中で『別人』にしてしまったのか
実際に起きた『ポートアーサー事件』を題材にした映画。主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズ氏はこの作品でカンヌの男優賞を取っていますよね。演技としては本当に文句なし。素晴らしいです。
なお演出についても、実際に銃を乱射する場面を省いたり、BGMを自然界の音に任せるなどした結果、シンプルに主人公の孤独感に共感できる見せ方になっていたと思います。
本来であれば星4です。
ただし、一箇所どうしても腑に落ちなかった部分があったため、3にしました。
理由についてはただ一点のみですが、犯人:マーティン・ブライアントは知的障がいの疑いもあったようです。知能検査を行った結果はIQ66、11歳レベルだったと言及する記録もあるようです。
実際にこの映画の冒頭では、主人公のマーティンが もしかしたらそうじゃないかな? と客に思わせるような描写がいくつも出てきます。
火傷をしても花火をやめなかったり、運転中に妨害行為を働いたり、大切な人の葬式で祝いの格好をしたり。
ただ、ある瞬間に突然それが《治る》。
まるで今まで、彼自身苦しみ続けていたことが嘘であるかのように。
実際の事件でも、障がいの疑いはあったが冷静に判断して犯行に及んだと見なされているようです。
恐らく、この映画の方向性としては、銃のある社会NGという点に重点を置きたかったのでしょう。
あるいは……障がい者に対する偏見の目を産まないために、このような解釈にしたのか。
ちょっとひどいな、と思いました。
もう二度と同じことを繰り返さないためにも、周囲がダメなことはダメなんだよ、と理由を添えて伝える必要があるよな。と。
それを伝えずに、トラブルとなりそうなものを排除する。
それはつまり、私達も彼を「ニトラム」と呼んだ人々と同じじゃないのか、と。
歴史的なトラウマを丁寧に映画化しただけでもすごいと思うが、事件の...
歴史的なトラウマを丁寧に映画化しただけでもすごいと思うが、事件の複雑性をしっかり描いている。主人公の俳優の、発達障害や精神障害の演技も素晴らしかった。ピュアな感情や孤独、不器用さ、暴力マシンのように向かっていく恐ろしさ。父親を殴るところが実際は一番過酷な気がした。
パンフの小泉さんの言によれば、それでも事実とはかなり異なるとのこと。女性たちとの性的関係もあったなら、それも含めて描いてほしかった。虫の描写や、花火の表象も、重要だったのだろうと思われる。
実は、母親に最も共感できず、母親に問題があると感じたのは、パンフの信田さんとは異なる見解だった。ここまで共感能力のない人はない、のか、息子との関係に疲れ切ったのか。
ヘレンも実はかなりの特異な人である。
宮台さんのニトラム評は流石だと思います。
社会適合性のない人物
このような人がコミュニケーションがとれず、悩みを抱えて、自虐的になったり、周囲の無関係の人物や集団への無差別な攻撃、逆恨み的な暴力に至ってしまうのか。。。
普段、お父さんのように理不尽な事で怒りや悲しみを感じる事は、誰にでもあって、それをストレスとして溜め込みながら、みんな我慢しているんだろうね。それが上手くこなれないのが彼のような人物なんだろう。
ところで、この主人公の俳優は、スリービルボードにも出演していたとの事で、役柄は違うが本編とストーリー性で似通っているなぁと実感した。
主題が違うのでは
「エレファント」や「ウトヤ島」など、無差別殺傷事件をテーマにしたものは多々ある中で、本作は主役の人間性に迫った、ある意味ヒューマンドラマに近い。
事件そのものの描写はあえて少なくし、出来るだけ客観的に、そこまでの過程を映し出している。
その見せ方は素晴らしく、主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズを始め、俳優の演技も見事だ。
それを凌駕して勿体無いと感じたのは、主題として提示した最後のテロップ。この問題を銃規制のみに重きを置くというのは、あまりにも浅い。
もちろん、それも重要な問題だが、それ以上に主人公に寄り添おうとしない、社会構造も指摘すべきでは無いのか。それ自体は映像からもちろん読み取れるものの、最後にあのようなテロップを入れられると、話が違うだろ、と興醒めしてしまう。
銃社会から縁遠い社会に生きてるから、そう思うのかな。中々難しい。
✳︎この手の映画は「良い」「悪い」の判断がむずかしいので、点数はあくまで映像や脚本に対するものです。
マーティンの孤独と鬱憤と渇望
オーストラリアで実際に起きた銃乱射事件を題材に、事件の犯人であるマーティンが、事件当日に銃を発砲するエンディングへ向けて物語は進んでいく
27歳になっても幼稚園児の様な感情の起伏を見せ、社会不適応な態度を取るマーティンを、周囲はmartinの文字を逆さ読みした「ニトラム」という名で呼び嘲る
一歩引いた所から犯人のマーティンを見ている様な映像が、彼の全てが空回ってどんどん救いがなくなっていく様をリアルに浮き上がらせる
おそらく精神的発達障害者であるにも関わらず、適切な療育も養育環境も与えられず、やる事全てが空回るマーティンの孤独と鬱憤と渇望を見事に体現したケイレブ・ブランドリー・ジョーンズの演技は圧巻
また、威圧的で感情的な母親を演じたジュディ・デイビスも素晴らしい
息子を愛しながらも、彼を理解し導くには無知で力不足だった母親の苦悩と悲哀が画面から滲み出る
登場人物が誰1人幸せにならない
僕は僕以外になりたかった
というキャッチコピーが胸にささる映画でした
個人的に、☆5中☆3.2
鏡の中
1996年にオーストラリアにて発生した、無差別銃撃事件を起こした青年とその家族を描いた作品。
主人公青年は、本名はMartinだが、逆からよんでNitram(二トラム)と呼ばれからかわれていたそう。誰に心を開くわけでもなく、はた迷惑な行動をしては暴れるその姿は、言い方は悪いが、社会不適合者という言葉がピッタリ当てはまる。
そんな彼と暮らす父母の姿はやるせない。根底には息子を想う気持ちは垣間見えるし、彼を見守っているが、どこか諦めているような雰囲気も…。
終始陰鬱な雰囲気で進んで行くドラマ作品。
登場人物皆、それぞれの考えを持っているようだが、その誰もが幸せには見えない。
特にお父さんのシーンは哀しかった…。マーティンを助けたい気持ちとどうにもならない気持ち、さらには彼の為にも見ていた夢まで…。
母には人の苦難を笑うと評されるニトラムが、このとき見せた父を見る表情は…。そして老夫婦の元へ行ったその心とは…。かと思えば起きない父を…。
もはやワタクシには・病み過ぎてしまったその心を読み取ることはできず。。
最初から最後まで哀しさと虚しさに溢れた作品だった。
ただ、彼が彼になってしまうまでの過程を中心に描き、その結果としての無差別殺人事件を見せる作品かと思ったら、最初っからあんな感じだし、ヘレンもヘレンで何故あんな彼を受け入れたのか、そのバックストーリーも見えてこないので、もうちょっとその辺の深さを味わえる内容だったら良かったかな~と。
ただ兎に角、やるせなさを味わうならこの上ない作品だった。
ホラーよりもホラー
発達障害が絡むので安易に感想は述べられませんが、率直にホラー映画よりホラーを感じました。突然ハンドルを握り出す予想だにしない行動、凶暴性を抑える荒い息使い、そしてガンショップのシーンでは何度もヒヤッとさせられた。幼少期に周囲から迫害されてきたのだろうが、そういったバックボーンが描かれていないので同情できなかったし、同じ人間とは思えない怖さを感じた。最後、事件の惨劇を映さずエンドクレジットという流れはクールだし、事件に対する制作側の配慮を感じた。主人公の怪奇演出は演技もヴィジュアルも作り込まれているなと思った。
ここからは個人的な鑑賞記録ですが、当日の劇場のお客は私1人でした。映画の内容からしてそりゃそうなんですが、社会や人の闇を自発的に見ようとする人って案外少ないんだなとも思った。言い換えれば自分はそれをあえて観に行く"陰な人種"。思い返せば興味を持つ映画は陰な作品が多いことに気づく。志向を変えてみようとも思っけれど、陰の目線から見る世界もそれはそれで面白いかなと思ったし、そういったものに興味を惹かれるのであればそれが自分のアイデンティティなのかなとも思う。
主人公のように病的ではないものの自分も社会に適応することに苦労するタイプ。同じ境遇の人に手を差し伸べられる余裕はありませんが、受け入れられる視野は持っておきたいと思う。
悪人じゃなくても悲劇は起こし得る
元となった「ポート・アーサー銃乱射事件」、よく知らないので観賞後ネットで検索。犯人は終身刑で存命、作品内で描かれる出来事(父の件、富豪の存在)は形を変えていますが事実のようですね。もちろん、ニトラム自身の人物像も。ですが、犯行動機は明らかになっていないそうです。ですから製作陣は多くの時間をかけて調査し、人物像を浮かび上がらせ犯行に至った経緯(動機)を描いたのではないかな?って思います。それほどにニトラムの日常の感触や心情が生々しく伝わってくるのです。果たしてここで描かれる動機が真実かどうか?はわかりませんが「きっとそうだろう」と思える説得力のあるものでした。主人公はじめ主要な演者さん全ての演技が素晴らしくより濃厚な仕上がりとなっています。濃厚=やるせなさが半端ない・・・ってことです。
描かれるニトラムの日常世界はきっと今の時代のどこかに存在する世界なんだろうと思います。居場所がない、受け入れてもらえない、受け止めてくれるところがない、自分を認めてもらえない、そんな現実。自分でなんとかできることと、どうにもできないことはあります。そんな時に人は光が見えればその光がどんなものであろうとすがってしまうのではないのでしょうか?それこそが自分が求めていたものだと勘違いしてしまうのではないでしょうか?
そうしてしまうのは社会なのか?家族なのか?環境なのか?本作は銃規制促進または銃社会への警鐘映画のようですがそんな単純な社会の課題だけではないような気がします。決してそれだけでこの惨劇が起きてしまったとは思えないのです。1996年、あの頃から社会はさまざまな境遇の人にどれほど寛容になれているのだろうか?と考えてしまいます。
演者さんたちが皆素晴らしいです。主演はもちろんですが、エシー・デイヴィスよかったなぁ。ただ、苦言があるとするならば、ニトラムの病が全ての起因に見えてしまうような感じがちょっとなぁってところです。「それでなければ・・・」って思ってしまう展開が目に付くのです。病があるから・・・ということよりケアしきれない環境という見せ方できなかったかなぁ?「その病=悪」って見え方がちょっと雑音になっちゃいました。銃規制だけでなく、そちらの環境についても踏み込んでほしかったかな。
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