「孤独な青年の病んだ心に迫った野心作」ニトラム NITRAM ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
孤独な青年の病んだ心に迫った野心作
自分は本作を観るまでこの事件のことを知らなかった。ただ、アメリカなどでは今でもこうした発泡事件は頻発しており報道などでよく目にしている。そこには人種偏見や貧富の格差といった社会的構造が大きく関係していると思っていたが、しかしそんな一面的な捉え方をして知った気でいるのは大変な間違いであったということに気付かされた。今回のケースは社会的な要因というより私的な事情から犯行に及んだように見える。
映画はニトラムの荒んだ日常生活を淡々と筆致するシークエンスで構成されている。母親との軋轢、周囲に馴染めない不器用さ。そうした鬱屈した感情が克明に記されている。そして、そんな荒んだ心は近所の裕福な独身女性ヘレンとの親交によって、少しだけ潤いを見せていく。しかし、その幸福も束の間。”ある事”によってニトラムの未来は再び暗く閉ざされてしまう。
映画冒頭でニトラムの幼少時代のニュースフィルムが出てくる。花火で遊んで火傷を負ったということでローカルテレビ局のリポーターが彼にインタビューするのだが、これを見る限りすでに彼はこの頃から問題児だったということがよく分かる。青年に成長してもその性格は変わらず、映画を観る限り自分はADHDのような印象を持った。実際にカウンセリングの治療を受けるシーンも出てくる。
ただし、だからと言って病気のせいだけにして、今回の事件を片付けてはいけないような気がした。
厳格な母親との衝突が彼を追い詰めてしまったのかもしれない。幼い頃から虐められっ子で、その反動が積もり積もって爆発したのかもしれない。あるいは、彼のことを唯一理解しようと努めていた父を襲った”ある悲劇”が関係しているのかもしれない。愛するヘレンの喪失感から自暴自棄になったのかもしれない。
このような様々な問題が複雑に絡み合って今回の事件が起きたように思う。
いずれにせよ、事件で命を落とした犠牲者にとっては正に理不尽以外の何物でもなく、どこかで防ぐことはできなかったのか、と思ってしまう。強制入院させるべきだったのではないか。周囲にもっと手を差し伸べる誰かがいなかったのか。いくらでも方法は思いつくが、現実にはそう簡単にいかないのだろう。
本作を観て一つだけ違和感を持ったことがあった。それはエンドクレジットで流れる銃規制に関するテロップである。その内容についてはまったくその通りだと思うが、ただ犯人の心のうちに迫るという本作の趣旨を考えると、いささか唐突な感は拭えない。どうしてもそれを訴えたいのであれば、また別のアプローチでこのドラマを描くべきだったのではないだろうか。例えば、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」のような銃社会に対する徹底したリサーチがあってしかるべきであると思う。
キャストではニトラムを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演が印象に残った。スマートなイケメン俳優として売り出していたが、今回は体重を増やして非モテな自閉症気味なキャラを独特の風貌で作り上げている。時折見せる冷徹な眼差しがシーンに見事な緊張感をもたらしていて目が離せなかった。
尚、実際の事件についてはwikiにも掲載されているので興味のある方は読んでみることをお勧めする。本作とは大分異なる内容で驚くかもしれない。自分も後から調べて分かったのだが、今回の映画は多分にフィクションが混じっていることに驚かされた。エンタテインメントとしてはこういう作り方もありかもしれないが、事件そのものを曲解しかねない危険性もあるので、ある程度は慎重さも必要だった気がする。このあたりは観る側のリテラシーが試される所だ。